名古屋文化の道から須成祭と知多半島の旅(二日目)~大高・緒川・刈谷は、織田対今川の勢力が拮抗する中での水野氏の所領。松平氏に嫁ぎ、家康の母となった於大の方も実家の水野氏が織田家に寝返ると離縁される。辛い日々が続いたはずです~
2017/08/06 - 2017/08/06
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たびたびさん
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大高、緒川、刈谷なんて、まあ、普通知りませんよね。しかし、桶狭間の戦いの砦とか、於大の故郷といった情報が分かってくると、なかなか面白そう。
そして、織田氏や徳川氏と同盟を結び最盛期には24万石にまで成長した於大の一族、水野家に行き着くとこれは外すわけにはいかない地域のような。ただ、どこにポイントがあるのかは例によって歩き倒して見つけるしかない。手探りの旅でしたが、なんとか、おぼろげな歴史の流れが見えてきたように思います。
今川と同盟し、同じ今川に従うライバル松平家には娘、於大を嫁に差し出して、一定の関係を結びつつ、緒川城から刈谷に進出、刈谷城を築いて、水野宗家の基礎を固めた水野忠政。その子、信元は織田氏に接近し、今川氏とこれに従う松平氏とも激しく攻防。織田対今川の代理戦争として、孤立無援の戦いも強いられるなど苦しい場面が続きますが、信長の救援で切り抜け、織田家に臣従。桶狭間の戦い後の今川氏の衰退で、勢力を拡大しますが、信長から謀反の疑いをかけられ、結局は殺害されてしまいます。
一方、松平に嫁いだ於大は、実家の水野家が織田家についたことで、松平家を離縁される。ただ、織田家についた水野家も安泰とはならなかったし、家康の成長こそが心の支えとなっていたようにも思います。
鷲津砦、丸根砦、大高城、緒川城に刈谷城は、そうした水野家を中心とするこの地域の興亡の歴史を語るもの。徳川幕府のもとでは、親藩として厚く遇された水野家ですが、一族の菩提寺、乾坤院、楞厳寺に於大の菩提寺、善導寺の静かな佇まいも、戦国期の悲哀と無縁ではない。また、ここも新たな心に残る旅となったようです。
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JR大高駅に到着。ここから周辺を散策します。駅にはこんな地図もあって、意外に親切です。
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まずは、明忠院へ。山口海老之丞という人物がが父母の追善孝養のために創建。
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本堂隣りの地蔵堂に祀られている子守地蔵は、その山口海老之丞が桶狭間の戦いにも持参した持仏だということ。ちなみに、山口海老之丞は織田方で、丹下砦を守ったという武将です。結果は、生き延びて大勝利。感謝の気持ちはどれほどのものだったか。想像に余りあるものがあると思います。
山すそに立つちょっと地味なお寺ですが、しっかりと地元の歴史にまつわる寺。この日も墓参りの人の姿がちらほら見えて、ちょっと穏やかな空気を感じました。 -
続いては、鷲津砦。大高城の北東約700m。
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大高城の今川勢を牽制するために織田方が築いたもの。桶狭間の戦いで、ここにこもる織田方の飯尾定宗らは今川勢に攻められて全滅したとも伝えられます。
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鷲津砦公園の脇からやぶの中に入ると少し上ったところに、「史蹟鷲津砦址」と書いた石柱の碑がありました。土塁等を使った砦だったのでしょう。小山には石垣等何もありません。
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鷲津砦から長寿寺へ。こちらは、知多西国三十三観音巡礼の26番札所。江戸時代、大高の領主志水忠継の母が臨終に際し、黄檗宗の寺を建てることを遺命して創建されたという寺。
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イチオシ
楼門から境内に入るとなんともよく手入れされた庭園のような光景。チリ一つ落ちていないといった清潔さです。
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長寿寺の脇を山の方に少し上った場所には、高蔵坊稲荷。長寿寺が明るい雰囲気なので、そこから回ると、正直ちょっと陰気です。
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古びた駒札があって、高蔵坊は、長寿寺の住職。かわいがっていた狐が高蔵坊に姿を変え、村々に寺の利益を説いて回った。そのため、参詣者が増えて、高蔵坊が願っていた寺の修復が出来たといういわれが書かれていました。
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丸根砦は、鷲津砦と並んで、今川勢の大高城を牽制するために織田信長が築いたもの。
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イチオシ
桶狭間の戦いの前哨戦では、当時の松平元康、徳川家康に攻められ、こちらの織田方も全滅したと伝えられます。
一般住宅の裏山のような場所。駐車場の隣りから山道の階段を上ると丸根砦戦殉難烈士之碑という石碑がありました。激しい戦いだったことが偲ばれます。 -
そのまま、山を抜けて。
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抜けたところが大高緑地。ただ、緑地というか、大高緑地公園と言った方が分かりやすいかも。県営というだけになかなかのスケール。100haもの広さがあって、中央部の小山をそのまま芝生の広場にしたような場所や奥の方には琵琶ヶ池。一周するだけでも大変そうですが、入口の恐竜のモニュメントも目を引くでしょう。
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始めは恐竜の大きなモニュメントで終わりかと思ったのですが、
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その先には広々とした傾斜地には一面緑の芝生が整備されている。全部を散策するだけでもけっこう骨が折れる規模だと思います。
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山神社は、丸根砦に上がって行く手前の自動車道路沿い。遠くからでもこんもりした境内の森が目立っています。
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一方で、ちょっとしたスペースに建物というか小さな祠があるだけ。駒札があって、独立した社叢を有していることが自慢のよう。確かに、このこんもりとした森は立派です。
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そこから春江院へ。こちらの創建は、弘治2年(1556年)。今川を降した織田信長に仕え大高城城主となった水野大膳が父の菩提を弔うために建てました。
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書院を拝観できないか尋ねてみましたが、「それは非公開。ただ、本堂も庫裏も鐘楼も全部国の登録有形文化財ですから」と言われて。なるほどという感じ。
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一見しただけではどれもそれほどインパクトがあるわけではありませんが、言われてみるとすべての建物は確かに雰囲気があるように思えました。
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氷上姉子神社は、高速道路の高架下。ちょっとややこしい場所にあります。
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今は熱田神宮の境外摂社という位置づけですが、元々は、熱田神宮の創祀以前に草薙剣が奉斎された地。そういう意味では熱田神宮のルーツとも言うべき神社です。程よい広さの境内では地元の人が集まって清掃作業。地元に大事にされている神社かなと思います。
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東昌寺は、四国直伝弘法八十八ヶ所霊場の5番札所。知多四国霊場というのも別にあるので、ちょっと紛らわしい。
塀の周りには赤い幟りがいくつも立って、そこは賑やかですが、 -
境内に入って、仰ぎ見る本堂は至ってすっきりしたもの。そこはギャップがあるように思います。
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海岸寺は、大高城のふもと。日当たりの良い場所に仁王門と
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そこから少し石段を上がったところには本堂とお堂が並んで建つ。あちこち金字を使っているので、ちょっとした豪華さも感じます。いわれはよく分かりませんが、境内は清潔そのもの。気持ちの良いお寺です。
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そして、いよいよ大高城跡へ。こちらは、集落を見下ろす小山の上。あそこにあるなあと街のどこからでも見えるのですが、登り口が分からなくてちょっと迷いました。
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ただ、上に上がってみるとちょっとした草地があるだけ。何のことはないです。
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一方、桶狭間の戦いでは、徳川家康がここを守備していたのですが、今川義元の死を知り、ここから岡崎城の方に退却。予想外の結果ながら、これで自由の身となった家康は独立を確保し、やっと長い人質生活の時代を終えることになりました。歴史的にはけっこう意味のある場所かなと思います。
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秋葉社は、大高の市街にある小さな神社。それでも、石垣の土台に乗った門と塀が一体になった建築物はけっこう立派で、初めて通りを歩く人なら、あれっと気が付くはず。大高の市街を散策する際にはいい目印にもなると思います。
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薬師寺は、大高市街。大人しい塀に囲まれた山門からは、すぐに本堂が見えますが、どこまでも静かな佇まいと言った感じ。
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本堂は正面に切り妻の向拝が付いていますが、全体の建物とのバランスがとてもいい。そうしたところも静かな雰囲気となっている理由かと思います。
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大高町八幡社は、ちょっとした大高町の地元の神社なんですが、境内は広くて建物も意外にしっかりした感じ。
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大高城内に鶴岡八幡宮を勧請したとも、家康も若い頃、参詣したとも。意外に歴史があるので、こうした威風が残っているのかもしれません。
さて、これで、大高周辺の散策は終了です。 -
で、もう一つ気になっていたのがコナ モーレ。ベーグルの超人気店なんですよね。開店と同時に行ったつもりだったのですが、もう長い行列が出来ていました。まあ、お店が小さいので一組しか入れないのもあるんですが、皆さん辛抱強く並んでいます。
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いただいたのは、ベーグルのサンドイッチ。
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イチオシ
しっくりとした歯ごたえのおいしいベーグルは、これって最高じゃないですか。挟んだ野菜にハムも新鮮な食感。完成度はめちゃめちゃ高いです。
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大高駅から緒川駅に移動して。
まずは、大黒屋さん。創業文化元年(1804年)。8代続く和菓子屋さんです。 -
緒川饅頭をいただきます。
これは本格的な酒饅頭。甘さもしっかりあって、これはいい。疲れが一気に吹き飛びました。 -
すぐそばにあるのが地蔵院。無住で正直荒れた感じの寺でしたが、なかなか歴史を持った寺。
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説明板がいろいろあって、一つは「おもだかの井戸」。
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イチオシ
子のなかった緒川城主、水野氏がこの地蔵堂にある井戸の水を汲もうとすると井戸の水面に「おもだか」の葉。それが懐妊の知らせだったというのです。地蔵院のイブキという大木もあって、それは遠くから見てもこの寺のシンボルのようになっています。
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イチオシ
また少し歩いて、これが緒川城址。住宅地の中にあって、今では児童公園。拍子抜けするほど小さな城跡です。
初代緒川城主、水野貞守が文明年間(1469年-1487年)に築城。以来、130年間に渡って水野氏の居城でした。
この遺構からは想像も出来ませんが、かつてはくるわを巡らした大規模な城。城下町と一体となった平山城だったということです。
一方で、ここは徳川家康の母於大の方生誕の城でもあるはずなんですが、一切説明はなし。ちょっと不思議な感じです。 -
続いては、その於大を記念する於大公園へ。
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この公園は、面積12.1haを有する広大な都市公園。
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そして、広いだけではなく、美しい緑と池の潤いもあるので、どうかすると日本庭園のような雰囲気もありますね。
これなら於大の名前を冠するにふさわしい公園。一角にはプールもあって、そちらも賑わっていました。 -
イチオシ
そして、於大公園の中にこのはな館という施設があります。
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何かの展示場風の建物なんですが、入るとこれは休憩室。明るくて広い空間にいくつかテーブル席があって、家族連れがお弁当を食べたりしていました。於大公園は、それ自体、とても美しい公園なのですが、夏場は暑いし、屋外ではちょっと疲れる。このクーラーの効いた施設で、窓から公園を眺めながらゆっくりするなんて最高に気持ちいい。とっても快適な施設です。
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於大公園の西隣にあるのが乾坤院。文明7年(1475年)、緒川城初代城主水野貞守により、水野家の菩提寺として建立された寺です。
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徳川家康の生母、於大は4代水野忠政の娘であり、この寺でも供養されていることから、江戸時代には尾張徳川家の厚い庇護を受けています。
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総門から山門、
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イチオシ
中門と三つの門を入った先は、美しく整った建物が並び、さすが水野家の菩提寺といった雰囲気。
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ただ、ここの庭園ですが、特別なものではない。山門手前の池のある一角で、ここはちょっと荒れた感じ。念のため、お寺の人に尋ねましたが、庭園と言えるものはやっぱりここしかないということでした。
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宇宙稲荷神社は、於大公園のプールから乾坤院に向かう途中。ちょっと開けた場所に赤い幟りがたくさん立っていて、すぐにそれと分かりました。
乾坤院は、宇宙山乾坤院というのが正式名称。宇宙というのはそこからきているのでしょう。稲荷は、伏見から緒川城内へと勧請されたもの。知多民話の「狐の嫁入り」の発祥となったいう説もあるようです。 -
ここから、緒川の市街地に戻って、寺町みたいなエリアに入ります。
善導寺は、四國直傳弘法八十八ヶ所めぐりの第14番札所。ただ、札所のイメージからするとこの人けのなさはちょっとギャップがあるかもしれません。 -
そして、ここのポイントは、徳川家康公の生母於大の方の位牌が安置されていること。つまり、於大の方の菩提寺なんですね。
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於大ゆかりの寺はここだけではないのですが、やっぱりここが一番濃いのかなと思います。
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越境寺は、善導寺が向かい。
石段を上がって行くと鐘楼の山門。 -
それをくぐると、方形の少し古びて落ち着いた本堂が現れます。境内の蘇鉄や松の緑が美しい。いい感じで歴史を重ねた風のお寺です。
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伝宗院は、知多四国八十八ヵ所巡礼の第八番札所。いわゆる札所といういうイメージからするととても静かなお寺。石段を上がった先に現れるこじんまりとまとまった境内は、本堂前の両側に植えられた蘇鉄がポイント。緑が濃くて美しいです。
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入海貝塚は、入海神社の境内1200㎡。説明によれば衣浦湾に注ぐ境川流域の大地の上にあって、貝層はハイガイ等。約7000年前の縄文時代早期の基準となる入海式土器が出土したことで史跡に指定されたとのこと。
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一方、辺りはちょっとした運動公園のような広さがあって、神社の境内という感じではない。なんとも気持ちの良い場所となっています。
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ここらで昼飯にします。
都やこは、緒川駅近くの国道沿い。真緑の建物でそれなりの広さの駐車場も備えたうどん屋さんです。
やっぱり車で来る客を想定している店構えなので、私は歩いて行ったのですが、交通量の多い道を渡ったりして、ちょっと危なさも感じなくはないでしょう。ただ、店内は広いので、暑い時期には助かります。 -
さて、いただいたのは、山菜うどん。とろろも少し添えられて、これは甘めの出汁がポイントの味付けでしょう。
ここでちょっと元気回復。迷っていましたが、ここから刈谷まで歩いて向かうことにしました。 -
大きな川を渡って。。
刈谷は緒川の対岸です。 -
川を渡って、その川沿いにある市原稲荷神社。亀城を築いた水野忠政が城の中に祀っていたという神社です。
島に住んでいた白狐が神体をくわえて陸に上がったという「海寄り神」の伝説のある神社でもあります。境内は広々として清々しい雰囲気。木々の緑も美しくて、気持ちのよい神社です。 -
そこからさらに北に向かうと亀城公園は、水野忠政が築城した刈谷城、別名亀城跡を整備した公園。
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水野氏はもともとは緒川城を拠点としていたのですが、
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イチオシ
川を越えてこちらにも城を築いて、両方から川の水運ににらみを利かせる体制をとりました。そして、徐々に刈谷城の方が主力となっていくんですね。
水野氏は松平家に先んじて織田家と同盟を結び、最盛期には24万石の大身となる。その後、信長から謀反の疑いをかけられ、一度は滅びますが、勢力が大きくなりすぎて邪魔にされたのではないかという説が有力です。 -
建物とかはまったく残っていませんが、
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この十朋亭という建物があって、城の歴史を解説するビデオがあります。空調もきいていて快適なので、是非お立ち寄りください。
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亀城公園を降りて。
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刈谷市郷土資料館は、昭和3年に建てられた亀城尋常高等小学校の本館を利用したもの。
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堂々とした大きな建物でこの建物自体が見どころなんですが、
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その悠々とした建物を贅沢に使った展示室がいくつもあって、その感じもなかなか面白い。
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ただ、家康の実母、於大の水野家のことや緒川城と刈谷城の関係とかの解説はイマイチ。
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もう少し何とかならないかなあ。ちょっとフラストレーションがたまりました。
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地元の祭りや
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昭和の時代の生活とか。
とにかく、スペースがいっぱいあるので、余裕余裕。休憩室代わりにちょっと体を休めました。 -
ここから再び刈谷の散策を再開。刈谷は刈谷市。エリアはまだまだ広いんです。
とうふや豆蔵って、お豆腐屋さんのような名前ですが、中はスーパーが半分と軽食喫茶が半分のちょっと変わった内容。 -
ソフトクリームの宣伝が目についたので、それをいただきましたが、なんでしょうねえ。スーパーのフードコートのノリでしょうか。面白いコンセプト。ちょっと立ち寄る場所として意外にいいかなと思います。
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秋葉神社は、隣りの松秀寺と並んだ祭礼、万燈祭の神社。張子の人形を繰り出す夏祭りで、その人形は郷土資料館の方で拝見しました。ただ、祭りがなければ、境内が殺風景であることは否めない。単に、広いスペースがあるというだけの神社です。
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松秀寺は、秋葉社とは元々一つで、明治の神仏分離で分かれたもの。竜宮城のような門構えが特徴的ですが、その傍らには天誅組に参加した宍戸弥四郎の墓も。
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維新の志士がこんなところにもいましたかという感じです。
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十念寺は、名鉄刈谷市駅からすぐの刈谷藩主土井家の菩提寺です。
ちなみに、刈谷藩の始まりは水野家3万石。初代藩主、水野勝成は家康の従弟です。土井家は幕末最後の藩主となった家ですが、土井家の祖は土井利勝。土井利勝は、於大の方の兄、水野信元の三男ですから、結局はこれも水野家と同根です。 -
土井家廟所は、本堂の脇。中には入れませんが、少し離れた場所から、それらしい様子が窺えました。
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内部の墓の配置図もあったので、それも確認できました。天誅組の三総裁の一人、松本奎堂の墓も記されていました。
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本刈谷神社は、八幡社、八雲社、北野社の三社を合祀した神社。
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芝生の辺りにバラバラの個性的な社殿が並んで、
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知らないと妙な感じを受けてしまうでしょう。
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松林を抜けた参道脇ですが、領主土井氏より寄進された手水鉢は立派な手水舎となっています。
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本刈谷貝塚は、本刈谷神社の境内に愛知県指定史蹟と書かれた碑が建っています。この貝塚は、三河地方最大の縄文晩期貝塚。浅瀬の砂泥質を好むハイガイが過半を占めることからこの辺りが浅瀬であったことなどが分かるそうです。ただ、それがすごいことなのかどうかは、ちょっとよく分かりません。
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そして、楞厳寺は、徳川家康の生母於大の実家でもある刈谷城主、水野家の菩提寺。また、松平家を離縁された於大はこの近所に住み、たびたび参詣していたともいわれます。
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イチオシ
そのような寺だけに境内は美しい芝生も含めて、本当にきれいに整備されています。
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ダメモトで寺宝の拝観ができるかも聞いてみたのですが、それは予約をしていないとできないということでした。
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楞厳寺から刈谷駅に戻ってきました。
順番が逆になりましたが、これが刈谷駅前観光案内所。駅前と言っても歩道橋を渡った先にあるので、ちょっと分かりにくいかもしれません。
それでも、プレハブの建物は屋根にゆるキャラが乗って、刈谷が観光地であることをけっこうアピールしています。歩いてみても、刈谷は、観光地がかなり分散しています。ここにはレンタサイクルが用意されているので、それを利用するのがベターかなと思います。 -
御霊神社は、刈谷駅からデンソーの本社をかすめた先。細長い参道の先に瓦ぶきの質素な本殿がありました。
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もともとはデンソーの敷地にあったものをこちらに移したようですが、それにしてはそれなりに広さがある。むしろ、さすがデンソー。ちゃんと対応しているなという印象です。
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デンソーの近くから刈谷駅に向かう小さな商店街があって、その通り沿いでふと見つけたお店、いろはさん。はっきり言えば、粗末な店構えですが、何か老舗の感じがムンムンしています。中に入ると、睨んだ通り。歴史を感じる渋い店内では老夫婦が仲良く切り盛り。常連さんを要領よくさばいていて、これはいいですね。
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イチオシ
私も気持ちよく、カウンターに座って天ぷら重をいただきました。これがまた何んというか、海老のプリプリ感もすごいし、つゆが程よく沁みて絶品。これで1000円足らずは本当に申し訳ないような気持ちになりました。
いろんなところに旅をしていますが、こんな店に出会うと本望。たまらないお店です。 -
ここで、名鉄三河線を使って、刈谷市駅から知立行に乗車。名古屋に戻ります。
ところで、名鉄三河線は、刈谷駅で東海道本線、知立駅で名鉄名古屋本線、梅坪駅で名鉄豊田線に接続しています。私のイメージでは沿線の観光地なら豊田稲荷のある豊田駅が一番でしょうが、それに次ぐのは知立駅の周辺かなと思います。 -
で、今夜も安宿のビジネス太閤。タオルも歯磨きもアメニティは一切なし。
風呂は夜9時まで。まあ、寝るだけなので、割り切ればいいかなということでしたが、建物が比較的しっかりしていて、通路にも余裕があるので、火事のこととか考えると最低限の安心感はあったかなと思います。
さて、明日は最終日。知多木綿で栄えた岡田地区を回ります。
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