2015/11/11 - 2015/11/12
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junemayさん
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2015年5月から6月にかけて訪れたイタリアで、時間制限のためじっくり見ることが出来なかったパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂。鳴門にある大塚国際美術館には陶板で焼かれたスクロヴェーニと同じ大きさの礼拝堂が再現されていると聞き、いてもたってもいられず訪れることにしました。
しかし、実際に訪れてみるとスクロヴェーニ礼拝堂だけじゃあなかった。システィーナ礼拝堂やポンペイの秘儀の間、カッパドキアの聖テオドール聖堂等々、以前見たけれど今ではほとんどが忘却の彼方だった名画の数々を味わうことが出来て大・大・大満足! 本物、偽物の区別なんぞ全くつかない私には、じっくり、穴の開くまで見れることが何よりのしあわせ。しかも写真撮り放題!! この魅力満載の美術館を1日たっぷり鑑賞する予定でしたが、なんと最後の日の予定をキャンセルして、丸2日間こもる羽目になってしまいました。なんという至福の時間!!
1日目はずっと前から行きたかった吉野川沿いのうだつの上がる町脇町、2日目は昔父が単身赴任していた時代に訪れたことのある懐かしい徳島の町を巡りました。
11/9 羽田空港→徳島空港→徳島→穴吹(脇町)
11/10 穴吹→徳島→鳴門
★11/11 鳴門(大塚国際美術館)
★11/12 鳴門(大塚国際美術館)→徳島空港→羽田空港
大塚国際美術館環境展示の続きです。★で示したように、2日間にまたがって撮っています。絵のお好きな方、よろしくお付き合いくださいね。
2017年10月16日追記
表紙の絵、とても気に入っていたのですがメモを失念。検索をかけてみたけれど、どなたの絵なのかわからずにおりました。本日友人が見つけて連絡をくれました。ドイツ人カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによる、「氷海 もしくは氷の海 もしくは希望号の難破」です。1823年~24年。オリジナルはルーブルにあります。喉に引っかかっていた小骨が取れたような、すっきりした気分になりました。Sさん、ありがとう!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鳴門の宿は二連泊しないで、2泊目はこちらのファミリーロッジ旅籠屋さんにお世話になりました。一見アメリカでよく見られるモーテル風。簡素なセルフスタイルの朝食付きです。
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なんと、広いキングサイズのツィンベッドの部屋を一人で独占してしまいました。めっちゃ広い!!! 気にいりました。
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部屋も大きめで、シンプルなインテリアながらなかなか好印象でした。
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洗面所とトイレは一緒ですが、こちらもスペースが広い。そして・・・
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広い浴槽と完璧洗い場付き浴室は別仕立てなので言うことなしです。ファミリーで泊まってもここならゆったり、くつろぐことが出来そうです。私も1日中広い美術館を歩き回った足をマッサージしながら風呂に浸かりました。極楽、極楽!
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さて、大塚国際美術館の環境展示に戻りますよ。
元はと言えばこちらイタリアパドヴァにあるスクロヴェーニ礼拝堂(2015年当時は撮影禁止だった。その後撮影OKになったらしい。滞在できるのは15分のみ。時間指定の予約が必要)をじっくりと見たかったことから鳴門を訪れることになったのです。
イタリア旅行記を大塚国際美術館の展示を使って書いたスクロヴェーニ礼拝堂については、こちらをご覧くださいね
http://4travel.jp/travelogue/11188379 -
パドヴァでは全体の雰囲気をつかんだだけで、個々の絵に関しては殆ど記憶に残らなかったのですが、こちらに来て初めて、ジョットの画法が少しだけ理解できたような気がしました。
バレルヴォールト かまぼこ型のヴォールトは礼拝堂の中で最も印象的なラピスラズリの青い宇宙。二つの太陽と八つの惑星、そして無数の星たちが瞬いていました。 -
祭壇側の壁面です。オリジナルの礼拝堂には聖堂を建てたエンリコ・スクロヴェーニの墓とその奥に後陣があります。
内陣のアーチに描かれている絵の中でインパクトがあったのは、最上部に「受胎告知」を遣わす神の姿が描かれていたこと。ジョットの想像力を駆使した天上界の様子が興味深かったです。そして二段目にその「受胎告知」が左右に分かれて描かれています。 -
祭壇側と反対の壁カウンターファサードだけ紹介して、スクロヴェーニ礼拝堂に関してはお終いにしましょう。お馴染みの「最後の審判」。システィーナ礼拝堂に先立つこと200年。素朴なロマネスク絵画を近代絵画へと引き上げたジョットが一番力を入れて描いたと思われる部分です。
一部剥落や色落ちがあるものの、全体的には驚くほど鮮明な色彩がそのままで、この礼拝堂の中で私は至福の時を過ごすことが出来ました。鳴門までやって来られて良かったと心から思えた時間でした。 -
次の環境展示は、大塚国際美術館を訪ねるまでその存在すら知らなかったイタリア ウルビーノにあるフェデリコ・ダ・モンテフェルトロの「ストゥディオーロ」、日本語では「小書斎」と訳しているようです。
フェデリコ・ダ・モンテフェルトロ(絵右側)はルネサンス期のウルビーノ公国の君主。ピエロ・デッラ・フランチェスカ作のこのモンテフェルトロ夫妻の絵画も大塚国際美術館にあったものです。本物はウフィツィ美術館にあります。
この書斎、四方の壁は高さ2m位まで寄せ木細工の装飾で覆われ、その上に油絵の肖像画が所狭しと飾られています。絵画のみならず、寄せ木細工の立体面も併せて陶板画に仕立て上げたところが誠に面白いと初めは思ったのですが、よくよく解説を読むと、オリジナルもトランプルイユ(だまし絵)と遠近法を駆使した装飾だとありました。ということは、オリジナルも扁平な板なの??? へぇ~!!!
これはぜひとも本物を見なければと現在計画中のイタリア旅行の目的地にウルビーノを入れています。1473年から76年頃にかけての作品。 -
寄せ木細工の部分は上部の中央に聖人像、格子扉が大きく開いているもの・閉まっているもの、下部の前に倒す引き出しの扉が棚板(ベンチ?)になって上に本や楽器等が乗っているもの、引き出し内部に収められたもの、扉を閉めた状態で見える浮彫等を楽しむことが出来ます。あまり綺麗に片付いていないところにまた味わいがありますね。
この部屋の装飾はフェデリコ自身が呼び寄せたフランドル地方の職人が中心となって完成したと言われています。下絵を描いた人たちが豪華で、サンドロ・ポッティチェリ、ドナート・ブラマンテ(ウルビーノ出身)等が含まれているそうです。
肖像画に参りましょう。全部で28枚。スペインの画家ペドロ・ベルグルテとフランドル画家ジュスト・ディ・ガンの共作。古代の哲学者から中世の神学者、そしてフェデリコと同世代の人まで、おそらくフェデリコ自身の好みによる選択だろうと言われています。
北壁は古代の思想家や教会博士達の肖像です。下段は左からグレゴリウス1世、聖ヒエロニムス、ミラノの司教聖アンブロージョ、そして聖アゴスティーノ。上段はプラトン、アリストテレス、プトレマイオス、そして5世紀イタリアの哲学者ボエティウスです。ボエティウスは、プラトン、アリストテレスらの古代ギリシャ哲学書をラテン語訳した人物としても知られています。 -
肖像画は現在ではウルビーノにある国立マルケ美術館とパリのルーブル美術館に14枚ずつ分かれて所蔵されています。
次の東壁には下段左からモーゼ、しかめっ面をしている古代イスラエルの第3代王ソロモン、聖トマス・アクィナス、そしてあまりなじみのない中世ヨーロッパの神学者兼哲学者ヨハネス・ドゥンス・スコトゥス。トマス・アクィナスの継承者だそうです。
上段はローマ帝国末期の政治家マルクス・トゥッリウス・キケロ、同じくローマ帝国時代の政治家・哲学者で詩人のルキウス・アンナエウス・セネカ、古代ギリシャの詩人ホメロス、そしてこれまたローマ帝国時代の詩人ウェルギリウスです。
フェデリコの素養の深さが伝わってきます。彼は傭兵隊長としてのし上がりましたが、文化人としても名高く、ウルビーノで華麗なるルネサンス文化を開花させました。領主としても人望に厚かったそうです。 -
次の南壁では左下から時の教皇ピウス2世、この方はシエナ出身。枢機卿ベッサリオン、13世紀ドイツの神学者アルベルトゥス・マグヌス、教皇シクストラス4世の姿がありました あらら! ピウス2世とシクストゥス4世の間の教皇パウルス2世だけはオミットされたようですね。
上段は数学者ユークリッド、フェデリコと同世代のヒューマニスト ヴィットリオダ・フェルトレ、古代ギリシャの詩人ソロン、14世紀イタリアの法学者バルトロ・ダ・サッソフェラート。「サッソフェラートの徒でなければ法学者ではない」とまで言われた人です。 -
さあ、最後の4人!
左下にダンテ・アリギエーリの姿がありますね。ダンテと向かい合っているのはイタリアの詩人であり、学者・人文主義者でもあるフランチェスコ・ペトラルカ。二人とも詩人の象徴である月桂冠を付けていますよ。素敵!!!
上段の二人は左からヒポクラテス、そして占星術師としても名高いピエトロ・ダバーノ。この人は異端審問にかけられ、最後は極中死した人です。いやあ、興味深い組み合わせですねえ・・・ -
それにしてもオリジナルの寄せ木細工そのものがトロンプルイユで、平坦だと言われても、にわかには信じられない気分です。あまりに手が込んでいますよね。
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3.6m×3.35mの本当に小さな書斎なのですが、様々なものが詰まった宝箱のような空間です。
棚板(ベンチ)に置いてあるギターとマンドリンのように見える楽器、棚の中のアストロラーベ(古代の天文観測儀)、渾天儀などが見事です。 -
電気スタンドのように見えるこちらは何だろう???
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前に飛び出している柱?の部分です。ここには果物籠とリスまでいましたよ!
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イチオシ
こちらがそのアップです。背後に遠近法を巧みに使った風景が描かれていました。
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棚からはみ出さんばかりの鎧やすね当て等の防護具が収納されています。いや、すでにはみ出ているのがあるぞ!!!
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最後の面です。ここでも沢山の不思議なものが見つかりそうですよ。
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無造作に積まれた沢山の本の上には砂時計がありました。左下には燭台も見えますね。
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雑多なものが詰め込まれているというイメージの棚の中です。その下のベンチには、またまた楽器が出しっぱなしですよ。
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こちらがそのアップ。右側には西洋ナシと小さな実(種?)が沢山入っている丸い箱が置かれていました。
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見てて飽きないけれど、フェデリコにとってはこうした雑多なものに囲まれて過ごす時間を何よりも好んだようです。それが証拠に、ウルビーノのストゥディオーロと同時期に建てられたペルージャにほど近いグッビオのドゥカーレ宮殿にも、同様の小書斎が作られているからです。
イタリアではタルシア(木象嵌)と呼ばれるこの工芸装飾技法は、ルネサンス期に透視遠近法が導入されて一時花開いたものの、その後は絵画の陰に隠れて忘れられた存在となってしまったようです。教会の書見台や聖職者の椅子等に施されることの多かった寄せ木細工をこのような3D感覚で一挙に芸術の域まで高めたものがあったとは、驚きでした。
グッビオのストゥディオーロのオリジナルはニューヨークのメトロポリタンミュージアムに売却されてしまったようですが、今グッビオには精巧に作られたレプリカがあるそうです。 -
時系列だとお次の環境展示は、一番最初に見たシスティーナ礼拝堂です。そしてその次はというと時代は17世紀に入る1600年頃に作られた、こちらのエル・グレコの祭壇衝立です。
実はこちらの衝立は実際には存在しません。ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院にためにエル・グレコが描いた6枚の絵のうち5枚はプラド美術館に、残りの1枚はブカレスト国立美術館にあります。ヴァーチャルなればこそ実現した展示と言えそうですね。 -
実はオリジナルの衝立で、6枚の絵がどのように並べられていたかを巡っては論争がありますが、ここでの配置は、最も有力な仮説によるものだそうです。
早速年代順に絵をじっくり見ていきます。この絵を含め全ての絵は1597年~1600年にかけて描かれたものです。
こちらは中央下段に配されている「受胎告知」。いや正確にいうと、神の子がマリアの体に宿った「受胎」の瞬間を描いたものなのだそうです。上部では天上界の音楽隊が美しい音色を奏でて、その受胎をお祝いしています。 -
私は2016年にマドリッドのティッセン・ボルネミッサ美術館でオリジナルを見た記憶がありました。こちらの絵です。
今調べてみたら、こちらもプラド美術館所蔵のレプリカななんですって。たとえ贋作とすり替えられても私だったら全く気が付かないでしょうね。 -
順番から言うと、次はこちらの「羊飼いの礼拝」。衝立左側下段の1枚です。オリジナルはブカレストの国立美術館に所蔵されています。産み落とされたばかりの幼子を取り囲むのは聖母、天使、聖ヨセフ、そして神の子羊を育む羊飼いの男性です。
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3枚目は「キリストの洗礼」。向かって右側下段、「羊飼いの礼拝」と対峙する位置にあります。
キリストと洗礼者聖ヨハネの間には、鮮やかな赤い布を広げた天使の姿があります。絵にはヨハネがキリストの頭上にヨルダン川の水を注いだと同時に、聖霊である白い鳩が降りたつ瞬間が描かれています。更に天の父なる神が白い衣姿で登場しているところも印象的です。 -
4枚目は「磔」。個人的には磔が苦手なので、撮った写真もこのボケた1枚しかありません。衝立中央の上段。この絵を飾るのにはこの配置以外に考えられませんねえ。
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そして、5枚目は「キリストの復活」。キリストの白い肉体の背後に、この絵でも赤い布が使われていました。それと右下に見える青い衣を着た人物が目立っていますね。
墓を見張っていた兵士たちの衝撃が伝わってくるような迫力があります。皆ぶっ飛んだ!!! って感じ(笑)。細長く誇張された手足ばかりがとても目立つマニエリスム期特有の画法が一番目についたのがこの絵でした。 -
最後の6枚目は「ペンテコステ」。「キリストの復活」の対画 衝立右側上段です。 日本語では「聖霊降臨祭」と呼ぶのかしら?
キリストの復活から数えて50日目の日に、聖母と弟子達の前に聖霊が天から下ったことをお祝いするお祭りです。ペンテコステとはギリシャ語で50という意味だそうですよ。皆の頭上で揺れる人魂のようなもの。それが現れた聖霊です。
左上で高く手を挙げる弟子の姿がとても印象的で、彼の姿が目に焼き付いてしまいました。 -
ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の祭壇衝立と同じ部屋にあったグレコの名画を続けて紹介しますね。
彼の最高傑作と言われている「オルテガ伯爵の埋葬」。1586年~88年。土色をしたオルテガ伯の肉体は二人の聖人聖ステファノと聖アウグスティヌスによって埋葬されますが、魂の方は昇天し、キリスト、聖母、洗礼者聖ヨハネというオールスターキャストで天上へと導かれている場面構成となっています。
グレコが独自の作風で一世を風靡した作品。解説を聞くとどんどん絵の中に入り込んでいってしまいます。ちなみに、ボランティアガイドさんはこの絵だけでも1時間以上は話すことができそうでしたよ。グレコ自身と彼の息子の姿もあるそうなので、それを探す楽しみもある1枚です。 -
もう1枚。「聖マウリティウスの殉教」1580年~82年。スペイン国王フェリペ2世の依頼で、エル・エスコリアル修道院のための祭壇画です。ところが完成した絵を見た国王は絵が気にいらず、それ以降グレコは宮廷への出入り禁止となってしまいました。勿論、エル・エスコリアルにも飾られることなく。
正にグレコにしか出せない色遣いがもうこの時点で現れています。初めて見る人(国王)に受け入れられなかったという話が素直に飲み込める不思議な色彩です。
中央やや右寄りに顔をこちらに向けている髭面の男性が聖マウリティウス。キリスト教徒の兵士たち11000人を率いていた古代ローマのテーベ軍隊長であったマウリティウスが、ローマの宗教による生贄の儀式を拒否し、兵士共々殉教したという伝説に基づく絵です。
天上では、天使の音楽隊が寂しげな?音楽を奏でているように見えますね。 -
これからの2枚は別の部屋に展示されていましたが、ここでは一緒にしてしまいましょう。いかにもグレコらしいタッチで描かれた美しい聖母の授乳場面です。
「聖家族と聖アンナ」1590年~95年。オリジナルはトレドのタベーラ施療院にあります。幼子の髪を愛しむ聖アンナ、足を握る聖ヨゼフ、そして聖母の手が優しく幼子の手と触れ合います。家族の愛情に満ちた幸せな瞬間です。 -
「悔悛するマグダラのマリア」1577年頃。
オリジナルは、アメリカマサチューセッツ州のウースター美術館にあります。この作品は初めて見ました。
天を見つめている彼女の瞳は潤んでいます。彼女の内面の苦悩を写しだしたかのように空は荒れ模様。傍らには「死」の象徴である頭蓋骨と彼女の象徴である香油の入ったガラス容器が置かれています。ウットリただ見とれていました。 -
地下2階から見下した祭壇衝立全景です。世界でここでしか見ることが出来ない貴重な「復元」だと感心いたしました。ヴァーチャル・リアリティとは異なり、触って質感を楽しむ確かさがあります。
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次の環境展示の画家はゴヤ。
ここでは暗いタッチのゴヤの絵が続きます。「黒い絵」と呼ばれている一連の壁画で、1819年、72歳で半分引退したゴヤ自身が購入した「聾者の家」という別荘のサロンや食堂に、壁画として残されていたものです。
全部で14点、長さが全部で26mにもなるその壁画は、ゴヤの死後漆喰ごと剥がされ、現在はプラド美術館所蔵となっています。そこには、馴染みのある宮廷画家としてのゴヤの絵とは全く趣の異なる、モノトーンに近い絵が延々と続いているのでした。
のっけからのおどろおどろしい絵は、「わが子を食らうサトゥルヌス」。こんな絵が食堂にあったら、食欲なくなりそうですけれど・・・
ローマ神話に登場する農耕の神サトゥルヌスが、将来自分の子に殺されるという予言を受け、5人の子供を次々と飲み込んだという神話を元に描かれた絵ですが、あまりじっくりと見たくない絵でした。彼の息子で、ローマ神話でギリシャ神話のゼウスに相当する主神ユピテルだけは、母の機転でサトゥルヌスの餌食にならなかったそう。ユピテルが食べられちゃったら、ローマ神話そのものも生まれなかったはずですね。 -
2「運命の女神たち」
2階のサロンの壁を飾っていた絵で、女神たちとは、人の運命を決定する三女神ラケシス、クロト、アトロポス。個々の人間の運命は、彼女たちが割り当て、紡ぎ、断ち切る「糸」の長さやその変容で考えられていた とウィキペディアには載っています。
画面には左から黒糸で測るラシケス、レンズで運命の糸の割り当てを準備するクロト、どんな運命かを操られる人間の代表? そしてまさに寿命を断ち切ろうと鋏を持っているアトロポスが描かれています。描かれた人間は聴力を失い、失意の底にあったゴヤ自身の象徴的存在としても見て取れますね。
いつも思うことですが、キリスト教の知識、ギリシャ・ローマ神話の素養がないと、理解不能な部分がありすぎ。勉強不足を痛感しました。 -
3「魔女の夜宴」
こちらは1階食堂の壁に描かれていた横幅が4m38cmもある細長い絵です。この絵は1820年から23年頃描かれたものですが、ゴヤは1790年代にも同じタイトルの絵を何枚か描いています。
ヨーロッパに伝わる魔女伝説によれば、悪魔は夜宴に牡山羊の姿で現れるのだそうで、左手前に大きな山羊の影が映っていますね。顔つきがコミカルで、魔女の裸足の足裏が可愛いなんて思ったのは私だけでしょうか? 上の2枚と比べて親近感さえ覚える1枚でした。 -
4「こん棒での決闘」
暗いからとても見えづらいのですが、二人の男の膝から下が見えません。どうも膝から下は泥か砂に埋まっているみたい。ということは、動きも制限されていて、決闘のゆくえもつきにくいように思われますが、一体何を暗示しているのでしょう?
泥沼化する地元民同士の抗争??? 内戦を暗示しているのでしょうか???
絵を描いた翌年の1824年、自由主義者弾圧を恐れ、78歳のゴヤはフランスに亡命します。 -
5「食事をする二老人」
薄気味悪い絵です。異様に目がぎょろっとした老婆がスプーンを持っているので、このタイトルになったのでしょうか? 右側の人物は食事をしているようには見えませんねえ。私には夢中になって本を読んでいるように見えます。二人が揃って同じ方向を指さしているのがとても奇妙です。何なんだあ これは??? -
6「アスモデア」
珍しく色のある作品です。右側に帽子のような山が聳えていて、その山頂にある町を指さしながら浮遊する二人の人物が左側に描かれています。
アスモデアとは、旧約聖書外典「トビト記」に出てくるキリスト教、ユダヤ教における悪魔の名だそうですが、男性の背中にしがみついている赤いマントの女性がアスモデアのようです。彼女は男性を魔女が集まる夜宴へと導くのだそうですが、この後の運命はいかに・・・
ゴヤ自身は自分の別荘に描いた絵にはタイトル、その他を残さなかったため、タイトルは後の時代の美術評論家らが付けたようです。 -
7「サン・イシドロの巡礼」
この絵は前述の「魔女の夜宴」と向かい合って、1階食堂に描かれていた絵だそうです。聖イシドロは1070年に生まれた農夫でマドリッドの守護聖人。農業の守護聖人としても知られています。聖人になるには奇跡を起こすことが必須条件ですが、彼の場合、奇跡は何百にも及んでいるそう。
絵には、聖人が住んでいたサン・イシドロへと向かう大勢の巡礼者達の姿が描かれていますが、その中でも奇抜な集団をクローズアップしています。どう見ても正気とは思えないギターを弾く男性以下、どの顔を見てもまともではありません。酔っぱらっているのかしら? その集団の後ろ、顔を隠したシルクハットの男性、黒衣の女性集団との対比が際立っています。 -
8「砂に埋もれる犬」
黒い絵シリーズの中で、一番分かりやすい絵、一番親近感を抱いた絵でもあります。運命には逆らえないというあきらめも感じてしまいます。 -
余りに情けなさそうな犬の目つきが忘れられません。
-
9「二人の老人」
予言者のような風貌をした、杖を持った老人に良からぬことを囁いているかのようなもう一人の老人。とても下品な輩に見えます。 -
10「読書」
読書といっても、通常使われる意味での読書とは明らかに違いますね。三人の男性(背後の人達を含めると五人)が、重要そうな「知らせ」または「便り」を読んでいる場面に見えます。今まで五人で喧々諤々論じていたことの手掛かりが書いてあるもので、我先に争って読み進んでいる場面・・・って考えすぎかしら? -
これは、暗いテーマの絵でも代表作に挙げられますね。
11「ユディットとホロフェルネス」
今まで沢山の全く表情が変わらないユディットを見て参りましたが、このユディットにはためらいのようなものを感じます。ホロフェルネスの姿が画面には見当たらないので、タイトルはユディットだけでもよろしいかと・・・ -
12「自慰をする男を嘲る二人の女」
このタイトルにはハハハ…と笑うしかありません。普通、人のいる前でやりますかねえ? おまけに嘲笑われているんですよ。男性の顔つきからすると、精神遅滞のある方なのかもしれません。
スペイン語の原題はMujeres riendo・・・女たちは笑っている…というだけなんですが、どうして日本語のタイトルはここまで詳しいのでしょう??? それよりも、ゴヤがどういう思いでこの絵を描いたか? が問題ですね。 -
13「異端審問への行列」
7で見た、サン・イシドロへの巡礼と同じような巡礼の行列が描かれています。画面中央付近に大きな剥き出しの特徴的な岩がありますが、サン・イシドロへの道中にある岩でしょうか? ゴヤの別荘「聾者の家」はサン・イシドロ近くにあったとされています。 -
14「レオカディア」
レオカディアはゴヤの家の家政婦をしていた女性で、彼が妻を亡くした後には愛人関係になりました。なんと40歳以上年下の、しかも人妻です。彼女との間にゴヤは娘を一人もうけています。
1824年故郷スペインを離れ、フランスボルドーに移住したゴヤについていき、彼の最後をみとったのもレオカディアでした。黒い絵の中では、一番穏やかな絵筆で描かれている絵ですが、レオカディアの着ている服は喪服、陰鬱でけだるい表情が伝わってきます。
以上の14枚がゴヤの黒い絵。シリーズとして描いたのか、各々に関連性はないのか、宮廷画家としてのゴヤの絵しか知らなかったので、あまりの画風の違いに大変戸惑いました。
この部屋には、ゴヤの代表作の展示もあったので、併せて鑑賞しました。 -
「日傘」1777年。ゴヤ初期の代表作とされている作品で、タペストリーの原画として描かれたものの1枚。
マハというのが名前ではなく、「感じの良い」、「小粋な」女性を表わすスペイン語だというのは今回初めて知りました。画面にはそのマハと日傘を差し出している、きざなポーズのマホ(男性名詞)が! 当時流行していた服を身に付け、子犬を膝に乗せてカメラ目線でこちらを見つめるマハの姿が実に生き生きと描かれています。 -
「陶器売り」 1778年。
ゴヤが好んで描いたと言われるマドリッドの日常生活の一コマ。道端で開いている陶器売りの店で品定めをする女性とその付き添い。すぐ脇を貴族を乗せた馬車が通り過ぎていきます。ゴザの横で丸くなって寝ている犬の姿がユーモラスですね。 -
「マリア・テレサ・デ・ボルボンの肖像」1783年
ボルボンとはブルボン家のスペイン語読み。父親はフェリーペ5世の三男でカルロス3世の弟であるドン・ルイス、母親は貴族マリア・テレサの長女として生まれた、母親と同じ名前を持つ3歳の少女です。愛くるしいのに何故かきりりとしていますねえ。またもや傍らには毛むくじゃらの可愛い子犬の姿が!
やがて少女は成長し、後にチンチョン女伯爵となります。 -
17年後にゴヤが再び描いたのがこちらの「チンチョン女伯爵」1800年。彼女自身が伯爵の称号を受けたので、伯爵夫人というよりも女伯爵という方が相応しいかな。
彼女は当時スペインの実権を握っていたカルロス4世の妃マリア・ルイサの愛人で宰相をしていたマヌエル・デ・ゴドイにブルボン家の箔をつけるために仕組まれた政略結婚の犠牲者となったのです。仕組んだのは勿論王妃マリア・ルイサ。20歳の初々しい人妻とは思えぬ老け顔に見えるのは気のせいかしら? 彼女は愛のない夫との最初の子供を懐妊したばかりです。 -
宮廷画家がこんな絵を描いていいの? とずっと思っていましたが、やはりゴヤはこの絵のことで、完成後なんと15年以上たってから異端審問所に呼び出されています。もっとも1800年代に入るとスペインはナポレオンの支配下となり、異端審問所はその実効力を失っていきますが、宗教的に非常に厳しい、閉鎖的な社会の中で、よくぞゴヤは描いてくれましたね。
「裸のマハ」が描かれたのは18世紀末の1798年頃。モデルが誰かということについては、大論争が巻き起こりましたが、勿論画家が口を割ることはなく、真相は掴めませんでした。この3枚下に出てくるアルバ女侯爵だという説も有力です。顔を見比べてみてください。 -
対をなす作品「着衣のマハ」。この老手を後ろの回すポーズが非常に大胆で、挑戦的な目つきにはためらいは一分も感じられません。裸をみてから着衣を見ると、こちらの絵の方が官能的に思えてなりません。エキゾティックな白い衣装も体の線を目立たたせていて、その下の豊かな肉体を思わず想像してしまいますね。
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ライトが全部絵の中に入ってしまいました。ひどい写真ですね。
「カルロス4世の家族」は1800年~01年にかけての作品。カルロス4世は狩りにしか興味を示さない国王で、権力の実権を握っていたのは、二人の子供を抱えている前述の王妃マリア・ルイサでした。宰相ゴダイを愛人にしていた女性です。左から3人目、青い服を着た若者が二人の長男で後にスペイン最悪の王と呼ばれるフェルナンド7世。この両親を見て育ったせいと言われていますが、真相やいかに?
左奥にはキャンバスに向かうゴヤ自身の姿も描かれています。 -
「黒衣のアルバ女公爵」1797年。
華やかな社交界でも傑出していた女侯爵マリア・デル・ピラール・カイェターナは1796年に夫を亡くした後、急速にゴヤと愛人関係になったとされています。
彼女の指さす地面を見ると、なんとそこにはSolo Goya(ゴヤだけ)という文字が書かれています。このSoloという文字は上に何重にも塗られた絵具で隠されていたというから面白いですね。文字は修復の際の洗浄で浮かび上がったそうです。しかし、二人の関係は長続きせずに終わります。 -
「1808年5月2日、エジプト人親衛隊との戦闘」 1814年。
時代は一気に血なまぐさくなります。宰相マヌエル・デ・ゴドイの治世は1808年のアランフェスの暴動で終わりをつげ、カルロス4世は退位。息子のフェルナンド7世が即位しますが、同年ナポレオン・ボナパルトの兄ジョゼフもスペイン王として即位し、スペインは二人の王の間で激しく翻弄されます。
この絵はナポレオンの傭兵部隊であるエジプト人親衛隊に対して襲い掛かるスペイン市民の暴動の様子が描かれています。これが引き金となってその後対仏戦争へと発展。戦争終結後、無名のスペイン市民らによる英雄的な行動を後世に残すべきと、ゴヤ自らが陳情して描いたという曰くつきの作品です。 -
「1808年5月3日、プリンシペ・ピオの丘での銃殺」1814年。
前の作品と対をなす作品で、高校の教科書にも載っている有名な1枚です。プリンシペ・ピオの丘ではその日、暴動を起こしたとされる400人以上のスペイン市民がフランス軍により銃殺されました。
すでに息絶えて横たわっている者、恐怖の表情を浮かべる者、銃声に顔や耳を覆う者等が生々しく描かれていますが、なんといってもこの絵で一番目立つのは両手を挙げている白い服の男性ですね。彼の手のひらには、なんと聖痕が見えますよ。犠牲者を殉教者に見立てて、今回の暴動の正当性を強調しているように思いました。
こうして見ていくと、タペストリー原画家、宮廷画家から戦争画家、そしてこの後黒い絵の連作と続くゴヤの絵は時間が経つにつれ、どんどんタッチが暗くなっているのを感じました。それはゴヤの精神状態の変遷を見ているようで、とても興味深いものがありました。 -
環境展示最後はモネの「大睡蓮」です。モネが描いた「無数」の睡蓮と区別するために、ここではそう呼ぶのだそうです。
パリのオランジェリー美術館のオリジナルは「自然光が差し込む明るいパノラマ展示室が欲しい」とのモネの要望により、屋根部分がガラス張りになった二つの楕円形の部屋に展示されていますが、ここではなんと屋外。8枚の絵がカーブに沿って並んでいます。
1日の中で、睡蓮は朝日を受け、ポンという音と共に咲き、そして静かに花を閉じていきます。咲き始めから咲き終わるまでの舞台として、睡蓮には屋外が最も似合うというのは単純明快な事実。色褪せも劣化も生じない陶板画だからこそ、実現できた展示というわけですね。 -
これは、同じ日ですが少し曇った空の下で撮ったもの。上の写真と雰囲気ががらりと変わっているのがお分かりでしょうか。
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「2本の柳」この作品が一番大きくて、200cm×1700cmあります。
睡蓮の花々とともに、水面に映ったバラ色をした雲が美しい・・・ -
「柳のある明るい朝」200cm×1275cm。
紅葉を始めた木々が季節感を狂わせてしまうかもしれないという心配があるかも・・・ -
こちらはかなり暗いですね。見比べてみるとなるほど面白い。
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こちらは、上の1枚の対面にあった「朝の柳」200cm×1275cmだったかな?
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8枚の中では比較的小さな作品「樹木の反映」。200cm×850cm。
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上記の作品の一部です。
突っ立っていないで、中央にある椅子に座りながら360度、少しずつ方向を変えながら鑑賞するのがお勧めです。
大塚国際美術館ならではの環境展示。大変見事でどれも創意工夫が半端なく、熱い思いが込められた素晴らしいものばかりでした。
さて、総計1000枚を超えたわがへたくそ写真の全てをここでお見せすることは迷惑甚だしいので、最後に個人的に気にいった絵を何枚か選んでフィナーレといたしましょう。 -
大塚国際美術館一般展示の最初の1枚は、ローマカピトリーノ美術館所蔵の「身づくろいする鳩」。紀元100年頃のモザイクの一品で、ティヴォリのヴィッラ・アドリアーノから出土しました。
カピトリーノでお目にかかった記憶があるのですが、写真は残されていませんでした。この高度な表現力には思わず唸ってしまいますね。モザイクだからこその黄金の光沢もほぼ制作当時のまま! 驚愕! -
早くも中世に飛びます。イコン画からの一押しはこちらの「ウラディーミルの聖母子」。1100年頃でオリジナルは板絵。モスクワのトレチャコフ美術館にあります。
12世紀のビザンティン時代を代表するイコンの一つで、聖母の悲しそうな眼差しがとても印象的です。イタリア、ヴィチェンツァで見た沢山のイコン画が忘れられず、翌年(2016年)、ロシアを訪れることになるのですが、この1枚も訪問のきっかけになりました。 -
こちらは、あまりにも有名なトルコ イスタンブールのアヤソフィア聖堂の2階部分に残されていたモザイク「デイシス」です。1260年頃。
初期のビザンティンと異なり、このキリストは立体感あり、ソフトで表現力が非常に豊か。手などは今にも動き出しそうですよ。
イスタンブールで見た時の高揚感が蘇って来ました。愛しい方との再会だったので、十分に時間をかけて楽しんできました。モザイク最高! -
ここからは、大好きな「受胎告知」シリーズです。てか、大好きなものあり過ぎ!!!
最初はシモーネ・マルティーニの作品。1333年。鎌倉幕府が倒れた年ですね。関係ないか・・・フィレンツェ ウフィツィ所蔵です。 -
密かに「すね顔のマリア」と呼んでいます。うっふっふ。
本当は「読んでいた祈祷書に指を挟んで当惑し、上半身を捻り、マントを襟元で合わせて恥じらっている姿」なのだそう。 -
お次はフラ・アンジェリコの2枚です。最初の1枚は、1425年~28年にかけて、フィレンツェ近郊にあるフィエゾーレの聖ドメニコ修道院のために描かれたもので、主役の二人の他に、エデンの園を追われるアダムとイヴの姿が描かれているのが特徴です。
プラデッラには聖母の生涯の物語からの場面が描かれています。マドリッドのプラド美術館所蔵。 -
2014年6月、初めてフィレンツェのサン・マルコ修道院を訪れた日を思い出す1枚。2階へと上がる階段を上りきる前に、この絵が目の前に現れた時の感動を忘れることが出来ません。1440年代後半。
フラ・アンジェリコは生涯で15枚近くの「受胎告知」を描いていますが、その中のベストの2枚だと思っています。 -
フィリッポ・リッピの1440年~42年頃の作品。オリジナルはフィレンツェの聖ロレンツォ聖堂内聖マルテッリ礼拝堂にあります。
ここでは天使達に動きが感じられません。(ガブリエルの後ろに控えているカメラ目線の天使は画家の知り合いでしょうか? )一人マリアだけが手の仕草のみで大きな驚きを伝えています。「ちょっと待って! 」とガブリエルを制しているようにも見えますね。 -
ロヒール・ファン・デル・ウェイデンによる「受胎告知」。1440年頃。
初期フランドル派の画家ウェイデンの事を殆ど知りません。イタリアの画家とは一味違った色彩感覚が特徴的。長い髪を垂らしているマリアの姿を初めて目にしました。 -
アレッツォの聖フランチェスコ聖堂でお目にかかった、ピエロ・デッラ・フランチェスカの「聖十字架物語」。連作中の1枚です。1454年~64年。
跪いた天使が掲げているのは、百合の花ではなく、棕櫚(本当はなつめやし。日本では棕櫚以外にヤシ科の植物がなかったために「棕櫚」と訳したようです)だそうです。今まで全く気にも留めませんでした。棕櫚(なつめやし)は、殉教者の象徴だと思ってきましたが、葉の形が鳥の羽に似ていて、祝い事に用いられてきたものなのだそうです。また、キリストの受難の予告とも取れそうですね。 -
レオナルドと師アンドレア・デル・ヴェロッキオの「受胎告知」は1472年~75年頃の作品。オリジナルはウフィツィにあります。
この絵を見るたびにガブリエルの背中の羽に注目してしまいます。飛行中の鳥の羽そっくりですね。ガブリエルを描いたのはレオナルドに間違いないようです。 -
カルロ・クリヴェッリの作品。1486年。オリジナルはロンドンのナショナル・ギャラリー。
ミラノのブレラ美術館で素晴らしい彼の作品を堪能してきたばかりだったので、食い入るように画面をのぞき込みました。マルケ州アスコリ・ピチェーノ市の自治を記念して制作されたもので、ガブリエルの隣には同市の守護聖人聖エミグディウスが寄り添っています。
完璧な遠近法で、沢山いる登場人物や鳥達(聖霊の鳩や孔雀、他にも鳥かごの中の鳥まで様々います)を見ていると、時間が経つのを忘れてしまいます。 -
サンドロ・ポッツィチェッリの作品。1489年。
ガブリエルとマリアの流れるようなポーズが一体となっていますが、いささか脚色が過ぎているようにも思えます。お芝居の一場面のように完璧。
窓の外の景色が素晴らしい。高く伸びる木はレバノン杉で、美しい女性を象徴する木なんですって。 -
ヴェネツィア派の巨匠ジョヴァンニ・ベッリーニとその工房の作品。オリジナルはヴェネツィアのアッカデミア美術館。パリのルーブル美術館と書かれたものもありました。どっちなんだ?
1500年頃、サンタ・マリーア・デイ・ミラコリ教会オルガンの外扉用に描かれたものなので、オリジナルは左右2枚に分かれています。
大理石が敷き詰められた床と壁。背景にある窓?の外の景色がとてもリアルなのに比べ、告知が行われる室内はまるでセットの造り舞台のように見えます。 -
アンドレア・デル・サルトの1512年頃の作品。
マリアは室内にいて、向かって右側に描かれることが多い中で、この構図は新鮮です。フィリッポ・リッピ同様、ガブリエルの後ろには二人の天使が控えています。
ガブリエルが情熱的なポーズで神の意志を伝えているのとは反対に、マリアは感情を殆ど表さずに、どこか見えない一点を見つめながら、天使の言葉に聞き入っています。 -
ロレンツォ・ロットの大胆な構図にはびっくりです。マリアの姿は突然の天使の出現におびえ、逃げているように見えませんか? 両手を前につきだしたポーズも他で見ることはなかったです。1527年頃。
マリアと天使の後ろを横切る猫は何を暗示しているのでしょう?
オリジナルはイタリア マルケ州レカナーティ市立絵画美術館所蔵。あまり聞いたことがない町の美術館ですね。調べたら、レカナーティはナザレのマリアとヨゼフの家が天使達によって奇跡的に運ばれたと言われている、イタリアでも著名な巡礼地ロレートの町の近くでした。これは是非オリジナルを見たいものです。 -
ティントレットの「受胎告知」はマリアが度肝を抜かれたような表情を浮かべています。それもそのはず、いきなり窓から天使が押し入ってきたのですから、腰を抜かすほど吃驚したことでしょう。ガブリエルだけでなく、小さな天使が次から次へと飛来中!!! こんな告知があったんですねえ。
1582年~87年の制作時は宗教改革の時代。解説にはマリアの懐妊が「神の意志」だったことをカトリック教会としては強調したい狙いがあった とありました。な~るほど。 -
ラファエッロに次いでウルビーノが生んだ天才画家と言われているフェデリコ・バロッチによる受胎告知は1592年~96年頃の作品。持病(一説によると、毒を盛られた? )のためにローマから故郷ウルビーノに戻り、1日わずか3時間ほどしか制作に携わることが出来なかったと言われていますが、77歳まで生きました。
作品はペルージャのサンタ・マリア・デリ・アンジェリ聖堂に今も飾られています。ここにあるのは、その一部分のようで、上部にいる神の姿や、左下に寝ている猫が見当たりません。背景の窓越しに見えているのはウルビーノのドゥカーレ宮殿です。ガブリエルとマリアの距離が近すぎる気がしますねえ・・・ -
延々と続いた「受胎告知」は目でたく終了。
お次はアルブレヒト・デューラー。20歳の学生の時にニュールンベルグの彼の家を訪れて以来お気に入りとなったデューラーは3枚見つけました。
「アダムとイヴ」はマドリッドのプラド美術館にあります。1507年。 -
前回の旅行記に出てきたシスティーナ礼拝堂の「知恵の実」はイチジクでしたが、ここでは完璧にリンゴですね。デューラーはイタリアルネサンスに触れて衝撃を受け、1500年代のドイツで人間の体を写実的に描く初めての画家となりました。
まだ二人とも「知恵の実」に口をつけておらず、神が創造したままの完璧なプロポーションを保っています。 -
アルブレヒト・デューラーの「四使徒」1523年~26年。左から福音記者聖ヨハネ、聖ピエトロ、聖パウロ、そして聖マルコです。
時は宗教改革の時代、彼はカトリックに惑わされるなという警告の意味を含めてこの絵を描きました。ウィキペディアによれば、「世の支配者たちよ。人間たちの言葉を神の御言葉と取り違えてはならぬ」という文句がオリジナルの絵の最下部に書かれているのだそう。
また、四大元素に支配される人間の四つの気質を象徴したものという、いかにもデューラーの考えることらしい記録も残されています。 -
アルブレヒト・デューラーの「自画像」1500年頃。ミュンヘンのアルテ・ピナコテーク所蔵の1枚。
この自画像を見てキリストを彷彿させると思ったのは私だけではなかったようです。当時28歳、豊かなカーリーヘアの端正な顔立ちの男性が、真正面を見据えています。この構図が何物をも恐れぬ彼の勇気、大胆さと信念を表わしているように思いました。
今、この人物が向こうから現れたならば、思わずひれ伏してしまいそうです!!! 迫力あり過ぎ!!! -
これだ~いすきです。ペーテル・ブリューゲルの「バベルの塔」。1563年。オリジナルはウィーンの美術史美術館にあります。
2017年に来日しましたが、ここで見ていたので、あえて混雑を経験しに行きませんでした。可能であればウィーンで見たいと思っています。この作品だけでゆうに1時間は眺めていられそう・・・ -
こちらも2017年に来日した、ジュゼッペ・アルチンボルドの(四季より)「夏」。
ミラノ生まれのアルチンボルドは1562年、ウィーンで神聖ローマ帝国皇帝(フェルディナント1世、マクシミリアン2世、ルドルフ2世)の宮廷画家となりました。
四季シリーズは、宮廷画家となってから程なく描き上げ、献上されたもので、1563年の作品です。前もって準備していたみたいですよ。
満面の笑みを浮かべた肖像画は全て農作物で構成されています。たっぷりと熟れた桃のほっぺが美味しそうですね。麦わらで編んだような服もなかなかです。
人をあっと言わせる趣向がこの時代もてはやされていたそうで、アルチンボルドの数々の肖像画はさぞかし人々の度肝を抜いたのでしょうね。しかし、よく考えられていますね。 -
「四季」シリーズの内、「秋」だけは見つかっていません。こちらは陰鬱そうな「冬」です。1566年。「夏」と「冬」はともにルーブル美術館所蔵。
ねじ曲がった老木がそのまま老人の顔になっています。しなびた果物が胸のあたりにぶら下がっているところを見ると、老女でしょうか? まばらな頭髪がくすんだツタで表されているところが絶妙ですねえ。 -
こちらも、ジュゼッペ・アルチンボルドの四大元素より「水」。1566年。ウィーンの美術史美術館所蔵。
前述の「四季」シリーズに続き、1569年に時の皇帝に献上されました。アルチンボルドは画家としてのみならず、装飾、デザイン、イヴェント企画等多才ぶりを発揮し、歴代の皇帝に重宝されたようです。
この肖像画は真珠の首飾り、イアリングがあるので女性ですね。真珠を含めて全て海の生物で構成されています。赤く輝くサンゴの髪飾りには笑ってしまいました。全部で60種以上の静物が描かれているそうです。 -
(四大元素より)「火」。こちらも美術史美術館の所蔵品。他に「大地」、「大気」がありますが、大塚国際美術館にあったのはこの2点だけだったような記憶です。1556年。
髪の毛が盛んに燃えている薪で表されているところが凄いですね。蝋燭の燃えさしが目になっていますよ。作品としては、「水」の方が面白い・・・ -
「天才と狂気」が入り混じるカラヴァッジョの作品は10枚ほどありましたが、その中から3枚。最初の作品「バッカス」はウフィツィ所蔵。1595年頃の作。
頭を葡萄の葉で飾った物憂げな少年が、ワインの入ったゴブレットを差し出し、誘っているように見えます。秘儀の部屋にあったバッカス(ディオニソス)への信仰のような狂気じみた世界はここにはなく、バッカスに扮した少年がすっかりその気になって役を演じている軽さが伝わってくるような気がします。
モデルになったのは、カラヴァッジョの友人の一人だそう。 -
「女占い師」は1595年~98年頃の作品。これはローマのカピトリーニ美術館で見た記憶。と思ったら、実はこの絵、2枚あるそうで、こちらはルーブル美術館所蔵の1枚。
右側の男性がジプシー(ロマ)の女性に未来を占ってもらっている場面です。実は女性はいかさま師で、隙を見て、男性の指輪を抜き取ろうとするところなのだそう。 -
2015年5月10日にカピトリーニ美術館で写した作品はこちら。実はこの右側の男性とバッカスのモデルは同一人物なんですって。2枚ある「女占い師」はこちらの方が先の制作で、1年後にカラヴァッジョが当時世話になっていたフランチェスコ・デル・モンテ枢機卿のために、2枚目を描きました。
そうと知ってから1枚上の写真を見ると、な~るほど。背景も異なりますね。並べてみると面白い。 -
カラヴァッジョ最後は「エマウスの晩餐」。ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵です。1596年。このタイトルの絵も2枚あり、ミラノのブレア美術館で見たものとは別ヴァージョンですね。
ミラノ版はこちら
https://4travel.jp/travelogue/11213589
キリストの磔の後、二人の弟子がエマオに向かって歩いていた時、一人の男が近寄り、一緒に歩き始めましたが、彼らは彼が誰であるか分かりませんでした。その夜エマオでの夕食の際、男はパンを取り、それを祝福してからちぎって彼らに分け与えました。カラヴァッジョは、男が誰であるかが分かって、弟子たちの目が大きく見開かれた瞬間を描いています。
あどけなささえ残る若いキリストもさることながら、背中を見せている弟子の一人が今にも立ち上がらんばかりに椅子の肘を掴んでいる姿が実に効果的です。絵の中に引きずり込まれるのを感じます。 -
肖像画にはあまり関心がないのですが、ディエゴ・ヴェラスケスの、この「教皇インノケンティウス10世の肖像」だけは別です。ローマのドーリア・パンフィーリ美術館所蔵。1650年の作。
内面の狡猾さがこれほど表に表れている人物も珍しいのではないかと思います。ヴェラスケスの筆のなせる業ですが、幸い教皇はそれに気が付かず(?)、絵の仕上がりに大満足だったようで、画家に褒美を与えています。 -
2016年に訪れたエルミタージュ美術館には、レンブラントの作品がなんと24枚もありましたが、その中の私にとっての絶品はこちら。
レンブラント 「放蕩息子の帰還」1668年頃。大塚国際美術館で見て感激し、たっぷり泣かせてもらいました。こちらを向いている放蕩息子の足の裏は涙なしでは見ることが出来ません。 -
バルトロメ・ムリーリョの「無原罪の御宿り」1661年~65年頃。プラド美術館所蔵。
ヨーロッパにはキリスト教以前にすでに女神信仰がありました。マリア信仰は、根強い女神への信仰がその根底にあったと唱える人が少なくありません。イタリア、フランス、スペインを中心に一般民衆に浸透していったマリア信仰を具象化すると、その究極の姿はこちらの無原罪の御宿り。マリアはその存在の最初(母アンナの胎内に宿った時)から原罪を免れていた という教義です。
17世紀のスペインにおいて最も描かれた主題の一つだそうです。光の中に立つ清らかなマリアの姿は愛らしく輝いています。 -
同じくムリーリョの「ロザリオの聖母」1650~55年頃。こちらもプラド美術館の所蔵品です。
ドメニコ会の教会では必ずといって良いほどお目にかかることの出来るロザリオの聖母。多くは指にロザリオを絡ませたり、垂らしたりしている聖母子の姿をした人形であることが多かったように記憶しています。
ムリーリョの描く聖母子は気高く、思わず息を呑むような美しさに満ちていました。 -
メインデルト・ホッベマの「ミッデルハルニスの並木道」。1689年。17世紀オランダを代表する風景画家です。ロンドンのナショナル・ギャラリー所蔵。
細くひょろひょろと伸びたポプラ並木が続く街道の彼方に高い塔のある町が見えます。旅人がここにいたら、ようやく町の入口までたどり着いたと喜びそうなロケーションですねえ。左右にくねりながらどこまでも伸びる馬車の轍を追っていくと、こちらに向かって歩いてくる犬を連れた男性の姿がありました。手前右側の畑の男性が声をかけている相手は彼かしら? 実際に歩いてみたくなるのどかな道です。 -
突然ですが、インターミッション。食事の後の昼休み中です。
広い中庭を散策しました。空が広い! 青い! -
さあて後半。19世紀にやって参りましたよ。飛行機の搭乗に間に合うバスの時間を気にしながらの鑑賞です。
19世紀のイギリスの画家 ジョン・エヴァレット・ミレイの「オフィーリア」。テート・ギャラリー所蔵。1851年~52年。
初めてこの絵を見たので、とても衝撃的。忘れられない絵となりました。ロンドン留学中の夏目漱石はこの絵をを見ているようです。 -
ミレイは古着屋で買った服をモデルに着せて、浴槽に沈めてスケッチをしたのだそうです。彼女を取りまく柳の木や葦科の植物、白い花をつけた草木などが完璧な舞台装置として機能しています。
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イリヤ・レーピン「ヴォルガの船曳き」 1870年~73年。サンクトペテルブルグのロシア美術館所蔵。
ロシアらしい重苦しい雰囲気の絵です。一度見てしまうと画面から目を話すことが出来ません。ヨーロッパ一の長さを誇り、カスピ海にそそぐヴォルガ川流域の光景でしょうか? ボロを着た表情に乏しい人たちの中で、一人明るい服をまとい、十字架を付けた少年が異質で、とても気になります。その前を行く男性の鋭い眼差しからは勇気と希望をもらえますよ。 -
「睡蓮」を始め風景画の多いクロード・モネ。それ以外の絵としてこの絵はあまりにも有名ですが、ポスターや本以外で見るのは初めてだったので、単純に嬉しくなりました。正式名は「ラ・ジャポネーズ」1876年。ボストン美術館所蔵。
壁一面(そして床にも!)に散らばった団扇が良いですね。モデルはモネの妻カミーユで、この時29歳でした。彼女の満面の笑みが実に印象的。金糸をふんだんに用いた豪華な着物に施された刺繍の中にある、まさに刀を抜かんとしている猛者の姿との対比が面白いです。 -
ゴッホは何点かあった中から次の2点を選びました。
ゴッホはヒマワリを7点描いています。光、太陽の象徴として、この花には特別の感情を抱いていたようです。背景が青いこの「ヒマワリ」(1888年)は、1920年、芦屋の実業家山本顧弥太が購入したものですが、第二次大戦中の空襲で灰燼に帰し、現存していません。
残された1枚の写真を元に復元が試みられたようですが、細部をどうやって完成されたのかまでは解説に書かれていませんでした。オリジナルを見ることが叶わない絵を見ることが出来るのは誠に喜ばしい事。経年劣化の殆どない陶板画が過去の記憶を伝承していく最良の方法のひとつであることを再認識した次第です。 -
「オーヴェールの教会」1890年。パリのオルセー美術館所蔵。
パリの北西に位置するオーヴェル-シュル-オワーズはゴッホが彼の人生最後の10週間を過ごした場所。その間に描いた作品数は100以上にのぼるそうです。
印象的なのは、空と同じ群青色に塗られたステンドグラスのある窓。オレンジ色の屋根。やや歪な後陣の出っ張り。そして手前の道を歩く農夫の姿。
教会は今も当時の面影を保っていますが、ゴッホ色に仕立てられた絵にあるほど劇的ではありません。 -
ミラノのブレア美術館で虜になったセガンティーニの「湖を渡るアヴェ・マリア」1886年。スイス、サン・モリッツにあるセガンティーニ美術館所蔵。
まことに興味深い絵ですね。夕方、小舟一杯に羊を乗せて家に帰る場面なのでしょうか? 2頭の羊は慣れた様子で、水を飲もうと顔を水面に近づけています。淡い夕方の光が神の子羊たちを優しく照らしています。 -
セガンティーニが続きます。快楽の懲罰という連作中の1枚で、「悪しき母たち」。1894年。ウィーン ベルベデーレ宮殿オーストリア美術館所蔵。
とても不思議な絵です。7世紀のインドの詩人パンジャヴァーリが書いた「涅槃」という仏教の詩が元になっていて、解説によると、快楽の果てに堕胎を犯した女たちが、日の光が届かぬ氷の国で枯れ木に髪を繋がれて、永劫の責め苦に会っている場面だそうです。 -
まるでミノムシのよう。乳を吸っているのは死んだ子供です。子供に乳=命を与えることで、この女性の魂は救済されるのだそう。
セガンティーニという画家は単なる山岳風景画家だと思っていたのですが、思いっきり間違っていたことを知りました。 -
セガンティーニ三枚目はアルプス三部作より「生成」Life 1896年~99年。こちらもウィーン ベルベデーレ宮殿オーストリア美術館所蔵。
アルプス三部作(生成・存在・消滅)。これも単なる風景画ではないことが今になって良く分かりました。細かく観察した自然の風景に象徴的な内容を盛り込んだ象徴主義という画風を確立した人で、「生成」では、自然の中の人間の生活が生き生きと描かれています。左端の農婦の親子は、明らかに聖母子を意識していますね。 -
大塚国際美術館では、北欧絵画の充実した展示も見ることが出来ました。ムンクが5枚描いたと言われる「マドンナ」の一番有名なヴァージョンはオスロのムンク美術館が所蔵しています。1894年~95年。
今まで聖母マリアがこのように若い女性の姿で描かれたのを見たことはありません。目を閉じた穏やかな顔と独特なポーズを取った肉体が光を受けて、輝いている姿は、一目見たら忘れられないほど強烈なものでした。 -
ローマ生まれのイギリス人作家 ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスの「海に毒を流すキルケ」。1892年。アデレイドにある南オーストラリア美術館所蔵。
キルケはギリシャ神話に登場する魔女。気にいった人間の男を住んでいる島に連れ込み、養うのが日課。飽きると男を豚や獣に変えてまた違う男を探す。この絵では、キルケが恋した男に思いを寄せる女性がいることを知り、嫉妬のあまり、その女性の住む入り江に毒を流す。知らずに水浴びをした女性は魔法で船乗りを食べてしまう怪物になってしまうのです。
キルケのこの上なく真剣な目。そして不気味な泡を立てながら毒水が海水と交じりあっていく様。ストーリーを知ると、この絵は2倍楽しめます。 -
ジェームス・ティソの「東方三博士の旅」。1894年頃。いわゆるマギの礼拝については、様々な画家によって描かれていますが、彼らが星に導かれ、ベツレヘムまでやって来るまでの旅の様子を描いたものはあまり目にしたことがありません。
ティソは妻を失った後信仰に目覚め、何度もパレスティマまで出かけて行き、宗教画ばかりを描くようになりました。時代考証も完璧にやってのけ、東方三博士の旅もこのようだったであろうとして描いたのがこの1枚。過酷な環境の下での、長くて厳しい旅路がしっかりと目に焼け付き、今まで味わったことのない新鮮な驚きを覚えました。 -
少々時間が遡りますが、フランスの画家レオン・ベリーは1855年にこの「メッカへの巡礼」を描きました。オルセー美術館所蔵。
この絵も実際に画家が巡礼道を歩き、実際に旅したことで、臨場感あふれる作品に仕上がっています。東方三博士の時代から1800年以上経っても、人々の旅のスタイルはさほど変わっていません。
容赦なく照り付ける残酷な太陽、そして恐ろしいほどの乾燥と熱気が画面から直接伝わってくるのを感じました。この二つの作品を見比べてみるのも面白い。 -
グスタフ・クリムト「接吻」1908年。ウィーン ベルベデーレ宮殿オーストリア美術館所蔵。
180cm×180cmの正方形のキャンバスに描かれています。いつみても不思議に思うのは、女性は跪いているようだけれど、男性はどういう格好をしているのか分からないところ。女性を力強く抱きしめる両手は見えるのに、彼の足がどこにも見当たらない。ただの四角形であるのが不可解。
しかし、髪にお花畑の草花たちが飾られた彼女の顔が紅潮し、幸せ色に染まっているのを見ると、そんな些細なことはどうでも良くなってしまいます。 -
エゴン・シーレ「家族」1918年。ウィーンのベルベデーレ宮殿オーストリア美術館所蔵。
強烈なノックアウトを浴びせられるシーレ独特の1枚です、1918年、この絵を制作した同じ年に、スペイン風邪のために、お腹の中の子供共々亡くなった妻の後を追うように3日後に同じ病気で亡くなりました。まだ28歳でした。この絵に描かれたような「家族」になるはずだったのに、現実には果たせないまま、絵だけが残されました。
2010年、ベルベデーレでこの絵を見た後、母方の出身地でもあるチェコのチェスキークルムロフにあるエゴン・シーレ美術館で再びシーレと再会を果たしました。エゴン・シーレを冠に付ける美術館であるにもかかわらず、地味な雰囲気だったのを覚えています。 -
ジョアン・ミロ 「農場」。1921年~22年。ワシントンのナショナル・ギャラリー所蔵。
カタルーニャ人であるミロが、父親の農場で得た構想をパリで描いた作品。
ユーカリの木を中心に、左側に母屋、右側に動物や雑多の物が置かれている納屋がある農場です。ひび割れた農場の壁、丹念に描かれたユーカリの葉、転がっているバケツやじょうろ、畑を這っているカタツムリに至るまで、ミロのこの土地に対する愛情が惜しみなく注がれています。
この作品、後にミロの友人ヘミングウェイが購入し、有名になりました。 -
大学2年の時、初めての欧州旅行で訪れたベルンのパウル・クレー美術館。スイスの絵のような景色よりもパウル・クレーの絵に魅せられた自分がいました。「本道と脇道」1929年。ケルンのルドヴィッヒ美術館所蔵。
この絵を描く前に、クレーはエジプトを旅して、異次元世界を体験したそうです。深い青はナイル、オレンジ色は砂漠でしょうか? 私には天まで続く長いピラミッドの階段のように見えます。
説明を聞かずとも、この豊かな色彩感覚と構図で、見る人を虜にする魔力を持っている画家です。 -
背伸びしたかった高校生の頃、最初に好きになったのが、ダリ、マックス・エルンスト、マグリット等のシュールリアリスムの画家達による絵でした。そういう意味で、このエルンストの「沈黙の目」はダリの柔らかい時計(記憶の固執)と共に、とても懐かしい作品です。1943年~44年。米セントルイスのワシントン大学美術館所蔵。
幼いころ、エルンストはベッドに横になると、天井の木の節目が怪物に見えて悪夢にうなされたそうです。この作品は、ドイツ人の彼がフランスで敵性外国人として官憲に追い回された後、ペギー・グッゲンハイムの導きによりアメリカに亡命した頃のもので、戦争によって複雑に揺れ動いた彼の心境を描き上げた1枚と言われています。 -
2日間たっぷり時間をかけても、全く余裕のない滞在となりました。それもそのはず、1000点以上あると言われていますので、単純に一つの絵に1分かけても1000分。17時間近くはかかってしまう計算になります。
私のように写真を撮ったり、詳細を確認したりしたら、1週間は優にかかるでしょうね。 -
又機会を見て、是非訪れたい美術館の一つとなりました。阿波の旅はうだつから始まって、最後は絵画三昧となりましたが、個人的にはなかなか充実した内容だったと思っています。
美術館の前から鳴門駅経由で徳島行きのバスが出ていて、それが途中徳島空港も経由するので大変便利。大きな荷物は美術館のクロークに預け、カメラだけ持って歩いた2日間でしたが、それでも疲れましたぁ。心地よい疲れっていうところですかね。最後までご覧いただき、ありがとうございました。またねえ。
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