2017/06/15 - 2017/06/16
210位(同エリア2107件中)
k.sさん
「あなた何を言っているのですか。あなたの胸に聞いてごらんなさい。私は何も知りませんよ」
この言葉は、謀反の疑いで、和歌山・牟婁の湯に連行された有間皇子が中大兄皇子の尋問に答えて言った言葉として、犬養孝氏が紹介したもの。
その時、有間皇子は19歳。命乞いなどするものか、といったプライドの高い皇子だ。罠を張り巡らしたのは、目の前にいて、尋問する中大兄皇子その人である。
日本書紀では、その有間皇子の言葉は下記のように記されている。
「天と赤兄(あかえ)と知らむ 吾(われ)全(もは)ら解(し)らず」
蘇我赤兄の巧みな話術に、多感な青年の心はいとも簡単に燃え上がり、有間皇子は謀反を決意する。そして赤兄はその事を牟婁の湯に行っていた中大兄皇子に報告し、有間皇子は市経(いちふ)の家を取り囲まれ、謀反の現行犯として捕らえらる。
「謀反の疑い」とは別に、有間皇子が犯した罪は、皇位継承者の一人として生まれたこと。そして、聡明であったこと、と私は思う。中大兄皇子は有間皇子が存在すること自体が許せなかったのだから。
思えば、有間皇子と中大兄皇子は悪縁で結ばれている。有間皇子の父である孝徳天皇は、飛鳥時代に一時期難波で9年間政治をしたが、その時の天皇。
白雉4年(653)、皇太子となっていた中大兄皇子は、やはり飛鳥を離れて政治をすることは問題が多いので、孝徳天皇に「倭(やまと)の京に移りたい」と申し出たが、天皇はこれを許さなかった。
すると中大兄皇子は、間人(はしひと)皇后を奉じ、大海人皇子など諸皇子を引き連れ、難波から飛鳥に戻った。公卿、百官らもみな中大兄皇子に従った。いわゆる、孝徳帝”置き去り”事件である。孝徳天皇は、この事件がもとで1年後亡くなられた。
いわば、有間皇子の父である孝徳天皇は、中大兄皇子に殺されたのである。
その中大兄皇子に「謀反の疑い」で尋問される。厳しい叱責の声を耳にしながら、赤子のようにたやすく罠にかかった自らを砂を噛むような思いで責めたであろう...。
牟婁の湯に連行される途中の「岩代」で、有間皇子は歌を2首残している。その歌に込められた、生き延びたいという願いは叶わなかったが、歌は1300年経った今も人の心を揺さぶる。
朝ホテルを出て、白浜の名所を回った後、「岩代」を目指した。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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平草原公園(へいそうげんこうえん)
まずやって来たのがこの公園。
高台にある公園で、そこからは白浜の街並みのみならず、田辺湾を望める、ということでやって来た。平草原公園 花見
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平草原公園(へいそうげんこうえん)
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平草原公園(へいそうげんこうえん)
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三段壁
高さ50mの大岩壁が南北2キロに渡って続く勇壮な風景は一見の値打ちはある。三段壁 自然・景勝地
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三段壁
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三段壁洞窟
熊野水軍の船隠しの場所だったといわれる。写真の建物にエレベーターがあり、三段壁直下の洞窟に降りられる。入場券は1300円。三段壁洞窟 自然・景勝地
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三段壁洞窟 洞窟の入口付近
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三段壁洞窟 洞窟の入口付近
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三段壁洞窟 洞窟の入口付近
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三段壁洞窟 洞窟の入口付近
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三段壁洞窟 洞窟案内図
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三段壁洞窟
洞窟内には、水の神様である「弁才天」を祀っている。 -
三段壁洞窟
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三段壁洞窟
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三段壁洞窟
熊野水軍は、源平合戦で源氏に加勢したが、熊野水軍率いる熊野別当湛増は、武蔵坊弁慶の父であったという。 -
三段壁洞窟
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三段壁洞窟
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三段壁洞窟
波や潮流によって海底の砂や泥が動かされ、地層の表面に作られたものを「漣痕」というが、天井岩盤に波の模様が美しく現れている。 -
千畳敷
白く柔らかい岩は、広い岩畳を思わせる大岩盤で、打ち寄せる荒波に浸食され壮大な景観を創っている。千畳敷 自然・景勝地
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千畳敷
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円月島
島の中央に円月形の海蝕洞がぽっかり開いていることから「円月島」と呼ばれ親しまれている。春分・秋分の時期には、中心部の穴を通して夕日が見える。円月島 自然・景勝地
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崎の湯
万葉の昔から「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある湯壷。白浜にいい温泉があると広めたのは、有間皇子である。
口コミで、「覚悟して入らないといけない」と書いてあったので、覚悟して入る露天風呂とはどのようなものか、と興味深々で訪れた。
雄大な太平洋が間近にせまる露天風呂で、湯船から海までは約10mほどなので、岩に打ち寄せる波を感じながらの入浴となる。
女湯の方はどのようになっているのか、分からないが、男湯の方は、衝立もなく浜辺で全裸になっているような開放感(?)を味わえる。海中展望台、隣のホテルシーモアから双眼鏡があれば覗けるのでは?
入浴料は500円で、タオルは200円。ついては、タオル持参をお薦めします。なお、石鹸、シャンプーは使用できない。万葉の昔から「湯崎七湯」の中で唯一残っている歴史ある湯壷 by k.sさん崎の湯露天風呂 温泉
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崎の湯から見る海中展望塔
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とれとれ市場
西日本最大級の海鮮マーケット。 地元の堅田漁業協同組合が経営しているので、味と鮮度は折り紙付き。とれとれ横丁では、海鮮丼や新鮮な海の幸が味わえる。
案内書に載っていた海鮮丼1500円の写真が気に入りやって来た。とれとれ市場南紀白浜 市場・商店街
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とれとれ市場
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とれとれ市場
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とれとれ市場
マグロの解体ショーも見ました! -
とれとれ市場 とれとれ横丁
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とれとれ市場 とれとれ横丁
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とれとれ市場
注文した海鮮丼1500円。確かに美味しかったが、一つ残念なのは、酢飯でなかったこと。海鮮丼は酢飯でなきゃー、と思うのですが...。 -
有間皇子結松記念碑
万葉歌碑の位置ははっきりと事前に特定することができなかった。ただし、JR岩代駅から徒歩10分とのことなので、とりあえず、岩代駅を目指した。
岩代駅前の簡単な地図や案内板に従って探すも、車での移動なので、行きつ戻りつを繰り返した。探し当てたのは、友人の忍耐の賜物と感謝をしている。
要するに、有間皇子結松記念碑は、国道42号線沿いにひっそりとあった。辛うじて車一台の駐車スペースを見つけ、写真を撮った。また、その万葉歌碑は、熊野古道沿いに移動したとのこと。この有間皇子結松記念碑から200mのところにある。 -
有間皇子結松記念碑
巻2-141
磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらばまた還(かへ)り見む
松は永遠の象徴です。その松に触るということは、松にあやかりたい、もっと踏み込んでいうと、「死にたくない」という悲痛な叫びが聞こえてきます。
有間皇子はもう一首詠んでいます。
巻2-142
家(いへ)にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎(しひ)の葉に盛る
場所が変われば、風習も変わります。この地では、神に供えるご飯を器ではなく、椎の葉に盛ってお供えしている。何故自分はこの地にいるのか?蘇我赤兄の口車に乗ったばかりに、捕らえられ、中大兄皇子の尋問を受けるため、白浜に連行される。己の思慮の足りなさが悔やんでも悔やみ切れない。 -
案内板
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国道42号線沿い
車からは分かりづらい案内板だが、赤の矢印には助けられた。 -
万葉歌碑 説明板
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万葉歌碑
万葉歌碑は熊野古道沿いに移動されたものの、そこからの風景はよろしくない。その万葉歌碑に相応しい風景は、奈良にはない、男性的で荒々しい海岸線の風景ではないだろうか。
悲劇の皇子は、現代では「不遇の皇子」ではないか、と哀しく思った。
中大兄皇子による厳しい尋問のあと、「帰れ」とのことで一旦は解放されますが、中大兄皇子の命を受けた丹比小沢連国襲(たじひのおざわのむらじくにそ)に襲われ、藤白の坂(和歌山県海南市藤白)で絞首させられました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- リリーさん 2017/08/07 23:05:08
- 初めまして(^∇^)
- 一年半前に白浜に行ったのですが、有間皇子ゆかりの地だったとは気づかず素通りしてしまいました(>_<)。私は里中満智子さんの「天上の虹」のファンで、繰り返し読んでいます。中大兄皇子は随分、強引なことをやっていたのですね。あの時代、天皇の子や孫、親戚でも随分沢山の人が殺されていて、怖い時代だったんだなぁと思います。
とれとれ市場で食事やスウィーツを楽しみ、マグロの解体ショーも見ましたよ。白浜はサファリや遊園地、温泉もあっていい所ですよね(^ ^)。
- k.sさん からの返信 2017/08/08 00:07:04
- RE: 初めまして(^∇^)
- リリーさんへ
初めまして。
投票していただき、かつコメントまでいただき、有難うございます。
白浜は付録で、私の場合は、「岩代」の有間皇子の万葉歌碑だったのですが、もう少し景色のいいところに作ってあげてもと、正直思いました。
里中満智子さんの「天上の虹」は、主人公の「持統天皇」が別嬪さんに描き過ぎているのでは、と個人的に思い、読んでいないのですが、リリーさんがそれ程夢中になるのでしたら、一度眼を通してみます。
それと、付録の白浜ですが、露天風呂の「崎の湯」はお薦めです。なにしろ覚悟して入らないといけない露天風呂ですからね。
k.sより
>
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- sio爺さん 2017/07/05 07:12:32
- なぜ悲劇の皇子といわれるのか、わかりました
- K,Sさん
お早うございます。
悲劇の皇子「有間皇子」を拝見しました。
有間皇子のことは全く知りませんでしたが、中大兄皇子との因果などご説明頂き、
なぜ悲劇の皇子と言われるのかなど、よくわかりました。
また、有間皇子が残した2首の歌についても、わかりやすく解説していただき、
「歌の言葉では直接触れていないけれども、こういう意味なんだ」
ということがよくわかりました。
有難うございます。
Sio爺
- k.sさん からの返信 2017/07/05 14:12:39
- RE: なぜ悲劇の皇子といわれるのか、わかりました
- sio爺さんへ
今日は。投票、コメント有難うございます。
日本書紀には、蘇我赤兄がどのように有間皇子を口説き落としたのか、詳しく書かれておりますが、その部分は思い切って省略しました。
また、歌の解説は非常に難しいですね。歌の意味だけを解説しても解説にならず、あまりでしゃばり過ぎると歌心を損ねてしまう。
ところで、万葉ロマンも先が見えてきました!吉野、静岡、富山、鳥取、福岡と回れば、とりあえず終わりにしようと思っております。後もう少しです。
sio爺さんもいい旅行を続けて下さい。
k.sより
> K,Sさん
>
> お早うございます。
>
> 悲劇の皇子「有間皇子」を拝見しました。
> 有間皇子のことは全く知りませんでしたが、中大兄皇子との因果などご説明頂き、
> なぜ悲劇の皇子と言われるのかなど、よくわかりました。
> また、有間皇子が残した2首の歌についても、わかりやすく解説していただき、
> 「歌の言葉では直接触れていないけれども、こういう意味なんだ」
> ということがよくわかりました。
> 有難うございます。
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> Sio爺
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