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5月24日(水):7日目<br />午前中は、綿陽観光後、剣門関、姜維の墓を見学し、広元へ移動。午後は張飛と馬超が一騎討ちをした昭化古城を見学。<br />今日は、今回の旅で一番の見応えのある所でした。<br />

魏・呉・蜀の英雄の面影をたどり歴史のスケールを体感する三国志12日間の旅(その6)

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2017/05/18 - 2017/05/29

68位(同エリア197件中)

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89

ラブラー

ラブラーさん

5月24日(水):7日目
午前中は、綿陽観光後、剣門関、姜維の墓を見学し、広元へ移動。午後は張飛と馬超が一騎討ちをした昭化古城を見学。
今日は、今回の旅で一番の見応えのある所でした。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
利用旅行会社
クラブツーリズム
  • 朝9時に長虹国際酒店を出発し、綿陽市内の冨楽山を観光します。

    朝9時に長虹国際酒店を出発し、綿陽市内の冨楽山を観光します。

  • ここは、劉備玄徳が蜀の国に入った時、歓迎する宴(ふん城の会)が行われた場所です。

    イチオシ

    ここは、劉備玄徳が蜀の国に入った時、歓迎する宴(ふん城の会)が行われた場所です。

  • 入場し、ややきつい階段を登って行きます。

    入場し、ややきつい階段を登って行きます。

  • 冨楽山と書いてあります。

    冨楽山と書いてあります。

  • 像州園という庭内に入ります。

    像州園という庭内に入ります。

  • 中国式の庭園があります。

    中国式の庭園があります。

  • 漢皇園(劉備玄徳の別荘です)

    漢皇園(劉備玄徳の別荘です)

  • こちらも中国式の庭園ですが、先ほどよりも大きいです。

    イチオシ

    こちらも中国式の庭園ですが、先ほどよりも大きいです。

  • 庭園内では、軒下で高齢者が麻雀を楽しんでいました。<br />中国の麻雀牌は大きく、また、捨て牌は並べず、中央に放り出していました。

    庭園内では、軒下で高齢者が麻雀を楽しんでいました。
    中国の麻雀牌は大きく、また、捨て牌は並べず、中央に放り出していました。

  • 他の場所でも麻雀やカードゲームをしていました。<br />賭けているそうです。<br />

    他の場所でも麻雀やカードゲームをしていました。
    賭けているそうです。

  • 中国の庭園で浴見かける橋ですね。

    中国の庭園で浴見かける橋ですね。

  • 池には、錦鯉が泳いでおり、餌の周りに集まってきます。

    池には、錦鯉が泳いでおり、餌の周りに集まってきます。

  • 別の場所からの庭園内の景色。

    別の場所からの庭園内の景色。

  • この公園の外に、劉備、関羽、張飛の像が建っていました。

    イチオシ

    この公園の外に、劉備、関羽、張飛の像が建っていました。

  • この後、蜀の玄関町の広元へ移動。

    この後、蜀の玄関町の広元へ移動。

  • ここでバスを降り、昼食です。

    ここでバスを降り、昼食です。

  • ここには、お土産屋さんやレストランがあります。

    ここには、お土産屋さんやレストランがあります。

  • 豆類や植物の種を売っています。

    豆類や植物の種を売っています。

  • 干し肉もありました。<br />そういえば、張飛は肉を売っていたのですね。

    干し肉もありました。
    そういえば、張飛は肉を売っていたのですね。

  • お土産の種類も豊富です。

    お土産の種類も豊富です。

  • 昼食は、この店で豆腐園会料理をいただきました。

    昼食は、この店で豆腐園会料理をいただきました。

  • 昼食後は、検門蜀道の関所、検門関の観光です。

    昼食後は、検門蜀道の関所、検門関の観光です。

  • 今回一番行ってみたかった所です。

    今回一番行ってみたかった所です。

  • 諸葛孔明の死後、蜀を待っていた姜維の神像です。

    諸葛孔明の死後、蜀を待っていた姜維の神像です。

  • 金牛古道

    金牛古道

  • 金牛古道への道

    金牛古道への道

  • 途中の道には、諸葛孔明が北伐の時に使った武器などが展示されています。

    途中の道には、諸葛孔明が北伐の時に使った武器などが展示されています。

  • 武器

    武器

  • 右側の槍

    右側の槍

  • 左側の槍

    左側の槍

  • 北伐軍行団

    北伐軍行団

  • 馬と乗り物

    馬と乗り物

  • 峡谷になってきました。

    峡谷になってきました。

  • 姜維の横顔だそうです。なんとなくそのようにも見えます。

    イチオシ

    姜維の横顔だそうです。なんとなくそのようにも見えます。

  • 蜀の軍人たち。

    蜀の軍人たち。

  • さらに山奥に進みます。

    さらに山奥に進みます。

  • 諸葛孔明の像

    諸葛孔明の像

  • 剣門関が見えてきました。

    イチオシ

    剣門関が見えてきました。

  • 右の山は断崖絶壁、狭い山道に剣門関が建っています。

    右の山は断崖絶壁、狭い山道に剣門関が建っています。

  • 剣門関の上から魏の国の方を望む。<br /><br />

    イチオシ

    剣門関の上から魏の国の方を望む。

  • こちらは反対側の蜀の国の方を望む。<br />峡谷の峠に剣門関が建っており、魏からの攻撃に対処できるようになっている。<br />[剣門関を得れば、四川を得る]と言われたそうですが、まさにそのような場所に関所を作っていたのですね。<br />

    こちらは反対側の蜀の国の方を望む。
    峡谷の峠に剣門関が建っており、魏からの攻撃に対処できるようになっている。
    [剣門関を得れば、四川を得る]と言われたそうですが、まさにそのような場所に関所を作っていたのですね。

  • 天下雄関?と書いてあります。

    天下雄関?と書いてあります。

  • 剣門関のすぐ下は、峡谷でその右側は断崖絶壁です。

    剣門関のすぐ下は、峡谷でその右側は断崖絶壁です。

  • こちらは、魏の国の方から見た剣門関です。<br /><br />城門も厚く、大勢の人が通れないようになっています。

    イチオシ

    こちらは、魏の国の方から見た剣門関です。

    城門も厚く、大勢の人が通れないようになっています。

  • 剣門関から魏の方の道を見る。

    剣門関から魏の方の道を見る。

  • 剣門関の石碑があります。

    イチオシ

    剣門関の石碑があります。

  • 魏の国の方から剣門関を見る。

    魏の国の方から剣門関を見る。

  • この後、道を少し戻り、途中の山道を登り、剣門関を守り、蜀滅亡時の武将・姜維の墓を見学。

    この後、道を少し戻り、途中の山道を登り、剣門関を守り、蜀滅亡時の武将・姜維の墓を見学。

  • 姜維の銅像。

    姜維の銅像。

  • 諸葛公明への報告。

    諸葛公明への報告。

  • 三国演技

    三国演技

  • この後、張飛が植えた柏樹並木・翠雲廊(すいうんろう)を見学。

    この後、張飛が植えた柏樹並木・翠雲廊(すいうんろう)を見学。

  • ここから入場します。

    ここから入場します。

  • 翠雲廊の地図。

    翠雲廊の地図。

  • 張飛が植えた柏銅像

    張飛が植えた柏銅像

  • 1800年前の柏の木です。<br />

    イチオシ

    1800年前の柏の木です。

  • 柏を植えることにより、日陰を作り、移動を速めたそうです。<br /><br />張飛は武勇に優れていただけでなく、このような土木工事も行ったのですかね。<br /><br />

    柏を植えることにより、日陰を作り、移動を速めたそうです。

    張飛は武勇に優れていただけでなく、このような土木工事も行ったのですかね。

  • 太く、大きな柏の木が育っています。

    太く、大きな柏の木が育っています。

  • これは、張飛が掘り当てたとされる井戸です。

    これは、張飛が掘り当てたとされる井戸です。

  • 別の場所から、柏樹の並木が見えます。<br />

    別の場所から、柏樹の並木が見えます。

  • 最後に昭化古城の見学です。

    最後に昭化古城の見学です。

  • 三国時代は、蜀ののど元と言われ、周りが川で囲まれ軍事的に重要な地でした。

    三国時代は、蜀ののど元と言われ、周りが川で囲まれ軍事的に重要な地でした。

  • 両側には、明や清の時代に建てられた古い建物が並んでいます。

    両側には、明や清の時代に建てられた古い建物が並んでいます。

  • 城門が見えてきました。

    城門が見えてきました。

  • 門をくぐります。

    門をくぐります。

  • 内部にもお土産屋さんが並んでいます。

    内部にもお土産屋さんが並んでいます。

  • さらに歩いて進みます。

    さらに歩いて進みます。

  • これは、明の時代の建物を修理しているとのことです。<br />古い建築様式が分かるそうです。

    これは、明の時代の建物を修理しているとのことです。
    古い建築様式が分かるそうです。

  • 昭化古城の城壁です。

    昭化古城の城壁です。

  • 昭化古城が見えてきました。

    昭化古城が見えてきました。

  • 城内に入ります。

    城内に入ります。

  • 石を売っているお店です。

    石を売っているお店です。

  • ここは、張飛と馬超が一騎打ちした場所として知られている。<br />その後、馬超は劉備の部下となっている。

    ここは、張飛と馬超が一騎打ちした場所として知られている。
    その後、馬超は劉備の部下となっている。

  • 写真の本は、下の資料の2、3、15。<br /><br />(三国志の資料)<br /><三国志について><br /> 三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。<br /> 三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。<br /> <br /><三国志のあらすじ><br /> 西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。<br /> 紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。<br />191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。<br /> 198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。<br />この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。<br />208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。<br />220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。<br />この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。<br /> 225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。<br />227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。<br /><br /><三国志のビデオ及び参考書><br /><br /><ビデオ・DVD><br />1.	守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作<br />2.	三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター<br />3.	三国志、DVD&データファイル:講談社<br />4.	横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店<br />5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画<br /><本><br />1.	人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年<br />2.	渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年<br />3.	庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年<br />4.	殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年<br />5.	桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年<br />6.	桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年<br />7.	桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年<br />8.	三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年<br />9.	別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年<br />10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年<br />11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年<br />12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年<br />13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年<br />14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 <br />15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年<br />16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年<br />17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年<br />18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年<br />19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年<br />20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年<br />21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年<br />

    写真の本は、下の資料の2、3、15。

    (三国志の資料)
    <三国志について>
     三国志は、約1800年前の中国の時代のことで、紅巾の乱が起こった西暦184年から晋が天下を統一し魏・呉・蜀時代が終了した280年までの約100年間を指す場合と、魏・呉・蜀が成立した221年からの約60年間を指す場合がある。
     三国志には、3世紀の西晋の陳寿が書いた歴史書、「正史三国志」と14世紀に羅貫中が書いた歴史小説、「三国志演義」がある。日本では、江戸時代に書かれた湖南文山訳の「通俗三国志」と初和の時代に書かれた吉川英治著の「三国志」があるが、これらは、「三国志演義」を土台にしたものである。
     
    <三国志のあらすじ>
     西暦180年頃、豪族の土地占有や飢餓などで、農民たちの生活は苦しい状況であった。そのような時、184年に張角が新興宗教・太平道を創設し、信者を集め「蒼天すでに死す、黄天まさに立つべし」というスローガンを立て、漢に宣戦布告し、信者は黄色い頭布を巻いて暴徒化し、いわゆる黄巾の乱が起こった。漢は、反乱軍の鎮圧に討伐軍を結成し、後の三国志に登場する曹操や劉備もこの討伐軍に参加した。185年に張角が病死すると、反乱は鎮圧され、漢の時代から軍雄割拠の時代へと移って行った。
     紅巾の乱の後、董卓は首都洛陽に入り、幼い献帝を擁立した。これに反対する袁招や袁術らは、反董卓の連合軍を作ると、190年に董卓は洛陽に火を放ち、長安(現在の西安)に遷都した。
    191年に董卓軍と反董卓軍は虎牢関で戦い、192年に、王允と呂布は董卓を殺害した(連環の計)。董卓が殺害されると、連合軍は解散し、群雄割拠となる。
     198年、呂布が刑死し、199年、袁術病死、200年に曹操と袁招の官渡の戦いが有り、少数の曹操が大勝利を挙げる。202年、袁招が死亡し、袁氏一族は滅亡した。
    この間、紅巾の乱が起こった時、劉備は、関羽、張飛と出あい、「桃園の契り」を結び、義兄弟となり、これからの三国志を面白くしていくことになる。しかし、劉備らは、根拠地を持たないため、いろいろな武将の下で働くが、成功せず、劉張のいる荊州(現在の湖北省、襄樊市)に落ちのびた。207年、荊州の隆中には、諸葛孔明や龍統(ほうとう)士元らがおり、劉備は三顧の礼を尽くして、諸葛孔明を部下として迎えた。この時、孔明は、「天下三分策」を説いたとされる。
    208年、劉表が病死し、後継ぎの劉宗は曹操に降伏し、劉備は長阪の戦いで大敗する。劉備は、孔明及び孫権の武将、周瑜・魯粛(ろしゅく)の策によって、劉備と孫権の同盟が成功する。華北を統一した曹操は、天下統一を夢見て大軍を率いて南下するが、赤壁の戦いで大敗し、魏に逃げ帰る。この時、関羽の軍に見つかってしまうが、関羽は一時曹操の下で庇護を受けていたため、見逃してしまう。209年に、劉備は、孫権の妹と結婚する。210年、呉の将軍、周瑜が若くして病死する。214年に劉備の軍師、龍統(ほうとう)が劉備の身代わりで戦死し、劉備は益州(蜀)を制圧した。216年に、曹操は魏王になり、219年、劉備は漢中王と称し、221年に蜀漢を建国した。また、219年には、関羽が荊州で、曹仁、呂蒙らとの戦いで負け、殺されてしまう。その時の首が魏の曹操に送られたが、曹操は、非常に悲しみ手厚く葬ったそうである。
    220年に曹操が病死し、曹丕(そうひ)が劉協(献帝)から禅譲され、魏帝国を建国した。221年に孫権が呉王になり、これで、「天下三分策」の三国が成立した。
    この年、張飛は、部下に暗殺されてしまう。222年、関羽を殺された劉備は、孔明から忠言を聞かず、「桃園の契り」を守り、関羽の敵を討つため、呉に出兵し孫権の陸遜と戦う(夷陵の戦い)が大敗し、白帝城に戻るが、223年に劉備は病死し、息子の劉禅が即位する。
     225年、魏を攻める前に、南の蛮族を制圧するために諸葛孔明は南征を行う。
    227年、蜀の諸葛孔明は第一次北伐を行う。228年第二次北伐(街亭の戦い)、229年第三次北伐、超雲病死、231年第四次北伐、234年第五次北伐(五丈原の戦い)で、諸葛孔明急死、238年、日本の卑弥呼が、魏に朝貢(魏志倭人伝)、247年蜀、北伐を再開、255年蜀、北伐、257年蜀、北伐、263年、蜀漢滅亡、265年、曹奐(元帝)、司馬炎に禅譲。晋帝国建国。280年、呉の孫皓が晋に降伏。晋が天下を統一し、三国時代が終わる。

    <三国志のビデオ及び参考書>

    <ビデオ・DVD>
    1. 守屋 洋監修:三国志演技(ビデオ)、中国中央電視台製作
    2. 三国志ノーカット版84集(上記のノーカット版):東京カルチャーセンター
    3. 三国志、DVD&データファイル:講談社
    4. 横山光輝:三国志(漫画)、㈱光プロダクション、販売元:紀伊国屋書店
    5.ジョン・ウー版:レッドクリフ(講談社)⇒映画
    <本>
    1. 人物 中国の歴史5、三国志の世界:集英社、1981年
    2. 渡辺精一:三国志人物事典、講談社、1989年
    3. 庄威著、岡田陽一訳:三国志、三一書房、1990年
    4. 殷占堂編書、施勝辰画:三国志(中国伝説の中の英傑):岩崎美術社、1999年
    5. 桐野作人:破・三国志(1)、学習研究社、1995年
    6. 桐野作人:破・三国志(2)、学習研究社、1995年
    7. 桐野作人:破・三国志(3)、学習研究社、1995年
    8. 三好 徹著、村上 豊画:興亡三国志(1)集英社、1989年
    9. 別冊宝島編集部編:あらすじで読む三国志、宝島社、2008年
    10. 加来耕三著、横山光輝画:三国志裏読み人間学、実業之日本社、1994年
    11. 渡辺精一監修:1冊でわかる イラストでわかる図解 三国志、成美堂出版、2010年
    12.歴史人別冊:三国志の真実、KKベストシリーズ、2011年
    13.原 虎彦著、横山光輝画:超意訳三国志、宝島社、2015年
    14.狩野直禎:60分で名著解読 三国志:日本経済新聞社、2016年 
    15.井波律子:史記・三国志英雄列伝、潮出版社、2015年
    16.守屋 洋:三国志の英雄実説 諸葛孔明、PHP研究所、1991年
    17.寺尾善雄:諸葛孔明の生涯、旺文社、1983年
    18.中村 愿:三国志曹操伝、新人物往来社、2007年
    19.坂口和澄:三国志検定、青春出版社、2006年
    20.内田重久:それからの三国志(上)、文芸社文庫、2011年
    21. 内田重久:それからの三国志(下)、文芸社文庫、2011年

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