2014/07/18 - 2014/07/30
227位(同エリア370件中)
moko さん
- moko さんTOP
- 旅行記16冊
- クチコミ4件
- Q&A回答3件
- 7,474アクセス
- フォロワー3人
夫の知人がサラエボに赴任していて、向こうにいる間に遊びに行こうかという話になりました。第一次世界大戦の発端となったサラエボ事件からちょうど100年。こんなきっかけでもないと、今行こうとは思いませんでしたが、土地も文化も多様性を持ち、もっと知りたいと思わせる魅力溢れる所でした。
★行く前に読んだ本
「サラエボの鐘」ノーベル賞作家イヴォアンドリッチの作品集。
「ズラータの日記」サラエボ生まれの女の子の日記。
「サラエボ旅行案内~史上初の戦場都市ガイド」ミシュランのガイドブック形式を借りた内戦当時の日常の記録。
「リクリエーション」の章「ランニング」の紹介はこうです。「サラエボ市民に最も愛されているスポーツ。誰もがこれを実践している。危険地域の住民たちがそうするように、交差点はどこも走らざるをえない。」
1日目 成田22:30発(トルコ航空)
2日目 イスタンブール → サラエボ7:55着
3日目 オリンピック会場
4日目 サラエボ → モスタル(バス)
5日目 モスタル → ドゥブロヴニク
6日目 旧市街散策
7日目 ドゥブロヴニク → ザグレブ(クロアチア航空)→ リュブリャナ(鉄道)
8日目 ポストイナ洞窟、洞窟城→ノヴァゴリツア(車チャーター)→ ブレッド湖(鉄道)
9日目 → ウィーン(鉄道)
12日目 ウィーン19:45発 → イスタンブール
13日目 →成田18:30着(トルコ航空)
PR
-
トルコ航空でイスタンブール乗り継ぎだと、サラエボには朝に着きます。まずはトンネル博物館へ。空港の裏にあるので、ホテルへ行く前に寄りました。
ボスニア紛争でサラエボの街が包囲されていた1993年に、物資や人を運ぶため作られたトンネルで、民家の庭から空港の敷地の下を通って市内に通じています。全長800メートルのうち、公開されているのは25メートル程。トンネルで使用していたトロッコや、当時の映像が見られます。
自分たちが生きている同時代の出来事。自分はこの時何をしていた?同じような日常を過ごしていた人たちが、ある日突然戦闘状態に投げ込まれてしまったわけで、感慨なしには見られません。 -
初めて地雷を見ました。ちょうど記録的な大雨で大規模な洪水が起きた後で、たくさんの地雷が地表に出て流されたとのニュースをやっていました。
内戦が終わってから20年近く経ちますが、まだ身近にこんな危険な物があるのです。 -
こんな平和そうな田舎の家の壁にも内戦の時の銃弾の痕が残っています。
-
果樹園。人間が何をしていようが、春になったら花を咲かせ、実をつけるのでしょう。巻き添えさえ喰らわなければ。
-
君たちはきっと、今生まれてきて幸せだよ。
-
昔のバザール跡。ちょうどこの前がカフェになっています。ゆっくり過去に思いを馳せたい方に。
-
街の東側にある要塞跡からの眺め。
-
サラエボの街は山に囲まれていて、一番土地の低い川沿いに旧市街があります。街が発展するに連れて、低地だけではなく山の斜面に沿って住宅地がだんだん広がっていったのでしょう。
こんな地形なので、山に陣取って包囲されてしまったら、街の人は逃げることもできません。 -
夕方、高台にあるレストランまでアザーンが響いてきました。ちょうどラマダンの時期でした。
-
山の斜面にある墓地。ほとんどが内戦の時に亡くなった人の墓です。1984年の冬季オリンピックスタジアムのグラウンドも一面墓地に変わっていました。
-
チャルシイスカ・ジャミーヤと空き家。ちょっとしばらく住んでみたいような家。
-
道路沿いにあるのに目立たないので一度通り過ぎてしまった古いセルビア教会。
外見は地味で、小さな修道院といった風情ですが、中には金ピカなビザンチン時代のお宝がいっぱい。 -
窓の代わりにフレスコの宗教画が壁を飾ります。
-
近くの家の壁の落書き。落書きも見せるアートになっていると、楽しい。
-
旧ユーゴは、「7つの国境6つの共和国5つの民族4つの言語3つの宗教2つの文字1つの国家」と言われていました。ここサラエボも、古くからの国際都市だったんですね。
サラエボの旧市街には、400メートル程の範囲にモスク、セルビア正教会、カトリック教会、ユダヤ教会があります。もう、お隣さんと言えるぐらい近いです。
政治的な話は別ですが、一般の人たちは違いを認めつつ棲み分けをしたりして、割とうまく付き合ってきたのではないかと思います。あの家は○教だから付き合わない方がいい、何て事を言う親はいたと思いますが。
聖火。平和を祈る炎が消えるようなことがありませんように。 -
バシチャルシァ。サラエボの旧市街。オスマン帝国時代の商業地区です。朝の時間なのでいるのは野良犬ぐらいですが、日中は観光客でいっぱい。
-
土産物屋や銀細工の店が並ぶ中、なぜか写真を撮りたくなったのは乾物屋さん。商品の見せ方が上手い。
-
日本大使館から近くの川に向かう道沿いにある空き地には、野犬がいっぱいくつろいでいます。こんなに?そして誰にも追い払われないんですね。トルコを思い出しました。
歩いていると、通りがかりの車の中から、「日本人ですか?こんにちは~。」と挨拶されました。逆に、ボスニア語をしゃべれる日本人なんてそんなにいないと思う。サラエボの本屋さんをのぞいて見ると日本の漫画コーナーがあり、ナンプレの本も置いてありました。 -
第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の現場。博物館の左手の路上です。オーストリアの皇太子が暗殺されたのは橋の上だと思っていたのは、中学校の社会科資料集のせいです。きっと。発端はオーストリアVSセルビアだったのが、なぜフランスVSドイツになったのか、訳が分かりませんでした。
今でも民族感情が原因で争いが生じることについては、頭でしか理解できません。異質なものを排除するのは動物としての本能なのでしょうが、人間は理性や相手を理解しようとする意思を持っていられると思うから。 -
サラエボ駅前のバスターミナルからバスでモスタルへと向かう。サラエボからドブロブニクへ行くのにモスタルで1泊すると、無理のない移動になります。しばらく緑の川と岩山が続きます。
-
モスタルの世界遺産、スタリ・モスト橋。橋の東側はイスラム、西側はカトリック教徒が住んでいます。
-
暑いので水遊び。川原に降りたら西も東もないです。
-
こんな、お昼寝をしているようなしん、としたモスク、好きですね。昼時を逃してしまい、モスクの裏にあったカフェでなんとか食事にありつけました。
食べたのはやっぱり小さい俵型ハンバーグ。ピタパンに挟んで出てくるファーストフードです。食物の写真があまりないのは、出てきた途端に子どもたちががっついて食べてしまうから。 -
夜のスタリ・モスト橋。日没後、今までどこにいたのか不思議なくらいたくさんの人達が町に出てきました。ラマダンのため、日中は家にいたのでしょう。カフェの椅子が道まではみ出して歩きづらい程のにぎわいです。昼の静かな町は仮の姿だったのでしょうか。でも、全体としての印象は、やはり静かで落ちついた町です。
-
橋の近くには郷土料理のレストランもたくさんあります。煮込み料理にヨーグルトとくればトルコ料理。ここはイスラムの影響の方が強かったんですね。
-
「93年を忘れるな」との石碑が。この橋も内戦で破壊され、再建されています。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
サラエヴォ(ボスニア・ヘルツェゴビナ) の人気ホテル
ボスニア・ヘルツェゴビナで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ボスニア・ヘルツェゴビナ最安
625円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
旅行記グループ 2014夏 旧ユーゴからウイーン
0
26