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今回はJRの「駅からハイキング」で都内最大の水郷公園「水元公園」や柴又帝釈天と参道を巡りました。今年120周年を迎える金町駅を記念して開催されたウォーキングでしたが、<br /> 「駅からハイキング」ならではの視点で、「寅さん」の故郷の魅力を、また違った角度から楽しむことができました。<br /><br />起点駅・集合時間:JR常磐線金町駅 10時<br /><br />歩行距離・所要時間:約10km 約4時間<br /><br />今回のコース:<br />JR金町駅(スタート)→南蔵院(しばられ地蔵)→水元公園→葛飾区金魚展示場→葛西神社→金町浄水場取水塔→矢切の渡し→葛飾柴又寅さん記念館→柴又帝釈天→京成柴又駅(ゴール)<br /><br />歩行後のお酒とごはん:川千家<br />

【金町駅開業120周年記念】初秋の水元公園から江戸川を巡り下町情緒あふれる柴又を歩く

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2017/09/09 - 2017/09/09

205位(同エリア625件中)

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97

t.oさん

今回はJRの「駅からハイキング」で都内最大の水郷公園「水元公園」や柴又帝釈天と参道を巡りました。今年120周年を迎える金町駅を記念して開催されたウォーキングでしたが、
「駅からハイキング」ならではの視点で、「寅さん」の故郷の魅力を、また違った角度から楽しむことができました。

起点駅・集合時間:JR常磐線金町駅 10時

歩行距離・所要時間:約10km 約4時間

今回のコース:
JR金町駅(スタート)→南蔵院(しばられ地蔵)→水元公園→葛飾区金魚展示場→葛西神社→金町浄水場取水塔→矢切の渡し→葛飾柴又寅さん記念館→柴又帝釈天→京成柴又駅(ゴール)

歩行後のお酒とごはん:川千家

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 久しぶりに良い天気の下、JR金町駅からスタートです。<br />今回は駅からハイキングのコース「金町駅開業120周年記念」ということですが、こちらは1897年日本鉄道の駅として開業したのが始まりだそうです。<br />因みに金町は古くは金町郷といい、下総国香取神宮領の中心地として栄え、古利根川沿いの鎌倉街道に面した町屋が形成され、後に金町村となり、現在に至るそうです。<br />

    久しぶりに良い天気の下、JR金町駅からスタートです。
    今回は駅からハイキングのコース「金町駅開業120周年記念」ということですが、こちらは1897年日本鉄道の駅として開業したのが始まりだそうです。
    因みに金町は古くは金町郷といい、下総国香取神宮領の中心地として栄え、古利根川沿いの鎌倉街道に面した町屋が形成され、後に金町村となり、現在に至るそうです。

    金町駅

  • 先ずは、金町理科大商店会通りを東京理科大方面に向かって歩いていきます。通りには9月中旬に例大祭のある葛西神社ののぼりがはためいております。

    先ずは、金町理科大商店会通りを東京理科大方面に向かって歩いていきます。通りには9月中旬に例大祭のある葛西神社ののぼりがはためいております。

  • 途中通り沿いにはジグソーパズルの看板が掲げられているカナイトーイがありました。まだ開店前でシャッターが下りていて、中の様子は伺えないのですが、ジグゾーパズル専門店でファンの間では密かに有名なお店だそうです。より高い難易度を求めるマニアの要望に応え、店内には様々なたくさんのパズルが置かれているそうです。<br />

    途中通り沿いにはジグソーパズルの看板が掲げられているカナイトーイがありました。まだ開店前でシャッターが下りていて、中の様子は伺えないのですが、ジグゾーパズル専門店でファンの間では密かに有名なお店だそうです。より高い難易度を求めるマニアの要望に応え、店内には様々なたくさんのパズルが置かれているそうです。

  • イトーヨーカドー金町店です。かなりおおきな店舗ですね。

    イトーヨーカドー金町店です。かなりおおきな店舗ですね。

  • こちらの店舗は、他のイトーヨーカドーと違うポイントとして屋上が自動車教習所になっているとのこと。教習所の入口はお店の脇の路地から回ったところにあります。

    こちらの店舗は、他のイトーヨーカドーと違うポイントとして屋上が自動車教習所になっているとのこと。教習所の入口はお店の脇の路地から回ったところにあります。

  • 理科大キャンパス前の通りを北上し、岩槻橋交差点の一つ手前の信号を右に曲がっていくと、一つ目のポイント、南蔵院への道標がありました。

    理科大キャンパス前の通りを北上し、岩槻橋交差点の一つ手前の信号を右に曲がっていくと、一つ目のポイント、南蔵院への道標がありました。

  • 道標沿いに歩いていくと山門<br />業平山 南蔵院に到達しました。ここは「大岡裁きの縛られ地蔵」で有名なお寺だそうです。

    道標沿いに歩いていくと山門
    業平山 南蔵院に到達しました。ここは「大岡裁きの縛られ地蔵」で有名なお寺だそうです。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 境内に入るとすぐ右手に鐘楼があり、参拝者が順番待ちで鐘を撞いております。<br />このお寺は、もともとは、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近)に創建したと伝えられているそうです。

    境内に入るとすぐ右手に鐘楼があり、参拝者が順番待ちで鐘を撞いております。
    このお寺は、もともとは、権僧都林能法師(貞和4年1348年寂)が在原業平が居住していたといわれる地(本所小梅町付近)に創建したと伝えられているそうです。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3丁目)へ移転、しばられ地蔵で著名となりました。関東大震災で罹災、廃寺があったこの地へ移転したそうです。<br />しばられ地蔵は本堂の左にあります。盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られているそうです。<br />

    元禄11年(1698)中之郷八軒町(墨田区吾妻橋3丁目)へ移転、しばられ地蔵で著名となりました。関東大震災で罹災、廃寺があったこの地へ移転したそうです。
    しばられ地蔵は本堂の左にあります。盗難除け、足止め、厄除け、縁結びなど、あらゆる願い事を聞いて下さる霊験あらたかな地蔵尊として祀られているそうです。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • こちらが縛られ地蔵ですね。像高1メートルほどの石の地蔵尊で、元禄14年(西暦1701年)の造立と伝えられているそうです。「文政寺社書上」によると、この地蔵尊は諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、信心の者が祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから、しばられ地蔵と称したと記されているとのこと。

    こちらが縛られ地蔵ですね。像高1メートルほどの石の地蔵尊で、元禄14年(西暦1701年)の造立と伝えられているそうです。「文政寺社書上」によると、この地蔵尊は諸願成就、殊に難病平癒に霊験があり、信心の者が祈願するときは地蔵尊を縄で縛り、成就したときには縄を解くことから、しばられ地蔵と称したと記されているとのこと。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 参拝者の皆さんが次々と縄で縛っていきます。あまりに縛られすぎてかなりのボリュームのある体形になっておりますね。因みに毎年12月31日(大晦日)の夜に縄解き供養が行われるとのこと。<br />こちらの地蔵尊は「大岡裁きの地蔵尊」の逸話も有名ですね。

    参拝者の皆さんが次々と縄で縛っていきます。あまりに縛られすぎてかなりのボリュームのある体形になっておりますね。因みに毎年12月31日(大晦日)の夜に縄解き供養が行われるとのこと。
    こちらの地蔵尊は「大岡裁きの地蔵尊」の逸話も有名ですね。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 少し長いですが、由縁を以下記します。<br />「しばられ地蔵尊の由縁<br /> 享保年間、吉宗、大岡越前時代の話です。呉服問屋越後屋の手代弥五郎が南蔵院前を通りかかった時、一休みしようと背負っていた反物をお地蔵様の横に置いて休んだところ、うっかり寝入ってしまい目覚めた時に大事な反物が無くなっていることに気がつきました。<br /> 弥五郎があわてて奉行所へ駆け込んだところ、大岡越前が「門前に立ちながら盗人の所業を見逃すとは、ふとどきせんばんな地蔵である。その地蔵を召し捕ってまいれ」と命じ、縄で縛られた地蔵様が台八車に乗せられ奉行所に召し上げられました。<br /><br /> その様子をみた江戸市民はもう大変。江戸中にその話が広がり、前代未聞の地蔵の詮議を見物しよと、我れ先と奉行所の白洲に江戸市民がなだれ込みました。<br /><br /> ところが大岡越前は集まった民衆に対して「天下の奉行所をなんと心得る。野次馬連中に木綿一反の過料を申し渡たす。」との鶴の一声。やがて山と積まれた反物の中に盗品が二反が紛れ込んでいるのが判り。吟味の末、盗人はお縄となり「これにて一件落着。」<br /><br /> 以来、盗難厄除けをはじめ、あらゆる願いごとを叶えてくける地蔵尊として、庶民に慕われてきました。 <br />」とのこと。

    少し長いですが、由縁を以下記します。
    「しばられ地蔵尊の由縁
     享保年間、吉宗、大岡越前時代の話です。呉服問屋越後屋の手代弥五郎が南蔵院前を通りかかった時、一休みしようと背負っていた反物をお地蔵様の横に置いて休んだところ、うっかり寝入ってしまい目覚めた時に大事な反物が無くなっていることに気がつきました。
     弥五郎があわてて奉行所へ駆け込んだところ、大岡越前が「門前に立ちながら盗人の所業を見逃すとは、ふとどきせんばんな地蔵である。その地蔵を召し捕ってまいれ」と命じ、縄で縛られた地蔵様が台八車に乗せられ奉行所に召し上げられました。

     その様子をみた江戸市民はもう大変。江戸中にその話が広がり、前代未聞の地蔵の詮議を見物しよと、我れ先と奉行所の白洲に江戸市民がなだれ込みました。

     ところが大岡越前は集まった民衆に対して「天下の奉行所をなんと心得る。野次馬連中に木綿一反の過料を申し渡たす。」との鶴の一声。やがて山と積まれた反物の中に盗品が二反が紛れ込んでいるのが判り。吟味の末、盗人はお縄となり「これにて一件落着。」

     以来、盗難厄除けをはじめ、あらゆる願いごとを叶えてくける地蔵尊として、庶民に慕われてきました。 
    」とのこと。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 境内には他にも気になる史跡が数多あります。<br />例えばこちらの出世牛の石像。これに跨がると出世の幸運に恵まれるとか。近所にお住まいかとおぼしきご婦人が牛の前掛け交換をされておりました。

    境内には他にも気になる史跡が数多あります。
    例えばこちらの出世牛の石像。これに跨がると出世の幸運に恵まれるとか。近所にお住まいかとおぼしきご婦人が牛の前掛け交換をされておりました。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 水琴窟の矢印に従って本堂の裏手の史跡の方に回ってみます。

    水琴窟の矢印に従って本堂の裏手の史跡の方に回ってみます。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • これは密教の曼陀羅を置き石で表現しているもののようです。

    これは密教の曼陀羅を置き石で表現しているもののようです。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 三猿(見ざる言わざる聞かざる)の可愛い石像です。その他にも境内には色々あってなかなか見所があるお寺でした。

    三猿(見ざる言わざる聞かざる)の可愛い石像です。その他にも境内には色々あってなかなか見所があるお寺でした。

    南蔵院(しばられ地蔵) 寺・神社・教会

  • 南蔵院を後にしてさらに北上、水元公園に到達しました。<br />東京都立水元公園は、東京都の東部、葛飾区に位置し、埼玉県(三郷市)に接している都内最大の水郷公園です。園内は、豊かな森林の趣と貴重な水生植物を擁する水郷風景を楽しめます。

    南蔵院を後にしてさらに北上、水元公園に到達しました。
    東京都立水元公園は、東京都の東部、葛飾区に位置し、埼玉県(三郷市)に接している都内最大の水郷公園です。園内は、豊かな森林の趣と貴重な水生植物を擁する水郷風景を楽しめます。

    都立水元公園 公園・植物園

  • 公園売店、グリーンテラス水元に到達です。ここで水分を補給したりするなど小休止をします。

    公園売店、グリーンテラス水元に到達です。ここで水分を補給したりするなど小休止をします。

  • 休憩の後、再び出発。水元大橋を渡ります。小合溜を渡る橋ですね。こちらを通って江戸川方面に歩みを進めます。

    休憩の後、再び出発。水元大橋を渡ります。小合溜を渡る橋ですね。こちらを通って江戸川方面に歩みを進めます。

  • 池には睡蓮・蓮など多様な水草の植生が見受けられます。沼地の豊かな自然が広がっておりますね。<br />この地域はもともとは古利根川(今の江戸川の前身)の河川敷だったものを、徳川家光の現在の江戸川への改修事業により古利根川が廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が吉宗の時代に幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた場所だったそうです。<br />その後、緑地や耕作地などに利用され、都市計画改訂により水元公園として再発足、1965年4月1日に開園したそうです。<br />

    池には睡蓮・蓮など多様な水草の植生が見受けられます。沼地の豊かな自然が広がっておりますね。
    この地域はもともとは古利根川(今の江戸川の前身)の河川敷だったものを、徳川家光の現在の江戸川への改修事業により古利根川が廃止されたため、小合村(1889年水元村に合併、1932年に葛飾区に合併)が吉宗の時代に幕府の許可を得て埋め立てて耕作地として、水を蓄えて小合溜と称して管理してきた場所だったそうです。
    その後、緑地や耕作地などに利用され、都市計画改訂により水元公園として再発足、1965年4月1日に開園したそうです。

    小合溜 自然・景勝地

  • 途中、鷺がじっと休んでおりました。豊かな自然が広がっている公園は渡り鳥にとっても絶好の休息場所になっているのでしょうね。

    途中、鷺がじっと休んでおりました。豊かな自然が広がっている公園は渡り鳥にとっても絶好の休息場所になっているのでしょうね。

    小合溜 自然・景勝地

  • 途中桜並木となっている道をさらに進みます。春は華やかでしょうね。この道は桜土手と言われる堤の上にあるわけですが、この土手もやはり江戸時代、吉宗の時代に治水事業で築かれたそうです。

    途中桜並木となっている道をさらに進みます。春は華やかでしょうね。この道は桜土手と言われる堤の上にあるわけですが、この土手もやはり江戸時代、吉宗の時代に治水事業で築かれたそうです。

  • 葛飾区の金魚展示場に到着しました。<br />この展示場は、昭和10年東京都によって造営された水産試験場の養魚場跡地だそうで、平成9年に都から葛飾区に譲渡され現在にいたっているとのことです。

    葛飾区の金魚展示場に到着しました。
    この展示場は、昭和10年東京都によって造営された水産試験場の養魚場跡地だそうで、平成9年に都から葛飾区に譲渡され現在にいたっているとのことです。

    葛飾区金魚展示場 名所・史跡

  • 扉が開放されていたので中に入ります。場内は金魚育成のタタキ池が40面以上並び、池内では24種もの金魚を育てているとのこと。

    扉が開放されていたので中に入ります。場内は金魚育成のタタキ池が40面以上並び、池内では24種もの金魚を育てているとのこと。

    葛飾区金魚展示場 名所・史跡

  • 場内奥の方には展示水槽があり種類毎に分けられた水槽には、それぞれの種類の金魚が悠々と泳いでおります。中には普段目にしない金魚も見れて華やかで眼に飽きません。

    場内奥の方には展示水槽があり種類毎に分けられた水槽には、それぞれの種類の金魚が悠々と泳いでおります。中には普段目にしない金魚も見れて華やかで眼に飽きません。

    葛飾区金魚展示場 名所・史跡

  • こちらは育成水槽がありました。色々な彩りの金魚が元気に泳ぎ回っております。今は、江戸前金魚と呼ばれる江戸茜・江戸錦など24種類約1,000匹の金魚を飼育・展示しているとのこと。

    こちらは育成水槽がありました。色々な彩りの金魚が元気に泳ぎ回っております。今は、江戸前金魚と呼ばれる江戸茜・江戸錦など24種類約1,000匹の金魚を飼育・展示しているとのこと。

    葛飾区金魚展示場 名所・史跡

  • こちらは小さい金魚が泳いでいますね。水槽の札を見るとどうやら8月に誕生したばかりの子供を育てている水槽のようです。可愛いですね。水元公園の中にこのような施設があり、しかも無料で見学できるとは貴重な発見でした。

    こちらは小さい金魚が泳いでいますね。水槽の札を見るとどうやら8月に誕生したばかりの子供を育てている水槽のようです。可愛いですね。水元公園の中にこのような施設があり、しかも無料で見学できるとは貴重な発見でした。

    葛飾区金魚展示場 名所・史跡

  • 金魚展示場を後にしてさらに歩みを進めていくと。今度は少し大きな睡蓮の葉のようなものが浮かんでいる池のところに出ました。

    金魚展示場を後にしてさらに歩みを進めていくと。今度は少し大きな睡蓮の葉のようなものが浮かんでいる池のところに出ました。

  • 周りを見ると「水元のオニバス」という石柱が建っております。

    周りを見ると「水元のオニバス」という石柱が建っております。

  • 側にオニバスについての説明板がありました。これによると、オニバスは、世界の限られた場所に離れて転々と生育する原始的なスイレン科植物の一種で、絶滅危惧II類に指定されているそうです。そのオニバスを見ることのできる数少ない場所の一つがこの水元公園で、都の天然記念物にも指定されているそうです。もともと小合溜に自生していたものが一度絶滅状態となっていましたが、1980年代、たまたま旧東京都水産試験場内の試験池だったこの池の泥をさらったところ、埋まっていた種子からオニバスが発芽して繁茂(はんも)したということだそうです。

    側にオニバスについての説明板がありました。これによると、オニバスは、世界の限られた場所に離れて転々と生育する原始的なスイレン科植物の一種で、絶滅危惧II類に指定されているそうです。そのオニバスを見ることのできる数少ない場所の一つがこの水元公園で、都の天然記念物にも指定されているそうです。もともと小合溜に自生していたものが一度絶滅状態となっていましたが、1980年代、たまたま旧東京都水産試験場内の試験池だったこの池の泥をさらったところ、埋まっていた種子からオニバスが発芽して繁茂(はんも)したということだそうです。

  • よく見ると、それぞれがかなり大きな皺が寄ったような葉で全体的に棘に覆われております。説明によるとオニバスは、夏に平均で直径約1.5mの大きな円形の浮葉を広げ、植物体は大型になり、種子のみで越冬する一年草だそうです。南米には別属の比較的近い仲間で、1.6~2mの葉を広げるものがあるそうですが、日本のオニバスは最大記録では3m05cmという計測記録もあり、地球上で最大の葉を広げる一年草とも言われているそうです。

    よく見ると、それぞれがかなり大きな皺が寄ったような葉で全体的に棘に覆われております。説明によるとオニバスは、夏に平均で直径約1.5mの大きな円形の浮葉を広げ、植物体は大型になり、種子のみで越冬する一年草だそうです。南米には別属の比較的近い仲間で、1.6~2mの葉を広げるものがあるそうですが、日本のオニバスは最大記録では3m05cmという計測記録もあり、地球上で最大の葉を広げる一年草とも言われているそうです。

  • オニバスの花が咲いていたので写真に撮ります。たまたま池を観察していた地元の愛好家と思しきかたが、「花が咲いている」教えてくださり、しかも設置していたご自分の望遠鏡を親切にも覗かしてくれました。葉の大きさに比較して,だいぶ小ぶり(普通のハスの花に比べてもかなり小さい)でエキゾチックながら可凛な感じですね。この花の蕾は鋭く尖り、葉の各所を突き破って空中に突き出してから開花するそうです。

    オニバスの花が咲いていたので写真に撮ります。たまたま池を観察していた地元の愛好家と思しきかたが、「花が咲いている」教えてくださり、しかも設置していたご自分の望遠鏡を親切にも覗かしてくれました。葉の大きさに比較して,だいぶ小ぶり(普通のハスの花に比べてもかなり小さい)でエキゾチックながら可凛な感じですね。この花の蕾は鋭く尖り、葉の各所を突き破って空中に突き出してから開花するそうです。

  • 貴重なオニバスの見学を終え、水元公園を後にして歩行を進め、江戸川に到着しました。柴又が少しずつ近付いてきました。

    貴重なオニバスの見学を終え、水元公園を後にして歩行を進め、江戸川に到着しました。柴又が少しずつ近付いてきました。

  • 標識に従い、堤防の上を柴又方面へ歩いていきます。

    標識に従い、堤防の上を柴又方面へ歩いていきます。

  • 堤防の上を柴又方面に歩いていきます。9月上旬とは言え、まだ晩夏の様相で羽虫の軍団に少し悩まされますが、眺めは広々として気持ち良いですね。

    堤防の上を柴又方面に歩いていきます。9月上旬とは言え、まだ晩夏の様相で羽虫の軍団に少し悩まされますが、眺めは広々として気持ち良いですね。

  • はるか向こうにスカイツリーを眺めることができます。どんどん歩みを勧めます。

    はるか向こうにスカイツリーを眺めることができます。どんどん歩みを勧めます。

  • 途中堤防から降りて葛西神社へ向かいました。<br />こちらの創建の年代は古く平安時代の末期、(1185)領主葛西三郎清重の篤信により上葛西、下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊をお祀りしたものだそうです。

    途中堤防から降りて葛西神社へ向かいました。
    こちらの創建の年代は古く平安時代の末期、(1185)領主葛西三郎清重の篤信により上葛西、下葛西あわせて三十三郷の総鎮守として下総国香取神宮の分霊をお祀りしたものだそうです。

    葛西神社 寺・神社・教会

  • 東京周辺(神田囃子、砂村囃子)の祭囃子の祖とされる「葛西囃子」発祥の地で、9月の例大祭、11月の酉の市、毎月中旬の日曜日に奉納演奏が行われているそうです。

    東京周辺(神田囃子、砂村囃子)の祭囃子の祖とされる「葛西囃子」発祥の地で、9月の例大祭、11月の酉の市、毎月中旬の日曜日に奉納演奏が行われているそうです。

    葛西神社 寺・神社・教会

  • 境内の大銀杏ですね。明治の初年まで金町の明神の森の大銀杏として知られていたそうですが、度重なる水害の対策として官命により他の木々とともに伐採を余儀なくされたそうです。しかし、この木は、再び自力で芽を出してここまで成長したそうです。その旺盛な生命力に弥栄銀杏(いやさかいちょう)または曾孫生え銀杏(ひこばえいちょう)と命名されて、子宝や生命力をあやかりに来られる参拝者が多いそうです。

    境内の大銀杏ですね。明治の初年まで金町の明神の森の大銀杏として知られていたそうですが、度重なる水害の対策として官命により他の木々とともに伐採を余儀なくされたそうです。しかし、この木は、再び自力で芽を出してここまで成長したそうです。その旺盛な生命力に弥栄銀杏(いやさかいちょう)または曾孫生え銀杏(ひこばえいちょう)と命名されて、子宝や生命力をあやかりに来られる参拝者が多いそうです。

    葛西神社 寺・神社・教会

  • 大鳥居ですね。高さ約9メートルだそうです。昭和4年建立だそうです。

    大鳥居ですね。高さ約9メートルだそうです。昭和4年建立だそうです。

    葛西神社 寺・神社・教会

  • 葛西神社を後にして、再び江戸川河川敷に向かいます。

    葛西神社を後にして、再び江戸川河川敷に向かいます。

  • 河川敷に向かう途中金町浄水場の横を通ります。ここの給水エリアは都内約250万人、東京都初の高度浄水システムを導入し、その水はかなり美味しくなったそうです。現在はペットボトル入りの「世界に誇る東京水」を販売しているのだとか。

    河川敷に向かう途中金町浄水場の横を通ります。ここの給水エリアは都内約250万人、東京都初の高度浄水システムを導入し、その水はかなり美味しくなったそうです。現在はペットボトル入りの「世界に誇る東京水」を販売しているのだとか。

  • 再び江戸川の堤防土手に戻ってきました。ここから階段を上がります。

    再び江戸川の堤防土手に戻ってきました。ここから階段を上がります。

  • 階段を上がると、左手にとんがり帽子の屋根が見えてきました。これは江戸川の水を金町浄水場へ引き入れるための建物でだそうで、金町浄水場第2取水塔と言い、昭和16年の竣工の歴史ある取水塔だそうです。

    階段を上がると、左手にとんがり帽子の屋根が見えてきました。これは江戸川の水を金町浄水場へ引き入れるための建物でだそうで、金町浄水場第2取水塔と言い、昭和16年の竣工の歴史ある取水塔だそうです。

    金町浄水場取水塔 名所・史跡

  • 少し歩くともう一つ取水塔があります。こちらも併せて映画『男はつらいよ』や漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも登場する風景だそうです。

    少し歩くともう一つ取水塔があります。こちらも併せて映画『男はつらいよ』や漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にも登場する風景だそうです。

    金町浄水場取水塔 名所・史跡

  • 次のスポット「矢切の渡し」に向かって河川敷へ降り川の側まで歩いていきます。「矢切の渡し」は細川たかしの演歌の曲目として有名ですね。<br />松戸市下矢切と東京都柴又を往復する渡しで、江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15個所の渡し場のひとつだそうです(つまり観光用途に設けたものではないそうです)。<br />

    次のスポット「矢切の渡し」に向かって河川敷へ降り川の側まで歩いていきます。「矢切の渡し」は細川たかしの演歌の曲目として有名ですね。
    松戸市下矢切と東京都柴又を往復する渡しで、江戸時代初期に江戸幕府が地元民のために設けた利根川水系河川15個所の渡し場のひとつだそうです(つまり観光用途に設けたものではないそうです)。

  • 周辺に関連の案内所の施設や出店があるわけでもなく、コンテナに「矢切の渡し」の文字とペンキ絵が描かれており、この方向に渡し場があることを示しております。このラフな感じからもあまり観光収入に期待しているという雰囲気は無いですね。<br />ここの渡しは寛永8年(1631年)に幕府が、関東代官(伊奈半十郎)を管理者として始めたもので、当時、江戸への出入りは非常に強い規則のもとにおかれておりましたが、江戸川の両岸に田畑を持つ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡し船で行きかうことができました。<br />これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる農民渡船といわれるものだそうです。<br />

    周辺に関連の案内所の施設や出店があるわけでもなく、コンテナに「矢切の渡し」の文字とペンキ絵が描かれており、この方向に渡し場があることを示しております。このラフな感じからもあまり観光収入に期待しているという雰囲気は無いですね。
    ここの渡しは寛永8年(1631年)に幕府が、関東代官(伊奈半十郎)を管理者として始めたもので、当時、江戸への出入りは非常に強い規則のもとにおかれておりましたが、江戸川の両岸に田畑を持つ農民は、その耕作のため関所の渡しを通らず農民特権として自由に渡し船で行きかうことができました。
    これが矢切の渡しの始まりで、いわゆる農民渡船といわれるものだそうです。

  • 桟橋の近くにきました。草深い細い路地の脇に「見学者の方に注意です!!渡し船に乗らない方は桟橋に入らないでください!!無断進入は禁止です!!」という強い調子の注意書きの看板が目立たない感じで置かれております。冷やかし客はノーサンキューなのですね。

    桟橋の近くにきました。草深い細い路地の脇に「見学者の方に注意です!!渡し船に乗らない方は桟橋に入らないでください!!無断進入は禁止です!!」という強い調子の注意書きの看板が目立たない感じで置かれております。冷やかし客はノーサンキューなのですね。

    矢切の渡し 乗り物

  • 小さな桟橋に着きました。そのまま時代劇の撮影に使えそうな昔ながらの造りです。どうやらあまり大勢の乗船客を想定していない様子ですね。この日は駅からハイキングのお蔭でかなりの見学者が押しかけ大混雑の様相です。<br />それにしても「矢切の渡し」と言えば、演歌の他にも伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906年)で日本全国に有名になりましたし、映画「男はつらいよ」シリーズの中にもしばしば登場しているのですが、その歴史と知名度に比べてこのひっそりとした感じは逆に印象的でした。<br /><br />

    小さな桟橋に着きました。そのまま時代劇の撮影に使えそうな昔ながらの造りです。どうやらあまり大勢の乗船客を想定していない様子ですね。この日は駅からハイキングのお蔭でかなりの見学者が押しかけ大混雑の様相です。
    それにしても「矢切の渡し」と言えば、演歌の他にも伊藤左千夫の小説「野菊の墓」(1906年)で日本全国に有名になりましたし、映画「男はつらいよ」シリーズの中にもしばしば登場しているのですが、その歴史と知名度に比べてこのひっそりとした感じは逆に印象的でした。

    矢切の渡し 乗り物

  • 矢切の渡しから土手の上に戻り、いよいよ寅さん記念館に向かいます。

    矢切の渡しから土手の上に戻り、いよいよ寅さん記念館に向かいます。

  • 寅さん記念館に到着しました。土手の横に隣接しており、こちらの階段を降りて館内に向かうことができます。

    寅さん記念館に到着しました。土手の横に隣接しており、こちらの階段を降りて館内に向かうことができます。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 階段を降りて寅さん記念館に到着しました。こちらは、『男はつらいよ』の舞台で、実際の撮影で使用されていた団子屋「くるまや」のセット展示などこの作品の世界観および各種資料を再現・展示したものです。<br />寅さんと並んで記念撮影できるコーナーなどあります。<br />

    階段を降りて寅さん記念館に到着しました。こちらは、『男はつらいよ』の舞台で、実際の撮影で使用されていた団子屋「くるまや」のセット展示などこの作品の世界観および各種資料を再現・展示したものです。
    寅さんと並んで記念撮影できるコーナーなどあります。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 早速見学をスタートします。入るとそこは、山田洋次監督を筆頭に、撮影・照明・メイク・大道具など、制作スタッフの仕事をパネルと映像でご紹介されております。山田監督が実際に使ったメガホンやデッキチェアも展示されております。

    早速見学をスタートします。入るとそこは、山田洋次監督を筆頭に、撮影・照明・メイク・大道具など、制作スタッフの仕事をパネルと映像でご紹介されております。山田監督が実際に使ったメガホンやデッキチェアも展示されております。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • さらに進むと、映画の中に登場した団子屋「くるまや」のセットがありました。これらは実際に大船撮影所で使われたものだそうです。

    さらに進むと、映画の中に登場した団子屋「くるまや」のセットがありました。これらは実際に大船撮影所で使われたものだそうです。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 台所や冷蔵庫、黒電話やちゃぶ台など昭和30年代そのままで、今にも寅さんが帰ってきそうです。

    台所や冷蔵庫、黒電話やちゃぶ台など昭和30年代そのままで、今にも寅さんが帰ってきそうです。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • くるまやの裏手にはタコ社長が経営する活版印刷工場「朝日印刷所」が再現されておりました。タコ社長の「朝日印刷所」印刷機は実際に動く本物だそうで、伝票や書類など、工場内の様子を再現しています。

    くるまやの裏手にはタコ社長が経営する活版印刷工場「朝日印刷所」が再現されておりました。タコ社長の「朝日印刷所」印刷機は実際に動く本物だそうで、伝票や書類など、工場内の様子を再現しています。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 寅さんが少年時代を過ごした、昭和30年代の帝釈天の街並みを、ミニチュアで再現しておりますね。しゃがんで眺めると当時の柴又にタイムスリップしたかのような感覚を覚えます。

    寅さんが少年時代を過ごした、昭和30年代の帝釈天の街並みを、ミニチュアで再現しておりますね。しゃがんで眺めると当時の柴又にタイムスリップしたかのような感覚を覚えます。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 思い出に残るなつかしの駅舎。まだ駅員が一枚ずつ切符を切っていた時代の駅舎を再現していますね。外観から舎内の備品にいたるまで、地元の鉄道会社から譲り受けた実物ばかりだそうです。自分が子供だったころ、近所の駅舎もこんな感じだったかもしれません。

    思い出に残るなつかしの駅舎。まだ駅員が一枚ずつ切符を切っていた時代の駅舎を再現していますね。外観から舎内の備品にいたるまで、地元の鉄道会社から譲り受けた実物ばかりだそうです。自分が子供だったころ、近所の駅舎もこんな感じだったかもしれません。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • さらに進むと小さな車両がありました。実はこの車両は、例の寅さんの像がある柴又駅を通る鉄道、京成金町線の前身「帝釈人車鉄道」の客車だそうです。この鉄道は明治32年から大正2年まで、金町ー柴又間の1.5キロを帝釈天への参拝客を運んでいたそうで、なんと人力(人が押して動かす)だったそうです。

    さらに進むと小さな車両がありました。実はこの車両は、例の寅さんの像がある柴又駅を通る鉄道、京成金町線の前身「帝釈人車鉄道」の客車だそうです。この鉄道は明治32年から大正2年まで、金町ー柴又間の1.5キロを帝釈天への参拝客を運んでいたそうで、なんと人力(人が押して動かす)だったそうです。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 最後の出口付近、『男はつらいよ』全48作の歴代のポスターが貼られておりました。自分が子供のころ、テレビや映画館でお馴染みだった往年のマドンナたちを振り返ることができました。

    最後の出口付近、『男はつらいよ』全48作の歴代のポスターが貼られておりました。自分が子供のころ、テレビや映画館でお馴染みだった往年のマドンナたちを振り返ることができました。

    葛飾柴又寅さん記念館 美術館・博物館

  • 寅さん記念館を後にして、お昼ごはんにします。今回は、帝釈天参道にお店を構える川千家さんにお邪魔しました。<br />鰻をメインとする川魚料理のお店です。<br />こちらは安永年間(1770年代)から続く柴又の老舗だそうで、楽しみです。<br />

    寅さん記念館を後にして、お昼ごはんにします。今回は、帝釈天参道にお店を構える川千家さんにお邪魔しました。
    鰻をメインとする川魚料理のお店です。
    こちらは安永年間(1770年代)から続く柴又の老舗だそうで、楽しみです。

    川千家 グルメ・レストラン

  • 先ずは、ビールで乾杯します。冷たいビールが歩行で疲れた身体に染み渡り、一気に生き返った感じがします。

    先ずは、ビールで乾杯します。冷たいビールが歩行で疲れた身体に染み渡り、一気に生き返った感じがします。

    川千家 グルメ・レストラン

  • メニューで気になったつまみを注文していきます。<br />こちらは肝ロール。鰻の肝を焼いた後冷やして鰻の美味しい脂と旨みを閉じ込めたものだそうです。<br />奥深い味わいにビールが進みます。

    メニューで気になったつまみを注文していきます。
    こちらは肝ロール。鰻の肝を焼いた後冷やして鰻の美味しい脂と旨みを閉じ込めたものだそうです。
    奥深い味わいにビールが進みます。

    川千家 グルメ・レストラン

  • 骨せんべいです。こちらも鰻のそれでしょうか。カリカリとして美味しくさらにビールが進みます。<br />この他にも鯉の洗いとか、天ぷらとか色々注文していきます。

    骨せんべいです。こちらも鰻のそれでしょうか。カリカリとして美味しくさらにビールが進みます。
    この他にも鯉の洗いとか、天ぷらとか色々注文していきます。

    川千家 グルメ・レストラン

  • 最後はやはり蒲焼きでしょうか?久しぶりに口にしましたがやはり美味しいですね。柴又の川魚料理を満喫しました。(^^)

    最後はやはり蒲焼きでしょうか?久しぶりに口にしましたがやはり美味しいですね。柴又の川魚料理を満喫しました。(^^)

    川千家 グルメ・レストラン

  • 川千家を後にして、いよいよ帝釈天に向かいます。<br />山門の前には大勢の観光客がいて、写真を撮っています。<br />

    川千家を後にして、いよいよ帝釈天に向かいます。
    山門の前には大勢の観光客がいて、写真を撮っています。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 境内に入りました。<br />こちらは正式には経栄山題経寺といい、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創されたそうでうす。因みに日蓮宗寺院だとのこと。<br />18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになったそうです。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになったそうです。<br />

    境内に入りました。
    こちらは正式には経栄山題経寺といい、江戸時代初期の寛永6年(1629年)に、禅那院日忠および題経院日栄という2名の僧によって開創されたそうでうす。因みに日蓮宗寺院だとのこと。
    18世紀末、9世住職の日敬(にっきょう)の頃から当寺の帝釈天が信仰を集めるようになり、「柴又帝釈天」として知られるようになったそうです。帝釈天の縁日は庚申の日とされ、庚申信仰とも関連して多くの参詣人を集めるようになったそうです。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 寅さんが産湯につかったという御神水がありました。<br />江戸寛永の頃、松の木の根本に霊泉の湧くのを見て、草庵を造ったのがこのお寺の始まりだったとか。その松は、「瑞竜の松」と呼ばれているそうですが、多分帝釈堂脇に生え四方に枝を拡げてる松がそうであると思われます。

    寅さんが産湯につかったという御神水がありました。
    江戸寛永の頃、松の木の根本に霊泉の湧くのを見て、草庵を造ったのがこのお寺の始まりだったとか。その松は、「瑞竜の松」と呼ばれているそうですが、多分帝釈堂脇に生え四方に枝を拡げてる松がそうであると思われます。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 御神水の脇に浄行菩薩がありました。<br />浄行菩薩とは、法華経の中で説かれている地涌(ちゆ)の四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清めて下さるそうです。<br />参拝客が御神水に行列を作って汲んだ水をこちらの菩薩にかけてお祈りをしておりました。<br />

    御神水の脇に浄行菩薩がありました。
    浄行菩薩とは、法華経の中で説かれている地涌(ちゆ)の四菩薩の一人で、地水火風の四大の内、水大の菩薩として、この世を浄化し、人々の罪や穢れを洗い清めて下さるそうです。
    参拝客が御神水に行列を作って汲んだ水をこちらの菩薩にかけてお祈りをしておりました。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 先ほど入ってきた山門を境内側から撮ります。<br />二天門と言って明治29年(1896年)の建立だそうです。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風。初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来するそうです。門の建立は明治ですが、この二天像は平安時代の作だそうで、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から寄贈されたものだそうです。

    先ほど入ってきた山門を境内側から撮ります。
    二天門と言って明治29年(1896年)の建立だそうです。入母屋造瓦葺の楼門(2階建て門)で、屋根には唐破風と千鳥破風。初層左右には四天王のうちの増長天および広目天の二天を安置し、門の名はこれに由来するそうです。門の建立は明治ですが、この二天像は平安時代の作だそうで、門の建立時に同じ日蓮宗の妙国寺(大阪府堺市)から寄贈されたものだそうです。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 帝釈堂ですね。<br />二天門を入った境内正面に位置してます。手前の拝殿と奥の内殿から構成され、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成だそう。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置してるそうです(四天王の残り2体は二天門に安置)。内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されています。<br />

    帝釈堂ですね。
    二天門を入った境内正面に位置してます。手前の拝殿と奥の内殿から構成され、ともに入母屋造瓦葺で、拝殿屋根には唐破風と大ぶりの千鳥破風。内殿は大正4年(1915年)、拝殿は昭和4年(1929年)の完成だそう。内殿には帝釈天の板本尊を安置し、左右に四天王のうちの持国天と多聞天(毘沙門天)を安置してるそうです(四天王の残り2体は二天門に安置)。内殿外側には全面に浮き彫りの装飾彫刻が施されています。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 彫刻ギャラリー<br />その内殿ですが、建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」として一般公開されております。<br />帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名だそうです。<br />

    彫刻ギャラリー
    その内殿ですが、建物ごとガラスの壁で覆われ、見学者用の通路を設け、「彫刻ギャラリー」として一般公開されております。
    帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名だそうです。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 彫刻の拡大。<br />これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作したものだそうです。

    彫刻の拡大。
    これは法華経に説かれる代表的な説話10話を選び視覚化したもので、大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作したものだそうです。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 本当に見事な彫刻です。彫刻ギャラリーは有料ですが、見学する価値は充分にあるかと思います。

    本当に見事な彫刻です。彫刻ギャラリーは有料ですが、見学する価値は充分にあるかと思います。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 見るほどに圧倒される彫刻の数々ですね。

    見るほどに圧倒される彫刻の数々ですね。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 制作に12年かかったというのも頷けます。

    制作に12年かかったというのも頷けます。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 信者によって奉納された絵馬も展示されておりました。帝釈天に祈願して御神水が湧いている場面を描いているようです。明治時代に北千住のかたによって奉納されたもののようですね。

    信者によって奉納された絵馬も展示されておりました。帝釈天に祈願して御神水が湧いている場面を描いているようです。明治時代に北千住のかたによって奉納されたもののようですね。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • こちらも明治時代に奉納された絵馬のようですね。帝釈天板本尊の出現を描いているようです。

    こちらも明治時代に奉納された絵馬のようですね。帝釈天板本尊の出現を描いているようです。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 内殿の下層部ですね。龍の彫刻が印象的です。

    内殿の下層部ですね。龍の彫刻が印象的です。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 天井の方も見事。

    天井の方も見事。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 見学が終わり一旦外に出ました。

    見学が終わり一旦外に出ました。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼です。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高いそうです。<br />寅さんの映画の中の柴又の場面の帝釈天の映像では必ずこの鐘の音が効果音で流れますね。

    昭和30年、名匠、林亥助棟梁によって完成された総欅の大鐘楼です。梵鐘は、雅楽「黄鐘調(おうしきちょう)」と言われ、昭和の銘鐘の名が高いそうです。
    寅さんの映画の中の柴又の場面の帝釈天の映像では必ずこの鐘の音が効果音で流れますね。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 再び、建物の中へ。邃渓園(すいけいえん)というこのお寺の庭園の見学に向かいます。

    再び、建物の中へ。邃渓園(すいけいえん)というこのお寺の庭園の見学に向かいます。

    題経寺(柴又帝釈天) 邃渓園 公園・植物園

  • 邃渓園(すいけいえん)<br />大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計によるそうです。庭園への立ち入りは禁止されているものの、周囲に設けられた屋根付きの回廊から見学することができます。<br /><br />

    邃渓園(すいけいえん)
    大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計によるそうです。庭園への立ち入りは禁止されているものの、周囲に設けられた屋根付きの回廊から見学することができます。

    題経寺(柴又帝釈天) 邃渓園 公園・植物園

  • 回廊に沿って庭を見学していきます。角度が変わることで庭の眺めに変化があり、目に楽しいです。

    回廊に沿って庭を見学していきます。角度が変わることで庭の眺めに変化があり、目に楽しいです。

    題経寺(柴又帝釈天) 邃渓園 公園・植物園

  • 池もありますね。青空が映えて良い感じです。

    池もありますね。青空が映えて良い感じです。

    題経寺(柴又帝釈天) 邃渓園 公園・植物園

  • 回路沿いにはこんな猿の石像も置かれており、お酒が供えられておりました。由縁は不明。

    回路沿いにはこんな猿の石像も置かれており、お酒が供えられておりました。由縁は不明。

    題経寺(柴又帝釈天) 邃渓園 公園・植物園

  • こちらにも御神水が湧いている場所がありました。

    こちらにも御神水が湧いている場所がありました。

  • 庭園の見学を終えて帝釈天を後にします。またゆっくり時間をかけて回ってみたいなと思いました。

    庭園の見学を終えて帝釈天を後にします。またゆっくり時間をかけて回ってみたいなと思いました。

    題経寺(柴又帝釈天) 寺・神社・教会

  • 柴又に来たからにはやはり草だんごも外せません。寅さんの撮影中に渥美清が休憩していたという高木屋で草だんごのおやつをいただきました。店の中は映画撮影の時の写真や色紙などが飾られておりました。

    柴又に来たからにはやはり草だんごも外せません。寅さんの撮影中に渥美清が休憩していたという高木屋で草だんごのおやつをいただきました。店の中は映画撮影の時の写真や色紙などが飾られておりました。

    高木屋老舗 グルメ・レストラン

  • 高木屋を後にして再び参道を柴又駅に向かってそぞろ歩きします。大勢のお客さんで賑わっておりますが、浅草よりは歩き易い感じです。

    高木屋を後にして再び参道を柴又駅に向かってそぞろ歩きします。大勢のお客さんで賑わっておりますが、浅草よりは歩き易い感じです。

    柴又神明会 市場・商店街

  • ハイカラ横丁。駄菓子屋さんですね。駄菓子というのは柴又にはぴったりのの雰囲気で見ているだけで楽しい気分になります。お店の中はお客さんで大賑わいでした。

    ハイカラ横丁。駄菓子屋さんですね。駄菓子というのは柴又にはぴったりのの雰囲気で見ているだけで楽しい気分になります。お店の中はお客さんで大賑わいでした。

    柴又ハイカラ横丁 市場・商店街

  • かなん亭。おでん、焼き鳥や、かき氷、お酒もいただけるという、ふらっと入りやすいお店です。「東京で2番目においしいもつ煮込み」という看板もあり気になりましたが、結局、シロップかけ放題300円というかき氷をいただきました。

    かなん亭。おでん、焼き鳥や、かき氷、お酒もいただけるという、ふらっと入りやすいお店です。「東京で2番目においしいもつ煮込み」という看板もあり気になりましたが、結局、シロップかけ放題300円というかき氷をいただきました。

    柴又 かなん亭 グルメ・レストラン

  • 柴又駅に到着しました。駅前には有名な寅さんの銅像があります。この像は、第40作「寅次郎サラダ記念日」の中で、旅に出る寅さんがさくらの方を振り返ったシーンをモチーフとしたものだそうです。1999年に地元商店会と観光客の募金によって建てられたのだとか。

    柴又駅に到着しました。駅前には有名な寅さんの銅像があります。この像は、第40作「寅次郎サラダ記念日」の中で、旅に出る寅さんがさくらの方を振り返ったシーンをモチーフとしたものだそうです。1999年に地元商店会と観光客の募金によって建てられたのだとか。

  • 寅さんの像の近く、寅さんの振り返った視線の先に、寅さんを見送るさくらの銅像がありました。今年の3月に除幕式があったばかりの新しい像です。大きなかばんを手に放浪の旅に出る兄を、心配そうに見送る姿を表現しているそうです。“孤独”だった寅さん像を思い、2015年に地元の観光協会が葛飾区に製作を依頼。新たな像のため、山田監督が短いシナリオを書き下ろし、寅さん像と同じ彫刻家の吉田穂積氏に依頼して約1600万円をかけて制作したそうです。

    寅さんの像の近く、寅さんの振り返った視線の先に、寅さんを見送るさくらの銅像がありました。今年の3月に除幕式があったばかりの新しい像です。大きなかばんを手に放浪の旅に出る兄を、心配そうに見送る姿を表現しているそうです。“孤独”だった寅さん像を思い、2015年に地元の観光協会が葛飾区に製作を依頼。新たな像のため、山田監督が短いシナリオを書き下ろし、寅さん像と同じ彫刻家の吉田穂積氏に依頼して約1600万円をかけて制作したそうです。

  • 最後に寅さん像と柴又駅舎を写真におさめます。今度映画をレンタルで借りてみてみようかなと思いました。

    最後に寅さん像と柴又駅舎を写真におさめます。今度映画をレンタルで借りてみてみようかなと思いました。

    柴又駅

  • 柴又駅に入りました。高砂駅経由で帰宅の途につきます。今回も充実したウォーキングの1日が終了しました。

    柴又駅に入りました。高砂駅経由で帰宅の途につきます。今回も充実したウォーキングの1日が終了しました。

    柴又駅

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