2023/01/25 - 2023/01/25
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ペコちゃんさん
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某旅行社のツアーをチェックしていたら、「柴又七福神めぐり」が目に留まり、仲間4人で久し振りの柴又に出かけました。
お寺と神社からなる七福神めぐりが多いのですが、柴又七福神は全てがお寺・・・御神体の開帳期間は1月1日~7日ですが、ご朱印の受付期間は1月末まで・・・ということで、このツアーがある訳です。
柴又にある6箇所の寺院は3分~10分歩くと次の寺院に行くことができますが、寿老人の観蔵寺だけは高砂にあるので、北総線の新柴又駅から京成高砂駅まで電車で移動する、高齢者に優しいツアーでした。
写真は、寅さんの映画でお馴染みの柴又帝釈天。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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電車を乗り継ぎ、日暮里から京成線へ・・・スカイツリーがよく見えます。
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京成高砂駅で金町線に乗り換え・・・金町線は柴又帝釈天の参詣客を輸送するため、京成電鉄によって明治の終わり頃に開通した路線です。
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柴又駅のホームには、フラリと帰ってきた寅さんが・・・
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寅さんでなくても懐かしさを感じる柴又駅。
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駅前の案内板・・・中央に柴又帝釈天、東に江戸川と矢切の渡し、北に金町浄水場。
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1969年に第1作が公開された映画『男はつらいよ』(主演:渥美清、原作・監督:山田洋次)・・・1995年まで全48作が制作され、葛飾柴又は全国区の観光スポットに。
渥美清は1996年に亡くなりましたが、映画シリーズのヒットを受けて、1999年に「フーテンの寅像」が建立され、2017年には「見送るさくら像」も・・・「振り返る寅さんの視線の先に見送るさくらさんがいてほしい」という多くのファンの声に応えたもので、木枯らしが吹く中、失恋したフーテンの寅が柴又駅から旅立つ際に、さくらが見送る映画のワンシーンを思い出します。 -
10時に全員(15名)が揃ったので、七福神めぐりのスタート。
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観光案内所には、可愛い寅さん人形が。
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今回のコースは、《 良観寺 ⇒ 真勝院 ⇒ 題経寺(帝釈天) ⇒ 万福寺 ⇒ 宝生院 ⇒ 医王寺 ⇒ 新柴又駅 ⇒ 京成高砂駅 ⇒ 観蔵寺 》・・・昼食時間を含め、約4時間のツアーです。
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帝釈天参道入り口を左に曲がり、線路沿いを進むと良観寺の看板・・・その先の踏切を渡って行きます。
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【1】宝袋尊 良観寺(りょうかんじ)
良観寺の創建年代は不詳ですが、室町時代末期~江戸時代初期の頃、念仏堂として建立されたと言われる真言宗豊山派の寺院。 -
本堂は昭和12年に戦災で焼失し、その後、再建されました。
ほてい様は一般的には「布袋尊」と書きますが、良寛寺は「宝袋尊」。
これは江戸の初期、都からの帰りに山中で道に迷い、大木の洞(うろ)の中で一夜を過ごした商人がその奥にあった布袋尊像を家に持ち帰ってお祀りしたところ、大いに商売繁盛し、このご利益を多くの人の役に立てたいと発願し、宝袋尊として奉納したと言われます。 -
本堂の左側には大きな布袋さんの石像が!・・・この石像のお腹に両手を当てて、三度時計回りに撫でながら願を掛けると叶うそうです。
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本堂の右側には、水子供養のお地蔵さまがビッシリ!
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【2】弁財天 真勝院(しんしょういん)
806年に創建された真言宗豊山派の寺院で、葛飾区最古のお寺。 -
鐘楼。
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参道に祀られた「五知如来石像」は1660年に奉納されたもの。
五智如来とは、密教で「5つの智慧を五体の如来に当てはめたもの」で、右から阿閦(あしゅく)如来・宝生(ほうしょう)如来・大日如来・阿弥陀如来・不空成就(ふくうじょうじゅ)如来」の順に並んでいます。 -
1972年に建てられた本堂。
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本堂に祀られた弁財天。
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手入れが行き届いた境内。
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【3】毘沙門天 題経寺(だいきょうじ):柴又帝釈天
1629に創建された日蓮宗の寺院で、正式名は経栄山題経寺・・・境内中央の帝釈堂には、日蓮上人自らが刻んだと伝えられる帝釈天の板本尊が祀られていることから、柴又帝釈天の名で親しまれています。 -
二天門と鐘楼が見えてきました。
帝釈天は鬼子母神・弁財天・吉祥天・大黒天などと共に天界に住む仏教の守護神・・・江戸中期に天明の大飢饉(1782~1788)が起こり、当時の住職が板本尊を背負って江戸や下総の人々の救援活動を行なったことから、病難や火難の守護神として庶民の間で信仰されるようになり、帝釈天信仰が広まりました。 -
境内入口に聳え立つ「二天門」・・・日光東照宮の陽明門を模したと言われ、1896年に建てられました。
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入口の左右には、四天王のうちの増長天と広目天の二天が安置されており、門の名はこれに由来しています。
平安時代の作と言われる二天像は、二天門の建立時に大阪府堺市の妙国寺から寄贈されました。 -
彫刻の寺と言われる柴又帝釈天・・・二天門の周りにも見事な木彫りが施されています。
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帝釈天の使いと言われる猿の姿も彫られています。
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扉には龍虎の彫刻。
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1955年に完成した総欅造りの「大鐘楼」・・・高さ約15m、梵鐘は雅楽黄鐘調の響きで「昭和の銘鐘」と言われ、6時・12時・18時と一日3回響き渡ります。
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鐘楼には、四手先の豪壮な桝組と彫刻が4面に施されています。、
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帝釈堂の前に広がる「瑞龍の松」・・・長く伸びた枝は頭を空に向け、尾を西に伸ばして天に昇る「龍」のようです。
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大鐘楼の右側に祀られた「浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)」・・・この世の中を浄化し、人々の身についた穢れや罪を洗い清めてくれる菩薩様です。
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映画では寅さんが産湯として使った設定の「御神水」・・・よく見ると背後には双頭の白蛇様が沢山祀られています。
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ニ天門の正面には総欅造りの「帝釈堂」・・・1915年完成の内殿と1929年完成の拝殿から成っており、内殿には板本尊である「帝釈天」が安置されており、左右に持国天と多聞天(毘沙門天)を従えています。
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拝殿の正面に飾られた扁額には「喜見城」(喜びが現れる城)・・・その周囲には見事な彫刻が。
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内殿の外側にある十枚の胴羽目彫刻は、法華経の説話をモチーフにした素晴らしい芸術品で、大正末期から昭和9年にかけて東京在住の10人の名人彫刻師が一面づつ制作したもの。
1枚のサイズは、縦1.27m、横2.27m、厚さは20cmもあり、現在は有料の「彫刻ギャラリー」として見学出来ます。 -
「三車火宅の図」・・・三車とは羊・鹿・牛が引く三種の車の事で、火宅とは燃える家の事。
遊びに夢中の3人の子供は火事に気付かず家から出ようとしないため、父親は三車に子供達を乗せて外へ導き出し、更に父親は大きな白い牛が引く牛車に子供達を乗せて、難を逃れさせました・・・火宅は三界の苦が満ちた現世、三車は声聞・縁覚・菩薩の三乗、牛車は法華経の一乗の教えを例えています。 -
「慈雨等潤の図」・・・仏の慈悲深い教えは地上を潤す慈雨と同じで、雷神と風神が現れて雨を降らし、緑が溢れ花が咲き誇る地上の楽園に天女達も舞い降りてきました。
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「法師修行の図」・・・インドの法師は森や洞窟で修行しますが、虎や狼の危険性があり、心寂しく厳しい修行・・・修行者を励ますために、仏様や像に乗った菩薩様が出現している様子を見事に表現しています。
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「多宝塔出現の図」・・・釈迦と聴衆の前に多宝塔が大地より湧出して人々を褒めたたえ、歓喜に震える人々は一心に塔を礼拝し、顔には法悦の微笑みが浮かんでいます。
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「龍女成佛の図」・・・龍王の娘で智恵に優れ弁舌爽やかな8歳の娘は、多くの教えを理解し不動の境地に達したので、波の上の龍女が宝珠を仏に捧げる図により、法華経では女性が成仏できることを説示しています。
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「病即消滅の図」・・・法華経は全世界の人々の病の良薬で、病にかかった人が法華経を聞く幸運に恵まれたら、たちどころに病は治り、不老不死の境地が得られることを表しています。
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「常不軽菩薩受難の図」「法華経功徳の図」・・・常不軽菩薩は「常に人を軽蔑しない」という修行をしていましたが、却って迫害を受けました。(図の左側)
右側には、寒さに火を得たように、渡りに舟を得たように、など法華経功徳の場面が表現されています。 -
「法師守護の図」・・・修行する法師のことを天人や阿修羅が協力して守護する様子が描かれ、欅に細部まで彫り込まれた彫刻はとても美しく、巨大な松の木が印象的に表現されています。
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帝釈堂の右に建つ「祖師堂(本堂)」・・・こちらが日蓮宗寺院としての本来の本堂です。
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「釈迦堂(開山堂)」・・・江戸時代末期に建立された帝釈天最古の建造物で、白鳳期の釈迦如来立像を安置しています。
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彫刻の寺と言われる帝釈天ですが、こんな所にも西洋の宮殿の噴水のような凝った水盤が・・・参道にあった川魚店の奉納でしょうか、「魚がし」と書かれています。
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1967年に建てられた「福聚殿」・・・御守やおみくじの授与所です。
何度来ても、素晴らしい柴又帝釈天でした。 -
創業250年になる川魚料理の老舗「川千家」で昼食・・・帝釈天の参道から入れますが、我々団体客は真勝院の向かいにある入口から入ります。
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安永年間(1772~1781)創業の川千家・・・柴又へ参拝に来る客をもてなすために、江戸川でとれた鰻・鯉などを振る舞うために出来た店の一つで、現在の当主は10代目。
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川千家は寅さんの映画にもよく登場しますが、高松宮殿下・市川猿之助など多くの著名人も訪れた、柴又を代表する川魚料理屋です。
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ロビーから臨む庭園。
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1階の食事処からは庭園を見ながら食事できます。
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私達は2階の広間で、きも吸付きの「うな重」(竹・4,500円)・・・皮はしっとりで柔らかく、パリッとした食感・・・甘さを抑えたタレで、鰻そのものの味が楽しめて大満足!
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食事の後、午後のスタートまで時間があるので、帝釈天通りの散策へ。
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柴又駅から帝釈天までの250mには、飲食店・お土産店・仏具店など、40以上の様々なお店が軒を連ねています。
帝釈天・二天門の近くにあるのは「そ乃田民芸店」・・・だるま・寅さんグッズ・まねき猫などがズラリ。 -
草だんごの「とらや」でコーヒータイム・・・1887年に創業した老舗の団子屋です。
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因みに「とらや」は、映画『男はつらいよ』の第1~4作まで「寅さんの実家」として撮影に使われた店・・・寅さんファンには、たまらない店です!
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老朽化のため1989年に現在の建物に建て替えられましたが、撮影に使用した2階の寅さんの部屋へと続く階段は残されています。
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店内に飾られた映画のポスターを見ると、メロディーと共にセリフが浮かんできます。
“ 私 生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天で産湯を使い 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します ” -
草だんごとコーヒーのセットを注文・・・北海道産の小豆を使った餡は少し控えめな甘さで、よもぎの香りがふんわり香るだんごは適度にこしがあり、餡と絶妙にマッチして、とても美味しい。
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お寺に続く参道商店街なので、仏具屋などもあります。
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画『男はつらいよ』シリーズで、帝釈天の寺男として、源公・源ちゃんの愛称で脇役を務めた佐藤蛾次郎さんも昨年亡くなりました。
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【4】福禄寿 万福寺
万福寺は、この地から人骨数体が発掘されたため、地元の人々の要望により昭和3年に創建された曹洞宗の寺院です。 -
1988年に完成した山門。
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三界萬霊塔。
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十三重石塔。
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1981年に建てられた本堂。
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本堂に祀られた福禄寿。
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本堂の階段の下には般若心経のマニ車(摩尼車)・・・これを回すと、お経を唱えたのと同じ功徳があるとか。
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宝生院に向かう途中の公園には、早くも梅が。
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【5】大黒天 宝生院(ほうじょういん)
1624年に常陸国・大聖寺の末寺として京橋に創建された真言宗智山派の寺院で、関東大震災後の1927年に当地へ移転しました。
広い境内ですが山門はなく、門柱に七福神の看板がくくりつけられています。 -
江戸時代には将軍家も信仰した寺で、本堂の向拝幕や屋根には葵の御紋があります。
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本堂の奥に祀られた、米俵に乗っている大黒神・・・昭和初期には「戦勝柴又大黒天」と称されていたそうで、陸軍大臣・東条英機や海軍大臣・嶋田繁太郎の感謝状が本堂内に飾られています。
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境内に咲く蝋梅。
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境内に建つ弘法大師の石碑・・・右側には「御府内二十一ヶ所二十一番」と刻まれています。
御府内二十一ヶ所霊場とは、弘法大師にゆかりがある都内二十一ヶ所の寺院を祈願のために参詣するもので、開創年代は不明ですが江戸中期の草創と言われます。 -
【6】恵比寿天 医王寺(いおうじ)
真言宗豊山派の医王寺は1407年に創建され、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれていましたが、1538年と1564年の国府台合戦で焼失し、寛永年間(1624~44)に再興されて医王寺と改名・・・当初は江戸川沿にありましたが、堤防拡張工事のため大正4年に現在地に移りました。 -
山門の左右に安置された仁王像は京仏師・松本明慶(1945~)の作。
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四天王像が山門を守護しています・・・左が東方の持国天、右が北方の多聞天(毘沙門天)。
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南方の増長天と西方の広目天。
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室町時代に赤目病の蔓延で危機に瀕していた下総国の住民を救うために、足利義満が後小松天皇に祈願寺の建立を上奏して建てられた「薬王山 瑠璃光院 医王寺」・・・今も眼病平癒を祈願して参拝客が訪れます。
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本堂横の弘法大師像。
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本堂で参拝。
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本堂に祀られた恵比寿様。
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本堂の壁には、宇治・平等院の雲中供養菩薩を思わせる6体の菩薩様が並んでいます。
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当山中興の祖・源珍僧都が仏格化された「蕎麦地蔵尊」・・・大火に遭った高野山の復興勧進のため全国行脚を続けていた源珍は、脚気で歩けなくなりましたが、村人より一体の恵比寿天とそば粉の寄進を受け、21日間の礼拝供養を行うと治ったので、全国を旅しながら「蕎麦を食する者は命長く、脚気に病める者癒え、商人においては恵比須天を祀り、蕎麦を供えて礼拝すれば商売繁昌」「晦日に蕎麦を食し、かけ取りに行かば金銭意の如く集まる」と説いて回りました。
今でも多くのお蕎麦屋さんから厚く信仰されています。 -
最後の観蔵寺は他の七福神と離れているので、北総線・新柴又駅から電車に乗り、一駅先の京成高砂駅に向かいます。
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【7】寿老人 勧蔵寺(かんぞうじ)
1469年に創建した真言宗豊山派の寺院・・・医王寺と同様、二度に亘る北条・里見の国府台合戦で焼失・荒廃しましたが、1653年に再興。
京成本線の線路沿いを青砥方面に数分歩いた所にあります。 -
本堂は1914年の再建で、1963年に修築されました。
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本堂に祀られた寿老人。
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本堂前に建つ柴又七福神の石碑。
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最後の御朱印を頂いて、柴又七福神めぐりも無事終了。
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仲間の皆さん、お疲れ様でした。
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