2017/05/26 - 2017/05/31
4890位(同エリア12047件中)
xiaomaiさん
- xiaomaiさんTOP
- 旅行記407冊
- クチコミ483件
- Q&A回答3件
- 699,875アクセス
- フォロワー61人
約3年ぶりに上海を訪れた。
1日目:夕刻上海到着
2日目:上海京劇院
3日目:上海城市規劃館、京劇鑑賞、金融中心ビル
4日目:上海動物園、京劇鑑賞、上海書城
5日目:魯迅公園、京劇鑑賞
6日目:南翔、七宝
この旅行記は5日目の記録。
-
6時に自然起床。
朝食をとり、7時40分に地下鉄に乗った。 -
先頭部分にお一人様座席。
-
虹口足球場駅で下車。
虹口サッカー場の脇でサッカーをする人々。 -
よく見ると、中高年だった。
中国の人たちは元気だな。 -
そして、やって来ました、魯迅公園。
-
陳氏太極拳。
皆さん、白い制服で鍛錬されていた。 -
中国ではよく見かける路上書道家。
-
社交ダンスに興じる人たち。
-
車椅子に乗られて字を書かれている人もいた。
-
橋のたもとに白い花。
-
なんと言う花だろ?
-
バドミントンを楽しむ人たちもたくさん。
-
扇を使っての体躯訓練。
これはやってみたいと思った。
艶やかというより、力を感じるものだった。 -
騒音杜絶!などという横断幕のもとで、大音量でダンス。
白髪のおじいさん、ご自分より数十歳も若い女性と踊っていらした。 -
やがて、その女性が去ると、他のお相手も探すも、回りに適当な方がいなくて、結局、お一人で踊り続けていた。
-
細い道に入ると、高齢者がストレッチ。
体の柔軟性はとても大事。 -
蓮の時期はもう終わってしまった。
-
心と心の交流には、静かに相手の話を聞くことが大切。
-
この人だかりは?
-
肉まんを売っていた。
お客さんが次から次へとやってくる大繁盛。
営業は朝のみ。 -
魯迅記念館(中国語では紀念館)
-
『阿Q正伝』に出てくる場面の模型で魯迅の「立人」思想を表す。
-
若い革命分子と語り合う魯迅
-
日本人が上海で経営していた内山書店
魯迅と深く関わった書店 -
左:魯迅
中央:改造社社長山本実彦
右:内山書店店主内山完造
山本は中国文学を日本に紹介する意向を示し、魯迅はそれに賛同した。
内山は魯迅にはなくてはならなかった重要な支持者。 -
1931年に日本で刊行された『阿Q正伝』日本語版。
-
そもそもは仙台医学専門学校(現東北大学)に入学し医学を志すも、後に国の屈辱を晴らすために小説家になるべく、途中で退学してしまう。
-
魯迅が使用した懐炉
-
喘息もちであった魯迅が使用した吸入器。
1936年6月15日、魯迅はレントゲン検査をしたが、その際は既に非常な病状で、同年8月の体重は38.7キロしかなかった。
館内には複製されたデスマスクが展示されている。本物には、20本のひげと2本の眉がついている。 -
魯迅記念館を出て、散策を続けた。
このご仁は草書体で字を書かれていた。 -
うつくしい字を書けるというのは、大きな無形財産。
-
魯迅墳墓
-
多くの人から尊敬され慕われる魯迅(本名周樹人、1881-1936、享年55)
-
墳墓の脇で護身術の指導
-
騒音計測器は公園内にいくつかあった。
-
時間とともに太極拳グループは減ったけれど、ダンスグループはずっと踊っていた。若い人はいなく、ほとんどが中高年。
-
1929年に設置されたもので、飲用水が提供されている。
-
この日、サッカーの試合があったのか、お揃いの応援服を着た人の集団が現れた。
-
魯迅公園には8時から10時半ごろまで滞在した。
そして、この通りの名は...... -
甜愛路
-
だから、このような像がある。
甜愛路をしばらく進むと...... -
大陸新村9号の建物に魯迅の故居がある。
-
門を入り、中へ進んでいく。
-
1933年4月11日に入居し、1936年10月19日にここで死去した。
内部の撮影はできない。3階には魯迅の子供部屋があった。
2階の浴室はとても大きい。
故居の隣では今でも一般人が起居している。 -
今は銀行となっているところに内山書店があった。
-
1929年から1945年まであった内山書店。
ここで魯迅は中国や日本の文化人と学びあい語らいあった。 -
内山書店跡地の近くにハム屋さん。
金華ハムは有名。 -
日本は中国政府と上海における租界条約を締結していなく、「日本租界地」というものは存在しなかった。1915年以降公共租界地となった地域のうち、日本人の多くが住んでいた虹口一帯を戦力範囲としていた。
多倫路はその地域の一部で、画像は門楼。 -
日本式家屋は見られない。
-
しゃれた洋館が並ぶ。
-
老電影珈琲館
-
鴻徳書房の前に内山完造の像
-
内山完造(1885-1959)
1916年から1947年まで虹口に居住し、魯迅を保護した。
魯迅は内山を「友を裏切らない」人物であると評価。
帰国後は、日本各地で演説をし、日中友好促進と魯迅の精神を広めることに務めた。
この像、着物の襟が気になる。 -
鴻徳堂
1928年に立てられたキリスト教会。入口に一対の獅子像がある。 -
結婚記念の撮影をする二人。
お幸せに......。 -
魯迅公園に戻ると、朝は営業していなかった遊園地に幸せそうな親子がたくさんいた。
-
子供の耳付き帽子をかぶったお父さん。
-
ジェットコースターに乗っている子供をやさしく見守るお父さん。
-
朝の中高年に代わり、昼前には若者がサッカーをしていた。
-
昼ごろ、人民広場駅に戻り、昨日と同じものを昼食にした。
暑さの中を歩き疲れた体を適度の塩加減が癒してくれた。 -
そして、ローソンで購入した焼き鳥。
-
ホテルに戻ってテレビをつけると、端午節のドラゴンボートレースが中継されていた。
-
ドラゴンボートレースは台湾でも毎年なされるけど、中国のほうが規模がずっと大きい。
-
台湾に20年もいるのに、参加したことは一度としてない。
-
この日は芝居を観る前に、舞台裏へ行ってみた。
-
浙江から来た婺劇の役者やスタッフたちのスーツケース。当日の公演が終わり次第、地元に帰ることになっていたのだろう。
-
大勢来ている婺劇の役者がおしゃべりしていた。
-
こちらは上海京劇院の役者が身につける衣装。
鹿童の衣装(黄土色のもの)が見える。
鶴童はもう着用しているのか、かけられていなかった。 -
前日の芝居で婺劇の役者が身につけた靠。
実に壮観な芝居だった。 -
そして、舞台。
開演までまもなくとなり、客席へ移った。 -
この日は日本人もよく知る『白蛇伝』。
前半を京劇で、後半を婺劇で演じる。
京劇の白蛇(白素貞)は田慧。
今は亡き、梅葆玖に指導を受けた。 -
青蛇(小青)は畢璽璽。
-
許仙は李春。
-
船夫はベテランの虞偉。
-
法海は于輝。
上海京劇院にはいい老生が多い。 -
京劇後半の武戯(立ち回り劇)では、呂琳が白蛇(白素貞)を演じた。
-
鶴童は大武生の陳麟。鹿童は趙宏遠。
-
よく見ると、額に特別なメイクを施しているのがわかる。
人間界に住む者ではないことを意味する。
上海京劇院の芝居は観衆を裏切らない上等な芝居をする。 -
後半は婺劇。
許仙は楼勝。 -
婺劇の特徴は舞台に登場する人物が非常に多い場面がたくさんあること。殊に武戯では目にも鮮やかな場面が次から次へと現れる。
-
見ていて気分が高まる。
-
小坊主が連なり龍となる。
よく観る京劇では観たことがなく、おもしろみを感じた。 -
白素貞は巫文玲、小青は楊霞云。
京劇とは衣装もメイク法もだいぶ違う。 -
人でなしの許仙に激怒し殺そうとする小青。
-
小青が許仙に足を巻き付け、許仙がぐるぐる回る。
ほとんどプロレス観戦状態。 -
照明の使い方がうまい。
-
怒りが収まらない小青はなんとしてでも許仙を殺そうとする。
-
許仙を愛する白素貞は見逃してくれるよう懇願。
-
話の内容と同じように、ホントに疲労困憊状態の楼勝。
こんなに激しい役を演じられる楼勝、実にすばらしい! -
白素貞の懇願を小青がしぶしぶ受け入れて幕切れ。
『白蛇伝』はこの後も続くけど、この日はここまででおしまい。 -
カーテンコールも済み、完全におりた幕が、数分後にまた上がった。
この日に浙江へ戻るため、スタッフが急いで後片付け。 -
観劇後、福州路にある戯曲用品店へ行った。
-
50元の12寸の扇を2つ購入。
自宅に戻ってよく見たら、表の絵も裏の字もよいと言えるものではなかった。
でも、この価格では文句は言えない。 -
サントリーの烏龍茶。
上海に進出。
梅干扣肉を食してから、ホテルに戻った。
最終日をどう過ごすか、まだ決めていなかったけど、そのまま就寝。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
94