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今回は、池上本門寺を中心とする大田区エリアを蒲田駅から洗足池駅にかけて歩きました。<br /><br />起点駅・集合時間:東京都JR京浜東北線蒲田駅 10時<br />歩行距離・所要時間: 約12.0km 約4時間 <br /><br />今回のコース:<br />蒲田駅→蒲田東口商店街→稗田神社→聖蹟蒲田梅屋敷公園→ぷらもーる梅屋敷商店街→池上本門寺通り商店会・表和会→長栄山池上本門寺・本門寺公園→馬込文士村商店会→郷土博物館→馬込八幡神社→上池上商店街→洗足流れ→東急洗足池駅<br /><br />歩行後のごはんとお酒<br />酔香園 蒲田店<br />蒲田バル横丁<br />

「まいせんを知る ー歴史上の偉人が大田区に残した足跡をたどるー」

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2017/10/09 - 2017/10/09

171位(同エリア93件中)

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42

t.oさん

今回は、池上本門寺を中心とする大田区エリアを蒲田駅から洗足池駅にかけて歩きました。

起点駅・集合時間:東京都JR京浜東北線蒲田駅 10時
歩行距離・所要時間: 約12.0km 約4時間 

今回のコース:
蒲田駅→蒲田東口商店街→稗田神社→聖蹟蒲田梅屋敷公園→ぷらもーる梅屋敷商店街→池上本門寺通り商店会・表和会→長栄山池上本門寺・本門寺公園→馬込文士村商店会→郷土博物館→馬込八幡神社→上池上商店街→洗足流れ→東急洗足池駅

歩行後のごはんとお酒
酔香園 蒲田店
蒲田バル横丁

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 今日は連休の最終日。生憎の雨で当初の予定日より2日繰延てべのウォーキングです。先ずは蒲田駅からのスタート。去年の今頃も蒲田スタートで羽田方面を歩きましたが、今回は内陸の池上本門寺方面を歩きます。<br />

    今日は連休の最終日。生憎の雨で当初の予定日より2日繰延てべのウォーキングです。先ずは蒲田駅からのスタート。去年の今頃も蒲田スタートで羽田方面を歩きましたが、今回は内陸の池上本門寺方面を歩きます。

    蒲田駅

  • 本日は東急のキャンペーンで池上線の1日フリー切符が無料で配布されるとの情報をたまたま入手した我々はすかさず東急蒲田駅にてこのチケットをゲット。ゴールの洗足池駅からの足を無料で確保です。

    本日は東急のキャンペーンで池上線の1日フリー切符が無料で配布されるとの情報をたまたま入手した我々はすかさず東急蒲田駅にてこのチケットをゲット。ゴールの洗足池駅からの足を無料で確保です。

    蒲田駅

  • 先ずは蒲田駅東口商店街を抜けて稗田神社に向かいました。<br />蒲田は町工場のイメージが先行し勝ちですが、実はこのエリアは古い歴史があるそうで、ここもその史跡となっております。

    先ずは蒲田駅東口商店街を抜けて稗田神社に向かいました。
    蒲田は町工場のイメージが先行し勝ちですが、実はこのエリアは古い歴史があるそうで、ここもその史跡となっております。

  • 稗田神社を後にし、次のスポット、聖蹟梅屋敷公園に向かって住宅街の中を歩いていきます。

    稗田神社を後にし、次のスポット、聖蹟梅屋敷公園に向かって住宅街の中を歩いていきます。

  • 梅屋敷公園に到着しました。京急線梅屋敷駅近くの国道1号線沿いにある小さな公園です。ひっそりとした公園で、何も知らなければ通りすぎてしまいそうな感じですが、実はここにはかつては広大な梅園あったという、なかなかの史跡だそうです。。

    梅屋敷公園に到着しました。京急線梅屋敷駅近くの国道1号線沿いにある小さな公園です。ひっそりとした公園で、何も知らなければ通りすぎてしまいそうな感じですが、実はここにはかつては広大な梅園あったという、なかなかの史跡だそうです。。

    聖蹟蒲田梅屋敷公園 公園・植物園

  • 入口には明治天皇訪問の碑も建っておりますね。かつて江戸時代、和散中という薬屋が作った梅園が梅屋敷と言われて人気を博し、将軍や後の天皇も訪れる名所となったそうです。江戸時文化文政ごろには、亀戸の臥龍梅と人気を二分していたのが知られており、広重「名所江戸百景」シリーズの中で「蒲田の梅園」として浮世絵に描かれるくらい有名な場所だったそうです。

    入口には明治天皇訪問の碑も建っておりますね。かつて江戸時代、和散中という薬屋が作った梅園が梅屋敷と言われて人気を博し、将軍や後の天皇も訪れる名所となったそうです。江戸時文化文政ごろには、亀戸の臥龍梅と人気を二分していたのが知られており、広重「名所江戸百景」シリーズの中で「蒲田の梅園」として浮世絵に描かれるくらい有名な場所だったそうです。

    聖蹟蒲田梅屋敷公園 公園・植物園

  • その名所も都市化の波の中で敷地を削られ、いまや大都会の中にひっそりとした公園として残されている感じですね。

    その名所も都市化の波の中で敷地を削られ、いまや大都会の中にひっそりとした公園として残されている感じですね。

    聖蹟蒲田梅屋敷公園 公園・植物園

  • 公園の中に、明治天皇行幸の説明板がありました。梅屋敷の花は明治天皇も愛でられ、1868年から1897年にかけて9回もここを訪問されたそうです。1873年3月6日の観梅の際、小梅一株を自らお手植えになりこの梅は「仙粧梅」と称されたとか。

    公園の中に、明治天皇行幸の説明板がありました。梅屋敷の花は明治天皇も愛でられ、1868年から1897年にかけて9回もここを訪問されたそうです。1873年3月6日の観梅の際、小梅一株を自らお手植えになりこの梅は「仙粧梅」と称されたとか。

    聖蹟蒲田梅屋敷公園 公園・植物園

  • 梅屋敷公園を後にして次のスポット、梅屋敷商店街プラモールを目指して国道一号線沿い歩いていきます。この国道はかつて江戸時代は旧東海道。この近辺には、先ほどの梅園以外にも梅林が広がっていたそうです。なぜ梅林が蒲田にできたかというと、もともとは年貢のしめつけに苦しんでいた農家が副業で梅干を生産したのがその始まりだったとか。蒲田の土質が梅に合っていたようで、梅の木が多く植ばいされ、そのうち川崎大師・江の島へ行く江戸の人たちが、その花を愛でるようになり、薬屋が茶屋と梅園を作ってますます有名になったということだそうですね。

    梅屋敷公園を後にして次のスポット、梅屋敷商店街プラモールを目指して国道一号線沿い歩いていきます。この国道はかつて江戸時代は旧東海道。この近辺には、先ほどの梅園以外にも梅林が広がっていたそうです。なぜ梅林が蒲田にできたかというと、もともとは年貢のしめつけに苦しんでいた農家が副業で梅干を生産したのがその始まりだったとか。蒲田の土質が梅に合っていたようで、梅の木が多く植ばいされ、そのうち川崎大師・江の島へ行く江戸の人たちが、その花を愛でるようになり、薬屋が茶屋と梅園を作ってますます有名になったということだそうですね。

  • 梅屋敷商店街プラモールの中を歩いていきます。<br />江戸時代、茶屋や梅干・海苔の名産品を売る店が軒を連ねていたのが、明治時代に梅屋敷駅が開業するとさらに多くの店舗が並ぶようになり、この商店街の起源になったのだとか。戦中空襲で焼けるも見事に復興し、大田区内で随一の規模と集客数を誇る商店街に発展したそうです。<br />この日も結構な賑わいで、我々一行は駅ハイと提携しているおにぎりやさんで、歩行中の食料用にサービス価格となっているおにぎりやお団子を購入します。

    梅屋敷商店街プラモールの中を歩いていきます。
    江戸時代、茶屋や梅干・海苔の名産品を売る店が軒を連ねていたのが、明治時代に梅屋敷駅が開業するとさらに多くの店舗が並ぶようになり、この商店街の起源になったのだとか。戦中空襲で焼けるも見事に復興し、大田区内で随一の規模と集客数を誇る商店街に発展したそうです。
    この日も結構な賑わいで、我々一行は駅ハイと提携しているおにぎりやさんで、歩行中の食料用にサービス価格となっているおにぎりやお団子を購入します。

  • JRの踏切に到達しました商店街を抜けて次のエリアに入っていきます。

    JRの踏切に到達しました商店街を抜けて次のエリアに入っていきます。

  • 呑川沿の道を歩いていきます。両側には町工場とおぼしき建物がひろがっており大田区らしい景観の中を歩いていきます。

    呑川沿の道を歩いていきます。両側には町工場とおぼしき建物がひろがっており大田区らしい景観の中を歩いていきます。

  • 呑川と池上通りが交わったところで左折し、通り沿いを池上駅方面に歩いて行きます。池上本門寺エリアに入ってきましたね。

    呑川と池上通りが交わったところで左折し、通り沿いを池上駅方面に歩いて行きます。池上本門寺エリアに入ってきましたね。

  • 池上本門寺通り商店会の入口に到達しました。池上本門寺の参道に位置する商店街ですね。立派なアーチですね。

    池上本門寺通り商店会の入口に到達しました。池上本門寺の参道に位置する商店街ですね。立派なアーチですね。

  • 商店街の中を本門寺方面に向かいます。門前町に相応しい雰囲気のある街並みですね。商店街の歴史自体は50年ほどとか。<br />

    商店街の中を本門寺方面に向かいます。門前町に相応しい雰囲気のある街並みですね。商店街の歴史自体は50年ほどとか。

  • 商店街の歩いていくと、久寿餅の老舗、池田屋に到着しました。ここ池上には江戸時代創業の久寿餅屋さんが3店あるそうで、ここはその一つだそうです。実は、後で知ったのですが、久寿餅とは、葛粉で作られる葛餅とは全く別物の、小麦粉のでんぷんを発酵して作られるもので、出来上がるまでに2年近くかかるそうです。久寿餅はここ池上が発祥の地だとか。

    商店街の歩いていくと、久寿餅の老舗、池田屋に到着しました。ここ池上には江戸時代創業の久寿餅屋さんが3店あるそうで、ここはその一つだそうです。実は、後で知ったのですが、久寿餅とは、葛粉で作られる葛餅とは全く別物の、小麦粉のでんぷんを発酵して作られるもので、出来上がるまでに2年近くかかるそうです。久寿餅はここ池上が発祥の地だとか。

    元祖久寿餅 池上池田屋 グルメ・レストラン

  • 早速お店に入って久寿餅をいただきます。見た目はんぺんのように白っぽく、ここにたっぷりのきな粉がかかっています。口の中に運ぶと、もちもちした質感が楽しめました。久寿餅そのものにそれほど味はついていないのですが、たっぷりとかかったきな粉は、ほのかな甘さがあり、上品な甘さの黒蜜と合わさって、きな粉がより「久寿餅」と絡み、絶妙な味わいになって美味しかったです。

    早速お店に入って久寿餅をいただきます。見た目はんぺんのように白っぽく、ここにたっぷりのきな粉がかかっています。口の中に運ぶと、もちもちした質感が楽しめました。久寿餅そのものにそれほど味はついていないのですが、たっぷりとかかったきな粉は、ほのかな甘さがあり、上品な甘さの黒蜜と合わさって、きな粉がより「久寿餅」と絡み、絶妙な味わいになって美味しかったです。

    元祖久寿餅 池上池田屋 グルメ・レストラン

  • 久寿餅を満喫した後、池田屋を後にしいよいよ本門寺に向かいます。境内に向かう石段が見えてきました。

    久寿餅を満喫した後、池田屋を後にしいよいよ本門寺に向かいます。境内に向かう石段が見えてきました。

  • この石段は此経難持坂(しきょうなんじざか)と呼ばれ、加納清正が寄進したものだそうです。大田区文化財。

    この石段は此経難持坂(しきょうなんじざか)と呼ばれ、加納清正が寄進したものだそうです。大田区文化財。

  • この石段は96段あるそうですが、なかなかの勾配で、息を切らしながら登っていきます。

    この石段は96段あるそうですが、なかなかの勾配で、息を切らしながら登っていきます。

  • 石段を登り切り、境内に入ってきました。ちょうどお会式(日蓮聖人がお亡くなりになられた日(ご入滅の忌日)に営む法要)の時期に当たり、この期間中ならではの大きな木柱が立派に建っておりました。

    石段を登り切り、境内に入ってきました。ちょうどお会式(日蓮聖人がお亡くなりになられた日(ご入滅の忌日)に営む法要)の時期に当たり、この期間中ならではの大きな木柱が立派に建っておりました。

    池上本門寺 本殿 寺・神社・教会

  • 大堂にお参りします。日蓮上人が入滅された地のお寺とあって、池上本門寺のお会式は特に盛大で、逮夜にあたる12日の夜には数十本の万灯行列と共に、数十万人の参詣の列で街中が埋め尽くされるそうです。

    大堂にお参りします。日蓮上人が入滅された地のお寺とあって、池上本門寺のお会式は特に盛大で、逮夜にあたる12日の夜には数十本の万灯行列と共に、数十万人の参詣の列で街中が埋め尽くされるそうです。

    池上本門寺 本殿 寺・神社・教会

  • 大堂から眺めた経蔵です。大田区文化財。 江戸時代・天明4年(1784)建立 で方三間宝形造、外見は方五間二重屋根となっています。五重塔とともに戦災を免れた貴重な建物です。

    大堂から眺めた経蔵です。大田区文化財。 江戸時代・天明4年(1784)建立 で方三間宝形造、外見は方五間二重屋根となっています。五重塔とともに戦災を免れた貴重な建物です。

    経蔵 (池上本門寺) 寺・神社・教会

  • 五重塔ですね。国の重要文化財で慶長13年(1608)建立。和様と唐様の折衷の貴重な桃山時代の様式で総高約31メートルだそうです。 関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔とのこと。建立経緯は徳川秀忠の疱瘡治癒のお祈りを秀忠の乳母が本門寺にしたところ無事成就したのでこの塔が寄進されたとのことだそうです。

    五重塔ですね。国の重要文化財で慶長13年(1608)建立。和様と唐様の折衷の貴重な桃山時代の様式で総高約31メートルだそうです。 関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔とのこと。建立経緯は徳川秀忠の疱瘡治癒のお祈りを秀忠の乳母が本門寺にしたところ無事成就したのでこの塔が寄進されたとのことだそうです。

    五重塔 (池上本門寺) 寺・神社・教会

  • 五重塔の先には、日本プロレス界の父と呼ばれた、プロレスラー力道山のお墓がありました。その他、加藤清正の供養塔をはじめ、紀州徳川家に所縁ある面々や絵師、狩野探幽、文学では幸田露伴、俳優・歌舞伎界では、市川雷蔵や7代目松本幸四郎などのお墓があるそうです。さすが由緒ある池上本門寺ですね。

    五重塔の先には、日本プロレス界の父と呼ばれた、プロレスラー力道山のお墓がありました。その他、加藤清正の供養塔をはじめ、紀州徳川家に所縁ある面々や絵師、狩野探幽、文学では幸田露伴、俳優・歌舞伎界では、市川雷蔵や7代目松本幸四郎などのお墓があるそうです。さすが由緒ある池上本門寺ですね。

  • 本門寺境内を抜けて、今度は馬込を目指します。境内裏手に出て貴船坂上の交差点を通ります。

    本門寺境内を抜けて、今度は馬込を目指します。境内裏手に出て貴船坂上の交差点を通ります。

  • 馬込文士村商店会に着きました。大正時代末期から昭和にかけて、多くの文士や芸術家たちが住んでいた「馬込文士村」にちなんで命名された商店街だそうです。

    馬込文士村商店会に着きました。大正時代末期から昭和にかけて、多くの文士や芸術家たちが住んでいた「馬込文士村」にちなんで命名された商店街だそうです。

  • 大田区郷土博物館に到着しました。ここで小休止します。ここは大田区の風土・歴史が紹介されている資料館です。

    大田区郷土博物館に到着しました。ここで小休止します。ここは大田区の風土・歴史が紹介されている資料館です。

  • 先ほどの馬込文士村のことが紹介されている地図がありました。かつて、この近辺には、尾崎士郎をはじめ、山本有三、川端康成、宇野千代、萩原朔太郎、室生犀星、三好達治、石坂洋次郎、三島由紀夫など名だたる文士が住んでいたそうです。

    先ほどの馬込文士村のことが紹介されている地図がありました。かつて、この近辺には、尾崎士郎をはじめ、山本有三、川端康成、宇野千代、萩原朔太郎、室生犀星、三好達治、石坂洋次郎、三島由紀夫など名だたる文士が住んでいたそうです。

  • 博物館を後にしてさらに洗足池に向かって進みます。途中馬込八幡神社に寄ります。ここは旧馬込村の総鎮守で、建久4年(1193)に、馬込の松原(北馬込2丁目付近)にいた、源頼朝の家臣の渡辺対馬守正久が、京都岩清水八幡宮の分霊を勧請し、この地に翌年建立したそうです。

    博物館を後にしてさらに洗足池に向かって進みます。途中馬込八幡神社に寄ります。ここは旧馬込村の総鎮守で、建久4年(1193)に、馬込の松原(北馬込2丁目付近)にいた、源頼朝の家臣の渡辺対馬守正久が、京都岩清水八幡宮の分霊を勧請し、この地に翌年建立したそうです。

    馬込八幡神社 寺・神社・教会

  • 神社を後にし、猿坂を下っていきます。この坂を通る道は、洗足池から池上本門寺前、猿坂を通って台地に上り、馬込の夫婦坂を経て池上本門寺、荏原町に達する古道だそうで、昔は周辺は森林が続き、猿が多く生息していたともいわれ、坂名はそれにちなむものと思われているそうです。

    神社を後にし、猿坂を下っていきます。この坂を通る道は、洗足池から池上本門寺前、猿坂を通って台地に上り、馬込の夫婦坂を経て池上本門寺、荏原町に達する古道だそうで、昔は周辺は森林が続き、猿が多く生息していたともいわれ、坂名はそれにちなむものと思われているそうです。

  • 猿坂を降りると洗足流れに沿って洗足池方面に歩いていきます。洗足流れ(千束流れ)は,全長1.5km程の水路で,洗足池を始点として東雪谷と上池台の境界に沿って流れ,仲池上で呑川と合流するそうです。かつては洗足用水,池上用水とも呼ばれ,池上村を中心に農業用水として利用されていたそうです。

    猿坂を降りると洗足流れに沿って洗足池方面に歩いていきます。洗足流れ(千束流れ)は,全長1.5km程の水路で,洗足池を始点として東雪谷と上池台の境界に沿って流れ,仲池上で呑川と合流するそうです。かつては洗足用水,池上用水とも呼ばれ,池上村を中心に農業用水として利用されていたそうです。

  • 用水路には、近隣の住民が世話していると思われる錦鯉が泳いでおりますね。昭和に宅地化が進むにつれ水質が悪化し一時はドブ川と化したそうですが,地元住民の要望や尽力で自然に近いせせらぎがよみがえり,鯉や小魚,カワニナやホタルなどが生息,カルガモやカワセミなどの姿も見られるようになったそうです。

    用水路には、近隣の住民が世話していると思われる錦鯉が泳いでおりますね。昭和に宅地化が進むにつれ水質が悪化し一時はドブ川と化したそうですが,地元住民の要望や尽力で自然に近いせせらぎがよみがえり,鯉や小魚,カワニナやホタルなどが生息,カルガモやカワセミなどの姿も見られるようになったそうです。

  • だんだん洗足池が近づいてきました。さらに用水路に沿って進みます。

    だんだん洗足池が近づいてきました。さらに用水路に沿って進みます。

  • 東急池上線の高架をくぐります。ここは東京で一番桁高が低いガード下とか。

    東急池上線の高架をくぐります。ここは東京で一番桁高が低いガード下とか。

  • 高さは1.5mくらいだそうです。くぐるときはこんな感じに。

    高さは1.5mくらいだそうです。くぐるときはこんな感じに。

  • 高架をくぐり、洗足池に到着しましたが、この日はたまたま東急池上線が乗り放題の日となっており、洗足池は行楽客で大混雑となっており、池の方には近づけず、残念ながら池周辺の散策は諦めます(写真は別の機会の時に撮った写真です)。因みに、この池の名前は、日蓮上人が旅の途中、この池で足を洗ったとういうのが由来だそうです。

    高架をくぐり、洗足池に到着しましたが、この日はたまたま東急池上線が乗り放題の日となっており、洗足池は行楽客で大混雑となっており、池の方には近づけず、残念ながら池周辺の散策は諦めます(写真は別の機会の時に撮った写真です)。因みに、この池の名前は、日蓮上人が旅の途中、この池で足を洗ったとういうのが由来だそうです。

  • 洗足池駅に到着しました。大勢の乗客でごった返しております。

    洗足池駅に到着しました。大勢の乗客でごった返しております。

    洗足池駅

  • ぎゅうぎゅうの電車で蒲田に戻ってきました。休日の午後ですが。平日の朝の通勤ラッシュのようです。

    ぎゅうぎゅうの電車で蒲田に戻ってきました。休日の午後ですが。平日の朝の通勤ラッシュのようです。

    蒲田駅

  • さて、昼ごはんです。今回は蒲田。東急ガード下近辺を歩きます。昼飲みできそうなお店が色々ありそうでどこに入るか迷います。

    さて、昼ごはんです。今回は蒲田。東急ガード下近辺を歩きます。昼飲みできそうなお店が色々ありそうでどこに入るか迷います。

  • 時間は2時過ぎで、この時間に食事とお酒を楽しめる「広東風小皿料理 酔香園 蒲田店」に入りました。特徴は小皿料理が「すべて300円」とお手軽にいただけること。生ビールで疲れを癒し、安くて美味い料理を満喫しました。

    時間は2時過ぎで、この時間に食事とお酒を楽しめる「広東風小皿料理 酔香園 蒲田店」に入りました。特徴は小皿料理が「すべて300円」とお手軽にいただけること。生ビールで疲れを癒し、安くて美味い料理を満喫しました。

    広東風小皿料理 酔香園 蒲田店 グルメ・レストラン

  • せっかく蒲田まできましたので、もう一杯飲んで帰ることにします。訪れたお店は「蒲田バル横丁」という最近オープンしたと思われる色々な大衆居酒屋が集合したフードコートのような場所です。ここで、日本酒を一杯飲んで今日の充実したウォーキングをしめくくりました。

    せっかく蒲田まできましたので、もう一杯飲んで帰ることにします。訪れたお店は「蒲田バル横丁」という最近オープンしたと思われる色々な大衆居酒屋が集合したフードコートのような場所です。ここで、日本酒を一杯飲んで今日の充実したウォーキングをしめくくりました。

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