2017/05/18 - 2017/05/29
109位(同エリア211件中)
ラブラーさん
約1800年前の中国の魏・呉・蜀の三国志の世界を訪ねる旅に行ってきました。
1日目:夕方成田空港を発ち、湖北省の省都・武漢に深夜到着。
2日目:武漢からほど近い、三国志史上最大の激戦地、赤壁に向い見学。帰りに長江にかかる長江大橋を渡る。夜は、オプションで長江クルージングに参加。
3日目:午前中は、武漢市内の黄鶴楼を見学。午後は、劉備玄徳と諸葛孔明 の出会いの町・襄よう(じょうよう)へ行き、襄よう城を見学。
4日目:午前中は襄よう郊外の古隆中を見学、午後は、当陽の趙雲像、長坂坡の闘いの古戦場、その後、荊州へ。
5日目:午前中は荊州古城観光、午後は長江近くの宣昌の夷陵の闘いの古戦場を見学後、列車で蜀の国の成都へ移動。
6日目:午前中は成都観光、午後は龍統の墓を見学後、金牛古道を歩き、綿陽へ移動。
7日目:午前中は綿陽観光後、広元へ。途中、剣門関、姜維の墓を見学。午後は昭化古城を見学し、広元に宿泊。
8日目:午前中は明月恭狭古桟道を見学後、勉県へ移動。午後は漢中博物館、諸葛孔明の墓を見学。
9日目:午前中は宝鶏を経由して五丈原へ。しかし、途中でバスが故障し、立ち往生。別のバスとタクシーを使って西安に深夜到着。
10日目:午前中は高速鉄道で洛陽に移動。午後は、龍門石窟、関林廟、白馬寺を見学。
11日目:魏の古地・許昌へ移動。覇陵橋公園、春秋楼を見学。午後は鄭州へ移動。
12日目:午前中は国内線で上海に移動。上海の豫園を見学後、成田に帰国。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
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約1年ぶりの投稿です。
三国志は以前から興味があり、中国の三国志演技のビデオを買い何回も見て楽しみ、また、本も買い、1800年前の男のロマンにふけっていました。今回、クラブクーリズムから、7年ぶりに三国志の旅が再開されたので、参加してみました。
5月18日(木)成田空港に午後4時25分集合。 -
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58Bの搭乗口から出発。
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18時55分発のNH0937便で武漢に向う。
所要時間は4時間25分、時差ー1時間。 -
深夜、12時半頃、武漢空港に到着。
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武漢空港内には、逆浸透膜を使った飲料水、お湯のサービス機械がありました。
カップラーメンなどに使っているようです。 -
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ゴミ箱は、再利用可能と再利用できないものにわかれていましたが、分別はできていないようです。
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武漢国際空港。
この日は、バスでホテルに向い就寝。 -
5月19日(金):2日目
ホテルのレストランから市内を展望。
下には広い道路が通っており、車社会のようです。 -
左側では、ビルが建設中です。
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隣にも大きなビルが建っています。
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朝食後、9時にホテルを出発し、三国志最大の激戦地である赤壁に向う。
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途中、長江の橋を渡る。
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途中、黄鶴楼の側を通る。ここは、明日見学します。
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途中のトイレ休憩で現在地を確認。
武漢から赤壁までは160km、約3時間かかります。 -
12時頃、赤壁のテーマパークに到着。
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ここで、昼食です。
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御膳坊:お食事処
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イチオシ
三国赤壁古戦場の地図です。
現在はテーマパークに整備されています。 -
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これからテーマパーク内を歩いて見学します。
車で回ることもできます。
槍を持った人は、銅像です。 -
イチオシ
いきなり、ガンダムのような人形がお出迎えです。
赤壁の場には違和感がありますが、中国らしいですね。 -
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何の銅像かは忘れました。
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パーク内を更に進みます。
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イチオシ
三国志では、有名な桃園の誓いです。真中が劉備玄徳、右が関羽、左が張飛です。
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赤壁の模型
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赤壁の下には、呉の将軍、周瑜。
レッド・クリフにも出ていましたね。 -
イチオシ
これは、劉備と曹操の会談の図。
劉備は、まだ、地盤も力もないのに、曹操からこの世で真の英雄は私と劉備だと告げられ、劉備は驚いて箸を落としてしまったそうです。 -
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イチオシ
<連環の計>
王允は、董卓を打つために、王允家の歌姫、ちょう蝉を使い、呂布と仲違させた。呂布とちょう蝉が逢引しているところを董卓が覗き見している図。呂布が董卓を殺してしまいます。 -
劉備が南陽の諸葛孔明に会いに行く途中で公明の義父・黄承彦に出あう。
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<空城の計>
第一次北伐で大敗した蜀軍は、撤退する時に、諸葛孔明は城を空(から)に見せかけて魏の将軍、司馬仲達を欺く。 -
劉備の軍師・龍統が「連環の計」を進言している場面。
連環の計:輪を連ねて敵をほうむる策(上述) -
赤壁の闘いの一場面。
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周瑜から弓を十万本集めるように命令された諸葛孔明は、夜陰に紛れて藁を積んだ船で対岸の魏に攻め込み、弓矢を回収したという図
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イチオシ
武漢は呉の国ですから、周瑜像が建っています。
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赤壁の対岸(魏の陣地)を望む。
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赤壁摩崖石刻
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イチオシ
長江の岩に赤壁と書いてあるだけです。
この赤壁の字は、周瑜が剣で書いたとされています。 -
対岸を望むが、今は何もありません。
1800年も前の物語ですからね。
当時の様子を想像するしかありません。
そのため、このようなテーマパークは当時を偲ぶ上で必要なのかもしれません。 -
曹操軍の動きを監視した望江亭です。
望江亭は、周瑜像のそばから5分ほど山道を登った所にあります。 -
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赤壁大戦陳列館
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三国志の闘いに纏わる、魏・呉・蜀の英雄たちの像が陳列されています。
陶器製です。 -
三国志を賑わせた英雄たちの像です。
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諸葛孔明が東南の風を吹かせたとする猅風台。
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テーマパーク内の建物
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鐘楼
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金城
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お土産屋さんの町
閑散としていてあまり商売っ気はありません。 -
ちょうど4時にテーマパークの入り口でショーが行われていました。
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武漢に戻り、夕食後、長江下りのクルージングに参加。
乗船場近くの町並み。 -
長江の両岸のビルはライトアップしていました。
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観光にも力を入れているのですね。
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なかなかきれいです。
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長江大橋もライトアップ。
この橋には、鉄道と車が走っています。 -
クルージングは大好きです。
いい思い出ができました。
2日目のため、参加者は3名でした。。 -
下の資料で三国志演技のビデオの1です。
同じものがDVD2で販売されています。
(三国志の資料)
<三国志について>
三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。
三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と昭和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。
<三国志のあらすじ>
西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。
紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。
191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。
198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。
この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。
208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう(但し、フィクションで史実ではない)。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。
220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。
この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。
225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。
227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。
<三国志のビデオ及び参考書>
<ビデオ・DVD>
1. 守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作
2. 三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター
3. 三国志、DVD&データファイル:講談社
4. 横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店
5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)
<本>
1. 人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年
2. 渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年
3. 庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年
4. 殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年
5. 桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年
6. 桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年
7. 桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年
8. 三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年
9. 別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年
10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年
11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年
12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年
13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年
14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年
15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年
16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年
17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年
18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年
19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年
20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年
21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年
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