能登半島徹底探索の旅(四日目)~七尾城から羽咋市の古刹と加賀藩十村役の屋敷を訪ね、能登金剛、黒島地区・祖院に秘境、間垣の里まで。統制の効いた加賀から自由奔放な能登への変化も感じながらの魅力あふれるコースです~
2017/09/18 - 2017/09/18
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今回の旅は五日間の旅なんですが、レンタカーの旅は、四日目の今日で最後。七尾市から中能登町・羽咋市を経由して、能登金剛、輪島までと、たぶん今回の旅ではいちばん長い行程です。
羽咋市の辺りは本来は予定していなかったのですが、昨日の能登島で偶然、妙成寺の素晴らしい五重塔のポスターを見たのと、晴れの天気予報に変わったのがあっての予定変更。そうしたルート変更を考えると、自ずと、岡部家・喜多家に、気多大社・平家も入ってきて、ますます目いっぱい。
ところで、能登半島は、輪島や珠洲を中心とする奥能登に対して、七尾を中心とするのが中能登、羽咋市を中心とするのが口能登です。気がつくと、今日のコースは、口能登をメインとすることになっていました。このあたりは能登半島の表座敷といった華やかさを感じるところもあって、結果としてはかなり印象深い内容。石川県全体を考えても、けっこう上位の観光エリアではなかったかなと思います。
そして、スタートの七尾からは日本百名城の七尾城から、能登国の国分寺跡といういきなりメジャーなスポットでの幕開け。これで能登半島の古代、中世、近世の能登が網羅されましたし、最後には奥能登に戻っての大秘境にも迷い込んでしまって。ハイライト連続の能登の旅も、いよいよ最後の佳境に入ってきたようです。
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今日の行程は今回の旅でもいちばん長い。そういう意味では、少し心が焦りますが、やっぱり七尾に来て、七尾城を外すのはできませんよね。
早朝、宿を出発。雨上がりの中、七尾市街から車で向かいましたが、けっこう遠いです。しかし、山を上って行く道は緩いカーブが続いて、意外にもかっこうのドライブコースみたい。七尾城跡に向かうだけの道なんですが、これほど立派な道がついているのはやや驚き。地元の思いのようなものも感じました。 -
駐車場に車を止めて、この先が七尾城跡ですね。
七尾城は室町時代の能登国守護、畠山氏が何代にもわたって居城とした城。ちなみに、能登畠山家は、室町幕府相伴衆、越中・紀伊・河内・能登守護だった畠山本家から、分家独立したもの。ここから、中世における能登の独自の歴史が始まります。
そして、応仁の乱の後、強力な在国大名となり、七尾は小京都といわれるほどの繁栄を見せた時期もありますが、その後、最終的には内紛等も重なり、上杉謙信に滅ぼされるという流れです。 -
さて、駐車場からの遊歩道はよく整備されていて、歩いて10分足らず。深い森の中といった場所に突然石垣が現れます。
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そこまでの期待はしていなかったのですが、これはすごい。
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山の斜面には石垣が何段にも積み上げられていて、当時の隆盛がそのままリアルに伝わってくるようでした。
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この奥が本丸跡ですね。
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建物は一切残っていませんが、それらしい雰囲気は当時の姿に思いをはせるには十分。きれいに整備されているし、地元が大切にしてきた熱意も感じます。
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城山展望台は、七尾城跡からさらに奥に進んだところ。車で走ってもちょっとある感じです。大きな展望台の建物が建っていて、
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上からは能登島大橋から七尾の市街地がよく見渡せる。これはなかなかの絶景です。建物の中には、七尾の名前の由来や畠山氏の略系図などもありました。
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ここから、能登国分寺跡へ。
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聖武天皇の発願によって、全国に建立された国分寺の一つですが、能登国分寺の創建は843年です。
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発掘によって、当時の広い敷地が蘇っている感じ。こちらは、七尾城より一昔前。古代日本における能登国としての歴史の出発点といった遺跡です。
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さて、七尾市から中能登町に入ります。
道の駅 織姫の里なかのとは建物も大きいし、しっかりした道の駅です。 -
中央部に中能登町の観光案内のコーナーがあって、観光スポットの概要とそれぞれのここからの距離などが示されていて、なかなか親切。ただ、中能登町の地形はあまり変化がないので目印になるものがあまりない。そこはちょっと要注意ですが。。
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そして向かったのは、雨の宮古墳群。こちらは、国指定史跡です。
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そうはいってもどれほどのものなのか半信半疑だったのですが、限られたエリアに大小様々の古墳が集まっていて、これは古墳のテーマパークのようですね。
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順路に従って、約40基。この地で力を持った豪族がかなり長い間栄えたことを窺わせます。
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そのまま中能登町から羽咋市の名刹、永光寺へ。こちらは、曹洞宗の太祖とされる瑩山紹瑾が創設した古刹。
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その後、後醍醐天皇の勅願寺、後土御門天皇の再興、前田利家の復興と朝廷や権力者に庇護された
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輝かしい歴史も持っています。
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今でも伽藍は由緒正しい気風を感じさせる凛とした空気が漂っていて、一角頭抜けた存在であることは、この佇まいからしても一目瞭然です。
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一方で拝観を申し込むと
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本堂の華麗な内部を
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気さくに見せてもらえて、
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見どころの山岡鉄舟の書による襖も圧巻。
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なるほど。
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なるほどという感じ。
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最後はお茶と菊の紋章があしらわれたお菓子のサービスまでついていて、ちょっと至れり尽くせりのおもてなしを受けたような印象。威厳と温かさ、両方を兼ね備えた名刹です。
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永光寺から、今度は豊財院へ。こちらも瑩山紹瑾ゆかりの寺です。
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比較的規模は小さいお寺ですが、三躰の木造観音立像が重要文化財だというので拝観を申し込むと、事前に予約をしないと見れないのだとか。境内の少し高い場所に宝物館があって、そこに収められているようです。
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ただ、もう一つの見どころは、この鐘。はんにゃの鐘です。
この鐘には物語があって、それは江戸時代のこと。この寺の近くにいた大工が妻を置いて出稼ぎのために江戸に出て行きます。しかし、江戸からの仕送りはだんだんと少なくなる。妻は夫の浮気を疑い、江戸に向かいます。途中、信濃の善光寺に立ち寄るのですが、そこで尼の姿でお骨を片手にしている女性に出会う。すると、それが夫の愛人で、お骨は夫のものだったのですね。
女性は妻のもとにお骨を持っていく途中だった。しかし、この出会いは仏様の加護。二人はそれを確信し、妻も尼となり、夫の供養のために二人で托鉢の旅に出る。そこで集まった浄財で作った梵鐘がこれというわけです。
以上、煩悩を打ち消した梵鐘のお話です。 -
続いて、岡部家も当然外せませんよね。
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岡部家は加賀藩前田家に仕え、藩主の能登巡行では宿泊本陣も務めたという十村役の家柄。
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ちなみに、この十村役というのは、加賀藩独特の制度で、肝煎や庄屋の上位に位置し、一向一揆の監視も担っていたのだとか。そうですか。そのあたりになってくると、なかなか生々しいところも感じますね。
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さて、家の構えは藁ぶき屋根で豪農といった感じですが、
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展示には前田利家、利長、利常の直筆の書状があったり、
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これらは、徳川家から加賀藩第2代藩主前田利常に輿入れした家康の内孫珠姫ゆかりの葵紋入り蒔絵雛御膳とか、
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考えるととんでもないお宝。いやでも藩主との近い関係が彷彿とされるでしょう。
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この藩主が使った上座も派手ではないですが、最低限の格式は確保されている。
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脇に飾られているのは前田家から拝領した矢屏風ですし、慌てずじっくり見て回るとここの価値が分かってくるように思います。
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最後にお庭もちょっと確認して、終了です。
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岡部家から今度は喜多家です。
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喜多家も同じ加賀藩十村役の屋敷なんですが、比較すると、この長屋門とかを始めとして、喜多家の方がずっと重々しいですね。
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この母屋まで至る敷地全体が庭園に埋もれた感じだし、
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この微妙に凹凸のある建て方も、身分によって入り口が違うようになっているからだとか。へー、そうなんですかあ。
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さて、土間から内部へ。
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ここから奥に行く前にも一つ段差があって、ちゃんと格式の区別がついています。ふむ、ふむ。
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そして、ここが一番身分の高い人の出入り口です。
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いちばん奥が藩主が休息したエリア。
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控えの間から、
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ぐるりを畳の縁に囲まれて
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次の間から
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その先が
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御本陣の
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上座。
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宿場町の本陣の造りとそっくりですが、
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周囲の庭は広大だし、そのゆったり感は比較になりません。
なお、この先がトイレや湯屋です。 -
ただ、もう一つの圧巻は当主が集めたコレクションを所蔵する鉄筋コンクリートの立派な美術館。
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この入口からの雰囲気とかそこら辺の美術館よりずっと本格的。
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まずは、加賀藩の中での喜多家の位置づけを
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概観して。
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その後が、コレクションの数々。
浮世絵もなんか見ているだけでにんまりするような -
洒脱な作品。
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掛け軸や茶碗などお茶道具はどれも美しくて、
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屏風なども保存状態は良好。
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これは源平合戦ですが、趣味もいいですねえ。
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金地に描いた黒と
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白の鶏も。ちょっとした大名の気分を味わえるような風格がある。
圧巻だし、それでいて素直に楽しめる内容だと思います。 -
喜多家を後にして、気多大社に向かいますが、
これは途中ののと里山海道の志雄パーキングエリア。ここはのと里山海道と千里浜なぎさドライブウェイの間です。 -
気が付くと海岸の方に行く小さな橋があって、
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そこを越えるとなんと千里浜なぎさドライブウェイが一望できる展望台のような場所がありました。
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これはすごい。遠くから車がやってくるなと見ているとあっという間に近づいて通り過ぎていくし、横からは日本海の荒波が打ち寄せて、危なくはないんでしょうが、やっぱりスリルも感じなくはない。
いつまでも見飽きない景色のように思います。ちょこっと寄っただけなのに、とても得をしたような気分になりました。 -
さて、気多大社に到着。
この神社は、能登国の一宮。入口の白木の大鳥居からしてなるほどという威厳を感じます。 -
祭神は、オオクニヌシノミコト。出雲から舟で能登に入り、ここで守護神として鎮まったとされています。新潟もそうですが、日本海側は出雲とのとながりがかなり広い範囲で感じられます。
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本殿から拝殿は工事中でしたが、
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その入り口の神門も桃山時代の築で重要文化財。なかなかの存在感で見応えがあるでしょう。
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工事はもうしばらくかかりそうです。残念。
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気多大社の裏手奥の正覚院です。
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真言宗の寺院ですが、もともとは気多大社の別当寺。気多大社に安置されていたという木造阿弥陀如来坐像も当寺が所有。ほか、長谷川等伯の画とかもあるようですが、公開している気配はまったくなし。人けのない境内をぐるっと回ってみただけでしたが、黒い瓦がちょっと印象的でした。
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そして、いよいよ楽しみにしていた妙成寺です。もう五重塔が遠目に見えていますね。
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この寺は、日蓮の孫弟子に当たる日像が開いたという日蓮宗の北陸本山。
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もうここは有料のエリアですが、ここから本堂、五重塔、祖師堂、経堂などの伽藍が並び、山門から順路に従って回ります。
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ただ、やはり圧巻はなんといってもこの五重塔。これは、いい。
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石段の下から見上げると美しい室生寺の塔を彷彿とさせるバランスの良さ。大きさでいうとこちらの方がかなり大きいし、大きくてここまでの美しさを保っているのは並みの技術ではないでしょう。
たまたまかもしれませんが、大木の間から垣間見るような設定も、大木に囲まれたシチュエーションの室生寺を思わずにはいられません。 -
そのまま石段を上がると左手の経堂。
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同じ高さから見る五重塔です。うーん。大きいです。
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ここからぐるりと回りまして。丈六堂(釈迦堂)には、高さ一丈六尺(5m)の釈迦牟尼仏。
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最後に本堂の方に降りてきます。
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本堂を真ん中に、向かって右に祖師堂、左に三光堂が一直線に並んでいるのが、またこの寺の見どころ。日蓮宗の古い配置の特徴なのだそうです。
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境内を見た後は、甘酒でもいただきますか。
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冷えた甘酒に、梅干しが添えられて。
ちょっと疲れも取れました。
今度は、ここから平家へ向かいます。 -
途中、国道沿いに「竹内のみそまんじゅう」の看板を見つけてさっそく入ってみました。
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ふっくら、もっちりの皮はやっぱり専門店だけのことはありますね。少し茶色系の皮は味噌が入っているのかもしれませんが、たぶん餡子の隠し味。甘さを引き立てているように思います。
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これが平家で、徳川幕府の天領地十三カ村を支配した大庄屋。
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能登には名家がいくつかありますが、
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その筆頭格はこの平家です。
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ただ、拝見した屋敷はそこまでの規模はなくて、むしろ暮らしやすそうな、どちらかと言えばつつましやかなもの。
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玄関から入ってすぐの奥の部屋は
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周囲の庭を座敷から眺めるという趣向。
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この庭は、江戸時代中期に作られたという庭園で、一つの見どころなんですが、
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その庭自体がどうということではなくて、客間の座敷からぐるりの縁越しに眺めるこの趣向。その軽やかで涼しげな印象を与える造りの方が味わうべき対象でしょう。
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ほかは、上品さはあっても、とにかくつつましやか。
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岡部家や喜多家のようなことはありません。
この辺で、羽咋を終わって、北に向かいます。 -
志賀町は口能登と呼ばれる最後のエリア。
そのアリス館志賀は、志賀原子力発電所の隣り。海を見下ろす芝生の丘の上に建つ施設です。周囲は見るからに美しい青い芝生なんですが、でもやっぱり隣りは原子力発電所。正直、ここで安心して遊ぶ気にはならないような気はします。遠目で眺めるくらいで早々に退散しました。 -
福浦港は、市街から旧福浦灯台に向かう途中の崖の上から眺めると全体が一望できます。
そこに福良津の碑というのがあって、碑文によるとこの福良津は奈良時代に、遣唐使や渤海使が出航した港。その後、北前船でも賑わった港でもあるということです。 -
確かに荒々しい日本海の波から周囲の断崖がしっかり守ってくれていて、昔からの天然の良港であることがよく分かります。
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旧福浦灯台もほど近く。日和山と呼ばれる断崖の上。福浦港を控えた市街から改めて細い路地を抜けていった先です。
日本で最も古いとされる木造灯台で、明治9年に建造されたもの。白いシンプルな建物です。かつては能登文化の中心地であったという名残でしょう。 -
さらに北上して、能登金剛に到着。
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能登観光では定番の、荒々しい能登半島の自然を手軽に味わえる観光スポットです。
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前回はちらりと見ただけでしたが、今回は晴れだし、しっかり味わってみましょう。
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あれは遊覧船の船着き場。今日は、強風のため運航は中止です。
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駐車場から遊歩道があるようですね。
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この先が巌門ですか。
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駐車場から遊歩道を歩き始めて
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最初がこの松本清張歌碑。小説「ゼロの焦点」に描かれた能登金剛。碑文は「雲たれて ひとりたけれる 荒波を かなしと思へり 能登の初旅」。流麗な文字ですが、松本清張直筆のものです。
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そのまま涼しげな松林を進みます。
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ここが巌門の入り口です。
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さて、トンネルを少し進むとこれが巌門。浸食によってぽっかりとあいた洞門で、洞門からはざぶざぶと波が打ち寄せる日本海が見えてそれなりの迫力です。
ただ、それ以上の特別なものがあるかというと意外にそうでもないような。洞門だけではなくて、岩場に松林とか全体を楽しむスポットかなと思います。 -
それでもあえて言えば、巌門の中を通り抜けて鷹の巣岩側の海に出るところが一番の見どころかな。
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これが鷹の巣岩です。巌門の洞窟を海側に出た正面にそびえる岩ですが、高さが27mもあるので、鷹だけが降りてくるといわれるのが名前の由来。ただ、この岩だけが特別目立っているかというとそうでもないような気はします。海側から眺めるとまた違うのかもしれませんが。。
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これは振り返った景色。巌門の出口です。
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ここから能登金剛センターへ。中にはセルフの食堂があって、そこで昼飯に海鮮どんぶりをいただきました。ジャコや紅ショウガが入っていたりして、見た目で高級感を損なう感じでしたが、魚の切り身はかなりおいしい。やっぱり地元の新鮮な食材を使っていて、セルフでもそう捨てたものではありません。
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能登金剛センターから今度は千畳敷岩へ。
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千畳敷岩は、巌門の洞窟とは別の方の道を降りたところ。
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千畳敷という名前の通り、平たい岩場なんですが、ザブザブと波をかぶっていて、とてもダイナミック。波の静かな日であれば岩場に出れるのかもしれませんが、それでもかなり危険はあるかも。遠くから眺めを楽しむでよしとすべきかなと思います。
以上で巌門周辺は終了です。 -
能登金剛の名物岩、機具岩にも寄ってみます。
16mと12mの2つの岩が寄り添う形はよくいう夫婦岩の姿。別名が能登二見というのも納得です。国道からさらに海岸に近い旧道に入って行く必要があるのですが、たまたま途中が交通止めとなっていて、ちょっと戸惑いました。 -
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岩のすぐに駐車場があって、そこから海岸に降りればすぐそばから眺められます。ぽっかり空いた穴が特徴的ですが、この形が機具に似ているのかどうか。そこはよくわかりません。
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さらに北上して、増穂浦海岸です。ここまで来るとなんか帰ってきたような気分ですね。
ここは、全長約460mの世界一長いベンチがある海岸。緩やかなカーブを描いたかなりの距離の砂浜です。ただ、千里浜なぎさドライブウェイとかで長い海岸線に目が慣れてしまうと、この海岸も普通に見えてしまうのは致し方ないかなとは思います。 -
世界一長いベンチから日本海を見渡す高台に、岸壁の母の碑があります。岸壁の母と言えば舞鶴のはずなんですが、 岸壁の母のモデルとなった端野いせさんの出身地がこちらなのだそうです。碑には「岸壁の母」の歌詞が書かれていて、戦争のつらい記憶を風化させないようにと願ったものだと思います。
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世界一長いベンチからすぐの道の駅 とぎ海街道。歩いて行けるくらいの距離です。
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海に近いし、海産物が中心かと思いましたが、並んだ商品を見てみると、かりんとうとかおまんじゅうとか最中とか。お菓子類もけっこう充実しています。
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ここから、頑張ってヤセの断崖へも寄ってみます。
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駐車場から海に面した遊歩道を歩いて展望台のような場所へ。ここも能登金剛の豪快な海岸の景観を楽しめる代表的な場所のはずだったんですが、ちょっとどうでしょう。
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たぶん、この展望台のような場所は海に向かって切り立った場所なんでしょうが、それを見下ろすのは危険なので、できないようになっています。ということで眺めるのは、そこからの遠景。それではよくある風景と大差ないような気がしました。
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さらに。。義経舟隠しは、ヤセの断崖からさらにしばらく遊歩道を奥に向かって行きます。
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遊歩道は気楽な感じの道でしたが、義経舟隠しを見下ろす場所が突然現れると、な、な、な。これは何ですかあ。断崖に細く切れ込んだ海の道。そこに波が激しく打ち寄せて、これまで見たこともないような恐ろしい景色です。こんなところに船なんか入れるはずはないのですが、義経舟隠しというネーミングは分からないでもない。こんなところ、誰も探しになんかこれませんから。ヤセの断崖に行ったら、ここは必見です。
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ところで、関野鼻は、国道から標識が出ていましたが、ここというピンポイントの場所があるわけではないようです。私はヤセの断崖に向かう途中に広い駐車場の広場があって、そこの展望所から、半島のような岬のような関野鼻全体の景色を眺めました。それから途中に有料の駐車場とそこから海岸に向かう道のようなものが見えましたが、ちょっと怪しい感じだしそれはパスしましたが、もしかしたらそれが関野鼻のいい眺めがあるところなのかもしれませんが。。
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外海側にはさすがに見どころがたくさんあって、この琴ヶ浜は、鳴き砂の浜。
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駐車場から少し降りて行くと、確かにサラサラときめの細かな砂。靴を履いたまま歩いても少し砂に沈む感じとか、気持ちの良さが分かります。ただ、砂の泣く音はちょっとよく分からない。もう少し何かの条件が揃わないと楽しめないようです。
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琴ヶ浜からさらに能登半島の先端に向かいます。
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海岸沿いの国道からすぐ脇に見えてくるのがトトロ岩。まあまあ大きいし、それらしい形をしているので、注意していれば見逃すことはないでしょう。よく見るとトトロの目が付けてある。まあ親切というか、ちょっと余計というか。そこは微妙です。
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ここで、道の駅 赤神。海岸端にあって、道の駅としては比較的小さな施設です。敷地の一角に観光案内みたいなものがあるなと思って覗いたら、それは2007年3月に起きた能登半島の地震の状況を伝えるもの。亀裂の入った道路に、ぺちゃんこになった家屋など。日本のどこでも地震はある。そんなことを強く感じる内容でした。
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輪島市黒島地区に近づいて。
阿岸本誓寺は、五木寛之の百寺巡礼で紹介されたというので是非寄ってみたかった寺。能登最大級で最古といわれる、浄土真宗の寺院で、触頭(ふれがしら)という格付。前田藩からの通知を各寺院へ伝達する役目を持ちました。五木寛之は、真宗の信奉者ですから、ここを選んだのもなるほどねという感じです。 -
しかし、山門を入って、その正面に現れた藁ぶきの本堂がすごい。
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イチオシ
屋根が草ぼうぼうというか、それもかなりの背丈になった木のようなのまで生えていて、これは朽ちる寸前なんでしょうか。
とても心配しましたが、近所の人の話では、「内部は何ともない。立派なもんです。」とのこと。ちょっと、安心しました。 -
そして、これが輪島市黒島地区にある伝統的建造物群保存地区。
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外壁は板だけで覆った独特の外観の建物が細くて曲がりくねった通りの両側に続くのですが、その通りがなかなかに距離がある。
なお、どこで車を止めようかと心配でしたが、中ほどに公的な駐車場があって、そこに駐車すると落ち着いて街並みを散策することができます。 -
一番の見どころ角海家は、かつて天領だった黒島で北前船の廻船問屋だったという家。屋敷が残っていて、有料で拝観をやっています。海岸端に向かって徐々に下っていく地形にいくつかの蔵が並ぶ構造は、北海道の江差でも見た廻船問屋の屋敷と全く同じ構造です。
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玄関を入って、
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中へ。
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幕末から明治中期にかけ7艘の北前船を所有し、隆盛を誇った角海家ですが、廻船業が下火になると漁業や金融業に生業をかえて生き残る。
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屋敷はその動乱の歴史を物語ります。
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内部の展示は、角海家に伝わる家宝的なものから、黒崎が天領となった経緯とか、総持寺との関係などの説明パネルなど。なかなか見応えがあるものです。
特に、黒崎が天領となった経緯は、前田家と前田家を牽制しようとする幕府とのつばぜり合いといった側面もあるのですが、そこに目をつけられた地域というのはやはり能登でも豊かな地域という認識があったからだと思います。 -
母屋から例によって蔵の方に向かいます。
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蔵の中は、これまた立派な展示物。
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屏風も
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漆器も、当時の栄華に思いをはせるには十分な迫力です。
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北前船の主な寄港地ですが、外海だと、輪島、黒島、福浦。内海だと七尾。荒々しい地形だけに、良港も多かったことが見て取れます。
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黒島地区は総持寺とも基本は一体です。
曹洞宗の大本山總持寺祖院は、7百年前の開創。 -
江戸時代には、全国に末寺1万6千わ抱える大寺でしたが、明治の火災で七堂伽藍の大部分をを焼失。
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これを機に、本山は横浜の鶴見に移転、ここは祖院となりました。
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しかし、曹洞宗では、福井の「永平寺」を「越本山」、能登の総持寺「能本山」と言ってきた歴史の地であり、再建された現在の姿も、十分にかつての隆盛の面影が感じられます。
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特に、法堂(大祖堂)の内部は必見。
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総欅造りの広い空間には、山形県の名工、高山富十が親子2代に亘って彫刻したという欄間など、
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ため息が出るようなすばらしさです。
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うってかわって、禅の里交流館は、総持寺の門前町の中ほど。
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総持寺の境内ではないし、交流館というのがどういう意味なのか想像しにくいこともあるのですが、ここは総持寺に関する全体的な紹介をしていて、美しいパネル解説の内容もすばらしい。
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総持寺に参詣した後は、ここに来るとまた頭の整理ができるような施設。総持寺とセットと考えてもいい施設だと思います。
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輪島市役所輪島市門前会館は「輪島市立門前公民館」という看板が出ていて、地元の人へのサービスを主眼とした公共施設ですね。建物は大きくて立派ですが、観光客が利用するようなものではない。外観を確認しておしまいです。
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中西香月堂は総持寺の門前町なんですが、総持寺からは少し距離があるし、観光客だと気づきにくい場所だと思います。何かの情報で、能登にうまいものありと紹介されていたこちらの羊羹。それが気になって、一本お土産に買いました。
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ところが、うーん。これはめちゃめちゃうまいです。小城羊羹、岩谷堂羊羹、日光の羊羹など、有名どころの羊羹は数知れずありますが、ここの羊羹も間違いなくトップクラス。そして、これまで私の中でのナンバーワンの羊羹は豊橋の絹与だったのですが、この滑らかさと程よい甘さの加減は、それに匹敵するもの。恐るべしの羊羹です。
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櫛比神社は、総持寺の門前町の端っこ。ちょこっとした高台に建っています。総持寺の鎮守社の一つということで、歴史は総持寺と同じく古いものです。
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社殿は黒い瓦が平らに敷かれて、規模は小さいですがそれなりの重々しさを感じるのがいいと思います。
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本当であれば、総持寺からまっすぐ輪島に向かえばよかったんですが、ここで欲張りをして、西保海岸の方へ向かうことに。
するとその途中に、男女滝。深い峠の中で、突然、ササーという水の音が聞こえ始めたと思ったら、それがこの滝でした。道のすぐ脇にあって、小さな駐車スペースに車を止めてから、そのまま目の前に流れる滝を眺めます。滑らかな岩を這うように流れる二筋の滝。水量も豊富だし、なかなか見応えがあると思います。 -
そして、これが西保海岸。総持寺からは意外に距離がありました。
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断崖続きの海岸とそこにうねうねとへばりつくように続く悪路が見えてきて、輪島に帰るにはそこを通らないといけないと分かってくると、ちょっとぞっとする思い。暗くなってきているし、これはえらいことになってきました。
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ただ、この間垣の里も見れたのは、せめてもの慰めかな。間垣で囲われた家々の風景は確かにちょっと見たことがない風景です。
ただ、能登半島にあって一番の秘境はどこかと言われれば、たぶん、それは間違いなく、この間垣の里でしょう。この後、断崖のような海岸沿いの悪路を延々と帰りましたが、最後は真っ暗な夜道となってしまい。心細くて、心細くて。もうあんな体験はしたくないと今でも思っています。
さて、これで輪島まで帰り着き、何とか時間どおりその日のうちにレンタカーを返すことができました。
盛りだくさんの一日でしたが、ここでもうひとつ夜のハイライトが待っていました。それは、次回で。
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