2017/08/05 - 2017/08/17
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HOUKOUさん
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宣化から北京へ移動
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今日は北京への移動日であるが,宣化11:43発なので午前中少し街歩きできる。
ホテル朝食をゆっくりとったあとチェックアウト。
宣化駅前の個人商店にスーツケースを預ける。
城壁の南門にあたる「拱極楼」に登る。
東西方向に,南側城壁が部分的に残っているのが見渡せる。 -
まだ時間があるので,駅前バス停で路線図を見ていたら「西城垣公園」というバス停があることが分かったので,そのバスに乗り込む。
ここは城壁を利用した公園になっているようで,切通しの北側は再現したもの,南側は昔の土がむき出したものを両方見ることができる。
昨日見た東壁と基本的には同じコンセプトである。
両方を見比べてみると,中国の城壁保存というのは難しいものだと思う。
昔の煉瓦がはぎとられ土がむき出しのものは,このまま保存しようとしても,遠くない将来風化し崩壊することはひをみるより明らかだ。
かと言って,煉瓦作りの壁を再現するためには,全くの作り直しになり,いまや中国でどこにでも見られる映画セット風の光景になってしまう。
いいかげん中国人も,こうした再現城壁には辟易しているのではないのだろうか。
日本の城の石垣は,そういう意味では保存に適しているといえるだろう。
(熊本地震では熊本城の石垣も被害にあったが,元の素材を使っての復元は可能であろう) -
出発時間もせまってきたので,宣化駅に戻り,駅前食堂で「羊雑碎」を食べ,駅舎に入る。
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待合室で汽車を待つ間,何気に切符を見てみると,「南臥代軟座」と印刷してある。
どうやら,「一等寝台を一等座席として使う」という意味らしい。 -
時間が来て,プラットホームに出てみると,目の前には長い無蓋貨車が停まっていた。
おそらく石炭貨車なのだろうが,まさに72年前のちょうど今頃,日本人引揚者でぎゅうぎゅうづめの無蓋貨車が,このあたりに停車していたのだ。
「宣化駅で停車、線路際のスイカを食べかけたらゲリラの奇襲、弾丸が飛んでき
た。列車に同乗していた日本軍が応戦して撃退。」(森勝彦氏「内蒙古からの脱出」)
無蓋貨車ゆえ,雨にずぶ濡れになったという体験談もある。 -
無蓋貨車はその内静かに動き出し,今度は北京行き列車がホームに入ってきた。
我々は何と平和な時代に生きているのだろう。 -
窓から見える風景にも少し飽いてきたので,上の寝台が空いていたのでしばらく横になる。
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そして,しばらくして車窓の風景がどのように変わったのか寝台から降りてみると,驚くような険峻な山また山の景色に変わっている。
こんな険しい山々の連なりを,昔の人たちは,いったいどうやって超えて行ったのだろうか。 -
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北京駅に到着。
「北京西駅」は過去に利用したことがあったが,「北京駅」はこの旅の準備をするまで,それが正確にどこにあるのかさえ知らなかった。
宣化からは「北京西駅」と「北京駅」行きが半々ぐらいであったのだが,この場合「は北京駅」でなければならない。
なぜなら,今日から2泊するホテルは北京駅のすぐ側の「ハワードジョンソン パラゴンホテル北京」だからだ。
前の滞在地である宣化とは無論比べるまでもないくらいの駅ビルの巨大さであり,駅前の雑踏である。
ホテルは駅の向かい側であるが,間には横断歩道の一つもない大きな道路が走っている。
陸橋を登って行くと多くの物乞いがいた。
また,田舎から出てきたばっかりの農民工と思われる人たちが野宿の準備を始めている。
こうした農民工や,陳情のため上京してきて一向にらちが明かず,食い詰めていった人も少なくないだろう。 -
旅の最終滞在地なので,ホテル(ハワード ジョンソン パラゴン ホテル)を奮発している。
部屋にはバスタブがついている。
しかも浴槽が深いタイプである。
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