2015/11/11 - 2015/11/11
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junemayさん
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2015年5月から6月にかけて訪れたイタリアで、時間制限のためじっくり見ることが出来なかったパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂。鳴門にある大塚国際美術館には陶板で焼かれたスクロヴェーニと同じ大きさの礼拝堂が再現されていると聞き、いてもたってもいられず訪れることにしました。
しかし、実際に訪れてみるとスクロヴェーニ礼拝堂だけじゃあなかった。システィーナ礼拝堂やポンペイの秘儀の間、カッパドキアの聖テオドール聖堂等々、以前見たけれど今ではほとんどが忘却の彼方だった名画の数々を味わうことが出来て大・大・大満足! 本物、偽物の区別なんぞ全くつかない私には、じっくり、穴の開くまで見れることが何よりのしあわせ。しかも写真撮り放題!! この魅力満載の美術館を1日たっぷり鑑賞する予定でしたが、なんと最後の日の予定をキャンセルして、丸2日間こもる羽目になってしまいました。なんという至福の時間!!
1日目はずっと前から行きたかった吉野川沿いのうだつの上がる町脇町、2日目は昔父が単身赴任していた時代に訪れたことのある懐かしい徳島の町を巡りました。
11/9 羽田空港→徳島空港→徳島→穴吹(脇町)
11/10 穴吹→徳島→鳴門
★11/11 鳴門(大塚国際美術館)
11/12 鳴門(大塚国際美術館)→徳島空港→羽田空港
大塚国際美術館にアクセスの良い鳴門駅前に宿泊。閉館時間まで丸1日じっくりと鑑賞したいと張り切って出かけたのですが、1日では全く時間が足りませんでした(´;ω;`)
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2日目は大塚国際美術館の入場券付きのプランがあったので、鳴門の駅前のビジネスホテルに1泊しましたが、正直、寝るだけの場所でした。朝食はご覧の通り。1泊だけにして正解。今晩は別な宿に移ります。
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今日はここ鳴門駅前からバスに乗って大塚国際美術館に向かいます。今までで一番良い天気です。美術館に籠るにはもったいないなあ。
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例によってまずはマンホールから撮り始めましたよ。少々ボケてマンなあ。
こちらは汚水。上に大鳴門橋、左に鯛、右に渦潮が描かれていて、その間にもう一つアイテムが見えます。鳴門名物「梨」です。知らなかったのですが、鳴門は豊水が特産なんですって。 -
そしてこちらは雨水です。角度を変えた大鳴門橋とその下に渦潮。結構迫力ある絵柄でしたが、肝心のマンホールがくたびれた代物でした。
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鳴門にいた2日間、徳島駅から徳島空港、鳴門駅経由鳴門公園行のバスをよく利用しました。鳴門駅8:30発のバスに乗り込みます。お天気が良いこともあって、空と海の色が朝日に輝いて一段と美しい!
海を渡る2本の橋は、県道11号線と神戸淡路鳴門自動車道です。 -
バスの中からの不鮮明な写真ですが、神戸淡路鳴門自動車道の大鳴門橋が見えてきました。緩いカーブを描いているんですね。あの橋の下が鳴門海峡!!!
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県道11号沿いの海岸から見る海の景色は格別です。美術館の開館時刻まではまだ少し時間があるので、バスで終点の鳴門公園まで行き、歩くことにしました。
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終点まで乗っていたのは私一人だけ。人気(ひとけ)のないバスの終着停留所から階段を上ってやってきたのは、徳島藩主蜂須賀公が観潮見物のために設けた茶屋があったと伝わるお茶園展望台。今は何もありません。ここから鳴門海峡と大鳴門橋の全貌を眺めることが出来ます。
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じゃ~ん!
鳴門海峡の最狭部を結ぶ大鳴門橋です。完成したのが1985年(昭和60年)なので、もう30年も経ってしまいましたが、今も白い美しい姿を見せてくれています。橋の上は高速道路ですが、橋の下層部分は新幹線が敷設可能な構造となっているんですって。でも四国新幹線の話は消えたままのようです???
渦潮への影響が出ないように考慮された特殊な形をした橋脚が目を引きます。 -
1km沖合に浮かぶ飛島がある場所は、潮流が激しく、昔から海の難所とされてきました。左端に1983年(昭和58年)に建てられた飛島灯台が見えます。まさに断崖の孤島のイメージですが、陸地から近いから孤島ではないか・・・
島にはヒノキ科の常緑高木イブキの群落があり、徳島県の天然記念物に指定されています。あの島なら確かに手付かずの自然が残せそう。 -
橋脚の間を目を皿のようにして眺めたけれど、阿波の殿様が観たという渦潮は見ることが叶いませんでした。干満の状況や時間帯にもよるのでしょうね。
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お茶園展望台から大鳴門橋架橋記念館の方に遊歩道が続いていました。所々にあるこの渦潮マークが道しるべ。
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イチオシ
神戸淡路鳴門自動車道を真上から見降ろします。なかなか見られない景色ですねぇ。
完成当時、橋の上で停車して渦潮見物をする輩が続出したからでしょうか。「この道路は駐停車禁止」という大きな看板が目立っています。そりゃあ 眺めたくなるわ。 -
イチオシ
逆光の中の飛島がとても印象的でした。
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もう1枚。飛島と手前に観潮船。
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大鳴門橋が間近に見える千畳敷展望台にも行ってみました。2000年(平成12年)に四国三橋巡りをした際に、「渦の道」と観潮船見物は済ませているので、今回は景色を眺めに来ただけですが、絶景の連続に朝からハイテンション。キャッホー!
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左側の山肌の奥に、孫崎灯台がちょこんと顔だけのぞかせています。
対岸の鳴門海峡に面した南あわじ市丸山の町は風が強いのか、風力発電機が何機も立っているのが肉眼でも確認できました。南あわじウインドファームの風力発電機です。 -
大塚国際美術館までのハイキングコースを見つけたので、時々ボケーと景色を眺めながら、鼻歌交じり、ルンルン気分で歩きます。
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10分ほどでこの場所に到着。
はて?
確かに美術館のようですが、どこから入れるのかしら??? -
ここは1階部分。建物は一見2階建てに見えますが、実は崖っぷちに建っている5階建てで、地下3階から地上2階までありました。正面玄関前の道路に面した方とはかなりの高低差があります。
広大な庭園へと通じる扉から入っていくと、中に係の方がいらして、にこやかに歓迎のご挨拶を受けました。こちらの扉から入場する人は珍しいようですが、正面玄関に回る必要はないとのこと。やったぁ!
ここから後の写真はひたすら美術館の環境展示および絵画を写したものなので、美術に関心のある方のみご覧くださいね。
大塚国際美術館に展示されている絵画はすべて偽物。意図的に作られた陶板による「贋作」です。ポカリスェットでお馴染みの大塚製薬が創立75周年記念事業として、会社の創業地徳島に1998年に開館した美術館で、古今の西洋名画が専門。本物の絵は時代とともに色が変化していきますが、陶板画は変色することがありません。今から2000年経っても、変わらぬ味わいが感じられると言います。
見て、触って、感じる美術館というコンセプトが何よりも気にいりました。当初の訪問目的は、最初にも書いたようにパドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂が15分の制限時間では何も見られなかった「うっぷん」晴らしだったのですが、ここに来たら穴のあくほど眺めても追加15分であっという間に晴れ晴れしましたよ。やってきた甲斐があったというもの。
複製された作品一つ一つの出来ばえの素晴らしさに感服いたしました。本物の名画を見る前に、そして見た後に、じっくりと鑑賞するのにお勧めのスポットと言えそうです。 -
地下3階 美術館入口から正面に見えてくるのがシスティーナ礼拝堂のコピー版ホール。間口1338cm×奥行3600cm×高さ1463cmまで忠実にオリジナルに従っています。勿論、オリジナルの荘厳な雰囲気、カリスマ性などはまるで感じませんが、絵を一つ一つ丁寧にみていくには最適な場所だと感じました。
早速喜び勇んでみて回ります。 -
これは後刻地下2階のテラスから見たシスティーナ礼拝堂。ヴァティカンのオリジナルは床が見事なコズマーティのタイルで覆われていますが、2001年に訪問した際にはあまりに多くの観光客でごった返していて、床自体を眺めることはほぼ不可能でした。
このホールを使って、毎年システィーナ歌舞伎が上演されます。2016年の出し物は片倉愛之助、中村壱太郎主演の「美女と野獣」でした。歌舞伎の舞台が礼拝堂で出し物が美女と野獣って、どういう舞台進行なのか想像がつきませんね。 -
オリジナルのミケランジェロによる絵は、教皇ユリウス2世の命により、1508年~1512年にかけて制作されたものです。ホールには半円形の窓が左右に6つずつ、カウンターファサードに2つ、計14あります。ルネッタと呼ばれているこの半ドーナッツ部分には「キリストの祖先」の人物像が描かれています。
祭壇に背を向けてカウンターファサード上の天井を見上げます。ルネッタ上のコーナーの三角形(ペンデンティブ)の絵は旧約聖書に出てくる有名な場面である左「ホロフェルネスの首を斬るユディト」と右「ゴリアテの首を斬るダヴィデ」でした。そういえば、二つとも殺人現場ですねえ。 -
中央に見える預言者は、新約聖書「ルカによる福音書」1章に登場するザカリア。ザカリアは洗礼者聖ヨハネのお父さんです。
預言者・シビュラは天井全部に12名描かれていて、今左側の壁に見えるのはアポロンの神託を告げるデルフィの巫女(シビュラ)、右側は十二小預言書に登場する預言者ヨエルです。シビュラについては、以前イタリア旅行記で何度か触れましたが、再度簡単に説明しますね。
彼女らは主にアポロンの神託を受け取る古代の地中海世界における巫女で、キリスト教とは本来何の関係もありませんでした。しかしながら、古代の教父達がキリストの降誕を預言した存在であるとしたことから、ルネッサンス期には、聖書の中の預言者と同等の存在として描かれていました。 -
このデルフィの巫女(シビュラ)の原寸大の陶板画が、ホール内に展示されていました。ミケランジェロらしく筋骨隆々たくましい体つきですが、とても美しい顔立ちをしていますねえ。
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正面からもう1枚。
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今度は祭壇側の天井付近を見上げて、三角形(ペンデンティブ)部分をじっくりと観察しました。こちらは、モーゼが神の言葉に従って作った青銅製の蛇を旗ざおの先に掲げた場面です。大変有名な場面ですが、解釈が難しい。
この絵の3か所、そして隣の預言者ヨナの絵の下方2か所に穴が開いていることに気が付きました。何の穴でしょう??? これもオリジナル通りだとすると、ミケランジェロが絵を描くための足場を組むために支えの腕木を差した穴だという可能性ありかしら???
左側に見える預言者ヨナは旧約聖書の「ヨナ書」における主人公で、大きな魚の腹に3日3晩飲み込まれたエピソードが有名。ヨナの右側にその化け物のような魚が描かれています。 -
左側のペンデンティブには、ペルシャ王アハシュエロスの宰相で全ユダヤ人の敵ハマンが登場しています。ヘブライ語の聖書「エステル記」に登場する人物で、帝国内の全ユダヤ人を虐殺しようとしましたが、逆にユダヤ人王妃エステルにより、自らが用意した死刑執行用の柱にかけられて殺されます。 この絵にも穴が3か所ありました。
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天井に描かれた預言者、シビュラについては、ザカリア、デルフィの巫女、ヨエル、ヨナの4人を紹介しましたが、残りの8人を見ていきましょう。絵にきちんと名前が書かれているので助かりますよ、ミケランジェロさん。
左はリビアのシュビラ。古代エジプトのリビア砂漠にあったオアシスでゼウス・アモンの神託を司っていた女性です。ゼウスとポセイドンの娘ラミアとの間に生まれたとされていて、かのアレキサンダー大王はエジプト征服後にこの神託を確認したと言われています。
右側はダニエル。旧約聖書の「ダニエル書」に登場するユダヤ人男性です。ライオンの洞窟に閉じ込められても神の力により襲われることがなかったというエピソードが有名で、しばしばライオンとともに登場します。 -
お次は、クマエのシュビラ。ローマ神話にも出てくる女預言者で、ミケランジェロだけでなく、ラッファエロによっても描かれています(ローマのサンタ・マリア・デッラ・パチェ教会所蔵)。クマエはナポリ近郊にあったとされていて、ローマ人たちに大変尊重されていたシュビラだったようです。
イタリアにはもう一か所シビュラがいた場所があって、それがローマ近郊のティブル(現在のティヴォリ)。ここについては、ギリシャ時代には存在せず、ローマ人達が後で加えたという説があります。ティヴォリの世界遺産ヴィッラ・デステには、シビュラが描かれた多くの絵画が壁にあったのを思い出しました。
右側は預言者イザヤ。この方も旧約聖書「イザヤ書」に登場します。予言者って大抵は独身ですが、彼は女性預言者と結婚していて二人の息子までいたそうですよ。 -
祭壇に向かって左側から順番に壁を見ていくと、その後は前述のデルフィのシュビラ、カウンターファサードのザカリア、祭壇向かって右側の壁のヨエルが続き、その隣には少々地味なエリュトライのシビュラが登場します(左側)。
エリュトライはギリシャキオス島対岸の都市で、現在のトルコのイズミール付近に当たります。彼女の右腕も筋骨隆々。ミケランジェロに描かせると女性の腕はすべてたくましくなります(笑)。
右側の男性はエゼキエル。紀元前6世紀頃のバビロン捕囚時代の預言者で、「エゼキエル書」にその生涯が描かれています。この人にはあまり馴染みがありません。 -
最後の二人です。左はペルシャのシュビラ。地中海から遠く離れた地の巫女です。紀元前のペルシャは今のイランとは少し領土が異なるようです。彼女はノアの方舟のノアの家族の一員だったとされています。顔がよく見えませんね。
右側は長いあごひげの男性は、やはりバビロン捕囚の頃のユダヤの人で旧約聖書の「エレミヤ記」の主人公預言者エレミヤです。エレミヤ、イザヤ、エゼキエルそれぞれの書が三大預言書とされ、最も重要視されているそうです。 -
お次はどうしても外せない天井中央の9枚の絵に参りやしょう。所謂、創世記の場面が大迫力で迫ってきます。
順番から行くと、祭壇に近い方から始まっていて、こちらが最初の3枚。「神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた」が一番右。濃いピンクの服をお召の神の気迫が伝わってきます。ヴァザーリ曰く、ミケランジェロはこの神を1日で完成させたそう。もっとも、フレスコ(=新鮮)は漆喰が乾くまでが勝負なので、朝塗った部分の漆喰は夕方までには完成させるのが通常とのことです。
画面左は「神は大地を作り、海を生んだ」なので、天地創造の3日目、中央は「太陽、月、植生の創造」で4日目の作業になるようです。どの場面にも、厳しい表情を崩さないまま、きびきびと動く神の姿があります。
一つ一つの枠の周りに描かれている裸体の男性像は、イニューディと呼ばれていて、それぞれの小枠の四隅を支えています。全部で20名のイニューディ達。筋肉モリモリマッチョマンばかりです。 -
中央の3枚がこちら。今度は縦にしてみました。
上から3枚目。天地創造には超有名な1枚ですねえ。天地創造の6日目、神は獣と家畜を創り、神に似せた人を創ります。神の手が殆どくっつきそうでくっ付いていないアダムの手へと「命」を吹き込む場面。これが神の最大の失敗だったかもしれませんねえ。
中央は「イヴの創造」。神はエデンの園でアダムを眠らせ、彼の肋骨を1本取りだして、イヴを創ったのでしたね。アダムと同じように神が命を吹き込んでいますが、アダムの時のような張り詰めた緊張感はここでは感じられません。
そして上は早くも楽園を追い出されるアダムとイヴです。左半分には、蛇の上半身が人間の姿になっていて、イヴを誘惑している様子が描かれています。 -
少し大きな画面でもう一度。知恵の実は見えないけれど、葉っぱからするとイチジクだということに気が付きました。リンゴ説が有力だと思っていたのですが、ミケランジェロはイチジク説を取ったのだということを再認識しちゃいました。
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そして、最後の3枚。実はミケランジェロはこの3枚から描き始めたそうですよ。誰もがご存知のノアの方舟は画面中央に描かれています。いわゆる「大洪水」です。動物たちは皆一番(ひとつがい)、人間はノアの家族だけだと思い込んでいたのですが、彼の家族は大人数だったんですね。
画面下はの後彼の家族が大洪水を生きのびたことに対し、神に感謝の捧げものをする場面。「燔祭」という儀式だそうです。難解なのは上の場面。ある日、ワインで酔っぱらって裸で寝てしまったノアの姿を見た息子のハムは後にノアによって呪われることになるのです。ハムの子孫は他の兄弟セム、ヤペテの子孫に未来永劫仕えることになるだろうという恐ろしい呪い。いわゆる古今東西にある「見てはだめですよ」と言われたのに見てしまうというタブーに対する罰のお話のようです。
この天井画の一部は欠落していました。500年前とは思えぬ美しい色彩が残されていますが、20世紀後半に行われた長期修復作業により、長年の蝋燭の煤が除去されたことが大きく影響していると聞きました。 -
ノアとその家族の物語も、ズームでどうぞ。もう、首が痛くて限界・・・例えば15分と言う制限時間があると、もっとじっくりゆっくり見たかったと思うけれど、気が済むまで見ろと言われても、費やす時間はさほど変わらないのではと思い始めていました。単に欲張りだっただけ。願わくは床に大の字になって観たかったなあ。
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ようやく祭壇の方を向くことにします。最後の審判・・・この絵については説明不要ですね。少しだけ付け加えるとしたら、今まで見てきた天井画が完成したのが1512年。この祭壇画はそれから20数年後に、教皇ユリウス2世の後継であるクレメンス7世に命じられたミケランジェロが5年の歳月をかけて、クレメンス7世の更に後継者であるパウルス3世の時代の1541年に完成を迎えたという事実です。89歳まで生きた当時としては非常に長寿であったミケランジェロですが、祭壇画が完成した時には66歳になっていました。
この祭壇画あまりにも登場人物が多いので、全体を眺めた後は、前から気になっていた人達を見ていきたいと思います。 -
中央上部に今まで見た中で一番マッチョなキリストと聖母、むかって左側に天国、右側に地獄が描かれています。左側は下から上へと昇っていく人々、右側は上から下へと堕ちていく人々の群れです。
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最後の審判と言えば思い出すのは、イタリア、オルビエートのドゥオモで見たルカ・シニョレッリによるもの。よろしければこちらをご覧ください。
http://4travel.jp/travelogue/11140870
シニョレッリが1500年から1504年にかけて解剖学的な知識を持って描いた筋骨隆々とした人物像には、口あんぐりの衝撃でした。 -
「ミケランジェロは、システィーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」を描く前にオルヴィエートにやってきてドゥオモの絵を絶賛したと言われています。」と私はその旅行記で書いています。
シニョレッリから40年、彫刻家ミケランジェロの絵は、人間の体を知り尽くしたかのように見えます。神の子としてのキリストは完璧な肉体の持ち主です。今見ても十分衝撃的なのですから、中世ヨーロッパの人達はさぞかし驚愕したに違いありません。 -
キリストと聖母の周りには、アトリビュート(持ち物)等で素性が分かる使徒達がいます。キリストに向かって右側には天国のカギを持った聖ピエトロ(ペテロ)、その奥に聖パオロ、聖母の左側には、X十字を抱えたピエトロの兄弟聖アンデレ、その隣の存在感抜群の男性は洗礼者聖ヨハネ。聖母の足元には鉄格子を持った聖ロレンツォ、キリストの足元には皮剥ぎナイフを持った聖バルトロメオ・・・
アンデレはX十字にかけられ、ロレンツォは鉄格子の上で焼かれ、バルトロメオは皮剥ぎの刑でそれぞれ殉教しました。 -
聖バルトロメオがぶら下げている自らの生皮の顔はミケランジェロの自画像だというのは有名な話ですよね。どれどれ・・・
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実はミケランジェロの自画像は他にもあるんですよ。天井画最初に紹介した「ホロフェルネスの首を斬るユディト」のお盆に乗せられたホロフェルネスの首、実はこれもミケランジェロだと言われています。小さすぎてわかりにくいですが、比べてみると面白いですよ。
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最後の審判は、すでに亡くなっている者も対象ですので、画面向かって左側下の部分にはゾンビ達が次々と復活する場面が描かれています。キリストの裁きによって、永遠の生命を与えられた者については、天国に向かって飛翔を始めます。
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飛翔する人達を見ると、天国に向かうというのに、あまり晴れ晴れとした顔つきはいないですねえ。
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その上の画面には、気になる人達が描かれています。子供がまとわりついている左中央の緑の衣をまとった人物分かりますでしょうか? とってつけたような立派な乳房を持ち合わせていますよ。どう見ても私には男性としか思えませんが、「母親」の象徴なのだそうです??? 他にも???の方々がいるので、探してみてくださいね。
最上部には、キリストが架けられた受難の十字架を運ぶ天使達が描かれていました。 -
こちらは、最後の審判を告げるラッパを吹く天使達。下の方には、人間の善行と悪行に関わる書物を見せている天使たちもいます。
善行の書を持つ(こちらの方が右の書より小さいですね。ということは地獄に堕ちる者の方が多いんだ!)左側のイケメン君の腰布は不自然な感じです。実はあまりに裸体が多いということで、ミケランジェロの死後に腰布が上描きされた部分があるとのこと。大部分はミケランジェロのオリジナル通りに復元されたようですが、私の個人的な感想では、この腰布が一番怪しい・・・ -
イタリア旅行記でも散々書いたのですが、絵の題材としては地獄の方が天国よりもずっと面白いし、画家の想像力がいかんなく発揮されます。ミケランジェロの最後の審判でもハイライトはこちらの地獄。
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人間の考えることは古今東西あまり変わらないといつも思います。地獄に堕ちる者たちはまず冥府の渡し船に乗せられます。櫂を振り上げているのは、堕ちていく者たちの魂を地獄へと送る渡し守のカロンです。日本では渡し賃六文銭ですが、西洋では1オボロス。このお金がないと、200年もの間彷徨い続けることになります。
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そして、この右端の蛇を体に巻き付けている人物は冥界の審判者ミノス王です。その顔は、神聖な祭壇画にあまりにも裸体が多いとミケランジェロを非難した当時の儀典長(公式行事を司る役人)ビアージョ・ダ・チェゼーナをモデルにしたと言われています。ななんと彼の股間に蛇の頭が・・・!!!
子供じみていますが、この類の話、イタリア滞在中他でもたくさん聞きました。大天使ミカエルが踏みつける堕天使ルシファーの顔にされた人もいましたっけ。こういうところでうっぷんが晴らせるのは画家の特権ですが、描かれた方はたまったもんじゃありませんね。 -
もう殆ど忘れかけていた最後の審判をじっくりきっちり鑑賞できました。大塚国際美術館では、1日に何回か、ヴォランティアガイドによるツアーが行われています。分かりやすく絵の解説をして下さるので、お勧めです。時間が合えば是非!
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大塚国際美術館には「環境展示」と呼ばれる展示が全部で12あります。作品のみならず、それが置かれていた状況、建築をそのまま再現しようとする試みで、システィーナ礼拝堂もその一つです。ほかの美術館には見られないものなので、私はワクワクしながらそれらの展示を回りました。
二番手は紀元前6世紀に遡ります。ローマ人の繁栄以前の時代に、イタリア半島で一大文明を築いていたエトルリア人の墳墓「鳥占い師の墓」です。 -
エトルリア時代の文化はイタリア各地に残っていて、いつか遺跡を辿って歩きたいと考えていますが、実際に触れるのは初めてでした。
この墓はローマの北西100kmほどのところにあるタルクィニアの町に残された墓室墓の一つです。エトルリア人たちが墓室を壁画で飾るようになったのは紀元前7世紀末頃からのようですが、見つかった壁画装飾のある墓室200のうち、90%はタルクィニアにあるそうです。長さ2.60m×高さ1.90m。 -
墓室奥に、名前の由来となった黒と白の衣を身に着けた鳥占い師が向かい合っていました。片手を前にかざし、もう一方の手を頭にのせる仕草をしています。左側の男性の前に伸ばした手の先には赤い鳥が描かれています。これがてっきり鳥占いのポーズなのかと思ったら、後に深い悲しみを表わしているということが判明したそうです。ということは、二人は鳥占い師ではなかったというのが正直なところでしょうか。
中央の赤い扉はこの世とあの世を隔てる境界。これは気持ち的によく理解できますね。破風の部分に残るのは動物たちの対決場面でしょうか。 -
向かって左側の壁は損傷が激しく、残された壁画の判別が難しい状態でしたが、・・・
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向かって右側の壁には、生き生きとした色鮮やかな壁画が2600年以上前のものとは思えない良好な状態で見ることが出来ました。
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奥から順に見ていきます。エトルリア人は死後も現生と同じような生活が続くと考えていたようで、葬儀の時に行われる様々なスポーツ競技が描かれているのだそうです。
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これはレスリング協議ですね。グレコローマンスタイル???
その右側には剣闘士競技の原型とされるものが描かれていると説明にありましたが、一枚下の写真の方が分かりやすいかな? -
動物らしきものが右端にちらっと写っています。
紀元前6世紀の墓室と同じ寸法で作られたこの空間、見学者はタルクィニアの遺跡にいるような臨場感を味わうことができます。
オリジナルを保護するためにこのような展示を見学用に設置する遺跡は、他でも見たことがあります。奈良の高松塚古墳やブルガリア カザンラクのトラキア人の墳墓でも同様な手法が取られていたような記憶。
ローマから列車が1時間半の距離だそうですから、タルクィニア、いつか参りましょう。もう少し勉強してから行くので待っててね。 -
環境展示の三つ目はイタリア ポンペイの「秘儀の間」ヴィッラ・デイ・ミステリです。2001年にポンペイを訪れた際に初めてこの赤と衝撃的な出会いをしました。物語が全く分かっていなかったので、今回は解説書を読みながらの見学です。
オリジナルの床には摩耗しながらもチャーミングなモザイクの床が広がっているのですが、そこまでは追従していないようですね。陶板を踏みつけることになるから、それは無理なのでしょうね?
制作年代は紀元前70年~50年頃で、ギリシャの酒の神ディオニソス(ローマではバッカス)秘儀という信仰について描かれたと言われている壁画ですが、真偽のほどは分かっていないようです。 -
物語の進行は北壁左側の扉脇、今部屋に入ってきたばかりのように見える女性から始まります。隣にいる裸の少年が読んでいるのは、ディオニソス秘儀の儀式次第で、これにより、この絵が入信式だと解釈されているようです。後ろの女性は彼のお母さんでしょうか?
右側に儀式に使う品をのせた盆を持つ女性は妊娠中の様子。頭には美しい草の冠をつけていますね。彼女は「春」を象徴し、パンを配っているというのが従来からの説です。 -
2枚目の絵の登場人物は4人。こちらに背中を向けているヴェールをかぶった女性は巫女あるいは女祭祀で、右側に立つ女性が注ぐ水で、何らかの清めの儀式が行われている最中のよう。左側の女性は何かを支えているように見えますね。
右端では半獣神シレノスが竪琴を弾いています。 -
3枚目はシレノスの竪琴に合わせて牧笛を吹くサテュロス、隣にはそして摩訶不思議な女性のサテュロス!? がヤギに自分の乳を与えています。なんだこれは???
コーナーに一番近い場所でベールを高く掲げている女性は最初踊っているのかと思いましたが、表情を見ると驚いて、慌てて逃げ出そうとしているように見えます。儀式で何か恐ろしいことが起こったのでしょうか? -
続いて東壁です。竪琴を弾いていたのとは別のシレノスがここでは壺を持って座っていて、壺を覗き込んでいるサテュロスと後ろで怖い仮面を掲げて立っているサテュロスがいます。このおどろおどろしい仮面にはどういう意味があるのでしょうね?
一部剥落していますが、右側に半ば寝そべっているのがディオニソス。もう出来上がっているといった表情で。誰かによりかかっていますが、これがアリアドネー。システィーナ礼拝堂の地獄の場面に出てきた冥界の審判者ミノス王の娘で、アドリアネーには「とりわけて潔らかに聖い娘」と言う意味があるそうです(ウィキペディア)。
傍らにディオニソスが持つ聖杖テュルソスが立てかけてありました。この杖は大地を肥沃にする魔力がある霊杖で、彼自身武器としてもこれを用いています。先に大きな松ぼっくりがついているのが特徴。 -
残念ながら玉座に腰かけているアドリアネーの顔が分かりません。
アドリアネーの隣で跪いている女性は儀式の真っ最中のようです。ディオニソスの秘儀ですから、ディオニソスの前で儀式は行われるのですね。肩に担いでいる棒を傍らの籠に入れるという、意味不明な儀式が進行中です。
その隣にいる黒い羽のある女性は・・・ -
コーナーを曲がった先の南壁で助けを求めている女性の背中を鞭打っていました。このディオニソス秘儀では鞭打ちは入会者に課せられていた儀式の一部だったようです。なんとも胡散臭い宗教のようですなあ。
そして裸でシンバルを持って踊る女性がいましたよ。奥に見える女性は先ほどディオニソスの傍らにあった聖杖テュルソスを手に持っています。女性の表情は暗いですね。 -
次の場面は、椅子に腰かけて化粧をする女性とそれを手伝う女性を二人のエロスが見守っています。女性は髪の毛を6つの房に分けて編んでいるところで、これは伝統的な花嫁のしきたりなのだそうですよ。左側のエロスは鏡を高く差し出していますね。
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そして最後は、娘?を見守るこの家の女主人でしょうか。貫禄がありそうですねえ。
この部屋は半分寝そべりながら食事をとる貴族たちの食堂(横臥食堂 上半身は起こしてソファに身をゆだね、足は投げ出してくつろいでいる)として使われていたそうです。ディオニソス秘儀は酒の神を崇拝するところからして、飲酒を大っぴらに認めた宗教であり、秘密結社的な性格を持ち合わせていました。暴力、狂乱、性的カオス、エクスタシー的要素があり、退廃的色彩が強かったようです。そのため余計に内容が明るみに出ていないのでしょう。
結局、何が描かれているのかわかったようなわからないような・・・。不思議な気分ではありますが、謎めいたところにまた好奇心を駆り立てられてしまいました。 -
このくらいの規模だと環境展示の威力が発揮されます。絵は本来それが描かれた場所で見るのが一番です。可能であれば、教会から剥してきたフレスコを美術館で見たくはありません。
この部屋ならポンペイ・レッドを見ながら供宴の日々を送った貴族たちの気分になれること請け合いだと思いました。 -
もう一つのポンペイからの環境展示は、こちらの「貝殻のヴィーナス」。同名の貝殻のヴィーナスの家 カーザ・デッラ・ヴェネーレ・イン・コンキーリアの中庭(ペリステュリウム)に残されていたフレスコ画です。西暦70年頃の制作とされています。
列柱のある中庭に面した南壁を彩る壁画は実に美しい青の海中世界です。 -
3枚続きの絵を左から見ていきましょう。中央に立っている兵士、実際には彫像なのかと思ったら、オリジナルも絵に描かれたものだったようです。ラティスの先には鳥たちと草花の楽園が広がっています。
陽が当たっていて見にくいですが、中央上部に、魔よけの仮面が置かれていますね。 -
さて中央のヴィーナスです。ヴィーナスは言わずと知れたギリシャ伝来の美の女神、そしてイタリア古来の豊穣の女神でもありました。ここでは庭園の守護神として描かれていると説明にありました。
それにしても華奢なヴィーナスですねえ。彼女の足の動きが面白い。体に巻きつける長方形の布ヒマティオンが風になびいていますよ。両脇にいるのはエロス。左側のエロスはいるかに乗って、魚をつく銛を持っています。非常にキュート。 -
ヴィーナスの向かって右側には、兵士の代わりに噴水が置かれ、小鳥が水を飲みに来ていました。奥は左側と同様鳥たちの楽園です。
こんな庭園を愛でながらの「横臥」生活。たまりませんね。今よりもっと贅沢な生活を享受していたのかもしれません。 -
聖テオドール聖堂Pancarlik Kiliseへの入口は、目立たない場所にありました。カッパドキアが大好きで二度も行って、何十という岩窟教会を見学したにもかかわらず、この聖テオドール聖堂という名前には聞き覚えがありませんでした。ギョレメ野外博物館の中では、聖バルバラ教会、蛇の教会、暗闇の教会とかリンゴの教会という名前を記憶しています。でも、聖堂と名の付く場所に行った記憶は皆無。ユルギュップの町にほど近いPancarlik谷にあるとのことですが、観光名所からはどうも外れているようです。
臨場感一杯な岩窟教会が目の前に現れた時には思わず声が出てしまったほど。美術館のニクイ演出が光っていました。聖テオドーロに捧げられた聖堂に入ります。この教会1922年まで実際に使われていたと書いてありました。 -
聖テオドールという方についてはヴェネツィアの最初の聖人ということ位しか知識がありません。ほらっ ヴェネツィア サン・マルコ広場にある2本の円柱の片方の上でドラゴンを踏んづけて立っている人ですよ!
カッパドキアには、聖テオドールと聖ジョルジョ(ジョージ)が馬にまたがって蛇退治を行うフレスコが描かれた教会がいくつもありましたが、イタリアでは聖ジョルジュ、聖テオドールともにドラゴン退治が有名です。場所によってドラゴンが蛇になることもあったのでしょうね。きっと。
長方形の内陣の先にある後陣に近づいて来ました。半円形の膨らみの部分に小さなドームがあって、赤と緑をメインとした色でフレスコ・セッコ画(セッコ=漆喰が完全に乾いてから描く絵のこと)が描かれていました。10世紀後半の制作です。 -
描かれているのはキリストと聖人達、そして奇跡です。
教会が発見された当初は二人のアーチストが別々の時代に描いたものとされていましたが、後に単独のアーチストによる作品だということが判明したそうです。 -
ドーム天井を大写ししてみましたが、色がいまいちでしたね。描かれているのは玉座のキリストと4人の福音記者達の象徴(アトリビュート)です。
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身廊部分の左右の壁にも絵はびっしりと描かれていました。こちら祭壇向かって左側の壁です。
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物語が分かるとなお面白いのですが、キリストの生涯に纏わる様々な奇跡の場面だということだけしかわかりませんでした。
両側にある丸い車輪のような石はなんでしょう? 目立ちますね。 -
顔の部分は後の時代にわざと剥がされたような跡が残っていますね。カッパドキアではイスラム教徒による聖堂、教会内の偶像破壊を数多く目にしました。
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左右の壁と比べて非常に状態が良いのが天井部分。色も赤と緑が鮮やかに残っています。悪戯の手も天井までは及ばなかったのが幸いしましたね。
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天井部分には縦に4等分されて物語が綴られていて、二段ずつで方向が逆になっています。上の写真を反対側の壁際から眺めたのがこの1枚。下から二段目に聖母子発見!
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天井部分パート2は、聖人達の肖像画が4段に描かれていました。どれも稚拙ではあるけれど、大胆にのびのびと、そして実に生き生きと描かれていました。
またまた思いがけない宝物を発見した気分。誰もいない人工グロッタの中で、独占する喜びを噛み締めた聖テオドール聖堂滞在でした。 -
今度は12世紀後半のフランスに飛びますよ。パリの南約300kmノアン・ヴィック村にあるサン・マルタン(サン・マルティーノ)聖堂です。
この聖堂も「未知との遭遇」です。外観の写真を見る限りは11世紀の建物としては一般的な円筒形の内陣を持つロマネスク様式の石造りの聖堂でした。内部のフレスコ画は12世紀後半の作品ですが、何世紀もの間、その上に厚く塗られた漆喰に隠されたまま経過し、1849年に入ってから一人の修道士によって発見され、近くに住むデュドヴァン男爵夫人 というよりはジョルジュ・サンド(この名前の方が有名ですね)の助力により世に知られるようになりました。
メイン扉のまぐさには、中世らしい素朴な絵柄ですが、大変繊細な彫刻が施されていました。ネットでファサードの写真を探しましたが、このまぐさを発見できずじまい。もしかしたら聖堂内部のまぐさなのかもしれません。 -
5層の漆喰を取り除いた内部の壁には、この地方の画家によって描かれた、大変味のあるフレスコ画で覆われていました。くっついた弓型の眉、赤いほっぺ、丸い大きな目というのが特徴の大勢の人物画が、灰色、黒、白、赤、赤褐色、黄土色という六色の絵具で描かれています。
入ってきたのは聖歌隊席のある内陣です。壁画が三段に分かれているのが分かりますね。題材はキリストの生涯に纏わるエピソードですが、最上段のものは何でしょう??? 中央の段にはキリストを逮捕させるために、ユダがキリストに接吻をする場面が描かれていました。 -
イチオシ
これまで見たどんなフレスコとも異なる、独特のスタイルを持った画家による「ユダの接吻」です。
左の方には、キリストの逮捕に抵抗した使徒ピエトロ(ペトロ)が剣を振り上げ、近くにいた軍人の耳を切り落とそうとしていますね。 -
聖マルタンは日本語ではトゥールのマルティヌスと呼ばれていて、フランスロワール地方の都市トゥールの司教でした。
聖マルタンの生涯の話の中で最も有名なのは、寒さの中で震えていた乞食に自分が着ていたマントを半分に引き裂いて与えた、そして実はこの乞食はキリストだったというエピソード。殉教せずに聖人になった初めての人と言われています。
多分オリジナルに似せて作った後陣のステンドグラスの窓、ロマネスクだから窓が小さいことが良く分かる造りです。 -
その上のドーム天井のキリスト像です。漫画チックと言ったら怒られるかしら? 目と目の間が狭いのも特徴の一つかな?
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ステンドグラスのある窓の左側には、キリストの一番弟子ピエトロ(ペトロ)の逆さ十字による殉教シーン。
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そして右側の1枚です。こちらはヘロデ王の前のキリスト。大きな冠を被っているのがヘロデ王ですね。
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内陣の東壁から時計回りでもう一度見ていきましょう。最上段にいる三人は預言者達です。いずれも長い巻物を手に持っていますよ。
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お次は南壁です。最上段にはキリストのエルサレム入城がありました。二段目はかなりの部分剥落しています。残念・・・
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そして最初に見た北壁です。「ユダの接吻」の場面が一番状態が良いように見えます。
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最後の東壁には、最上段右側に「最後の晩餐」が描かれていました。周りには塔が乱立するエルサレムの町が広がっていました。
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こちらは、内陣の手前にある身廊の東壁です。こちらの壁も大変良好な状態が保たれていました。中央のアーモンド形(マンドルレ)の中で玉座に座っているキリストは周りを12使徒たちに囲まれています。栄光のキリストと呼ばれ、最後の審判に基づいた設定だそうです。キリスト像の下には受難の象徴である神の子羊が描かれていますね。
二段目には左から「東方三博士の礼拝」そして「羊飼いの礼拝」、右側にはマリアのエリザベス「訪問」、「受胎告知」がありましたよ。 -
下段左側は、キリストの初めての神殿お披露目。絵を眺めると皆、同じ目つきをしているのが面白い!
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そして右側には「十字架降下」です。右側の人物はキリストの手に打ち込まれた釘をくぎ抜きで抜こうとしています。この場面は初めて見たなあ・・・
独特の画法で人を虜にさせる魔術を持った画家は一体どこの誰だったのでしょうか? 作品はこの教会にしか残っていないのかしら? 宗教画と呼ぶには軽快でコミカル、人間臭さが濃厚な興味深い世界に浸りました。 -
見逃せない環境展示がまだまだ続きます。
聖ニコラオス・オルファノス聖堂はギリシャのテッサロニキにある聖ニコラに捧げられた聖堂。テッサロニキはマケドニア時代の首都として、東ローマ帝国時代、コンスタンティノープルに次ぐ第二の都として栄えた町です。聖堂はアテネとコンスタンティノープル(現イスタンブール)の中間地点という歴史的に翻弄された町を囲む城壁のすぐ内側に建っていました。
聖堂は14世紀の初め、1310年~20年頃の創建とされ、初期キリスト教会建築と後期ビザンティン建築の両方の要素を併せ持っています。
なお、テッサロニキには世界遺産に登録された「初期キリスト教とビザンティン様式の建造物群」がありますが、この聖堂はその中の一つです。 -
聖堂のフレスコは1957年~60年にかけて行われた修復工事の際に発見されています。身廊と身廊の周りに設けられたU字型をした廊下に跨って、壁という壁はキリストの生涯や聖人像のフレスコで覆われています。
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廊下中央部分と左右の部分との間には、M字型のゲートが再利用の柱頭を抱いた円柱によって支えられていました。
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柱頭の上部分に描かれていたフレスコです。天使といる聖人はどなたでしょうか?
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ビザンティン帝国の影響が色濃いですねえ。「聖母子と聖女達」。但し、この絵の場合は奥行きを感じます。遠近法というには不十分ですが、U字型の玉座が斜め方向で描かれていて興味深く感じました。
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イチオシ
聖母子の下段に描かれていたこの着飾った二人にはビザンティン特有のスタイルが顕著に見られます。ビザンティン時代の物は平面的で人物を真正面から表現する画法が多く、衣装が豪華だそうですが、まさにこれがそう!
このお二人どなたでしょうね。 -
ゲート左側にはビザンティンとはやや時代作風の異なる聖アンナとマリアの姿が。聖母子だと思ったら、ちと違いました。明らかに上の冠を被った女性とは別の画家によって描かれていますよ。
少なくとも数人の画家或いは工房が関わっていたことが判明しているそうです。 -
そしてこちらはゲート内に描かれた聖母像です。この首を少し傾げた聖母像はイコン画でよく見られるポーズですね。
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上の聖母像と向かい合っていた聖人はビザンティンのにおいプンプン。
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こちらは、正教会のイコンといったイメージ。群青色の背景が煌びやかな人物像をぐっと引き立てていますね。
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この聖堂が捧げるミラ(バーリ)の聖ニコラの生涯からのエピソードも、フレスコで綴られていました。
聖ニコラはカトリックでも正教でも人気の高い聖人で、サンタクロースのモデルともされています。現トルコのミラで生まれた人ですが、トルコがイスラム教徒に征服された後、イタリアバーリの船乗りがミラに乗り込んで聖遺物を持ち帰ってしまったことからバーリの聖ニコラと呼ばれるようになりました。数々の奇跡を起こした人で、下段左に見えるのは、イタリアでもよく見かけた「海の奇跡」の一場面です。 -
中央祭室に入って参りました。柱の上に乗る梁には細かいレリーフがびっしりと刻まれていました! これも完璧なコピーなのかしら? ひと際暗い照明も、オリジナルに合わせたのでしょうね。絵を見る場としてオリジナルの環境に可能な限り近づけることを美術館を作られた方は目指していらっしゃるようです。
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奥には半円形の後陣があり、中央に両手を広げた聖母、両脇に大天使ミカエル、ガブリエルの姿がありました。その下には4人の聖人像。長い巻物を手にして読んでいらっしゃいます。
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今度は半円形のコンクの上です。びっしりと描かれているのはキリストの生涯の物語。中央の聖顔布の上にあるのは「聖誕」。カトリックの絵と異なり、正教の物は聖母が横たわっているものが多いように思いました。その右側は東方三博士の礼拝ですね。
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祭壇に向かって左側の壁。ボケちゃった・・・
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こちらは反対側の右側の壁です。
あっ!!! 中段中央よりやや左寄りにここでも「ユダの接吻」を発見! 聖マルタン聖堂とは全く異なった様式ですが、テーマはいずこも同じです。二人の背景にずらっと並んだ顔の多さに圧倒されました。 -
お終いは、後陣(祭室?)と向きあう西の壁です。出入り口の真上に描かれていたのは、「聖母の死」の場面でした。ここでもおびただしい数の顔、顔、顔が並んでいました。前述のトルコの聖テオドール聖堂のフレスコと比べると、初期キリスト教時代には見られなかったマリア信仰がはっきりと形作られてきていることに気づかされます。
ああ、面白かった。長くなりましたので、一旦ここで休憩。続きは、阿波紀行 うだつの上がる町と踊る町、そして世界中の名画を独り占めできる場所その4で。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ギンキツネさん 2019/02/23 09:10:08
- サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさ
- 来月、大塚国際美術館を訪れる予定ですが、貴旅行記が大変参考になり、ありがとうございました。
サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさについてですが、ネットの「最古の扉口彫刻(ロマネスクの美術)-唐草図鑑に、St-Genis des Fontaines の扉口のまぐさ として紹介されているものと同じではないかと存じます。彫刻の上部に書かれている文字は同じように見受けられました。
- junemayさん からの返信 2019/03/07 16:58:25
- RE: サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさ
- ギンギツネさま
junemayです。初めまして。
サン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさについてお教えいただき、ありがとうございました。お返事が遅れて申し訳ございません。聖マルタン聖堂はパリから300km南にあるノアン・ヴィックにあると聞きましたが、なぜそこからさらにずっと南下したピレネーの麓にあるサン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさと同じなのか、とても不思議です。新たな謎が生れてしまいました。もし大塚国際美術館で何かお判りになりましたら、またお教えいただければ嬉しいです。ありがとうございました。
junemay
> 来月、大塚国際美術館を訪れる予定ですが、貴旅行記が大変参考になり、ありがとうございました。
> サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさについてですが、ネットの「最古の扉口彫刻(ロマネスクの美術)-唐草図鑑に、St-Genis des Fontaines の扉口のまぐさ として紹介されているものと同じではないかと存じます。彫刻の上部に書かれている文字は同じように見受けられました。
- ギンキツネさん からの返信 2019/03/07 17:52:21
- RE: RE: サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさ
- junemayさま
ご返信ありがとうございます。
お尋ねの件につきまして大塚国際美術館に教えを請うたところ、聖マルタン聖堂展示室内は「環境展示」で現地を再現しているが、展示室に入る前(センターホール側)は現地とは異なっており、入口上部はロマネスク時代のようにアレンジしたものと回答を頂いております。私は2日後に同館を訪れる予定です。
> ギンギツネさま
>
> junemayです。初めまして。
>
> サン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさについてお教えいただき、ありがとうございました。お返事が遅れて申し訳ございません。聖マルタン聖堂はパリから300km南にあるノアン・ヴィックにあると聞きましたが、なぜそこからさらにずっと南下したピレネーの麓にあるサン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさと同じなのか、とても不思議です。新たな謎が生れてしまいました。もし大塚国際美術館で何かお判りになりましたら、またお教えいただければ嬉しいです。ありがとうございました。
>
> junemay
>
>
>
> > 来月、大塚国際美術館を訪れる予定ですが、貴旅行記が大変参考になり、ありがとうございました。
> > サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさについてですが、ネットの「最古の扉口彫刻(ロマネスクの美術)-唐草図鑑に、St-Genis des Fontaines の扉口のまぐさ として紹介されているものと同じではないかと存じます。彫刻の上部に書かれている文字は同じように見受けられました。
- junemayさん からの返信 2019/03/09 22:55:17
- RE: RE: RE: サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさ
- ギンギツネさま
junemayです。
御親切にお調べいただき、ありがとうございました。なーるほど。まぐさの部分はサン・マルタンではなかったんですね。これですっきり致しました。自分で聞けばいいところ、わざわざお聞きいただいたんですね。恐縮です。どうぞ、大塚国際美術館、楽しんでいらしてくださいね。
> junemayさま
> ご返信ありがとうございます。
> お尋ねの件につきまして大塚国際美術館に教えを請うたところ、聖マルタン聖堂展示室内は「環境展示」で現地を再現しているが、展示室に入る前(センターホール側)は現地とは異なっており、入口上部はロマネスク時代のようにアレンジしたものと回答を頂いております。私は2日後に同館を訪れる予定です。
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> > ギンギツネさま
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> > junemayです。初めまして。
> >
> > サン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさについてお教えいただき、ありがとうございました。お返事が遅れて申し訳ございません。聖マルタン聖堂はパリから300km南にあるノアン・ヴィックにあると聞きましたが、なぜそこからさらにずっと南下したピレネーの麓にあるサン・ジュニ・デ・フォンテーヌ聖堂のまぐさと同じなのか、とても不思議です。新たな謎が生れてしまいました。もし大塚国際美術館で何かお判りになりましたら、またお教えいただければ嬉しいです。ありがとうございました。
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> > junemay
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> > > 来月、大塚国際美術館を訪れる予定ですが、貴旅行記が大変参考になり、ありがとうございました。
> > > サン・マルタン聖堂メイン扉のまぐさについてですが、ネットの「最古の扉口彫刻(ロマネスクの美術)-唐草図鑑に、St-Genis des Fontaines の扉口のまぐさ として紹介されているものと同じではないかと存じます。彫刻の上部に書かれている文字は同じように見受けられました。
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- こあひるさん 2017/09/18 15:53:04
- 詳しくて面白い!
- junemayさん、こんにちは!
大塚国際美術館、複製の見事さは聞き及んでいましたが、junemayさんの旅行記にかかっては、本物であろうが偽物であろうが、どっちでもよくなってしまいますね。
見て触れる・・・そして思う存分、じっくり鑑賞できる・・・まぁ、これだけよく出来ていると、そのものだけを見ただけでは、違いがわからないわたしの目でしょうから、偽物で充分とも言えますが・・・。
それにしても・・・いつもながら、junemayさんの知識と情報の豊富さには驚きます。これだけ知識をもって鑑賞するなら、より楽しめるだろうし、価値があるんだろうな〜と思います。わたしなんて、何が描いてあるのかわからないまま・・・全体的な雰囲気だけ眺めて写して帰ってくるだけですので・・・。
いや〜・・・それにしても・・・この美術館、行ってみたくなりますね〜。
こあひる
- junemayさん からの返信 2017/09/18 23:37:52
- RE: 詳しくて面白い!
- こあひるさん こんばんは
いつも密かに尊敬しているこあひるさんから過分な言葉を戴き、大変恐縮しております。こあひるさんとは訪問した国、場所が被ることが多く、これまでいつも旅行記を参考にさせていただいておりました。ルーマニア、ブルガリア、南イタリア、弘前、遠野等々、来年是非とも見たいのが白石川の一目千本桜です。花のない季節に白石から仙台への帰り道に列車の窓から眺めて、あまりに素敵な川の佇まいに一目ぼれしてしまいましたが、その後訪れる機会が持てないでおりました。
実は私、知識なんて紙っぺらのように薄いのですよ。計画段階で調べ、実際に行って観て、帰ってきてからまた調べてもこの程度の理解力! と内心いつも呆れているのです。ですから「知識と情報の豊富さ」なんて書かれると、こそばゆいです。好奇心だけは旺盛なのですが、頭は確実について行っておりません。
大塚国際美術館に関しては、好き好きでしょうが、じっくり見たいのであれば、最低でも1日開館から閉館までいらっしゃることをお勧めいたします。私の場合は2日間かけても十分な鑑賞時間が持てたとは思いませんでした。連れがいたら、どれだけ時間かけるんじゃいと言われそうなので、一人旅が良いかしら???
旅行記も遅筆でさっぱり進みませんが、マイペースで更新いたしますので、今後ともよろしくお付き合いいただけましたら嬉しいです。ありがとうございました。
junemay
> junemayさん、こんにちは!
>
> 大塚国際美術館、複製の見事さは聞き及んでいましたが、junemayさんの旅行記にかかっては、本物であろうが偽物であろうが、どっちでもよくなってしまいますね。
>
> 見て触れる・・・そして思う存分、じっくり鑑賞できる・・・まぁ、これだけよく出来ていると、そのものだけを見ただけでは、違いがわからないわたしの目でしょうから、偽物で充分とも言えますが・・・。
>
> それにしても・・・いつもながら、junemayさんの知識と情報の豊富さには驚きます。これだけ知識をもって鑑賞するなら、より楽しめるだろうし、価値があるんだろうな〜と思います。わたしなんて、何が描いてあるのかわからないまま・・・全体的な雰囲気だけ眺めて写して帰ってくるだけですので・・・。
>
> いや〜・・・それにしても・・・この美術館、行ってみたくなりますね〜。
>
> こあひる
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