2017/05/31 - 2017/06/07
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tomo-komaさん
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どうしても再び向かい合いたい「受胎告知」があった。そう、誰もが認めるベアト・アンジェリコ、通称フラ・アンジェリコの傑作。サン・マルコ修道院美術館の二階修道士寄宿舎に向かう階段の上にあります。階段を上り、踊り場で向きを変えると現れる受胎告知。大天使ガブリエルの羽の美しさ、マリアの表情と胸の下で交差した手の優しさ、その出会いには誰しもの記憶に残る作品でしょう。他にも、ね。
- 旅行の満足度
- 4.5
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サン・マルコ広場。サン・マルコ修道院を正面に見る。中央の像は1861年初代イタリア陸軍大臣マンフレード・ファンティ相当数のバスがグルグルと行き交っているので、気を付けて一周しましょうね。
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サン・マルコ広場。後方から。
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サン・マルコ修道院とサンマルコ修道院美術館。
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サン・マルコ修道院内部。シルヴェストロ派の修道院からドメニコ派の修道院になったという教会。なんと、あのドメニコ会修道士のジロラモ・サヴォナローラが修道院の院長であった時期があったそうです。サヴォナローラはフェラーラ大学で芸術の学位を取り、医学校に進学予定だったそうですが、22歳の時、ボローニャにてドメニコ修道会に入信。説教団から強烈な言葉で腐敗したフィレンツェやメディチ家を批判。メディチ家をフィレンツェから追放するとフィレンツェ共和国の政治顧問となり、影響力を高めたものの、やり過ぎはいけませんねぇ。シニョリーア広場で美術品や工芸作品を焼却するなどといった厳格過ぎる姿勢に市民も疑問、反発が始まり、ついには絞首刑の後火刑され、遺骨はアルノ川に捨てられたとか。1512年には、ハプスブルク家の軍事支援を受けていたメディチ家がフィレンツェに戻っては来たものの、時代は動いており、以前の活力は戻らず、ルネサンスも終息に。隣?の修道院美術館にはサヴォナローラの僧房が礼拝、書斎、僧房と三つの部屋が残っています。無知の私はびっくりでした。
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サン・マルコ修道院美術館の聖アントニーノの中庭。
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サン・マルコ修道院美術館の聖アントニーノの中庭。入り口から入って正面にある磔刑のキリストを礼拝する聖ドメニコ。ベアド・アンジェリコ1442年頃の作品。磔刑像信仰の象徴となっている。左右のフレスコ画は1600年代にパトロンになったファッブローニ家が墓に設置するために絵に大理石の額を取り付け、描かせたもの。・・・確かに違和感があるわぁ。
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わぁぁ。これだ。ベアド・アンジェリコの「受胎告知」。私にとっては、フィレンツェと言えばミケランジェロのダビデ像ではなく、レオナルドの「受胎告知」も良いけれど、これ!この「受胎告知」です。
ここは、1437年から1444年にかけて以前からあった中世の建物を利用して増築して修道士のための寄宿舎にした部分。合計43の僧房が並んでいる。各僧房のフレスコ画は1438年から1443年にベアト・アンジェリコがキリストの生涯と受難をテーマに製作したもの。そして現在の階段は1600年代に建造されたもので、階段上の「受胎告知」は僧房の廊下に描かれた三作品の一つのようです。 -
階段を最上段まで登ってきました。
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大天使ガブリエル。やはり大天使の羽に目が奪われます。そして、凛としてますよね。
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そして、最近意識して伺うことにしているマリアのその瞬間の表情。透明感があり、受け入れていますよね、ガブリエルの言葉を。我が身の運命を。信仰は持っていても、画家を生業にしている書き手とは違う内面の深さを感じるので、ベアト・アンジェリコのこの作品はh上に人気があるのではないでしょうか。
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大天使ガブリエルの手元。手元にも緊張感を読み取れますねぇ。
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マリアの手元。胸の前というより、お腹を感じ取っている手元かな。
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大天使ガブリエルの羽。やはり、美しい!
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大天使ガブリエルの顔。緊張感を持った力強い眼差し。
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マリアの顔。不安は見えるけど、しっかり受け止めている眼差し。
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第三房のベアト・アンジェリコの「受胎告知」。これは個人的な瞑想のために描かれたもの。大天使ガブリエルの左後方は、ドメニコ修道会の最初の殉教者の一人聖ペテロ。二人の会話の目撃者のように描かれている。背景、色彩はできる限り簡素化し、画面の奥行きが深い
瞑想へ誘っているような・・・。 -
二人の間には緊迫しつつも柔らかい空気を感じます。
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第35僧房。多くの部分はベアト・アンジェリコの協力者が描いた作品。「聖体秘蹟」。
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第39僧房。「東方三博士の礼拝、キリスト哀悼」。ここは、コジモ・デ・メディチが修道院に引きこもって精神修養を行うための彼専用の僧房であったようです。
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カヴール通り51番地に当たるアラッツィエリ通りとの角には素敵な小さな宮殿が。1775年建築開始のリヴィア邸。16世紀のファザード、バルコニー付きのフランスの小窓、そしてロココ様式というハイセンス。ここは父はフランツ1世、母はマリア・テレジアの次男?、トスカーナ大公、ピエトロ・レオポルトの愛人リヴィア・ライモンディ・マルファッティの為の庭付きの家。通称「リヴィアの小邸宅」。
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柱廊が囲む美しい広場「サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場」。ルネッサンス様式のアーチが連続し、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会、捨て子教会に隣接している。
広場中央にはジャンボローニャ作のフェルディナンド一世の騎馬像」。 -
サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の内部の回廊。ここは、マリアの下僕信心会によって13世紀に創建、15世紀にミケロッツォにより再建、この柱廊は16世紀のもの。
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捨て子養育院美術館。
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サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会の内部。単廊式の内部両側には礼拝堂が並ぶバロック空間。
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サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場近くの旧サンタ・マリア・デリ・アンジェリ教会。残念なことに未完で現在に至る。完成していたらどんなニッチになっていたのかしら。八角形の内部空間には様々な構成要素が組み合わされていた晩年のブルネッレスキの設計。
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フェルディナンド一世の騎馬像と捨て子養育院美術館。ブルネッレスキの設計した初期のルネッサンス建築。1419年創建1445年完成。均整のとれたアーチの間には水色のメダイヨンがはめ込まれている。
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柱廊に囲まれた美しい中庭。その一角の扉の上にはアンドレア・デッラ・ロッビアの優美な作品「受胎告知」がある。
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今回、再訪のフィレンツェで絶対に譲れなかった「受胎告知」。アンドレア・デッラ・ロッビア作「受胎告知」。美しい彩色テラコッタ。水色だけではなく、白、黄色、青、緑もあるそうです。釉薬をかけて焼き上げる彩色テラコッタを発展させたのはロッビア家。ロッビアブルー、いいですねぇ。初代はルカ・デッラ・ロッビア。浮き彫りを得意とした上、ギベルティの流れを組んだ優雅で気品のある作品だったそうです。
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産着に巻かれた幼子がデザインされているロッビアブルーのメダイヨンはアンドレア・デッラ・ロッピアの作品。ルカ・デッラ・ロッビアの甥っ子。ルカの代からさらに発展させ、ロッビア工房はトスカーナのあちらこちらに装飾色彩テラコッタを広めたそうです。二代目も優秀だったのですね。
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ドゥオーモのロッビアブルー作品。
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サンタ・トリニタ教会のロッビアブルー。
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アカデミア美術館のロッビアブルー作品。
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これもアカデミア美術館のロッビアブルー作品。
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捨て子養育院美術館作品。「受胎告知」。
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捨て子養育院美術館作品。「受胎告知」。
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オルサンミケーレ教会の「受胎告知」。
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オルサンミケーレ教会のステンドグラスの「受胎告知」。
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ジョヴァンニ洗礼堂の「受胎告知」。
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ステンドグラスの「受胎告知」。
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受胎告知。街中のタベルナーコロ。
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サンタ・トリニタ教会のステンドグラスの「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の「受胎告知」。ピントが残念・・・。
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サンタ・トリニタ教会の「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の壁面の「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の壁面の「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の「受胎告知」。
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サンタ・トリニタ教会の「受胎告知」。
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