2017/05/11 - 2017/05/13
74位(同エリア298件中)
naoさん
旅の行程
5月11日 椿泊、日和佐浦
5月12日 吉良川、奈半利、土居廓中
5月13日 佐川、いの
徳島県阿南市椿泊は、天正13年(1585年)の豊臣秀吉による四国征伐の際、蜂須賀家政の木津城攻略に従軍して功績をあげた阿波水軍の総帥、森志摩守村春がその褒美として与えられた所で、陸路が閉ざされ、深く入り組んだ入江が天然の要害を形作っていたこともあって、以後、阿波水軍の本拠が置かれました。
その後、森志摩守村春から分家して阿波水軍の総帥を引き継いだ森村重以降、歴代の総帥が森甚五兵衛を名乗るようになります。
海部沿岸から、淡路や紀伊水道一帯までを抑えていた阿波水軍は、阿波藩の海上方として重用され、藩主の参勤交代の際など重要な役割を担っていたようで、椿泊もまた、藩の船運のすべてを担う港町としてその役割を果たしていました。
また、阿波藩主から椿泊以南の漁業権を与えられていた阿波水軍は、良好な漁場を背景に椿泊を漁村としても栄えさせていたようで、小さな漁港のある集落に過ぎない現在の椿泊町も、阿南市最大の漁獲高を誇っています。
トラックが出入りする椿泊港から、山と海に挟まれた海岸線をさらに先に進むと、軽自動車がやっと通れるほどの、路地と言っても過言ではない狭い道の両側に、伝統的な民家が連なる椿泊の町並みが続いています。
古くからの港町や漁師町が海岸沿いにあるのはよく見かけますが、その大半は海を埋め立てて道路にしているところが多く、椿泊のように、急峻な山がそのまま海に沈み込んでいる地形から、埋め立てがおぼつかない事情があるとはいえ、海岸線の曲がりくねった狭い道を今もそのまま使っているのは珍しいことです。
椿泊の民家の特徴は、窓の手すりに趣向を凝らした彫り物細工が施されていることで、こうしたところに漁業で栄えた豊かさと、互いに競いあったであろう様子がうかがえます。
町並みを歩くと、確かに結構な数の空き家が目立つものの、軒先には干物が吊られ、玄関先に三輪車を置いている若い世代の多い、生き生きとした町であることが伝わってきます。
なお、余りにも道が狭いので、要領を得ない訪問者が車で入るのは地元の皆さんへの迷惑に繋がるので、椿泊港近くに車を停めて歩いて行くのが賢明です。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
椿泊漁港へやって来ました。
-
漁港目指して、漁船がハイスピードで帰って来ます。
では、漁港の空き地に車を停めさせてもらって、町歩きを始めます。 -
椿泊の町並みです。
写真でお判りのように、車1台通るのがやっとの狭い道沿いに民家が連なっています。 -
2軒の棟割り長屋の片方は空き家のようです。
-
椿泊の町並みの大きな特徴を示す民家がありました。
-
椿泊の民家の大きな特徴として挙げられるものに、窓に付けられた手すりがあります。
-
こちらの民家の手すりには松と鶴が透かし彫りされていますが、このように、町並みに連なるそれぞれの民家には、実に趣向を凝らした手すりを見ることが出来ます。
-
手前の民家も空き家のようなんですが、この後歩いた椿泊の町並みには、結構な数の空き家が存在していることが判りました。
-
一棟の長屋と見受けられる民家なのに、住んでいる方の好みに応じて、付けられている手すりにバリエーションがあります。
-
背後の急峻な山がそのまま海に沈み込んでいる椿泊の地形ゆえ、一歩路地に入ると狭い階段状の道が続いています。
-
町並みの中ほどにある船溜まりにも・・・
-
たくさんの漁船が係留されています。
-
漁船が一艘帰って来ました。
-
玄関に南京錠が掛けられているので、こちらも空き家のようです。
-
こちらの民家はアルミの手すりがついています。
手すりを取り替えたのか、それとも建物自体が新しいのか、どうなんでしょうか・・・。 -
この辺りの町並みから、椿泊の民家の大きな特徴である、趣向を凝らした手すりをしつらえた民家が現れます。
-
こちらの民家の手すりは、1階と2階で微妙にディティールが異なりますが、人の手が触れる上段に丸俸を渡しています。
-
狭い道が続く椿泊の町並みです。
-
前の民家の手すりのアップ写真です。
若干細かいディティールに違いはあっても、こちらも上段に丸俸を渡した橋の欄干を思わせる手すりです。 -
こちらの民家は、1・2階とも同じデザインの手すりが取り付けられています。
-
こちらの民家の手すりは・・・
-
曲線を組み合わせ、見え方を工夫しています。
-
こちらの民家は、直線を組み合わせた手すりがついています。
-
売りに出されているこちらの民家の手すりは・・・
-
波をアレンジした様な模様が連続しています。
-
狭くて曲がりくねった道が続く椿泊の町並みです。
-
こちらの民家の手すりは、細い手摺子で組まれています。
-
こちらの民家の手すりは・・・
-
透かし彫りの板が嵌められています。
-
椿泊の町並みです。
-
ヤシの木が植えられた民家の手すりは、松の枝をモチーフにした透かし彫りがされています。
-
ここは特に道幅が狭いので、建物に被害を受けないよう、石を置いて防御しています。
-
直線だけを組み合わせて、個性的な表情の手すりを構成しています。
-
道路より敷地の方が高いので、落下防止の柵が設けられています。
-
左手の民家の手摺子は・・・
-
私には「万歳」しているように見えるんですが・・・。
-
反対側から見ても、本当に道幅が狭いですね。
-
こちらの民家の手すりは・・・
-
分銅を繋ぎ合せたような模様に見えます。
手の込んだ、細かい仕事が見てとれますね。 -
こちらの民家の手すりは、竪の手摺子にバリエーションを持たせたデザインになっています。
-
こちらの民家には、1階と2階で全く趣きの異なるデザインの手すりが付けられています。
2階の幾何学模様に対して・・・ -
1階は枝ぶりの良い松が彫られています。
-
椿泊の町並みを振り返ったところです。
-
道が狭くて消防車も入って来れないので、町並みの所々に消防ホースの格納箱が配置されています。
-
こちらの民家は、部分的に下見板を取り替えておられます。
-
この民家の先で、道路がクランク状になっているんですが・・・
-
この道幅でこのクランクですから、地元の方も一旦停止して、慎重にハンドル操作されていました。
-
玄関部分を張り出して、入母屋の屋根を架けている民家。
-
椿泊の町並みです。
ここも道幅が狭いですね。 -
手前の民家は3階建ですが、もちろん、3階にも手すりは付いています。
-
1階と2階でデザインの異なる手すりを付けた民家。
-
出格子の荷重を支える持ち送りに、複雑な木彫り模様が浮き出ています。
-
狭くて曲がりくねった道が続きます。
-
奥側の民家に特徴の手すりが見られます。
-
1階には松、2階には幾何学模様の手すりを付けた民家。
-
1階の手すりをよく見ると、全て松の絵柄が異なっています。
大量生産ではない、一品物の手彫り細工であることの証ですね。 -
1階下屋の出隅部のディティール。
木彫り細工の桁と持ち送りで支えています。 -
軽くクランク状に曲がる道。
-
石垣の上に佇む民家。
-
こちらの民家の手すりは、扇のシルエットが彫られています。
-
瓦に根付いた草花。
-
こちらの民家の建築様式は伝統的なんですが、この町並みでは余り見かけない表情をしています。
-
煉瓦色の低い塀は、車を屋根に当てないように注意を促すために設けられているんでしょうね・・・。
-
千成ひょうたんをアレンジした様な絵柄の手すり。
-
こちらの手すりは、花をアレンジされているようです。
-
町並みの途中にある佐田神社。
-
社殿は何段もの石段を上った所に鎮座しています。
-
参道に鎮座する阿形の狛犬と・・・
-
吽形の狛犬。
こんなことを言うと叱られるかもしれませんが、この狛犬を見ていると、志村けんのバカ殿の表情を思い浮かべてしまいます。 -
境内の、大きく枝を広げるクスノキの陰に社殿があります。
-
佐田神社と同様に、斜面に沿って広がる民家。
-
ブルーシートを張った臨時の作業場が出来ています。
-
こちらの民家の手すりは、松と波模様ですかね。
-
椿泊の町並み。
-
こちらの民家の手すりは、二パターンの松が彫られています。
-
直線を組み合わせた手すりの民家。
-
こちらの手すりは幾何学模様と直線を組み合わせています。
-
石碑が示すように、椿泊小学校は阿波水軍総帥の屋敷だった松鶴城の跡地に建っています。
阿波藩の海上方として重用された阿波水軍は、ここを本拠として淡路や紀伊水道一帯を守る重要な役割を担っていました。 -
町並みの端にある民家の裏に、由賀神社の赤い鳥居が立っています。
社殿までは相当な山道が続いているようです。 -
岬の先端に突き出た突堤から振り返った光景です。
急峻な山がそのまま海に沈み込む海岸線に合わせて、曲がりくねった狭い道沿いに連なる町並みの様子がよく判ります。 -
岬の先端に建っている刈又埼(かりまたさき)灯台。
初めて点灯されたのは昭和40年(1965年)のことだそうです。 -
では、ここで引き返します。
-
漁のおこぼれに預かろうとしているのか・・・
-
大空をトンビが飛び回っています。
-
こんなに狭い道の先に・・・
-
こんな曲り角がありました。
写真ではそんなに狭いとは感じないんですが、現地を見れば「なるほど!」とうなづいて戴けると思います。 -
妻面の小さな窓にも手すりが付けられています。
-
さて、もう少し歩くと船溜まりです。
-
船溜まりの水が透き通っているので、じっと眼を凝らすと・・・
-
ふぐの赤ちゃんが泳いでいました。
戦国時代より阿波水軍の本拠が置かれ、阿波藩の海上方として海とともに生きてきた椿泊は、今も漁業を生業とする小さな集落で、軽自動車がやっと通れるほどの狭い道沿いに連なる民家には、趣向を凝らした木彫り細工の窓手すりを見ることができ、かつて互いに豊かさを競い合った姿を彷彿とさせてくれました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
naoさんの関連旅行記
阿南・日和佐・海陽・那賀(徳島) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
90