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5月22日(月)5日目<br />午前中は荊州古城を見学後、午後は宣昌へ移動。<br />ここで は、三国志3大決戦の1つである夷陵の闘いの舞台である琥亭古戦場を見学。夜、高速鉄道で宣昌から成都へ移動。成都泊。

魏・呉・蜀の英雄の面影をたどり歴史のスケールを体感する三国志12日間の旅(その4)

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2017/05/18 - 2017/05/29

21位(同エリア24件中)

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ラブラー

ラブラーさん

5月22日(月)5日目
午前中は荊州古城を見学後、午後は宣昌へ移動。
ここで は、三国志3大決戦の1つである夷陵の闘いの舞台である琥亭古戦場を見学。夜、高速鉄道で宣昌から成都へ移動。成都泊。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 荊州で泊まった金九龍大飯店から、市内を眺める。<br />ホテルの正面には大きなビルが建っています。

    荊州で泊まった金九龍大飯店から、市内を眺める。
    ホテルの正面には大きなビルが建っています。

  • 道路も広く、整備されています。<br />荊州の人口は790万人だそうです。

    道路も広く、整備されています。
    荊州の人口は790万人だそうです。

  • ホテルを8時半に出発し、荊州城に向います。<br /><br />

    ホテルを8時半に出発し、荊州城に向います。

  • 荊州と書かれた城門が見えてきました。<br />今は、車が通る道路になっています。

    荊州と書かれた城門が見えてきました。
    今は、車が通る道路になっています。

  • 関羽が守っていた荊州城に入ります。<br /><br />荊州は、長江の中流にあり、上流は益州(四川)、北は、魏の曹操、下流は呉の孫権と重要な戦略拠点であった。

    関羽が守っていた荊州城に入ります。

    荊州は、長江の中流にあり、上流は益州(四川)、北は、魏の曹操、下流は呉の孫権と重要な戦略拠点であった。

  • ここは、関羽が堅守した華中随一の名城・荊州古城になります。<br /><br />魏・呉・蜀の接点になるため、取ったり取られたりと、三国志でもよく出てくる場所です。

    ここは、関羽が堅守した華中随一の名城・荊州古城になります。

    魏・呉・蜀の接点になるため、取ったり取られたりと、三国志でもよく出てくる場所です。

  • 城の中に入ります。<br />

    城の中に入ります。

  • 城内は、開けた街になっています。

    城内は、開けた街になっています。

  • 城内の案内図です。

    城内の案内図です。

  • 4Aクラスの観光地です。<br /><br />最近の中国の観光地はよく整備されています。

    4Aクラスの観光地です。

    最近の中国の観光地はよく整備されています。

  • 城中の鐘楼に入ると、周りは、長江の支流の川で囲まれていました。

    城中の鐘楼に入ると、周りは、長江の支流の川で囲まれていました。

  • やはり、川と城壁で守りを固めているのですね。<br /><br />但し、この城は、1800年前の三国志の時代のものではなく、明、清の時代に増築、整備されたそうです。<br /><br />

    イチオシ

    やはり、川と城壁で守りを固めているのですね。

    但し、この城は、1800年前の三国志の時代のものではなく、明、清の時代に増築、整備されたそうです。

  • これは、城内の建物です。

    これは、城内の建物です。

  • 別の角度の鐘楼からの眺望。

    別の角度の鐘楼からの眺望。

  • 先ほど登った鐘楼です。

    先ほど登った鐘楼です。

  • 荊周城を離れ、宣昌へ向かう途中、高速鉄道が走っていました。<br /><br />今日の夕方には、高速鉄道に乗ります。

    荊周城を離れ、宣昌へ向かう途中、高速鉄道が走っていました。

    今日の夕方には、高速鉄道に乗ります。

  • 宣昌に到着。長江(揚子江)にかかる橋が見えてきました。<br /><br />ここは、三狭ダムのある街で、約10年前に三狭下りで来たことがありますが、いい思い出がありません。<br />ここから上海に行く飛行機が欠航となり、別料金(ビジネスクラス)で代わりの航空券を買わされた苦い経験があります。<br />でも、再訪できて懐かしいです。<br /><br />

    宣昌に到着。長江(揚子江)にかかる橋が見えてきました。

    ここは、三狭ダムのある街で、約10年前に三狭下りで来たことがありますが、いい思い出がありません。
    ここから上海に行く飛行機が欠航となり、別料金(ビジネスクラス)で代わりの航空券を買わされた苦い経験があります。
    でも、再訪できて懐かしいです。

  • 長江河畔に夷陵の闘いの舞台である琥亭古戦場があります。<br />現在の宣昌は、当時は夷陵(いりょう)といっていそうです。

    長江河畔に夷陵の闘いの舞台である琥亭古戦場があります。
    現在の宣昌は、当時は夷陵(いりょう)といっていそうです。

  • ここもテーマパークの様に整備されています。<br /><br /><br />

    イチオシ

    ここもテーマパークの様に整備されています。


  • 巫女さんの姿の女性が、我々入場者にお酒をふるまってくれた。<br />このようなサービスは初めてぢした。

    巫女さんの姿の女性が、我々入場者にお酒をふるまってくれた。
    このようなサービスは初めてぢした。

  • 夷陵の闘い(222年)は、関羽が呉の孫権に殺されたため、劉備がその仇討ちのために成都から軍隊を連れて長江を下ってきた。また、重慶で張飛で落ち合うはずであったが、出発直前に張飛が部下に殺されてしまい、盟友2人をなくしての闘いであった。夷陵で呉の陸遜と闘い、大敗し、劉備は白帝城に退き、ここで亡くなる(223年4月)。

    夷陵の闘い(222年)は、関羽が呉の孫権に殺されたため、劉備がその仇討ちのために成都から軍隊を連れて長江を下ってきた。また、重慶で張飛で落ち合うはずであったが、出発直前に張飛が部下に殺されてしまい、盟友2人をなくしての闘いであった。夷陵で呉の陸遜と闘い、大敗し、劉備は白帝城に退き、ここで亡くなる(223年4月)。

  • 当時の闘いの様子を示している図。趙雲?。

    当時の闘いの様子を示している図。趙雲?。

  • 河畔から長江の眺め。右奥が上流で蜀の国。

    河畔から長江の眺め。右奥が上流で蜀の国。

  • 左が下流で、呉の国。下流に先ほどの大橋が見る。<br />

    左が下流で、呉の国。下流に先ほどの大橋が見る。

  • 塩を運んだ道です。

    塩を運んだ道です。

  • 長江の岩肌に作った古桟道で、ここを途中まで歩きます。

    長江の岩肌に作った古桟道で、ここを途中まで歩きます。

  • 右が長江、左の岩肌に中頃に桟道があります。

    右が長江、左の岩肌に中頃に桟道があります。

  • 諸葛孔明が書いた前・后出師表が岩肌に刻まれている。でも最近のもののようです。

    諸葛孔明が書いた前・后出師表が岩肌に刻まれている。でも最近のもののようです。

  • 中国のガイドさんの周さん。非常に温厚で日本語もうまく、三国志にも詳しい人でした。<br />出師表の説明をしています。

    中国のガイドさんの周さん。非常に温厚で日本語もうまく、三国志にも詳しい人でした。
    出師表の説明をしています。

  • 桟道

    イチオシ

    桟道

  • 桟道を歩き、当時の闘いに思いを馳せます。

    桟道を歩き、当時の闘いに思いを馳せます。

  • 夷陵の闘いの舞台は170kmにも渡っているそうです。

    夷陵の闘いの舞台は170kmにも渡っているそうです。

  • 夷陵の闘いを見学後、宣昌の高速鉄道の駅に向いました。<br /><br />武漢からきたバスの運転手と、女性のガイドさんとはここでお別れです。

    夷陵の闘いを見学後、宣昌の高速鉄道の駅に向いました。

    武漢からきたバスの運転手と、女性のガイドさんとはここでお別れです。

  • 駅舎も大きいです。

    駅舎も大きいです。

  • 高速鉄道は、重慶を経由して、蜀の都だった成都に向います。約7時間の列車の旅です。なかなか快適な列車の旅です。<br />途中は山の中で、当時は、歩いて移動したことを考えると大変な旅だったのだと感心します。<br />深夜、成都に到着し、ホテルへ。

    高速鉄道は、重慶を経由して、蜀の都だった成都に向います。約7時間の列車の旅です。なかなか快適な列車の旅です。
    途中は山の中で、当時は、歩いて移動したことを考えると大変な旅だったのだと感心します。
    深夜、成都に到着し、ホテルへ。

  • 写真の本は、下の資料の11、12.<br />(三国志の資料)<br /><三国志について><br /> 三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。<br /> 三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。<br /> <br /><三国志のあらすじ><br /> 西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。<br /> 紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。<br />191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。<br /> 198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。<br />この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。<br />208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。<br />220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。<br />この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。<br /> 225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。<br />227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。<br /><br /><三国志のビデオ及び参考書><br /><br /><ビデオ・DVD><br />1.	守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作<br />2.	三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター<br />3.	三国志、DVD&データファイル:講談社<br />4.	横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店<br />5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画<br /><本><br />1.	人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年<br />2.	渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年<br />3.	庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年<br />4.	殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年<br />5.	桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年<br />6.	桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年<br />7.	桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年<br />8.	三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年<br />9.	別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年<br />10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年<br />11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年<br />12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年<br />13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年<br />14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 <br />15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年<br />16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年<br />17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年<br />18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年<br />19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年<br />20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年<br />21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年<br />

    写真の本は、下の資料の11、12.
    (三国志の資料)
    <三国志について>
     三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。
     三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。
     
    <三国志のあらすじ>
     西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。
     紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。
    191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。
     198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。
    この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。
    208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。
    220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。
    この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。
     225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。
    227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。

    <三国志のビデオ及び参考書>

    <ビデオ・DVD>
    1. 守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作
    2. 三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター
    3. 三国志、DVD&データファイル:講談社
    4. 横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店
    5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画
    <本>
    1. 人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年
    2. 渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年
    3. 庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年
    4. 殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年
    5. 桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年
    6. 桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年
    7. 桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年
    8. 三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年
    9. 別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年
    10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年
    11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年
    12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年
    13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年
    14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 
    15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年
    16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年
    17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年
    18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年
    19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年
    20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年
    21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年

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