2017/08/05 - 2017/08/17
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HOUKOUさん
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北京に到着後,義和団事変の舞台「東交民巷」を歩く。
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今日の予定では明時代の城壁である「明城遺跡」へ行く予定であったが,ホテルで少しのんびりしすぎて,入場時間が間に合うかどうか微妙である。
それにもうこの旅でいくつの城壁を見てきたことだろう。
予定を変更して,義和団事変の舞台となった「東交民巷」へ行くことにした。
ここであれば,入場時間に制約がないはずだ。
地下鉄で「北京駅」から一駅西の「崇文門」へ移動するのだが,北京駅地下鉄の入り口で北京交通カード(イーカートン)のチャージ窓口を見つけた。
北京交通カードは「2013.9北京・安陽・邯鄲の旅」で購入したのだが,リファンド(退カー)しそこなって,残額が残ったままになっていたのだ。
ネット情報などでは,チャージ額の有効期限は2年らしいので,その時から4年ほどたっており既に失効しているのではないか。
何食わぬ顔で,北京交通カードと20元を黙って差し出す。
どうやら問題なくチャージできたようだ。 -
自動改札機で確認すると,37.2元の残が表示された。
つまり,昔の17.2元のチャージも復活したようだ。 -
東交民巷に足を踏み入れる。
そこは,大通りの喧騒もなく,また当然ながら義和団事件当時の混乱した雑踏の音もなく、さらに著名な観光地でつきものの中国人のけたたましい声もなく、かなりひっそりとした雰囲気の通りであった。
街路樹がその歴史を秘めるかのごとく道に覆いかぶさっている。
何気なく並んでいる低層の建物の中には,かなり古そうな,いかにも曰くありげなものも見かける。
まるで1900年の事件の目撃者のであるかのようにも見える。
しかし,どうしたわけか,そうした歴史的建造物に見えるその大部分は何も案内標識がない。
私の勝手な思い込みだろうが,どうも中国当局は,この近代史の貴重なスポットであるこの通りを,積極的に観光資源として売り出すことにためらいを感じているようにも思える。
中国からしたらそれは理由がないわけでもなく,それは義和団事件の推移やその結果が恥辱と屈辱にまみれたものだったからである。
当時の最高権力者は西太后である。
当初外国からの要請もあり,義和団を鎮圧しようとしていた清朝政府であるが,西太后の決断により突然翻意し,この運動を逆に利用し,列強排除に動いたのだ。
これは余りにも結果が見えてる,思慮に欠けた無謀な決断であった。
列強の公使館地区を攻めることは,その全てを敵に回し,各国軍が救援軍を派遣することはひを見るまでもなく明らかであった。
旧援軍が来るまで,各国公使と取り残された民間人たちは結束し,必至に義和団の攻撃に耐えた。
特に柴五郎中佐を中心とした日本人たちの活躍は目覚ましく,西欧列強をして日本に対する見方を変えさせる程のものがあった。
公使館区は,55日間の攻撃に耐え,救援軍によって義和団は制圧されてしまった。
西太后は昨日見てきた「鶏鳴駅」などを経て西安に逃避する。
戦後処理は,中国にとってあまりにも過酷なものとなり,これより中国は半植民地状態になる。
中国にとって「これがその歴史の舞台です!」と胸を張って言えないであろう。
「文化財として保存しなくてはいけない」しかし「歴史の恥部は見せたくない」の中国のジレンマを垣間見る気がするのは私の思い過ごしか?
それと「縦割り行政」なのか,史跡であることを示す説明プレートがある建物の写真を撮ろうとしたら,いくつかの建物で撮影を留められた。 -
聖ミカエル教会。
義和団事件では,多くのキリスト教会関係者が北京に居住しており,一部はここ東交民巷に避難してきた。
もちろん彼らも、義和団に包囲され攻め込まれた際には,籠城戦に加わった。
この教会は,義和団事件(1900年)後の1901年に建て始められた。 -
旧フランス公使館
現在は北京市人事局として使われているようだ。
ところでこのエリアは,今は中国のちょとした官庁街になっていて,多くの建物で守衛が門の前で目を光らしている。
特に厳しかったのが,この建物であった。
中国の守衛にも種類があって,緩そうな民間の警備員もよく見かけるが,ここのは格が違った。
遠くから見たらひょっとしたらダミーの警察人形ではないかと思うぐらい(実際思った),不動の姿勢である。
カメラを構えると,機械仕掛けのように腕をさっと挙げ制止される。
このあまりにもプロフェッショナルな動きには,さすがに逆らい難い。
この写真は,その守衛君の死角位置から撮ったものである。 -
旧フランス郵便局
非常に特徴的なこの平屋建ての建物は,普通「旧フランス郵便局」と紹介されているが,義和団事件のころは「ホテルペイジン(北京)」であり,公使館街の防衛線がこの建物のすぐ近くに築かれていたようだ。 -
当時の写真。
土嚢などが積まれ臨戦態勢の緊張感が伝わる。 -
こちらは旧日本公使館。
しかし手狭になったことなどから,義和団事件の後,激戦地となった粛新王府跡地に移転した。 -
それがこの現在「北京市人民政府」となっている旧日本公使館である。
1924年馮玉祥に紫禁城を追われたラストエンペラー溥儀は,いったん醇親王府へ引き上げた後,確かな庇護を求めここ日本公使館に移動した。
この時の詳しい状況は,ジョンストンの「紫禁城の黄昏」に記されているが,その中に「イギリス公使館の向かい側」との記述があるので当時の公使館はここであったに間違いないだろう。
ちなみにこのイギリス公使館は,他の公使館が義和団に占領された場合の結集の場であり最後の砦と取り決められていた。 -
旧横浜正金銀行
正金銀行(後の東京銀行,現在は三菱UFJ)の支店だった建物は,本当に中国各地で数多く見ることができる。
戦前は,香港上海銀行(現HSBC),チャータード銀行(現スタンダードチャータード銀行)とともに世界3大為替銀行と称されたのであるが,中国に限って言えば,正金銀行支店が一番目立っている。
なお,この建物の道を隔てて南側には,有名な「六国飯店」があったが,現在は別なビルに建て替えられている。 -
旧花旗銀行
「花旗」とは,中国語でアメリカの星条旗のことだが,それが銀行の名前になると現在のシティバンクのことになる。
花旗銀行もその旧支店ビルが史跡として保存されているのを武漢などで見た。
現在は「北京警察博物館」として使われているようだ。
ちなみに,HSBC,スタンダードチャータード,シティバンクは,日本のリテール事業から撤退したが,3行とも中国では営業しているようだ。
日中の栄枯盛衰を感じさせる現象であると私には感じられる。
私もHSBCが日本でリテール事業を進めていたころ口座を作ったのだが,あっという間に日本撤退が発表され,今は香港とシンガポールのHSBCの口座を使っている。
中国の大都市では必ずといっていいほどHSBCの支店あるいはATMがある。
中国旅行中,予め支店の場所を確かめ,なるべくそこでお金を引き出すようにもしている。
HSBC香港とHSBC中国は別法人であるが,少なくともプレミア会員であれば世界のどこの国の現地法人でも自行の顧客として扱ってくれることになっている。
シティバンクも口座を持っていたのだが,日本撤退に伴いリテール事業が「SMBC信託銀行プレスティア」として再出発したので,口座を保持し,しばらく様子を見ることにした。
しかし,そのサービスのぬるさ,やる気のなさ,変化のなさに嫌気がさし口座を解約した。 -
旧ソ連公使館
当時のものと思われる門や塀が残っている。
その敷地に建つ大きな建物は,最高人民法院(最高裁判所)である。 -
旧オランダ大使館
こちらは溥儀の皇帝復位を図った張勲が逃げ込んだ公館である。 -
更にしばらく進むと,広漠たる人民広場が見えてきた。
「正陽門」を仰ぎ見る。
この旅で見てきた地方都市のものに比べれば,何もかも首都の風格がある。
前門から地下鉄で帰る。 -
ホテルから夕暮れ時の北京駅を見下ろす。
相変わらず,駅前広場は人であふれかえっている。
小雨もぱらつく中,野宿を決め込んだ人たちはどうしているのだろう。 -
さて,北京での夕食で食事場所を決めていたところがある。
北京といえば北京ダックや?羊肉(羊のシャブシャブ)が有名であるが,北京ダックは大同で,それこそ「私はダックか?」というほど腹に詰め込んだので眼中にない。
?羊肉以外に選択肢はない。
一人鍋できる?羊肉チェーン店というものがあり,しかもこのホテルのすぐ近くに支店があることを調べていたので,その「呷哺呷哺」へ行く。 -
鍋底(スープベース)には「麻辣」を,それに羊肉と野菜,面のセットを注文。
鍋底の選択がまずかった。
あまりにも辛いので,羊肉のうまみが十分に味わえない。
どうもこの旅は,食事の面では今一つうまくかみ合わないでいる。
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