2015/12/26 - 2016/01/03
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ふくうめちゃんさん
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毎年恒例・夫と行く年末年始の台湾旅行は11年目に突入。今年も2匹のニャンを預けて、台北を気ままにブラブラ。
寝ている夫をホテルに置いて、今朝も一人でお散歩。
圓山→大龍同※エリアに突入。台北孔廟を見学します。
※正しくは山扁に同
※環境漢字が表示できないので似た字・日本語発音のひらがなを充てた箇所があります。ご了承ください。
※敬称略
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
PR
-
『台北孔子廟の歴史は1879年にさかのぼります。当時の台北知府・陳星聚が台北城内の文武街(現在の市立第一女子校付近)に宗教と教育の機能を併せ持つ「台北府文廟」を建てました。日清戦争の後、台湾には日本の軍隊が駐留し、1907年には日本人が学校を建てるために台北城内の台北孔子廟は取り壊されました』
1925年台北の名士・黄賛均・陳培根・辜顕栄が発起人となり、土地の寄付や献金により大龍同で孔子廟を再建することが決定。
当時の台湾には孔子廟建設の経験がなく、中国から建築家(大工)を招き廟を建てていた。萬華龍山寺などの建設に携わり、多くの賛賞を得ていた福建省泉州の名工・王益順が台北孔子廟建築の総監督して招かれ、1927年着工。
1929年大成殿・1930年崇聖殿・義門・東廡西廡が完成。位牌安置式・孔子生誕の記念祭典が執り行われたものの、その後財政難で建設工事は中断。
1935年陳培根・辜顕栄の工事再開の提案により再び募金が始められたが、王益順は泉州で逝去していたため、台湾人の王樹発が総監督を務め建設工事が再開される。櫺星門・礼門・義路・黌門・※半宮・※半池・萬仞宮牆が相次いで完成し、
1939年にようやく敷地面積5000余坪、建坪1400坪に達した台北孔子廟が完成した。 ※正しくはさんずいがつく文字
1971年、再建に尽力した名士の跡継ぎである辜振甫・陳錫慶が代表し、台北孔子廟は国に寄贈される。‘孔子の尊重は国の基本となる大事である’と言うのが、その寄贈の理由。
行政院が台北市政府に移管することを決定。1972年に民政局に「台北孔子廟管理委員会」が設けられる。
長い歴史や独自の文化を持ち、建築工芸として美的価値があることが高く評価され、台北孔子廟は1992年国家第3級古跡に指定され、国の重要文化遺産となった。 -
三級古蹟『台北孔廟』、儒学の祖「孔子」を祀る霊廟。
台湾各地に孔子廟はありますが、市政府直轄なのはここだけ。
修復・改修を繰り返し現在に至っています。
『建築様式には古代宮殿式を採用、山東省曲阜の孔子廟をもとに‘※みん南’の建築スタイルを融合させた』※門がまえの中に虫の文字
ここでは典型的な福建南部・みん南地方の建築様式をみることができます。台北市孔子廟 寺院・教会
-
「坐北朝南」北を背にした南向き、区画が四つに分かれる「四進式」で、左右に護龍が配置された建築群。
礼制空間は通常「東側進入、西側退出」の動線配置をとっていますが、台北孔子廟の東門『半宮』は閉ざされています。
なので西側の大龍街にある黌門(正門)→禮門から入って順路に沿って見学した方が本当はよいのですが、反対側から来てしまったので東側『義路』という門から中に入りました。
半宮と義路の間の空間は詩徑庭園。
半宮の入り口に植えられた梨の木、そしてとシンジュとワスレグサには「父母は天下で一番偉い」という意味が込められているそうです。 -
『義路』を入ると勤學廣場
左に写っている木は1962年に蒋介石総統が植樹した松の木。
南側に半月型の池『半池』、「半宮(諸侯の設ける学校)」にある池。
古代中国では、天子(君主)の太学(最高学府)の中央には四方を水で囲まれた「辟雍へきよう」と呼ばれる学宮がありました。諸侯の学校は天子の学校のように四方を水で囲むことは許されず、南側の半分だけを「半水」で囲みました。
唐・宋の時代には孔子は「文宣王」の王位(但し諸侯の最高位としての「王」であり、天子には及ばない)を与えられたので、孔子廟には「半池」が設置されるようになったそうです。
半池の畔のセリ、前庭のモクセイは「集大成」を意味する植樹。
『半池』の中央に架かるアーチ橋『半橋』
橋の欄干には『志高く謙虚に、志節を守る』竹の節が彫刻され、
欄干上部は『文化を興そうとする志を励まし、文運の発展を祈る』文筆柱頭。
その後ろ(南)、孔子廟と外を隔てる赤い照壁。
照壁上には赤い珠を守る2匹の龍。 -
照壁中央に描かれた‘麒麟’。
獅子の頭部、鹿の角、虎の目、大きな鹿の胴体、龍の鱗、牛のしっぽ。
「仁の心を持つ君主が生まれると姿を現す」縁起がよいといわれる霊獣。
孔子が生まれる前と亡くなる前に、麒麟が現れたといいます。
この麒麟が踏みつけている4つの宝物
「巻物(書物)」=「知識を学んで礼に達する」、「ひょうたん」=「富と幸福」、「官印」=「とんとん拍子の出世」、「如意(仏具)」=「万事思う通り」、
吉兆を意味しています。
(ピンボケ写真でちょっとわかりにくい‥すみません) -
照壁の外側(庫倫街側)には『萬仞宮牆』の四文字。
孔子の子孫・77代目孔徳の書。
論語からとったもので『孔子の学問は非常に奥深く、普通の人がその神髄を理解するのはとても難しい』。
孔子廟に正面から入れない(遠回りしないとならない)事にも『学問を収めるのに近道は無い』という意味があるようです。 -
勤學廣場の北側に『櫺星門』れいせいもん
石柱・石壁の頑丈そうな門、七間の幅に入母屋式の二重屋根。
孔子廟の櫺星門は、通常牌房(鳥居のようなもの)の形式を取っているので、門楼形式で内壁と繋がるこの造りは非常に珍しく、台北孔廟特有のものとのこと。
中央門が開くのは特別な重要な儀式の時だけ。 -
「櫺星」とは天上に輝く星宿の一つで‘師を得ることを司る’文運の星。
朱色の扉門には装飾として54個の門釘が打たれていて両開きの合計で108個。
易術では9を最大の陽数とし、108を最も尊い数とする→孔子に対する尊敬の念、また天上の108の星座を現しているもの。
『孔子を祀るのは天を崇敬するのと同じ』
中央門前には石造の八角柱に4本爪の蟠龍が巻き付いた一対の龍柱。
中央門両脇に門を支えるための抱鼓石。抱鼓石の形は子龍‘椒図’で、「己の分をわきまえなすべきことをなし、故郷を守る」の意味が込められているとのこと。 -
屋根の中央には麒麟。
両側には鳳凰、「聖王の世(平安な治世)に現れる」と伝えられています。
古代中国では麒麟・鳳凰・霊亀・応龍を‘四瑞(四大瑞獣)’吉兆を呼ぶ霊獣として尊びました。 -
「交趾陶こうちやき」
釉薬をかけ低温で焼成した陶磁器。
交趾陶や剪粘(陶磁器を特殊な工具で剪(切り)形にしたあと、成形した型に粘土で黏(くっつける)といった装飾はみん南地区特有のもので、孔子廟建築では台湾だけに見られるそうです。
台北孔廟の交趾陶は芸術的価値があると高く評価されています。
櫺星門を飾る交趾陶は門の隅・廂のすぐ下の目立たない場所にあります。
門の南側両端には孔子の故事や伝説を作品にした2つ
「孔子問禮老子(孔子は礼について老師に問う)」
「孔子師項託(7歳の項託は孔子の先生)」
北側には「四愛」という4つの作品。
「和靖詠梅」林和靖は北宋時代の詩人、梅を愛し梅花を呼んだ有名な句がある。
「羲之愛鵝」写真の作品です。王羲之は中国六朝時代の書聖と称される書家。
「淵明採菊」陶淵明は六朝時代の詩人、菊花を愛し有名な漢詩を残している。
「李白醉酒」李白は盛唐時代に活躍した中国最高の詩人のひとり。詩仙と称され、酒仙としても知られる。 -
櫺星門を入ると弘文園という庭園。
植えられたサルスベリ・ウコンの木の意味は「礼節正しく」
『儀門』
孔子廟の正殿・大成殿の正面に位置する門。『大成門』とも称されます。
大成には『孔子の学問・思想は先聖先賢の集大成である』と讃える意。 -
間口は五間。
義門中央門の両側に「ち龍団炉」という彫刻が施された木製の窓。
「吉祥如意」を現す8頭のち龍が香炉の形をつくる構図、色彩が美しい緻密なものでした。
なんだかいろんな龍がでてきて訳わからない。
龍にも種類やレベルがあるらしい。
四瑞の‘応’龍は2本角・四本足・一対の翼を持つ、水を扱う能力が高く治水・降水などを駆使し、神話にその名を残した‘中国最強の龍’
‘ち’龍は角がない、森影に隠れていて人間につかまりそうになると暴風雨を興して逃げる龍
柱に巻き付いている‘蟠’龍は角がなく地面にとぐろを巻いた、昇天できない龍だとか。
子龍は字の通り龍の子供。 -
龍には‘龍生九子’という龍とは姿の異なる・それぞれ容姿や性格の異なる9匹の子供が居るそうです(子供たちは結局龍にはなれなかった)。
‘鴟吻(しふん)‘
‘遠くを望むことを好む、何かを咥えることが好き’との事から屋根の一番上・大棟の両側に飾られることが多く、‘しゃちほこの先祖’と言われているそうです。鴟吻は龍頭魚尾の形をしていて『波をたたきおこすと降雨する』と伝えられ、『火の神祝融を抑えて火災を防ぐ』お守りの役割があります。
台北孔廟にある鴟吻は合計14(数えたことはありません‥)。 -
‘椒図(しょうず)’
櫺星門の抱鼓石につかわれていた、門や扉の装飾でよくみられる子龍。
‘姿は蛙にも、タニシやサザエのような巻貝やカラス貝にも似ている。
閉じることを好み、他所者が巣穴に入ることを嫌う。
故に、門扉の握り輪を咥えている’
写真は三峡清水厳祖師廟の門扉の握り輪を咥えた‘椒図’。貝には見えない、蛙に似てる‥??うーん。
何はともあれ、龍生九子を知っていると寺廟拝観がより面白くなりますね~。 -
義門の交趾陶(東・龍側)
右手に旗・左手に古代の打楽器を持つ武将、これは「吉祥喜慶」を現していて -
交趾陶(西・虎側)
左手に旗・右手に珠を持つ武将は「(吉祥喜慶を)祈り求める」を意味する -
儀門の両側・対称的に‘耳房’と呼ばれる小部屋が配されていて、龍側の耳房は『弘道祠』。
地元に貢献した賢者・儒者を孔子廟に従祀する構想により作られたもので、2006年9月23日‘陳維英’の位牌がここに祀られました。
朝みた石碑に刻まれた人物が孔子廟に祀られるほどの超大物だったとは‥ビックリ!
『陳維英は教育者として大きな功績を残した文人。多数の優秀な人材を育成したことで知られる。謙虚で友愛に満ちた人柄で、日頃から行いも高尚であったため地元の人々から尊敬されていた。
1851 年品行方正なことが高く評価され、清朝から「孝廉方正」の栄誉を授けられ、特に六品の官位と「詔挙孝廉方正」の扁額を賜る。
1853 年保安宮内に「樹人書院」を開設。当時この書院は台湾で私人が創った唯一の学校で、その後大龍同地区は学問の気風が盛んな場所になり、「5歩行くごとに秀才に遇い、10歩行くごとに挙人に遇う」と言われるほどになる。
1859年、49 歳の時挙人の資格試験に合格。翌年挙人の身分において内閣中書の職を与えられ「紫薇郎」の文字が入った扁額を授かる。
1861年5月、大龍同地区で抗争事件が勃発した時も危険を顧みず自ら和解交渉に乗り出し、多くの人の命が守られた。
1862年の戴潮春の乱では自費で団練を組織して清軍援助にあたり、その功で皇帝より花‘令羽’(帽子に付ける孔雀の装飾品)を賜る。』
まさに大龍同の英雄、誇り。
台北孔子廟再建の発揮人・陳培根は陳維英の子孫。 -
虎側の耳房。右側の壁に交趾陶、中央花瓶に‘蓮の花’。
耳房の交趾陶には「四季平安」を象徴する四季の花が描かれています。
春牡丹、冬茶花(椿)→龍側(弘道祠)
夏荷花(蓮)、秋菊花→虎側 -
義門も中央門が開くのは特別な重要な儀式の時だけ、通常は開いている龍側「金声門」、虎側「玉振門」から出入りします。
このふたつの門にも『集大成』という意味が込められています。
『孔子は聖人の道を集大成した人である。集大成とは、音楽で喩えれば金声(金属楽器の演奏)と玉振(玉製楽器の演奏)を併せ持つようなものである』
龍側「金声門」から中に入りました。 -
金声門入ると脇に、祭礼の時使われる楽器‘けんこ’という‘鐘’があります。
釣鐘の鈕(釣鐘上部の吊るすために綱などを通す部分)に龍生九子の一匹‘蒲牢(ほろう)’が装飾されています。‘龍に似ていて吼えることを好む’、鐘の音を大きく遠くまで響かせるのを手伝ってくれているとのこと。 -
反対の「玉振門」には祭礼の時使われる‘晋鼓しんこ’という‘太鼓’があります。
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義門の上は露明造り、天井が張られていないので直接梁などの構造が見れます。
屋根組は‘二通三瓜式‘ 梁2本を支える瓜のような形をした瓜柱が三本。
耐震性に優れる構造なのだそうです。
棟木に太極図とそれを守る二羽の鳳凰が描かれています。
太極図の描かれ方は‘後天文王八卦‘というものだそうですが‥私には知識がなく理解できません。 -
龍の頭をした鯉みたいな魚の装飾。
鴟吻かと思ったのですが、これは鯉が龍に変身する途中「鰲魚ごうぎょ」というものだそうです。
「黄河上流にある龍門の滝を登りきった鯉は龍と化す」という伝説があり、鰲魚は立身出世の象徴。「鯉の滝登り」「登竜門」という言葉もこの伝説に由来するもの。 -
孔子廟の正殿『大成殿』
間口は五間、走馬廊(廻り廊下)で囲まれた独立した建物。
大成殿をぐるりと取り囲む回廊のように『儀門』『東廡』『崇聖祠』『西廡』が配されています。
大成殿・義門(大成門)・東廡西廡は合院を形成し、ここが台北孔廟の中核部分。台北孔廟 大成殿 寺院・教会
-
孔子廟の建物は全て地面より高い位置に作られていますが、大成殿は回廊部分よりもさらに高い位置にあり、天井が最も高くなっています。
孔子廟の中で最も格式の高い建物であることが一目でわかります。
荘厳な雰囲気の漂う、威風堂々とした建物です。 -
燕尾のように反り返った屋根は皇帝の宮殿と同じ黄色の瑠璃瓦。
中央に7層の宝塔(魔除け)。
両側にある筒状のものは‘通天筒‘、『孔子の徳の高さ』への尊敬の念を現し孔子廟に置かれるもので、秦の始皇帝の‘焚書坑儒’の時に学者が経書を竹筒の中に隠した故事を紀念しているそうです。
『萬仞宮牆』の障壁の両端にもありました(亀の上にのっていて、筒部分に龍の彫刻が施されているのがわかります)。
屋根の先に鴟吻と巻草の裝飾、
巻草はつる草のことで『伸び続ける、永遠に続く』の意味を象徴するもの。
鴟吻は前述のとおり、火災除け。 -
丹ち(前方にある月台)に上がるための階段は礼節に従い3つ。
実際人が使う階段は左右の2つ‥ち龍(角のない龍)の彫刻が施された中央部分は‘ちへい’といい、皇帝が歩く階段(御道)を象徴しているのだそうです。
柱は白石、中央の2本の柱には蟠龍の彫刻。
大成殿の走馬廊の柱に彫刻は施されず無紋なのは、『孔子の飾り気のない性格を現している』。 -
梁や柱の上に多くの桝型を使用し、あらゆる部分がすべて嵌の込式で接続され釘は一本も使われていないそうです。
-
大成殿内部の天井に‘藻井’、
24の桝型がそれぞれ延びてきて層を成し中央の一番高いところに達している八角形のもの。精巧緻密で色彩も美しい、見事なものでした。
四隅のコウモリは『福を賜る』意味だそうです。
(霊廟なので内部は写真撮りませんでした、ご自分の目で見てくださいね) -
中央の厨子に孔子の位牌、
孔子の最も優秀な弟子達(四配・十二哲)の位牌が左右に並び祀られています。
東配:復聖顏回(願子)・述聖孔イ及(子思子)
西配:宗聖曾參(曾子)・亞聖孟軻(孟子)
東哲:閔子騫・冉仲弓・子貢・子路・子夏・有若
西哲:冉伯牛・宰我・冉有・子張・子游・朱子
中央の厨子の上には二つの額
『有教無類』教えこそがまずあって、人間の種類に違いはない。孔子の教育理念。蒋介石の筆。
『道貫徳明』2008年当時の台湾総統・馬英九が寄贈したもの。 -
大成殿の両側にあり対象を成す『東廡・西廡』。
道を明らかにし徳を修めた先賢と、経典の伝承と教育に携わった先儒の位牌を従祀する施設。合わせて154柱が祀られています。
門・柱・内窓に対聯・詩詞が見られないのは孔子廟の決まりで、『孔子の前で文章を弄ない』すなわち『孔子の前で「文芸」を見せびらかす意志は毛頭ない』の意味。 -
東廡の奥、東廂・東庫は展示室として使われていました。
霊廟以外の空間は「六芸マルチメディア常設展」という展示施設になっています。パネルの表記は中文・日本語・英語・韓国語
『孔子の一生』についての展示
孔子(紀元前551~479)姓は孔、名は丘、字は仲尼。魯国の人。
春秋時代末期の偉大な思想家、教育者であり、儒家の祖。
3歳の時父と死別。貧窮のうちに成長し15歳で学問を志す。
特定の師はなかったが、働きながら貴族の礼儀を学び、官府所蔵の書物を幅広く閲読。
30歳の時に私塾を開設し弟子を取り始める。
51歳の時に魯定公に取り立てられ魯国に仕える。司空となり、のちに大司寇となり国政に参与、魯はよく治まったが、その後、魯に用いられなくなる。
56歳に魯国を去り「仁政徳治」の理想を実現するため弟子と共に諸国を漫遊し教えを説く。69歳の時魯国へもどり14年間の放浪生活に終止符を打つ。
晩年は古書の編纂・弟子の教育に尽力するが、息子・弟子に先立たれた悲しみと疲労で病を患い73歳でこの世を去る。 -
『儒家が登場する前、古代の貴族と庶民階級の優秀な子弟は師と儒を得て、伝統的な六徳(智・信・聖・仁・義・忠)六行(孝・友・睦・姻・任・恤)六芸(礼・楽・射・御・書・数)という教育を受けました。
孔子はこれらの文化的要素を取り入れ、より高度な系統だった理論にまとめて儒家を創設しました。後にこの思想が「仁」を中心とした思想体系に発展しました』
『至聖先師孔子は「詩」と「書」を抜粋し、礼楽を定め、「周易」を広め、「春秋」の編纂に携わりました。現在、孔子の思想と儒家の学説は主に四書や五経などで読まれています』
四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」
五経は「易経」「書経」「詩経」「礼記」「春秋」
儒教は、五常(仁・義・礼・智・信)という徳性を拡充することにより五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)関係を維持することを教えるもの。
「仁」人を思いやること
「義」私欲に囚われず、己のなすべきことをなすこと
「礼」仁を具体的な行動として現すこと。(もともとは宗教行事のタブーや伝統的な習慣制度を意味、後に人間の上下関係で守るべきことを意味するようになる)
「智」学問に励むこと
「信」言明を間違えず真実を告げること、約束を守ること、誠実であること -
『「有教無類(教えありて類なし)」「因材施教(人の個性に合わせて教えを施す)」という教育精神を提唱した孔子には弟子が3000人も居て、六芸(礼節・音楽・弓術・御馬・文学・数学)に秀でた弟子が72人居ました。』
孔子と一緒に大成殿に祀られる四配のうち孔子の門人だったのは願子と曾子。
子思子は孔子の孫で、曾子の門人。子思の門人に学んだのが孟子。
『孔子を始祖とする儒家は、支配階級による専制的教育制度に初めて大きな変革をもたらしそれまでは一部の裕福な人に限られていた教育を「有教無類」へと転じさせ文化や教育を徐々に一般大衆に普及させました。』 -
『後に法家を重用した秦の始皇帝による‘焚書坑儒’を経て、孔子から直接受け継がれた儒家思想は失われてしまいました。しかし、漢の武帝は、安定した政治には儒家が説く仁政が必要と考え、儒家を重んじました。この時代に儒教は「正統思想」とされ学問の主流となったのです』
『中国では漢代以来、殆どの時代において儒家思想は時の政府に重んじられました』
『中華民族は儒家思想を基本的な価値観や思想の根幹としています。礼節を重んじて良好な人間関係を築き、温厚篤実で苦労を厭わずまじめに励むー儒家思想によってこのような民族性が育まれたのです』
『儒家思想は東アジア各国には広く影響を与え、韓国と日本の倫理観や礼節も儒家思想の影響をうけたものです。現在でも中華文化圏の思想的基礎となっており、東アジアのみならず世界的に大きな影響を与えました』
子供のころ母に「人にされて嫌だと思ったことは、絶対にしてはいけない」とよく言われました。「己の欲せざる所は人に施す勿れ」、孔子の教えは私達の道徳としても伝承されているのです。 -
『孔子と論語』について
『論語は孔子と弟子達、当時の人々との会話をまとめたもので全20篇。
その内容は道徳教養・教育・政治・経済など多岐にわたり、修己治人(己を収めて人を治む)道を説いたもの。
二千数年を経て現代にまで伝えられた「論語」は、古典であるながらも常に新しさを感じさせてくれる自己啓発書だと言えます』 -
『六芸』について
『孔子曰く「道に志し、徳に拠り、仁に依り、芸に遊ぶ」』
『孔子は周朝の伝統を継承した「六芸」で弟子達を指導。
まず「禮(礼節)楽(音楽)」によって礼儀正しい君子を育成し、
次に「射(弓術)御(御馬)」の訓練を通じて外敵に対抗しうる身体能力を身につけさせ、それらに加えて模範的な礼儀も遵守させました。
最後に「書(文学)数(数学)」を学ぶことによって知識をより豊かなものにし、日常生活で必要とされる能力を養って、文武両道の人材を育成したのです』 -
『六芸の禮』祭祀の礼、礼節、道徳
「五礼」=「五礼の儀」
吉礼(天神・地神・祖先の霊を祀る儀式)
凶礼(葬礼など)
軍礼(軍事に関する各種儀式)
賓礼(賓客をもてなす際の礼)
嘉礼(一般的な社交における各種礼儀や習俗) -
『六芸の楽』音楽、詩歌、舞踏
六芸の楽とは「六楽」を指します。
「六楽」とは黄帝以下六代の古楽舞踊の名称。周代を起源とし、古代から周代初期まで国家に貢献のあった領袖を讃えた雅楽舞で、祭祀に用いられました。 -
『釈奠典禮』
『大成至聖先師孔子を祭祀する典礼のことを「釈奠禮」と言う。
漢代に制定された孔子祭祀を土台として、歴代王朝での取捨選択を経て、伝承と革新を繰り返しながら、二千年にわたり受け継がれてきた典礼。
釈も奠も陳列・献呈の意味で、祭典において音楽や舞踏を披露し、生贄や酒、肴、果物などの供物を献上して孔子に対する崇敬の意をを現すもの』 -
台北孔廟では、孔子および先師・先聖を祀る儀式『釈奠典禮』が孔子の生誕日9月28日に執り行われます。
孔子の祭典を正獻禮、その他の弟子達の祭典は分獻禮と称します。
伝承された礼制に現代に合わせた手直しを加え、1976年に実施した「大成至聖先師孔子釈奠儀式」のやり方で行われています。
祭儀(式次第など)・祭器・供物・雅楽・※イツ舞など儀式について細かく定められており、その説明や展示があります。
※イツは人偏、八ガシラに月の文字 -
釈奠の礼制に属する礼・楽・舞の三大項目にとって不可欠なのが「器具」。
礼器・楽器・舞器・祭器は孔子祭祀の式典で、重要な構成要素のひとつ。
写真は展示されていた釈奠禮器と祭器
供物は祭器などに入れ古礼に遵って並べられます。
現在は殺生はせず生贄の代わりにもち米で作った‘素太牢(太牢=供物とする牛羊豚の生贄の意)’を供えるそうです。 -
展示されていた楽器
『台北市孔子廟で用いる釈奠用音楽は古代の制度に沿って、八音で雅楽を演奏します。』『‘打つ楽器’‘弾く楽器’‘吹奏楽器’-3種の楽器合奏となっています』 -
孔子祭祀の服装は明代の古礼で採用されたものとのこと。
(右)音楽担当の楽生。
赤い絹の袍(上着)、青色の腰巻。黄色い線の入った黒帽子・白ズボン・黒靴。
(左)舞踏担当のイツ生。
黄色い絹の袍、緑色の腰巻、黒い帽子・白ズボン・黒靴。この右手にキジ羽のついた舞器、左手に籥(ヤク)という竹製の楽器。 -
釈奠典禮の式典を画像でみたり、タッチパネルで色々な体験ができるようになっていました。工夫された展示で見応えがありました。
-
孔子廟の後殿部分は霊廟『崇聖祠(啓聖祠)』
もともと「啓聖王」の称号が与えられた孔子の父親が祀られた「啓聖祠」、
清代に孔子の先祖五代にも王位が与えられ従祀することが許され、崇聖祠に名称が改められました。
ここには孔子の祖先五代、孔子の兄、四配・十二哲の父の位牌が祀られています。
屋根組は‘三通五瓜式’、露明造りでこちらも見事です。 -
東廡東廂・西廂西廡の軒下の桝型は、福建南部・みん南地方の様式‘ち龍形’といわれるもの。義門の「ち龍団炉」と同じ赤・青・緑の組み合わせ。横からみると龍の頭が並んでいるように見えるような・見えないような‥。
-
西廂の展示
『六芸の数』算術・数学、数論知識
『春秋時代に中国最古の数学専門書「九章算術」が現れました。
「九章算術」は秦代以前の「九数」が発展したもので、その内容は土地面積の測定や穀物の交換、測量、水利、工事、労役、租税など、生産や経済活動の各分野に広く及ぶもの。作者は不明ですが歴代研究者の増補修訂を経て、次第に現在の形になったと考えられています。』 -
『六芸の書』文学(詩・書物全般)、書法、六書
文字の起源や六書について、書道(書体)の展示。
「六書」漢字の造字および運用の原理を6種類に分類したもの。
象形(絵をかくような方法で物の形をうつした字形)
指事(形に表せない抽象的な物を字形の組み合わせで表す)
形声(意味を現す意符と、同音または音の似ている文字の組み合わせ)
会意(象形と指事を並べて組み合わせ、新しく作られた文字)
転注(本来持っている意味を発展させ、他の意味に転用したもの)
仮借(元来は表現すべき文字のない事物を、同じ発音の文字を利用して表す)
「漢字の五体」書体
篆書・隷書・楷書・行書・草書 -
『六芸の御』
馬術・馬車を操る技術
『六芸の射』弓射、弓術
六芸の射の部屋は西廂ではなく、櫺星門の右側にありました。 -
ぐるっと1周して、正殿前に戻ってきました。
あまり人が居なかったので、自分のペースでじっくり・ゆっくり見学できて良かったです。 -
本来の孔子廟は霊廟兼学廟。
『明倫堂』いわゆる講堂。『人倫を明らかにするところ』がその名の由来。
建築当初、明倫堂は東院に作られる予定だったそうですが、用地・資金・戦争の影響で実現できなかったとのこと。
1956年増築されたこの明倫堂には「孔廟4D劇院(4Dシアター)」があります。
特殊なメガネをかけてみる映画で、孔子廟の歴史を学び、六芸や釈奠典禮を体感できるそうです。放映開始は9:00、10:00、11:00、14:00、15:00、16:00。
カフェ、ショップも明倫堂の中にあります。
「先聖先賢の集大成」の偉人がこんなことに‥いいの? -
あらら~こんなものまで。
時代の風潮とはいえ、孔子の教え「礼節」に従う行為とは思えない‥。
でも、こういうのが台湾らしいといえば台湾らしい。
「孔子に親しみと関心を持ってほしい」って思いの現れなのでしょう。
堅苦しくて真面目なだけじゃ、確かに勉強も人間もつまらない。 -
『禮門』
勤學広場への西側門、向こうに見える門が入ってきた『義路』。
禮門をくぐり義路を歩くということは学生に儒家の学問の第一課『礼を守り義に従う』精神を教え諭す意味があるとのこと。
‘仁・礼・義・智・信’の五常の徳目を総括しているそうです。
通常孔子廟は「東側進入、西側退出」のため禮門は東・義門は西に配置されるそうですが、台北孔廟は西側に入り口があるので禮門と義門の配置が逆になっています。
『門の脇に植えられた桃と李の木は「至聖先師と称された孔子には天下に多くの桃李(=弟子)が居る」ことを意味している』
西側の出口である黌門前に植えられたイラクサ・キササゲ・クワカイノキは、孔子が列国を遊説したことを意味しているそうです。 -
『黌門』こうもん
孔子廟西側、大龍街からの出入口(正門)。黌とは‘学ぶこと’。
『アーチ形門の上段の半円は「規則」、下段の四角は「品行方正」を現し、
黌門をくぐることは「規矩を学ぶ」「儒家の学堂に入る」ことを意味する』
『屋根の両隅に描かれた山形は「山のように高い徳を持つ者は人々に敬慕の念を抱かれ、遠大な知と行いを備えた者は人々の手本とされる」という意味から』 -
建物の造りや配置・装飾・植樹にまでそれぞれ意味があるなんて、孔子廟ってすごく奥が深い建築物なんですね~。面白かった。
孔子について学べたり、実際なかなか見ることのできない釈奠典禮について体験できたのも非常に有意義でした。
学問の神‘孔子様’に合格祈願もできます。
(高校受験の甥のために絵馬を奉納して合格祈願しましたが‥残念ながら第一志望校は合格できませんでした。本人が祈念しないとご利益はないかもしれません) -
これだけ盛りだくさんなのに台北孔廟は入場無料!
黌門入り右にあるビジターセンターで、日本語パンフレットを貰え、イヤホンガイド・車椅子も借りられます(これも無料!)。
ただ見るだけだと面白くないので、‘順路通りに’‘ガイドやパンフレットを活用しながら’見学することをお勧めします。
事前予習すると尚良し、このブログが少しでもお役に立てると嬉しいな~。
月曜日はお休みです、ご注意ください。
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