2017/08/15 - 2017/08/18
11位(同エリア261件中)
旅行三昧さん
いつもの国内旅行同様、愛車の軽ワゴンで行く、自由気ままな車中泊の凸凹旅。
2017年のお盆休みは地元岐阜県を選んだ。
来月にはフランス旅行を控えているため、多少でも小遣いを残しておこうと思い近場に決めた。
岐阜県が地元と言っても大変広い。全て高速道路は使わず下道で走ったのだが。。
自宅のある多治見は東濃地区。最初に向かったのは、中濃地区に位置する岐阜市、そこから西濃地区に位置する関ケ原や養老、それぞれの間は1時間かそれ以上。そこから更に、大好きな世界遺産白川郷へは2時間以上、白川郷から飛騨古川や高山といった飛騨地区へも2時間程。地図で見てみると、、広すぎる。。。
今回の凸凹旅は、天気が大変不安定だった。大雨に始まり、途中は快晴、最後はまた雨。
天気予報が芳しくなかったため、上高地、新穂高、乗鞍岳などの山を避けたことにより、雨天による直接的な影響は然程なかった。しかし、自宅に帰ってみると、近くの瑞浪市では土砂崩れ中央道が埋もれ、何人もの方が車ごと巻き込まれて怪我をされる有様。最近の日本の天候不順や地震による自然災害は酷い状況だな。。
今回の凸凹旅の投稿回数は未定。大体10回くらいに分けて投稿することになるだろうか。。
第1回 2017年8月15日
【1】-- だるま観音 大龍寺、日本三大仏 岐阜大仏 --
http://4travel.jp/travelogue/11273084
第2回 2017年8月16日 ★本投稿★
【2】-- 天下分け目 関ケ原の戦い --
さて、第2回の今回は、天下分け目の関ケ原の戦いをダイジェスト版として投稿してみる。
雨天のため、主要な場所のみの見学となり、ダイジェスト中のダイジェストとなってしまった。
また、実際に訪れた順序とは異なる投稿となる。
<投稿残>
想い出の地 上石津町牧田、養老の滝、郡上八幡城跡、郡上踊り、夏の白川郷、飛騨古川、平湯、高山
軽ワゴンで行く「2017年お盆休み 岐阜の凸凹旅」。いつも通りの拙い記録で宜しければ是非ご覧ください。
<<お詫び>>
他の投稿の先に、この旅行記を投稿させて頂きます。勝手な旅行三昧の旅の記録となりますので、悪しからずご了承のほど。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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関ケ原古戦場は、何度か訪れたことはあるが、何故かいつも笹尾山見学のみ。
折角なら主要な史蹟を訪れてみようと考えた今回、まずは、この案内図で計画を立てた。
しかし、当然のことだが、時と場所の辻褄はどうしても合わせることはできないため、効率の良いルートで時間の経過は無視して見学した。
ただ、折角なので、見学順序とは関係なく、関ケ原の戦いの時間経過に従って投稿してみようと思う。石田三成陣跡 名所・史跡
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西暦1600年9月14日夜、降雨の中、西軍の石田三成は大垣城を出陣。
石田三成陣跡 名所・史跡
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翌15日早朝、関ケ原へ到着し布陣。総勢55,000。
※一般的には、西軍8万数千、東軍7万5千と東軍が若干劣勢と伝わっているが、実はもともと東軍の方が多かった模様。実際は、西軍5万5千、東軍7万5千程度だったようだ。(当然、諸説あり)石田三成陣跡 名所・史跡
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本陣は、ここ笹尾山に置いた。
石田三成陣跡 名所・史跡
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「大一大万大吉」
一人が万民のために、万民は一人のために尽くせば、天下の人々は幸福(吉)になれる。石田三成の理想。石田三成陣跡 名所・史跡
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笹尾山は北国街道を抑える位置にある。
石田三成陣跡 名所・史跡
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高所で盆地を一望でき、防御に適している。
石田三成陣跡 名所・史跡
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東軍の徳川家康が最初に陣を置いた桃配山の方角も確りと確認できる。
石田三成陣跡 名所・史跡
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毛利輝元を総大将に担ぎ上げた、西軍の石田三成隊、約6千。
石田三成陣跡 名所・史跡
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一方、東軍総大将の徳川家康は、9月1日に江戸を出発。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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9月14日には美濃国赤坂に着陣。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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9月15日午前7時頃には、ここ桃配山に陣取った。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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家康は、この石に腰を掛け、しきりに軍議を開いた。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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家康の配下、総勢3万余。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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「明治三十九年八月建之 不破郡関ケ原村」と彫られた石碑も歴史を感じさせる。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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現在は木が生い茂っている桃配山からも、確りと笹尾山が目視出来たに相違ない。
徳川家康最初陣地 名所・史跡
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鶴翼の陣で東軍を迎え討とうとする西軍。
東軍は関ケ原の盆地中央で魚鱗の陣を形成し西軍の後を追う。関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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雨が上がり、霧が晴れ始めた午前8時頃、東軍の松平忠吉と井伊直政が抜け駆けして宇喜多隊に発砲。
これにより、天下の覇権を掛けた国内最大級の戦いが、ここ関ケ原で繰り広げられることとなった。関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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兵力で勝る東軍の黒田長政や細川忠興らの東軍諸隊が猛攻を仕掛ける。
石田三成陣跡 名所・史跡
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島左近を中心に石田隊は獅子奮迅の働きを見せ、東軍を幾度も押し返す。
石田三成陣跡 名所・史跡
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しかし、島左近が黒田隊の射撃で負傷。
石田三成陣跡 名所・史跡
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島左近の戦線脱落により、石田隊も徐々に押し込まれる。
石田三成陣跡 名所・史跡
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西軍は善戦していたが、戦っていたのは一部の部隊だけだった。
島津義弘は三成の度重なる参戦要請を拒否。
松尾山の小早川秀秋、南宮山の毛利秀元らは動こうとしない。
そして、正午頃、小早川秀秋が東軍に寝返り均衡は崩れた。石田三成陣跡 名所・史跡
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大谷吉継隊が壊滅すると、西軍は総崩れとなり、諸隊は次々に敗走。
関ケ原古戦場 決戦地 名所・史跡
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その時、ここ決戦地一帯は、最後に戦った石田隊や島津隊に押し寄せる東軍諸隊で埋め尽くされた。
関ケ原古戦場 決戦地 名所・史跡
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石田隊は決死の覚悟で踏み止まり奮闘したが、午後2時頃ついに壊滅。
天下分け目と言われる国内最大級の戦いは、わずか半日程度でその幕を閉じ、石田三成は再起を期して、背後の伊吹山方面へ逃れていった。関ケ原古戦場 決戦地 名所・史跡
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勿論、旅行三昧は歴史の専門家ではないので、史実と異なるところも多々あるだろう。ただ、ダイジェスト版としては、おおよそのあらすじは示せたのではないだろうか?
この後は、幼い頃の思い出が沢山残る、上石津町牧田に向かう。
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