2017/08/05 - 2017/08/17
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HOUKOUさん
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宣化を起点に鶏鳴駅と涿鹿を見学する。
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(2017/8/14 旅行10日目)
今日は,まず下花園(シャーファーユエン)というところまで移動して,鶏鳴駅その他へ行く予定である。
ところで,その下花園まで行くバス乗り場はどこだろう?
宣化の鉄道駅に行けば,何かわかるだろうと思い,歩いて宣化駅に向かう。
宣化駅は,南の城門である「拱極楼」を抜けたところにある。
終戦による張家口からの引き上げ列車の乗ってた人々の体験記にも。この宣化駅のことが出てくる。
それによれば,当時張家口から北京まで5時間ぐらいかかるところ,ある引揚列車は4日かかったという。
共産ゲリラが,線路を爆破し,列車を銃撃したりしたのだ。
ここ宣化駅でも停車中ゲリラが襲撃してきて,列車に同上していた日本軍が撃退した体験談も残されている。
そうした襲撃に備えて,弾除けのため荷物は貨車の壁沿いに置かれていたということだ。
ところで,駅近くには中距離バスの停留所やバスセンターも見つからず,2,3人の人に聞いてやっと歩道に停まっているミニバスを見つけた。 -
下花園鉄道駅
下花園のバスセンターは鉄道駅のすぐ側にある。
このから更に沙城行きのバスに乗り換え,運転手に鶏鳴駅で下してくれるようお願いする。 -
バスは,鶏鳴駅城壁の北側で停車。
いつも不思議に思うのだが,結構有名なはずの観光地であるが,バスから降りたのは私だけである。
中国人はほとんど車か観光バスを利用するのだろう。
中国でこういう経験は何回もした。
鶏鳴駅の城壁は,再建された部分もあるだろうが,ところどころオリジナルな部分も残っているようである。
北側の入場口から入る。
城内の案内図も見当たらなくて,足任せの散歩である。
(メインの入場口は東側みたいで,そこには案内図もあった。) -
後で気づいたが,主要な見どころは城の南側にかたまっていて,北側は廃墟に近い街並みが続く。
「指揮署」
1900年,義和団の乱で列強諸国に完敗し,ほうほうの態で太原さらには西安へ逃げて行った西太后。
その西太后が一夜を過ごしたのがこの建物である。 -
-
そして,おそらくこれがその時の寝台。
山東省で発生し北京へ迫りくる義和団を鎮圧するのか,それともその勢いを利用して列強諸国に宣戦布告するのか,朝廷では何回も会議が開かれた。
最終的に戦争を決断したのは,どう考えても西太后であったはずだ。
結果は火を見るより明らかで,あっという間に清・義和団の敗戦である。
敗戦処理は慶親王奕劻と李鴻章に丸投げし,清朝の安泰を最優先にするよう「中華の物力を量りて、與国の歓心を結べ」という言葉を残し,自分は光緒帝を連れてさっさと逃げ出している。
この際,これに反対した光緒帝の寵妃・珍妃を井戸に投げ込ませたのはあまりにも有名だ。
これぐらいないと女手で大帝国は治められないのであろう。 -
からからに乾いた大地。
巷に漂う寂寥感。
何か西部劇に出てくる宿場町を思わせる雰囲気である。 -
「駅丞署」
清の時代,駅の最高官の公署。 -
「老爺廟劇台」
当時の宿泊客たちへのナイトショーみたいな使われ方をされていたのか。 -
東側出入り口付近にあった「馬家店」。
解説に「現代でいう五つ星ホテル」とあった。
裕福な商人や大官が利用した明時代からの高級宿泊施設だったらしい。 -
東口にあった鶏鳴駅の地図。
北口にも立ててあったらもっと効率よく回れたのに -
城壁の上へ出る。
この日は天気に恵まれ,鶏鳴山もきれいに望める。
実は,鶏鳴駅と同じぐらいこの独特な景観の山を見るのは楽しみだったのだ。
この鶏鳴駅,これまでいやというほど見てきた「映画のセットみたいな」観光地とは違って,いい味を出している。
城壁も補修を重ねた後に歴史を感じるし,何より都市と都市の中継ぎとして,郵便や馬の手配宿の提供を果たす駅伝制度の「駅」として使われていた当時の雰囲気を残しているような感じもした。
この寂寥感やほこりっぽい街並みも,そうした「陸の孤島」であった当時の雰囲気を今に伝えるかのようである。 -
一旦バスで下花園へ戻る。
昼食を取った後,涿鹿(タクロク)行きのバスに乗り込む。
涿鹿を有名にしているのは,ただ一つ,中国のほとんど神話の世界である三皇五帝の最初の皇帝であり,すべての中国人の祖とされる「黄帝」が城を構え,暴虐な蚩尤と「涿鹿の戦い」が繰り広げられたとされるところだ。
もちろん,これは神話であり,黄帝の存在さえかなり疑わしく思う。
黄帝を記念した施設もできたと聞くが,全く食指が動かない。
それでも?敗鹿にきたのは,ただ単に下花園からのアクセスがよかったからだ。
地図も何もなく,中国ではありがちなことだが,それがどこかも全くわからない道端でバスを下された。
なにか面白いものはないかと,街を歩いてみるが,中国のどこにでもある街並みが続いているだけだった。 -
「軒轅酒店」という立派なホテルを見つけ,トイレを借り,ロビーでちょっと休憩。
「軒轅(けんえん)」とは黄帝の名前である。
その近くに丁度折よく張家口行きのバスがとまっていたので,宣化に停車することを確認して乗り込んだ。
ほとんど,とんぼ返りである。 -
帰りのバスから見る「涿鹿の野」。
司馬遷は「史記」を制作するに当たって中国各地を訪れ,綿密な調査を行った。
ここ涿鹿を訪れたとき、土地の老人たちが「ここが黄帝の都であった」と司馬遷に答えたという。 -
宣化に着いたら着いたで,またどこかわからないところで下された。
しかし宣化の場合,2つの鐘楼がランドマークになっており,大体の現在地がわかってきた。
鐘楼は宣化の中心部にあるので,そちらを目指して歩いていけばいいのだ。
その内(東)城壁が見えてきた。
これまで数多く見てきた中でも,すごく安っぽく見える再現ものである。 -
しかし,それは道路が切通しになっている一角だけであり,少し先まで歩くと,大部分は煉瓦が剥げ落ちた崩壊状態に近い状態のものが残されている。
万里の長城をはじめ,中国の城壁がこのような土がむき出しの無残な状態になっているのは,自然な風化もあるだろうが,住民による煉瓦の窃盗も多いらしい。 -
今日もスーパーで果物を買ってきた。
レシートの写真を撮っていたので,値段が書ける。
白蘭瓜(半分)=1.2元,黄油桃=2.5元,皇冠梨=1.4元である。
驚くべき安さである。
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