2017/05/11 - 2017/05/13
37位(同エリア93件中)
naoさん
旅の行程
5月11日 椿泊、日和佐浦
5月12日 吉良川、奈半利、土居廓中
5月13日 佐川、いの
高知県安芸市は、室戸岬と高知市のほぼ中間地点に位置する太平洋沿岸の町で、鎌倉時代から戦国時代末期にかけては、延慶元年(1308年)頃に建てられた安芸城を本拠として、豪族安芸氏が支配していました。
しかし安芸氏は、四国統一を目指す長宗我部元親との合戦に敗れ、天正13年(1585年)に四国統一を果たした長宗我部元親が代って支配することになります。
ところがその長宗我部元親も、同年秋に天下統一を進める豊臣秀吉による四国攻めにあい降伏すると、土佐国を除く全ての領地を没収されてしまいます。
その後も、土佐国は長宗我部氏による支配が続きましたが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は、この戦いで西軍方についた長宗我部氏から領地を没収し、味方として功績をあげた山内一豊にこれを与え、土佐藩9万8千石が成立します。
土佐藩主となった山内一豊は、家老の五藤内蔵助為重を安芸城に入城させ、五藤氏の家臣達に武家屋敷の整備を進めさせると、それぞれの役目に応じて屋敷を与えたことで、「土居廓中」と呼ばれる武家屋敷が成立します。
ちなみに、「土居」は領主が住んだ城を、「廊中」は城の周囲に配された家臣達の武家屋敷を指すそうです。
元和元年(1615年)に徳川幕府が下した一国一城令により安芸城が取り壊しとなった後、五藤氏は安芸城跡の横に屋敷を構えますが、家臣達がそのまま住み続けた「土居廓中」には、土用竹やウバメガシなどの生垣に囲まれた武家屋敷がほぼ昔の姿のまま残る、風情ある佇まいの町並みが広がっています。
「土居廓中」南側の、のどかな田園風景の中にある伝統的な白壁のお屋敷の屋根の上に、まるで一幅の絵画が掛けられているかのごとく、ローマ数字の文字盤がモダンな「野良時計」が、「スック!」と頭を出しています。
この「野良時計」は、お屋敷の台所に掛かっていたアメリカ製の八角形の掛時計を、何度も何度も分解しては組み立てて、独学で時計の原理を学んだ主人が、まだ時計が一般に普及していなかった明治20年(1887年)頃、分銅や歯車などすべての部品を手作りして作り上げたもので、以来、120年にわたって農作業に精を出す人々に時を告げてきました。
「土居廊中」の西側に広がる田園地帯のはずれに、寛政7年(1795年)頃に建てられた、三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎の生家が修復保存されています。
生家の居間に南面する小さな庭園には、天下に羽ばたくことを夢見ていた少年時代の彌太郎が、日本列島を模して自ら作った石組が配置されており、ここに、彌太郎が築きあげた三菱財閥の礎がうかがわれるような気がします。
ちなみに、彌太郎の生家の土蔵に見られる、菱形を3段に積み上げた「三階菱」の岩崎家の家紋と、土佐藩主山内家の「三柏」の家紋を原型として、現在の「三菱」のマークが作られたと言われています。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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安芸市の土居廓中へやって来ました。
藩主山内一豊の命により安芸城に入城した、土佐藩家老五藤内蔵助為重の家臣達により整備されたのが土居廓中と呼ばれる武家屋敷で、土用竹やウバメガシなどの生垣に囲まれたお屋敷がほぼ昔の姿のまま残る、風情ある佇まいの町並みが広がっています。
さて、土居公民館にある観光用駐車場に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。 -
絶滅危惧種の「トビハゼ」が、シルクハットに蝶ネクタイを結んだ、何とも楽しげな表情で描かれている安芸市の消火栓の蓋。
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こちらは同様の「トビハゼ」がモチーフになっている安芸市の水道の仕切弁です。
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見事なまでに規則正しく瓦を埋め込んだ塀です。
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瓦を埋め込んだ塀を巡らせた建物の妻面には、水切り瓦が見えます。
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立派な長屋門の残るお屋敷です。
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出格子屋根の曲線の垂木は、一枚の板から削り出されています。
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ここは土居廓中の南西の角に当たります。
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木目も鮮やかな雨戸をはめた妻入りのお屋敷。
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では、武家屋敷の町並みを歩きます。
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武家屋敷の町並みの中にも・・・
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「いしぐろ」を巡らせたお屋敷があります。
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土蔵には、水切り瓦もしつらえています。
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土用竹の生垣が続く武家屋敷の町並み。
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こちらのお屋敷は、五藤氏の上級家臣だった野村家で、一般公開されています。
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野村家の表門を入ると、座敷前の庭園や中庭との境に塀重門(中門)が設けられています。
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手入れが行き届いている座敷前の庭園の様子です。
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塀重門越しに見えているのは表門です。
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座敷にしつらえられた床の間です。
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座敷内部から座敷前の庭園を見た光景です。
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華美に過ぎない、落ち着いた庭園ですね。
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次は中庭です。
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中庭との境の塀重門をくぐると、居間へ上がるための簡素な式台が設けられています。
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中庭から建物内部を覗き見たところです。
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居間や座敷を透かして庭園が見えています。
では、武家屋敷の町並みへ戻ります。 -
野村家の裏側の通りです。
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土用竹やウバメガシの生垣に囲まれた武家屋敷が続きます。
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こちらは、先ほどとは違う別の野村家です。
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武家屋敷の門内の様子。
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武家屋敷の町並みの一画には・・・
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茅葺屋根の建物も残っています。
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寄り付きをピンコロ石で舗装したお屋敷。
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ウバメガシの生垣に囲まれたお屋敷と・・・
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土用竹の生垣に囲まれたお屋敷。
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では、ここで引き返します。
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先ほどの、茅葺屋根の建物が残るお屋敷です。
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立派な門構えのお屋敷です。
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安芸市の汚水枡の蓋。
安芸市の花「ツツジ」と「野良時計」がデザインされています。 -
絶滅危惧種の「トビハゼ」が向い合っているのは、上水道の量水器の蓋です。
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こちらのお屋敷に使われている「いしぐろ」は・・・
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大き目の玉石基礎の上に、小さな玉石を積み上げておられます。
この後は、安芸城跡へ向かいます。 -
安芸城跡のお堀が見えてきました。
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お堀の水面に浮かぶ睡蓮の花。
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手入れの行き届いた良い松が・・・
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お堀の水面の上に枝を広げています。
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いわゆる大手口を抜けて・・・
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安芸城跡の中へ進みます。
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安芸城を守護していた土佐藩家老、五藤氏のお屋敷が見えてきました。
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お屋敷の庭に植えられた、外皮だけで生き続けている桜の古木。
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主屋の正面玄関。
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正面玄関左手の門は、座敷前の庭へ通じる中門です。
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縁側が廻る座敷です。
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こちらは附属屋です。
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附属屋裏面の佇まいです。
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では、土居廓中はこの辺りで切り上げて、野良時計へ向かいます。
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野良時計へ向かう途中の町並みの様子。
瓦を埋め込んだ塀と「いしぐろ」が並んでいます。 -
のどかな田園風景の中に野良時計が見えてきました。
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伝統的な白壁のお屋敷の屋根の上で・・・
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ローマ数字の文字盤がひと際目立って、まるで一幅の絵画を見ているようです。
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この「野良時計」は、まだ時計が一般に普及していなかった時代に独学で時計の原理を学んだ主人が、分銅や歯車などすべての部品を手作りして作り上げたものだそうです。
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以来120年にわたって、野良仕事に精を出す、時計を持たない人々に時を告げてきました。
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こちらは野良時計に隣接する和風茶屋さんです。
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では、車を停めさせてもらっている土居公民館に戻って、岩崎弥太郎の生家へ向かいます。
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土居公民館へ戻る途中の小学校の校庭に、二宮尊徳が立っていました。
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岩崎弥太郎の生家にやって来ました。
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土居廊中の西側の田園地帯の外れに・・・
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寛政7年(1795年)頃に建てられた・・・
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三菱財閥の創始者、岩崎彌太郎の生家が修復保存されています。
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室内の写真撮影は不可とのことなので、ここまでが限度です。
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岩崎家に保存されていた消火ポンプが展示されています。
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「いしぐろ」の外に出て主屋を見たところです。
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土蔵の妻壁には、おなじみの三菱のマークが浮きあがっています。
三菱のマークは、岩崎家の家紋と土佐藩主山内家の家紋を組み合わせて作られたものだそうです。 -
「岩崎弥太郎生誕之地」の石標。
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こうして岩崎彌太郎の生家を訪れたことで・・・
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大財閥三菱を築きあげた岩崎彌太郎が、天下雄飛を夢見ていた少年時代の姿を垣間見たような気がします。
では、今宵の宿へ向かいます。
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