2017/08/05 - 2017/08/17
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HOUKOUさん
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宣化「鎮朔楼」「清遠楼」「南真清寺」「宣化博物館」を見学。
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大同のように町全体を囲む城壁は市内からは望めない。
街を歩いて目立つのは,街の中心軸である「清遠路」に建っているを2つの楼閣である。
南側のが「鎮朔楼」 -
北に建つ「清遠楼」
門には「昌平」という文字が刻まれている。
昌平とは,儒教の文脈で使用されるときは,孔子の生誕地にちなむ命名(昌平坂学問所など)であるが,この場合は字義どおり「国が盛んで、世の中が平和なこと。」の意味であろう。 -
ここから,街の北西部へ歩いて行く。
「南真清寺」にたどり着く。
付近には真清食品(ハラール食)を扱う店もあるなど,本当のイスラム街であり,寺院は地域の人々に根付いたものらしい。
中国には無数と思えるほどの仏教寺院があるが,その中には,完全に観光施設となったもの,坊さんや本物の聖職者などいそうもないものなど,宗教性が捨て去られたようなものを見ることも多い。(キリスト教教会はさらにその傾向が強いと思う)
そうしたものの原因の一部は,もしかしたら政治的圧力の結果なのかもしれない。
しかしイスラム寺院では,そうしたことはさすがの共産党もおそらくできないのであろう。 -
この美しい楼閣は,おそらくミナレットという位置づけなのだろう。
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建物だけ見ると何の宗教か分からないが,「真主(アラー)獨一」の扁額からイスラムとわかる。
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ホテル付近まで戻ってみると,「宣化博物館」が昼休み明けで開館していた。
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宣化古城の再現模型。
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中国の博物館でこのような甕棺を見ることはむしろ稀なような気がする。
日本と異なり,中国では子供を葬るときに限って用いられたそうだ。
この甕棺は戦国時代のものであり,やはり子供の遺骨が納められていた。 -
漢の武帝のときの匈奴北伐図。
李広軍の出発地点の「上谷郡」が現在の宣化である。
ちなみに,後に漢を裏切ったと疑われ,それを擁護した司馬遷が宮刑を受けることとなった李陵は,この李広の孫である。 -
宣化近郊に壁画で有名な遼墓があることは事前に調べていたのだが,アクセスが悪そうなのと,墓内は撮影禁止らしいので行くことは断念していた。
この博物館には,その復元が展示されている。
遼といえば,耶律阿保機が打ち立てた,やはり北方民族による国である。
壁画に描かれた当時の風俗など大いに興味がわくものである。
右上は「音楽にあわせて舞う歌姫」,左下は酒を燗しているように見える。
中央下は,供応を受ける墓主であろうか。
衣服や髪形,楽器の形など中国風でありながら,どこか少しそれと違う感じもする。
人物の体つきや身のこなしも,こころもち騎馬民族的精悍さを感じる。 -
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乾隆帝が宣化を巡察に訪れたときの図
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閲兵式
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どういうわけか南北の中心軸である「清遠路」は,城内の東に偏っている。
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ホテル近くに大型のスーパーを見つけ,惣菜コーナーで客家料理の「梅菜扣肉(メイツァイコウロウ)」と,ビタミン不足を補うため何種類か果物を買ってきた。
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中国の果物は安い。
石鹸で洗って食べる。
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