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5月21日(日):4日目<br /><br />午前中は、2700年の歴史を持ち、関羽が攻めた襄陽城を見学後、郊外にある諸葛孔明の古居・古隆中を見学。<br />午後は、当陽観光(趙雲像、長坂坡)を見学後、荊州へ移動。

魏・呉・蜀の英雄の面影をたどり歴史のスケールを体感する三国志12日間の旅(その3)

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2017/05/18 - 2017/05/29

14位(同エリア24件中)

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75

ラブラー

ラブラーさん

5月21日(日):4日目

午前中は、2700年の歴史を持ち、関羽が攻めた襄陽城を見学後、郊外にある諸葛孔明の古居・古隆中を見学。
午後は、当陽観光(趙雲像、長坂坡)を見学後、荊州へ移動。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 襄陽市内で泊まった川恵大飯店<br />

    襄陽市内で泊まった川恵大飯店

  • 出発前に、朝、Tさんと市内を歩いてみました。<br /><br />街の中は、きれいです。<br />後ろの方に黄色い上着を着た人が道路を掃除しています。

    出発前に、朝、Tさんと市内を歩いてみました。

    街の中は、きれいです。
    後ろの方に黄色い上着を着た人が道路を掃除しています。

  • 見ての通り、道路にゴミが落ちていません。<br />最近の中国で感心するのは、メインストリートはきれいになっています。<br />道路にゴミ箱が置いてあったり、職員が掃除しています。

    見ての通り、道路にゴミが落ちていません。
    最近の中国で感心するのは、メインストリートはきれいになっています。
    道路にゴミ箱が置いてあったり、職員が掃除しています。

  • 約10分位歩くと襄陽の城壁に着きました。<br /><br />城壁フェチさん、これから城壁が沢山出てきますよ。<br />多分、行ったところもあるのではないでしょうか。

    約10分位歩くと襄陽の城壁に着きました。

    城壁フェチさん、これから城壁が沢山出てきますよ。
    多分、行ったところもあるのではないでしょうか。

  • 中に入って行きます。

    中に入って行きます。

  • 上に登ることができます。

    上に登ることができます。

  • 城壁の向こうには漢水が流れ、対岸は魏の国だそうです。<br />

    城壁の向こうには漢水が流れ、対岸は魏の国だそうです。

  • 左側の景色です。

    左側の景色です。

  • 右側の景色です。<br />漢水では、朝にもかかわらず、子供たちが釣りや水泳をしていました。

    右側の景色です。
    漢水では、朝にもかかわらず、子供たちが釣りや水泳をしていました。

  • 途中、黒色のラブラドールを散歩していたので、写真を撮らせていただきました。<br /><br />私の家のラドル君は、訓練校に預けてきました。

    途中、黒色のラブラドールを散歩していたので、写真を撮らせていただきました。

    私の家のラドル君は、訓練校に預けてきました。

  • このバスで回っています。<br /><br />今回の旅の参加者は20人で、男性が17人、女性が3人です。日本から男の添乗員1人、中国のガイドさんが2名ついています。さすがに三国志の旅ですので、女性は少ないです。<br />したがって、バス内はゆったりです。

    このバスで回っています。

    今回の旅の参加者は20人で、男性が17人、女性が3人です。日本から男の添乗員1人、中国のガイドさんが2名ついています。さすがに三国志の旅ですので、女性は少ないです。
    したがって、バス内はゆったりです。

  • バスで襄陽城に向います。

    バスで襄陽城に向います。

  • 襄陽城に入ります。

    襄陽城に入ります。

  • 内部は街になっています。<br />

    内部は街になっています。

  • イチオシ

  • 城壁から漢水を眺めます。<br /><br />奥の橋は、昨日の夕食のレストランの前の橋です。

    城壁から漢水を眺めます。

    奥の橋は、昨日の夕食のレストランの前の橋です。

  • 城壁の上部です。<br />かなり広い(厚い)です。幅、4~5m位あります。

    城壁の上部です。
    かなり広い(厚い)です。幅、4~5m位あります。

  • 城壁の上に像が建っていましたが、誰だかはわかりません。

    城壁の上に像が建っていましたが、誰だかはわかりません。

  • 隆中<br />ここは、劉備、関羽、張飛が諸葛孔明を軍師に迎えるために三度通ったという場所です。<br />

    イチオシ

    隆中
    ここは、劉備、関羽、張飛が諸葛孔明を軍師に迎えるために三度通ったという場所です。

  • 古隆中の入口<br /><br />ここもやはり、テーマパークになっています。<br />中国では、このような施設に入場する場合はパスポートを見せなくてはなりません。そのため、すぐに出せるようにしておく必要があります。

    古隆中の入口

    ここもやはり、テーマパークになっています。
    中国では、このような施設に入場する場合はパスポートを見せなくてはなりません。そのため、すぐに出せるようにしておく必要があります。

  • 日本語の古隆中の説明文がありました。

    日本語の古隆中の説明文がありました。

  • 光明が農作業をした畑。

    光明が農作業をした畑。

  • 光明が農作業をした畑の説明板。

    光明が農作業をした畑の説明板。

  • 劉備が光明の義父・黄承彦と出あったとされる橋。

    劉備が光明の義父・黄承彦と出あったとされる橋。

  • 諸葛孔明を訪ねるときに渡った橋だそうです。<br />昔の橋かはわかりません。

    諸葛孔明を訪ねるときに渡った橋だそうです。
    昔の橋かはわかりません。

  • 諸葛草蘆

    イチオシ

    諸葛草蘆

  • 沢山の観光客が来ています。

    沢山の観光客が来ています。

  • 公明が劉備に「天下三分の計」を説いたとされる草蘆亭。

    公明が劉備に「天下三分の計」を説いたとされる草蘆亭。

  • 三雇堂

    三雇堂

  • 劉備玄徳が諸葛孔明に軍師になるようにお願いに来た図

    劉備玄徳が諸葛孔明に軍師になるようにお願いに来た図

  • 三雇堂前の庭には、きれいな花が植えられていました。

    三雇堂前の庭には、きれいな花が植えられていました。

  • 臥龍遺趾

    イチオシ

    臥龍遺趾

  • 桃園の契り

    桃園の契り

  • 古隆中の入場券。<br /><br />中国では、この入場券をガイドさんが回収してしまいます。<br />税金を計算するためだそうです。<br />従って、入場券はもらえません。写真に撮っておきました。

    古隆中の入場券。

    中国では、この入場券をガイドさんが回収してしまいます。
    税金を計算するためだそうです。
    従って、入場券はもらえません。写真に撮っておきました。

  • 見学後、当陽へ移動し見学。当陽では、劉備の部下の趙雲の像を見学。

    イチオシ

    見学後、当陽へ移動し見学。当陽では、劉備の部下の趙雲の像を見学。

  • この先が長坂坡の闘いの古戦場の地。<br />ここは、襄陽の住民を連れて逃げる劉備の軍が曹操軍に追いつかれたが、趙雲と張飛の活躍で難を逃れたとされる場所です。

    この先が長坂坡の闘いの古戦場の地。
    ここは、襄陽の住民を連れて逃げる劉備の軍が曹操軍に追いつかれたが、趙雲と張飛の活躍で難を逃れたとされる場所です。

  • 長坂坡近くにある公園。

    長坂坡近くにある公園。

  • 三国志演技では、張飛は川の橋の出口で敵が侵入するのを防いでいたが、ここには川はなく、公園になっていました。

    三国志演技では、張飛は川の橋の出口で敵が侵入するのを防いでいたが、ここには川はなく、公園になっていました。

  • 趙雲の像

    趙雲の像

  • ここでは、劉備子供(阿斗)を単騎で助けた趙雲が英雄なのですね。

    ここでは、劉備子供(阿斗)を単騎で助けた趙雲が英雄なのですね。

  • イチオシ

  • この後、関羽の墓、関陵を見学。

    イチオシ

    この後、関羽の墓、関陵を見学。

  • ここには呂蒙に捕えられ、処刑された関羽の胴体が祀られています。

    ここには呂蒙に捕えられ、処刑された関羽の胴体が祀られています。

  • 右は赤兎馬

    右は赤兎馬

  • 左は白兎馬?

    左は白兎馬?

  • 堂々とした関羽の像です。

    堂々とした関羽の像です。

  • 同じく関羽の像

    同じく関羽の像

  • 関羽の墓地<br /><br />墓地は、一番奥にあり、丸い形をしています。お墓には木が植えられています。

    関羽の墓地

    墓地は、一番奥にあり、丸い形をしています。お墓には木が植えられています。

  • お墓の横に回ってみました。

    お墓の横に回ってみました。

  • 荊州に移動中、交差点で我々のバスと乗用車が接触事故。乗用車の方がぶつかっているのに譲ろうとしません。中国人の一面を見ました。<br />レストランで夕食後、川のほとりで光明灯を挙げました。<br />小雨が降っていたので、なかなか上がりませんでしたが、ボヤーとしているのが<br />灯です。

    荊州に移動中、交差点で我々のバスと乗用車が接触事故。乗用車の方がぶつかっているのに譲ろうとしません。中国人の一面を見ました。
    レストランで夕食後、川のほとりで光明灯を挙げました。
    小雨が降っていたので、なかなか上がりませんでしたが、ボヤーとしているのが
    灯です。

  • 写真の本は、下の資料の本、16~18.<br /><br /><br />(三国志の資料)<br /><br /><三国志について><br /> 三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。<br /> 三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。<br /> <br /><三国志のあらすじ><br /> 西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。<br /> 紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。<br />191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。<br /> 198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。<br />この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。<br />208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。<br />220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。<br />この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。<br /> 225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。<br />227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。<br /><br /><三国志のビデオ及び参考書><br /><br /><ビデオ・DVD><br />1.	守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作<br />2.	三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター<br />3.	三国志、DVD&データファイル:講談社<br />4.	横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店<br />5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画<br /><本><br />1.	人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年<br />2.	渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年<br />3.	庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年<br />4.	殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年<br />5.	桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年<br />6.	桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年<br />7.	桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年<br />8.	三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年<br />9.	別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年<br />10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年<br />11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年<br />12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年<br />13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年<br />14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 <br />15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年<br />16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年<br />17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年<br />18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年<br />19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年<br />20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年<br />21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年<br />

    写真の本は、下の資料の本、16~18.


    (三国志の資料)

    <三国志について>
     三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。
     三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。
     
    <三国志のあらすじ>
     西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。
     紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。
    191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。
     198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。
    この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。
    208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。
    220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。
    この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。
     225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。
    227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。

    <三国志のビデオ及び参考書>

    <ビデオ・DVD>
    1. 守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作
    2. 三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター
    3. 三国志、DVD&データファイル:講談社
    4. 横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店
    5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画
    <本>
    1. 人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年
    2. 渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年
    3. 庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年
    4. 殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年
    5. 桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年
    6. 桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年
    7. 桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年
    8. 三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年
    9. 別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年
    10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年
    11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年
    12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年
    13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年
    14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 
    15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年
    16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年
    17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年
    18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年
    19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年
    20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年
    21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年

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