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旅の行程<br />5月11日 椿泊、日和佐浦<br />5月12日 吉良川、奈半利、土居廓中<br />5月13日 佐川、いの<br /><br />高知県高岡郡佐川町は、高知市の西方に位置する山に囲まれた小さな町で、古くから交通の要衝として賑わった佐川は、現在も、愛媛県を結ぶ国道33号線及び山間部と太平洋を結ぶ国道494号線と、JR土讃線が交差する交通の結節点に位置しています。<br /><br />元亀2年(1571年)頃の長宗我部元親による佐川の陣により、重臣の久武内蔵助を筆頭とした長宗我部直臣団(佐川番衆)が佐川支配の要となり、松尾山(上郷地区)の松尾城や、古城山(現奥の土居)の佐川城に居住しますが、大坂夏の陣で豊臣秀吉方についた長宗我部氏が滅亡すると、久武氏の領主時代も終焉を迎えます。<br /><br />慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおける功績により、土佐9万8千石の土佐藩主となった山内一豊から、翌慶長6年(1601年)に筆頭家老の深尾和泉守重良が佐川城付一万石に封ぜられて以来、明治維新を迎えるまでの約260余年間、高吾北18ケ村の要だった佐川は、11代に亘る深尾氏の領地として封建文化の花を咲かせることになります。<br /><br />深尾氏の佐川入封後、元和元年(1615年)に徳川幕府が下した一国一城令により佐川城が廃城になると、深尾家が居住する新たな陣屋として、東西71間、南北178間に及ぶ広大な佐川土居が築かれ、これを中心に、家臣の住む家中町と商人を住まわせた町人町を配した陣屋町が形成されると、これらをひとまとめにして御廓内と称しました。<br /><br />代々教育に力を注いできた深尾氏ですが、安永元年(1772年)、家臣の子どもたちに学問を学ばせたいと、第六代領主深尾茂澄が私塾「名教館(めいこうかん)」を創設、享和2年(1802年)には第七代領主深尾繁寛が、算術、文学、武術、兵学、茶道、書道など、多岐にわたる講義内容の郷校として拡充し、明治維新の際には、ここで学んだ塾生の中から多くの勤王の志士を輩出しました。<br /><br />明治維新後の佐川は、深尾氏が花開かせた「文教のまち」の伝統が色濃く残り、田中光顕伯や牧野富太郎博士をはじめとして、政治、学術、文芸など、あらゆる分野で多くの「文教人」を生み出しました。<br /><br />なお、明治20年(1887年)に佐川尋常小学校(現佐川小学校)に移築された「名教館」の玄関部分は、平成26年に上町地区に再移築され、「文教のまち」佐川のシンボルとして存在感を放っています。<br /><br />一方、佐川入封に際して旧領美濃国からお抱えの酒造り職人を大勢伴って来た深尾氏は、清流仁淀川の清らかな伏流水などを使った酒造りを奨励すると、確かな醸造技術と良質の天然水とが見事に融合して、数々の銘酒が生み出され酒のまちとしても発展を遂げます。<br /><br />上町地区の酒蔵の道で先ず目に飛び込んでくる風情ある酒蔵は、江戸時代に建てられたものから、最近建てられた新しいものに至るまで、それぞれの時代を見つめてきた歴史に彩られており、中でも、最も長い蔵は延長85mにも及ぶ日本有数の長さを誇っています。

2017 徳島・高知の旅 6/7 佐川 (3日目)

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2017/05/11 - 2017/05/13

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nao

naoさん

旅の行程
5月11日 椿泊、日和佐浦
5月12日 吉良川、奈半利、土居廓中
5月13日 佐川、いの

高知県高岡郡佐川町は、高知市の西方に位置する山に囲まれた小さな町で、古くから交通の要衝として賑わった佐川は、現在も、愛媛県を結ぶ国道33号線及び山間部と太平洋を結ぶ国道494号線と、JR土讃線が交差する交通の結節点に位置しています。

元亀2年(1571年)頃の長宗我部元親による佐川の陣により、重臣の久武内蔵助を筆頭とした長宗我部直臣団(佐川番衆)が佐川支配の要となり、松尾山(上郷地区)の松尾城や、古城山(現奥の土居)の佐川城に居住しますが、大坂夏の陣で豊臣秀吉方についた長宗我部氏が滅亡すると、久武氏の領主時代も終焉を迎えます。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いにおける功績により、土佐9万8千石の土佐藩主となった山内一豊から、翌慶長6年(1601年)に筆頭家老の深尾和泉守重良が佐川城付一万石に封ぜられて以来、明治維新を迎えるまでの約260余年間、高吾北18ケ村の要だった佐川は、11代に亘る深尾氏の領地として封建文化の花を咲かせることになります。

深尾氏の佐川入封後、元和元年(1615年)に徳川幕府が下した一国一城令により佐川城が廃城になると、深尾家が居住する新たな陣屋として、東西71間、南北178間に及ぶ広大な佐川土居が築かれ、これを中心に、家臣の住む家中町と商人を住まわせた町人町を配した陣屋町が形成されると、これらをひとまとめにして御廓内と称しました。

代々教育に力を注いできた深尾氏ですが、安永元年(1772年)、家臣の子どもたちに学問を学ばせたいと、第六代領主深尾茂澄が私塾「名教館(めいこうかん)」を創設、享和2年(1802年)には第七代領主深尾繁寛が、算術、文学、武術、兵学、茶道、書道など、多岐にわたる講義内容の郷校として拡充し、明治維新の際には、ここで学んだ塾生の中から多くの勤王の志士を輩出しました。

明治維新後の佐川は、深尾氏が花開かせた「文教のまち」の伝統が色濃く残り、田中光顕伯や牧野富太郎博士をはじめとして、政治、学術、文芸など、あらゆる分野で多くの「文教人」を生み出しました。

なお、明治20年(1887年)に佐川尋常小学校(現佐川小学校)に移築された「名教館」の玄関部分は、平成26年に上町地区に再移築され、「文教のまち」佐川のシンボルとして存在感を放っています。

一方、佐川入封に際して旧領美濃国からお抱えの酒造り職人を大勢伴って来た深尾氏は、清流仁淀川の清らかな伏流水などを使った酒造りを奨励すると、確かな醸造技術と良質の天然水とが見事に融合して、数々の銘酒が生み出され酒のまちとしても発展を遂げます。

上町地区の酒蔵の道で先ず目に飛び込んでくる風情ある酒蔵は、江戸時代に建てられたものから、最近建てられた新しいものに至るまで、それぞれの時代を見つめてきた歴史に彩られており、中でも、最も長い蔵は延長85mにも及ぶ日本有数の長さを誇っています。

同行者
一人旅
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • さて最終日、先ずは佐川の町にやって来ました。<br /><br />観光用駐車場に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。

    さて最終日、先ずは佐川の町にやって来ました。

    観光用駐車場に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。

  • 町歩きのスタート地点として、先ずはJR土讃線佐川駅へ向かいます。

    町歩きのスタート地点として、先ずはJR土讃線佐川駅へ向かいます。

  • こちらの町家と・・・

    こちらの町家と・・・

  • こちらのお店の間を入った所に・・・

    こちらのお店の間を入った所に・・・

  • JR土讃線佐川駅があります。

    JR土讃線佐川駅があります。

  • では、ここからスタートです。

    では、ここからスタートです。

  • 角のお店は、腰壁に下見板が使われています。

    角のお店は、腰壁に下見板が使われています。

  • 駅の真正面と向き合う大きな町家です。

    駅の真正面と向き合う大きな町家です。

  • 国道494号線沿いの町並みです。<br /><br />なお、国道494号線はこの写真のすぐ手前の三叉路を曲がって、南の方に延びています。

    国道494号線沿いの町並みです。

    なお、国道494号線はこの写真のすぐ手前の三叉路を曲がって、南の方に延びています。

  • 国道494号線が三叉路を曲がった先の佐川のメイン道路です。<br /><br />では、この先に見えている右側の脇道に入ります。

    国道494号線が三叉路を曲がった先の佐川のメイン道路です。

    では、この先に見えている右側の脇道に入ります。

  • 脇道からメイン道路の方を振り返った光景です。

    脇道からメイン道路の方を振り返った光景です。

  • 建物の入り隅を使って斜めに部屋を設けている町家。

    建物の入り隅を使って斜めに部屋を設けている町家。

  • 水切り瓦をしつらえた土蔵のあるお屋敷です。

    水切り瓦をしつらえた土蔵のあるお屋敷です。

  • 大きな自然の玉石を基礎に使った町家です。

    大きな自然の玉石を基礎に使った町家です。

  • こちらの土蔵の基礎には、若干加工された大きな玉石が使われています。

    こちらの土蔵の基礎には、若干加工された大きな玉石が使われています。

  • 何層にも水切り瓦をしつらえた土蔵です。

    何層にも水切り瓦をしつらえた土蔵です。

  • 佐川の町並みです。

    佐川の町並みです。

  • では、脇道からメイン道路に戻ります。

    では、脇道からメイン道路に戻ります。

  • メイン道路に面して、立派な門構えに・・・

    メイン道路に面して、立派な門構えに・・・

  • 下見板張りの土塀を巡らせたお屋敷があります。

    下見板張りの土塀を巡らせたお屋敷があります。

  • ここでメイン道路と別れて、「酒蔵の道」と呼ばれている風情豊かな通りを歩きます。

    ここでメイン道路と別れて、「酒蔵の道」と呼ばれている風情豊かな通りを歩きます。

  • 「酒蔵の道」の町並みです。

    「酒蔵の道」の町並みです。

  • 大きなガラス戸の入った町家です。<br /><br />町並みの景観に配慮して、クーラーの室外機を木柵で隠しています。

    大きなガラス戸の入った町家です。

    町並みの景観に配慮して、クーラーの室外機を木柵で隠しています。

  • 「酒蔵の道」から少し奥まった所に、こんな土蔵が建っていました。

    「酒蔵の道」から少し奥まった所に、こんな土蔵が建っていました。

  • 大きな妻面に水切り瓦のある町家は・・・

    大きな妻面に水切り瓦のある町家は・・・

  • 「佐川まちの駅」と名付けられた観光案内所です。

    「佐川まちの駅」と名付けられた観光案内所です。

  • 佐川の町歩きに際し、一応それなりの資料は用意していたんですが、こちらの案内所でそれより詳しいパンフレットを入手することが出来ました。

    佐川の町歩きに際し、一応それなりの資料は用意していたんですが、こちらの案内所でそれより詳しいパンフレットを入手することが出来ました。

  • こちらは、酒造業で財を成した佐川屈指の商家、竹村家の住宅です。

    こちらは、酒造業で財を成した佐川屈指の商家、竹村家の住宅です。

  • 主屋は、東側の店舗部分と西側の座敷部分からなり、店舗部分は安永9年(1780年)頃、また、座敷部分は天保9年(1838年)の建築と言われ、格式高いその佇まいは、往時の姿を思い起こさせてくれます。

    主屋は、東側の店舗部分と西側の座敷部分からなり、店舗部分は安永9年(1780年)頃、また、座敷部分は天保9年(1838年)の建築と言われ、格式高いその佇まいは、往時の姿を思い起こさせてくれます。

  • 竹村家は、享保年間(1717年~1735年)に酒甫手(酒造権)を借り受けて酒造業を始めますが、安保元年(1741年)に正式に酒甫手を得て、名実ともに造り酒屋として独立しました。

    竹村家は、享保年間(1717年~1735年)に酒甫手(酒造権)を借り受けて酒造業を始めますが、安保元年(1741年)に正式に酒甫手を得て、名実ともに造り酒屋として独立しました。

  • その後、宝暦13年(1763年)には土佐藩筆頭家老の深尾氏より名字帯刀が許され、幕府の巡見使の宿舎を務めました。

    その後、宝暦13年(1763年)には土佐藩筆頭家老の深尾氏より名字帯刀が許され、幕府の巡見使の宿舎を務めました。

  • こちらは、安永6年(1777年)にお隣の竹本家から分家したお宅で、マルキュウの愛称で呼ばれていた元竹村呉服店の建物です。

    こちらは、安永6年(1777年)にお隣の竹本家から分家したお宅で、マルキュウの愛称で呼ばれていた元竹村呉服店の建物です。

  • 平成26年に持ち主から寄贈された佐川町が、事業者を公募して現在のお店が営業されています。

    平成26年に持ち主から寄贈された佐川町が、事業者を公募して現在のお店が営業されています。

  • この辺り一帯には、司牡丹酒造の工場群が広がっています。

    この辺り一帯には、司牡丹酒造の工場群が広がっています。

  • 司牡丹酒造は、土佐藩筆頭家老として慶長5年(1600年)に佐川に入封した深尾氏に伴って来た大勢の酒造り職人の内の一人で、名字・帯刀を許された格式のある「御酒屋」が慶長8年(1603年)年に創業した土佐を代表する造り酒屋です。

    司牡丹酒造は、土佐藩筆頭家老として慶長5年(1600年)に佐川に入封した深尾氏に伴って来た大勢の酒造り職人の内の一人で、名字・帯刀を許された格式のある「御酒屋」が慶長8年(1603年)年に創業した土佐を代表する造り酒屋です。

  • 司牡丹酒造の工場群の中には、水切り瓦とナマコ壁をしつらえた土蔵や・・・

    司牡丹酒造の工場群の中には、水切り瓦とナマコ壁をしつらえた土蔵や・・・

  • 酒蔵など、風情ある建物が軒を連ねています。

    酒蔵など、風情ある建物が軒を連ねています。

  • こちらの建物は、煙突が見えるので作業場でしょうか・・・。

    こちらの建物は、煙突が見えるので作業場でしょうか・・・。

  • 佐川町の汚水枡の蓋。<br /><br />町の鳥「カワセミ」をモチーフにしています。

    佐川町の汚水枡の蓋。

    町の鳥「カワセミ」をモチーフにしています。

  • こちらは、かつて料亭として使われていた建物で、現在は土佐の酒文化を発信する、「司牡丹酒ギャラリー」として使われています。

    こちらは、かつて料亭として使われていた建物で、現在は土佐の酒文化を発信する、「司牡丹酒ギャラリー」として使われています。

  • 「司牡丹酒ギャラリー」横の脇道の様子です。

    「司牡丹酒ギャラリー」横の脇道の様子です。

  • 緩やかにのぼる脇道に面して・・・

    緩やかにのぼる脇道に面して・・・

  • 司牡丹酒造の風情ある建物が並んでいます。<br /><br />では、ここで引き返します。

    司牡丹酒造の風情ある建物が並んでいます。

    では、ここで引き返します。

  • 「司牡丹酒ギャラリー」と脇道を挟んだお隣にあるこちらの町家は、かつて造り酒屋を営んでいた浜口家の建物です。<br /><br />現在、さかわ観光協会によりお土産物の販売やカフェとして活用されています。

    「司牡丹酒ギャラリー」と脇道を挟んだお隣にあるこちらの町家は、かつて造り酒屋を営んでいた浜口家の建物です。

    現在、さかわ観光協会によりお土産物の販売やカフェとして活用されています。

  • 店内には、かつて佐川で活躍していた造り酒屋の銘柄名の入った徳利が展示されています。

    店内には、かつて佐川で活躍していた造り酒屋の銘柄名の入った徳利が展示されています。

  • 往時の商家の姿を偲ばせてくれる佇まいです。

    往時の商家の姿を偲ばせてくれる佇まいです。

  • 「野菊」の銘は、浜口家が醸造していた酒の銘柄名です。

    「野菊」の銘は、浜口家が醸造していた酒の銘柄名です。

  • この中門をくぐると・・・

    この中門をくぐると・・・

  • 座敷前の庭園に通じています。<br /><br />なお、左手に見えるかつての座敷はカフェとして使われています。

    座敷前の庭園に通じています。

    なお、左手に見えるかつての座敷はカフェとして使われています。

  • 反対側から見た浜口家の外観です。

    反対側から見た浜口家の外観です。

  • こちらは浜口家のお向かいにある「名教館」です。<br /><br />「名教館」は、安永元年(1772年)に深尾氏が創設した私塾で、以来、幕末まで数多くの人材を育成・輩出しました。<br /><br />明治20年(1887年)に佐川尋常小学校として移築されましが、平成26年にこの地に再移築されたものです。

    こちらは浜口家のお向かいにある「名教館」です。

    「名教館」は、安永元年(1772年)に深尾氏が創設した私塾で、以来、幕末まで数多くの人材を育成・輩出しました。

    明治20年(1887年)に佐川尋常小学校として移築されましが、平成26年にこの地に再移築されたものです。

  • 古き佳き明治時代を彷彿とさせてくれるこの洋館は・・・

    古き佳き明治時代を彷彿とさせてくれるこの洋館は・・・

  • 明治19年(1886年)に須崎警察署の佐川分署として建てられたものです。<br /><br />新しい警察庁舎が完成した昭和5年(1930年)以降は青山文庫として活用されていましたが、    平成22年、役目を終えた建物は当初の場所に移築・復元されました。

    明治19年(1886年)に須崎警察署の佐川分署として建てられたものです。

    新しい警察庁舎が完成した昭和5年(1930年)以降は青山文庫として活用されていましたが、    平成22年、役目を終えた建物は当初の場所に移築・復元されました。

  • 玄関上部に設けられたバルコニー。

    玄関上部に設けられたバルコニー。

  • バルコニーからは浜口家の建物や・・・

    バルコニーからは浜口家の建物や・・・

  • 「名教館」が見下ろせます。

    「名教館」が見下ろせます。

  • 佐川町の汚水枡の蓋。<br /><br />こちらの蓋は、町の木「ワカキノサクラ」をモチーフにしています。<br /><br />「ワカキノサクラ(稚木の桜)」は、佐川町出身の植物学者牧野富太郎博士がこの地で発見し、命名した桜です。

    佐川町の汚水枡の蓋。

    こちらの蓋は、町の木「ワカキノサクラ」をモチーフにしています。

    「ワカキノサクラ(稚木の桜)」は、佐川町出身の植物学者牧野富太郎博士がこの地で発見し、命名した桜です。

  • 佐川町の汚水枡の蓋。<br /><br />こちらの蓋は、町の花「サカワサイシン」をモチーフにしています。<br /><br />「サカワサイシン(佐川細辛)」は、「ワカキノサクラ」と同じく牧野富太郎博士が佐川町で発見し、命名した植物です。

    佐川町の汚水枡の蓋。

    こちらの蓋は、町の花「サカワサイシン」をモチーフにしています。

    「サカワサイシン(佐川細辛)」は、「ワカキノサクラ」と同じく牧野富太郎博士が佐川町で発見し、命名した植物です。

  • こちらは先の植物学者、牧野富太郎博士の生誕地に建つ「牧野富太郎ふるさと館」です。

    こちらは先の植物学者、牧野富太郎博士の生誕地に建つ「牧野富太郎ふるさと館」です。

  • 館内には、博士縁の貴重な資料が展示されています。<br /><br />ちなみに、牧野富太郎博士の生家も「菊の露」という銘柄の酒を醸造していた造り酒屋です。

    館内には、博士縁の貴重な資料が展示されています。

    ちなみに、牧野富太郎博士の生家も「菊の露」という銘柄の酒を醸造していた造り酒屋です。

  • 風情のある脇道があったので歩いてみます。

    風情のある脇道があったので歩いてみます。

  • 脇道の先には、重厚な土塀を巡らせた・・・

    脇道の先には、重厚な土塀を巡らせた・・・

  • 見事な門構えのお屋敷がありました。

    見事な門構えのお屋敷がありました。

  • この脇道を風情豊かなものにしている土蔵には・・・

    この脇道を風情豊かなものにしている土蔵には・・・

  • 水切り瓦とナマコ壁がしつらえられています。

    水切り瓦とナマコ壁がしつらえられています。

  • この辺りで佐川の風情ある町並みが途切れたので、ここから引き返します。

    この辺りで佐川の風情ある町並みが途切れたので、ここから引き返します。

  • 2階の出格子窓に花を飾った町家。

    2階の出格子窓に花を飾った町家。

  • こちらの町家は、横の脇道との高さを調整するため、石積みの高い基礎を設けています。

    こちらの町家は、横の脇道との高さを調整するため、石積みの高い基礎を設けています。

  • 太い格子のハンガー戸を玄関に設けている町家。<br /><br />さて、この先の脇道が面白そうなので、行ってみます。

    太い格子のハンガー戸を玄関に設けている町家。

    さて、この先の脇道が面白そうなので、行ってみます。

  • 「ひょいっ!」と脇道に入ると、こんな思いがけない光景に出会えました。

    「ひょいっ!」と脇道に入ると、こんな思いがけない光景に出会えました。

  • 建物正面側のメイン道路の高さに比べて、裏側の脇道が低いので・・・

    建物正面側のメイン道路の高さに比べて、裏側の脇道が低いので・・・

  • これらの町家は、脇道側に石積みの基礎を設けるなどして、高低差を調整しています。<br /><br />では、メイン道路へ戻ります。

    これらの町家は、脇道側に石積みの基礎を設けるなどして、高低差を調整しています。

    では、メイン道路へ戻ります。

  • こちらの建物は司牡丹酒造の酒蔵です。

    こちらの建物は司牡丹酒造の酒蔵です。

  • こちらの町家は、先ほどの司牡丹酒造の酒蔵の先の脇道を入った所にある「旧伊藤蘭林塾」です。

    こちらの町家は、先ほどの司牡丹酒造の酒蔵の先の脇道を入った所にある「旧伊藤蘭林塾」です。

  • 深尾氏の家臣の子として生まれた伊藤蘭林は、佐川の教育の礎を築いた偉大な教育者で、牧野富太郎博士をはじめとして、多くの門下生が巣立って行きました。

    深尾氏の家臣の子として生まれた伊藤蘭林は、佐川の教育の礎を築いた偉大な教育者で、牧野富太郎博士をはじめとして、多くの門下生が巣立って行きました。

  • この塾は、安永元年(1772年)に深尾氏が創設した「名教館」で教鞭をとった伊藤蘭林が、明治維新で「名教館」が廃校となった後開いた私塾です。

    この塾は、安永元年(1772年)に深尾氏が創設した「名教館」で教鞭をとった伊藤蘭林が、明治維新で「名教館」が廃校となった後開いた私塾です。

  • メイン道路へ戻って来ました。

    メイン道路へ戻って来ました。

  • 江戸時代に建てられたものから、最近新たに建てられたものまで、司牡丹酒造の数ある酒蔵の中で、最も大きいのがこの建物です。

    江戸時代に建てられたものから、最近新たに建てられたものまで、司牡丹酒造の数ある酒蔵の中で、最も大きいのがこの建物です。

  • その規模は延長85mにも及ぶ、日本有数の長大さを誇っています。

    その規模は延長85mにも及ぶ、日本有数の長大さを誇っています。

  • 佐川入封に際してお抱えの酒造り職人を伴って来た深尾氏は、清流仁淀川の清らかな伏流水などを使った酒造りを奨励すると、確かな醸造技術と良質の天然水とが見事に融合して、数々の銘酒が生み出されました。<br /><br />このように酒のまちとして発展してきた歴史的背景のある佐川には、かつての風情を今に伝える町並みが広がっていました。<br /><br />では、この旅最後の目的地へ向かいます。

    佐川入封に際してお抱えの酒造り職人を伴って来た深尾氏は、清流仁淀川の清らかな伏流水などを使った酒造りを奨励すると、確かな醸造技術と良質の天然水とが見事に融合して、数々の銘酒が生み出されました。

    このように酒のまちとして発展してきた歴史的背景のある佐川には、かつての風情を今に伝える町並みが広がっていました。

    では、この旅最後の目的地へ向かいます。

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