2017/06/20 - 2017/06/21
23位(同エリア342件中)
ケロケロマニアさん
- ケロケロマニアさんTOP
- 旅行記618冊
- クチコミ12233件
- Q&A回答8件
- 1,892,703アクセス
- フォロワー86人
ナホトカを早朝に出発し、昼過ぎに到着したウスリースク。
実は沿海州ではウラジオストクに次ぐ大都市(とは言っても人口は20万に満たない…)ですが、現状の日本においては、殆ど知名度がない町です。
斯く申し上げる私も、勿論、初めての訪問ですので、事前に色々と下調べをしておきました。
この町のことを検索していると、どうやらここに日本人の女性(ご主人はロシア人)が在住していらっしゃるとのことで、今回は一晩だけ、某民泊サイト経由にて、こちらにてお世話になることにしました。
ウスリースク市街地は、北海道の主な都市と同様、市街地は碁盤目状になっていて、地図さえあれば、とても歩き易い町だなと感じました。翌日の午前中には、列車のタイムスケジュールの関係でもう出発しなければなりませんでしたが、本旅行記では、約22時間のウスリースク滞在から、翌日の列車にてウラジオストクに到着するまでの旅程を綴らせて頂きます。
因みに表紙のカエルさんは、お世話になったA&Yさんのお宅にいらしたリャグーシカさんです。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
前旅行記では、ウスリースク駅に到着した所、まででしたので、一応、駅舎内の様子を。
流石に、この辺では大きな駅ですので、待合室も広々としていますね。 -
反対側から眺めるとこんな感じ。
-
長距離列車の殆ども、この駅では停車しますね。
空席状況が解るようになっているモニター画面もありました。 -
自販機もあります。
-
ロシアの主要鉄道駅には、こういう有料の仮眠施設があるようですね。
料金的にもそれほど高くはないようですので、いつかは利用してみたいと思っています。 -
時刻表を見ていると…。
おおっ、トゥマンガン(豆満江)行きの表記がみられますね。
そう、ウスリースクは、数年前に開通した、露朝鉄道(?)の入口駅でもあるのです。
寧ろ、中国のハルピン行きの列車は数年前から休止しているようですので、この駅は、北朝鮮へのゲートウェイとしても重要な立地といえます。
勿論、この路線を経由しての許可のない日本人の北朝鮮入国は、現状では認められてはいません(認められていても、法外な金額をふっかけられそうなので行けないでしょうけど…)ので、軽率な行動は慎むべきでしょうね。
でも、この列車とは別に、ロシア側の国境駅であるハサン行きなんていうのも運行されているようですので、ハサンまではそのうち行ってみたいなぁ~。
因みにここの露朝国境は、中国国境とも隣接していて、中国側の吉林省防川、というエリアは、三国が眺められる観光地となっているようですので、中国側からアクセスされるのが、観光客的には一番お勧めでしょうね。(但し、朝鮮半島情勢の緊迫化も影響して、現在、防川の展望台へは、外国人は行けなくなっているという話も…。) -
窓口の様子。
暫く出発する列車がありませんので、閑散としていました。 -
駅構内に床屋もありました。
-
それでは、外に出てみましょう。
駅舎の外観はこんな感じです。 -
駅前広場には、こんな立派なレーニン像が・・。
-
この躍動感溢れるデザイン。個人的にはウラジオストクのよりも気に入りました。
-
駅前はバス発着場にもなっています。
(主に市内路線。長距離路線は後述するバスターミナル発着となります。) -
おおっ、絵に描いたような”ソ連”らしいテイストのアパート建築ですね。
-
まずは駅前から続くプーシキン通りを、真っすぐ西に進んでみましょう。
-
途中、こんな橋を渡ります。
-
橋からの景観はこんな感じ。
あまり綺麗ではないみたいですね。 -
何らかの顕彰碑・慰霊碑のようですね。
ユンガ、の意味が解らなかったので、辞書で引いてみると、”見習水夫・下級船員”とありました。
第二次世界大戦中の船員達が何かしらの戦闘作業に従事の後、殉職されたのかもしれませんね。静かに手を合せて通り過ぎます。 -
平和の象徴でもあるポッポさん達。
勿論、ロシアにもいらっしゃいますね。
ロシア語では鳩の鳴き声ってどう表現するんだろう???
ご存知の方、是非ご教示下さいませ。 -
勿論、この町でも咲いていました、ライラック。
-
さて、ウスリースウ市内には、貴重な教会建築があります。
日本語では、”生神女庇護聖堂”と訳される、ロシア正教系寺院では時々見られる聖堂の一つですが、ここは実はソ連時代から続く教会建築なんですね。
欧米の町を歩いている限りでは、思わず年代的な価値は低いように感じてしまいますが、”ソ連”を経たロシアにおいて、20世紀初頭の教会建築が残されているのはとても貴重ですね。 -
外壁イコン(外壁のはイコンって呼んで良いのかしら?)画の様子1。
-
外壁イコン画の様子2。
-
外壁イコン画の様子3。
うーん、美しいですねぇ~。 -
内部の様子はこんな感じです。
-
詳細な解説板も。
写真を見るだけでも結構な歴史が感じられますね。 -
教会が維持されるのに、多くの苦難の歴史があったのでしょうね…。
-
脇の小さな礼拝堂。
これはちょっと新しそうな雰囲気ですが…。 -
正面から見た聖堂の様子はこんな感じです。
-
ハバロフスクの文字も見えますね。
右に行くとバスターミナルのようです。 -
こんな市場も開いていました。
-
そういや、宿代やら乗車券代やらを払って、手持ちの残りルーブルが少なくなってきましたので、ここでいよいよ、初めての両替です。
実はこの時点で、日本円は出国時に全て銀行に預けてきた(正確には62円だけ残ってるけど…)ので、米国ドルを10USDだけ両替します。 -
レートもこんな感じで、凄く良かったです。
実は21年前は、両替で結構手間取った記憶があるのですが、今や書類記入もパスポート提示も必要なく、僅か1分弱で両替完了。
うーん、こんなことなら、無茶苦茶レートが悪いトラベ○クスで両替しなきゃ良かったわ…。
570Pもの大金(?)を手にしてウハウハ状態。大げさか…。
やはり今のロシア、銀行が開いている時間帯は、ここでの両替が一番ですね。 -
という訳で、これでどうにかロシア出国時までのルーブルが確保できた、ということで、心にゆとりが出来ます。
それでも、併せて1700P(約3500円)位しかないので、普通のブルジョワの日本人の皆様方には、全然足りない金額だとは思いますが…(-_-;)。
本日の宿は民泊サイトでの事前決済なので不要、翌日はウラジオの安宿(600P)、ウスリースク→ウラジオの鉄道代200P、ウラジオ市街地→空港(一応アエロエクスプレス台として230P)、ですので、この時点で残りで使えるのは約700Pとなります。 -
今歩いているのは、このチチェリーナ通り沿いです。
-
何とかいう女優の名前を冠している劇場のようです。
-
本当は、ロシアでは一度は何かしらのエンターテインメントを楽しむのが良いと思うのですが…。
-
ウスリースクでもう一つ来たかったスポットがこちらのドラ公園です。
-
案内図はこんな感じ。
-
ここに来たかったのは、これが見たかったからです。
13世紀にこの地方を治めていた金王朝時代の亀さんだそうです。
中国や韓国で、この背中に碑が建っているのを、復元その他色々な形式で見かけたことはあるように思いますが、特に韓国には、明らかな復元、というのが多いように思いますので、これは貴重ですね。 -
亀はロシア語で、チェレパーハと言いますね。
-
ロシアでは珍しく、英語の解説も付されていました。
因みに、亀さんは公園の南東側にありますので、現地に行かれた際は是非探してみて下さい。 -
ちょっとした動物園のセクションもあるあるみたいですね。
北海道民的には、ここで何故か、函館公園のことを思い出してしまった( ´∀` )。 -
でも入場料が案外高い(大人150P)ですね。
お財布的に厳しいので、ここは我慢しましょう。 -
遊牧民族の移動式テントのような遊具もあるみたい…。
-
そして、アルチョームでも見かけた、I love~のウスリースク版を発見。
-
ちょっとした滝みたいなのとか…。
-
ロシアの園地ではよく見かけたミニ観覧車とか・・。
-
バイキング的なのもありました。(小さいけど…。)
-
これは、鉄道スポットと呼んでよいのか???
-
後は、函館公園みたいに、カエルさんのジャンピング遊具があれば、完璧なんですけどね~。
流石にそれは見当たらず…。
フグみたいなのとかもいますね。
お顔がちょっと癒し系…(;^ω^)。 -
そして、お決まりのラブラブスポットも…。
-
ロシア人も韓国人も、好きだよねぇ~、これ…。
私は貧乏人故の気楽さで、自宅にすら鍵をかけませんし、鍵をかける必要のある相棒も居りませんので、勿論素通りですが…(^^;)。 -
という訳で、本日お世話になるお宿へと向かいましょう。
(但し、民泊となりますので、マッピングに関してはここから先は暫く省略させて頂きます。)
ただ、日本の方向けの案内として、日本語が話せるYさんご夫婦のお家までは、ウスリースク駅から歩いても30分位で行ける距離です(バスもあります。)し、民泊される際は、事前に到着時刻を告げておくと、駅やバスターミナルまで迎えに来てくれるそうです(この際の市内送迎は無料)。 -
途中、怪しげなキノコが一杯生えてた…。
-
Yさんからは、事前に詳細なお家までの案内図とかを頂いていて、この日の午後はご在宅、ということで、私は送迎に頼らずに直接歩いてお家まで訪問しました。
何も迷うことなく、あっさりと到着。
事前に丁寧に案内下さったYさんには本当に感謝です。
そして、”ウェルカムチョコレート”(?)を頂きます。
全然知らなかったんですが、沿海州ではこちらのチョコレートが非常に有名とのことで、カカオの段階から自前の工場で処理してされているそうです。
添加物とかもあまり入っていないため、賞味期限が短いそうですが、確かに味は無茶苦茶美味しくて、お土産用にも購入することにしました。
ペー・カー(キリル文字)で省略された社章が目印となりますが、正式な会社名はプリモルスキー・カンディーテル(日本語風に言えば、”沿海州製菓”となるでしょうか…)となりますが、この会社のチョコを購入しておけば、間違いはないようです。
因みに、日本ではロシアのチョコとして有名なA社のチョコレートは、特に沿海州では”美味しくない”チョコレートと思われているそうです。
確かに、こちらのチョコを食べてしまうと、その味の違いは歴然としているなと感じました。
しかし、このチョコレート会社を巡っても、モスクワを介した胡散臭い話も伺ってしまい、ますますモスクワが嫌いになってしまいました…。 -
夕方、お仕事からご主人も戻っていらっしゃいました(Aさん)。
ご夫婦に、市内でも最大規模というスーパーマーケットへと連れて行ってもらいました。 -
それが、こちらのスーパーマーケットです。
本店はハバロフスクにあるようです。 -
早速、先ほど頂いたチョコレートをお土産用に購入しようとしましたが…。
大きいサイズは一つ280Pか…。うーん、ちょっと高い…。どうしよう…。
小さい方にしようかな…。 -
と迷っていたら、味違いのこんな商品を発見。
しかも、賞味期限が迫っているからか、大サイズが何と100Pで販売しているではないか!!!
という訳で、迷わずこちらを購入。
その他にも、Aさんのお勧めなどを伺いつつ、数点を購入しましたが、ここでお土産物代として約340Pも使ってしまいました(・・;)。 -
帰りの待ち合わせ時間は20時、ということでしたが、私個人としては早めに高にゅを終えてしまったので、まだ30分以上時間がありました。
この時期のロシア極東、まだまだ明るいのが有り難いですね。
スーパーの入口から、素敵な教会が見えていたので、こちらにも足を運んでみます。 -
勿論、ロシア正教系の教会です。
-
本日、ウーガリナヤで乗り継いでやって来た身には、このウーガリという単語がとても気になりますね。
前旅行記では、ウーガリ=石炭、みたいに記してしまいましたが、正確には、木炭のことも指す単語のようですね。
ここでは、ベリョーザブゥィー(白樺の)となっていますので、”白樺炭火焼”を売りにしたお店のようです。 -
結局購入したお土産は全部で5点。その内訳はこんな感じです。
基本的にはチョコレートですが、右上のは、これもAさんに勧められたコンデンスミルク(約80P)です。
左上はアムールヒョウのチョコ(約40P)、その下は上記でも紹介したチョコの板チョコ版(約80P)、真ん中は”トゥリスキー”と呼ばれる糖蜜菓子(約37P)です。 -
また、これとは別に、Yさんにお勧め頂いたのはこちらのチョコレート。
アソービー(特別の)と記されていますね。
英語風に言えば、スペシャルチョコレート、ということになるでしょうか。
こちらはサンクトペテルブルク製だそうです。 -
お部屋の様子はこんな感じです。
日本人的には、和テイストに癒されますね(;^ω^)。 -
そして夕食。
ここでは自炊をさせて頂き、手持ちの袋麺と、前日からの残りのパンとソーセージ、マヨネーズの定番(?)メニューで調理します。
そして、Aさんとはウォッカで乾杯。
丁度空になるタイミングだったので、デルスー・ウザーラに倣って(?)、瓶も頂いていくことにします。(アルセーニエフの同名の作品において、彼が途中で空瓶を捨てていこうとしたのを、デルスーは?責して、「何かの時の交換用になるから」と持っていくシーンがあります。)
メドベジー・ウーガル。
”ウーガル”は上述のウーガリと比較すると、軟音記号が取れただけの単語ですが、一般的には、”角”とかの意味ですが、それが転じて”辺鄙の一地方”みたいな意味で使われています。
メドヴェジは、描かれてもいるように”熊”さんですので、”熊の地方”ということで、商品名でもありますが、”僻地”という意味で使われる一般的なロシア語でもあります。 -
こんなちょい悪チェブラーシカちゃんステッカーも頂きました(;'∀')。
-
こちらのソファーベッドにて一夜のお世話になりました。
-
そして朝食。
こちらは宿泊費に含まれておりました。 -
出勤前のAさんと最後に握手を交わしつつ、また新十津川のカエルさんに変身してもらいます。
-
和寒は南瓜の町なので、その話をちょっとしていると、こちらでは南瓜の種を”虫下し”的な意味合いから食されている所もある、とのお話でした。
-
という訳で、朝8時半過ぎにA&Yさん宅を出発。
Yさんにはこんな市内の日本語案内図を頂きましたので、こちらを頼りに残り時間を少し市内散策してみましょう。 -
駅前から続くプーシキン通りと、南北に続くメインストリートの一つ、ネクラーソヴァ通りとの交差点付近にあったのが、こちらのプーシキン像です。
-
ネクラーソヴァ通りには、バーガーキングもあります。
Yさんの話によれば、ここは実は極東ロシアで最初に出来たバーガーキングとのことです。
ウラジオストクよりも早かったそうで、ウスリースク市民の自慢スポットの一つとなっているようです。 -
話のタネにコーヒーでも、と思いましたが、営業時間が朝10時から、って、少し遅過ぎ…。
夜はもう少し早く閉店しても良いので、せめて9時からオープンして欲しかった…。 -
こちらの革命戦士像も、なかなか格好が良いですね。
-
労働者・赤衛兵・軍人・パルチザン・ウスリースク戦闘の犠牲者への顕彰&慰霊碑、といった所でしょうか…。
-
トウモロコシはククルーザ。
一昔前の札幌大通公園のとうきびワゴン側面に、ロシア語で書かれていたのを思い出しますね。 -
暫くネクラーソヴァ通りを南下すると、今度はこちらがありました。
ホテル・ウスリースク。
ウスリースク市街地では一番大きなホテルだと思われます。 -
2005年に25周年だったようですね。
ということは、1980年に建てられたホテルのようです。
なので、ソ連時代の風情が残っている建物なんでしょうね。 -
クジャクさん?
-
正面から見るとこんな感じ。
-
そして、ネクラーソヴァ通りの名の通り、こちらの像があります。
-
詩人・ネクラーソフは55~56歳の若さで亡くなっているようですね。
日本語的には、根暗だったのかな?なんてちょっと勘ぐってみたくなる名前。
詩を読んだことがないので、作風が解りませんが、そのうち読んでみようと思いました。 -
ネクラーソヴァ通りを、昨日も歩いたチチェリーナ通りとの交差点で左折し、この通りを昨日とは逆方向に進みます。
パンダ外国語学校、みたいな? -
かつてのサーカス小屋のようです。
-
ソ連的な風情が残されていますね。
-
クラスノズナミョンナヤ通りとの交差点付近には、こんな像がありました。
レーニン母子像のようです。
駅前の”大人の”レーニン像とは違って、母性を感じる温かさが伝わってくる像ですね。 -
そして昨日も訪れた生神女庇護聖堂を再び訪れて…。
-
その南側にあるウスリースク郷土歴史博物館にも立ち寄っておきましょう。
こちらも10時オープンで、中を見る時間が確保できなかったのは残念でした。 -
なので、恨めしそうに窓越しにちょっとだけ見える展示物を楽しみましょう。
-
博物館のすぐ南側にはこちらの祖国防衛戦争戦没者慰霊碑がありました。
-
静かに火が灯されていて、厳かな雰囲気が漂っていました。
-
再び博物館の方へ。
屋外にはこんなソ連的なオブジェもありました。 -
そして中央市場付近を歩いて…。
-
チチェリーナ通り沿いにあるバスターミナルへ。
結構立派な建物でした。 -
バスターミナルの営業時間はこんな感じです。
-
中の様子はこんな感じ。
-
チケット売り場の様子。
因みに、ウラジオストクまでのバス運賃を尋ねてみると305Pとのこと。
鉄道運賃は200Pでウラジオストク駅まで行けることを考えると、その1.5倍以上払ってフタラヤ・レーチカのバスターミナルまでしか行けないバス利用は、やはりお財布的には損なようですね。 -
電光掲示の時刻表もありました。
鉄道と違って、ウラジオストクまでのバスの本数は非常に多そうです。
利便性では、完全にバスの方が上のようです。 -
ウスリースク駅発のウラジオストク行きは10時43分です。
これを逃すとエレクトリーチカとしては、晩まで列車がありませんので、先を急ぎましょう。
途中で見かけたサーカス会場の様子。上述した建物ではなく、現在ではこちらで大々的なサーカスが開催されているようですね。 -
往路ではプーシキン通り沿いで渡った橋ですが、復路ではそのままチチェリーナ通りを東に進んでから渡ります。
-
この橋からの眺めはこんな感じです。
-
橋を渡ってからはチチェリーナ通りと別れて、斜めに近道できそうな道を経由して駅へと急ぎます。
-
そして10時20分過ぎに駅に到着。
チケットを購入して列車に乗り込むまでは十分な時間がありますが、実はもう一つ見たかった場所が…。
それが、駅付近にある、という蒸気機関車。
でも、見当たらないので、近くの人に聞いてみると、実は跨線橋を渡って反対側にあるようです。 -
しかし、これに気付くのが遅かった…。
切符を購入するのに行列で10分以上待たされてしまいます。
一応、急いで跨線橋を渡って探しに行くのですが、この時点で列車の出発まで残り5分…。
うーん、これでは間に合いそうにありませんね。 -
残念ではありますが、蒸気機関車を見に行くのは諦めましょう。
跨線橋を登ったところから眺めたウスリースク駅舎の様子だけ撮ってから…。 -
こちらの列車に何とか乗車できました。
-
上述しましたが、ウスリースク→ウラジオストクの運賃(勿論、二等)は200Pでした。
-
Yさんに貰った案内図に、駅傍にあった筈の蒸気機関車の写真が掲載されていました。
いつかリベンジを果たさないと! -
昨日のウーガリナヤ→ウスリースクは各停のようでしたが、本日乗車したこちらの列車は快速運転だったようで、結構通過駅が多かったです。
本当は帰りに往路とは反対側の車窓から、駅舎を見て行こうと思っていたのですが、通過駅が多くて、十分に眺められなかったのが残念…。 -
往路でも勿論、ちょっとは見ているんですけどね…。
-
こちらが一番大きな途中駅だったかな?
電光掲示が21:06を示していたので、一瞬モスクワ時間かな?と思いましたが、計算が合いませんね。(現地時間マイナス7がモスクワ時間になりますが、この時点で現地時間11時過ぎです。)
おかしいなと思って考えてみると、これはどうやら日付(6月21日)を月日を逆に表示していたようですね。 -
そして、往路でじっくりと眺めた、ウーガリナや駅に到着。
快速運転でしたので、往路よりは随分と早く到着したように感じました。 -
ここから先は昨日は乗車していない区間なので、どんな景色かなと思っていたら、暫くは海沿いの景観が続いていてとても美しかったです。
ただ、座っていたのが逆側でしたので、十分なアングルで撮影できなかったのは心残り…。
長い橋が見えましたが、これが恐らくティヒー橋だと思われます。 -
何か、島も見えますね。
-
バスターミナルらしき施設が見えた、ということは…。
-
その鉄道側の最寄り駅であるフタラヤ・レーチカ駅に到着です。
-
上記の”フタラヤ”は”二番目”という意味ですので、当然”一番目(ペールヴァヤ)”もあります。
レーチカは(小さい)川、という意味ですので、それらしき流れが付近に続いているんでしょうね。 -
遂に、黄金橋が見えてきました。
この旅の途上で初めてやって来た、正真正銘のウラジオストクです。 -
終点のウラジオストク駅に到着。
今回は終点ですので、お客さんがみんな降りてから、ゆっくりと車内を撮影することが出来ました。 -
ウラジオストクの第一歩を刻みますよ。
ホームとの間の隙間が結構広いですので、足元には注意です。 -
ウラジオストク空港に到着したのは19日の未明、ですが、それから2泊、約60時間経過の後に、漸く本当のウラジオストク市街地に到着した、ということになります。
-
乗客を降ろした後も、ずっと停車していましたので、取り敢えず、外側から乗車してきた列車を一通り眺めてみましょう。
こちらが上級クラスの車内の様子。
テーブルも付属しているようですね。 -
アエミホフ機械製作工場 эд9мк電車 設計速度時速130km 2004年ロシア製
と記されています。 -
эд9мкというのが、割と新しいタイプの電車の系列を指しているようですね。
-
これは何を意味しているのかな???
ご存知の方、是非、ご教示下さいませ! -
座席数が外壁に記されているのもユニークですね。
-
同じ等級の車両でも、微妙に席数が異なるのも面白い!
-
上級クラスになると、当然、座席数は少なくなりますね。
-
эд9мкで検索してみると、色々な車両番号のが出てくるようですね。
マニアな方は是非、色々と調べてみて下さいね。 -
乗車時には全然気付きませんでしたが、乗車してきた列車、前の方と後ろの双方に上級クラス用の車両が連結されていたようです。
-
そして、ウラジオストク駅、と言えば、やはり蒸気機関車とキロポストは見ておかないとね。
観光客が群がっていて、流石に人気がありそうです。 -
ホーム上にありますが、どこかの国のように入場券とかがなくても立ち入ることは出来るようです。
-
一応、一通り見ておきましょうね。
-
ペルヴァヤレチカ機関庫所属のようです。
CCCPの刻が良いですねぇ~。 -
その横にいらしたのがこちら。
日本では国鉄時代の末期になくなってしまった郵便車両。
まだロシアでは現役で頑張っているんですね!
ロシア国旗のストライプ模様がなかなか美しいですね! -
設計速度は結構速いみたいですよ~。
-
機関車正面前に、何やらプレートが設置されていますね。
-
こちらも実は”大祖国戦争”関連の史跡、という見方も出来そうですね。
-
反対側に廻ると…。
おじさん、何をやってるのかしら??? -
おじさんの作業を見守っていたのは、私だけではありませんでした。
横の郵便車両からも…。 -
やはりおじさんの行動が不思議に思ったみたいで、郵便車両からお二方が議論を始めます。
-
そしておじさんもそれに併せて話し始めます。
どうやら、上に示しました反対側の写真で描かれているのと、同じようなデザインをこちら側にも描くようで、おじさんはその下書きをしているようでした。
その様子に対して、下書きがよく見えない、とか、郵便車両のお二方は茶化している感じ。おじさんの方は、下書きだから自分が判ればいいのよ、的な対応で、笑っておられました。 -
という訳で、まずはウラジオストク到着記念に、一通り、”駅構内”を見て巡りました。
-
ここからウラジオストクの街歩きを始めますので、ウスリースク街歩きをメインの内容とした本旅行記はこれにて終了となります。
最後までご閲覧下さり、どうも有難うございました。
お時間がございましたら、また続編にもお付き合い頂けましたら嬉しく思います。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
その他の都市(ロシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
146