2017/05/01 - 2017/05/01
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amadeoさん
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出国から3日目の朝、新彊ウイグル自治区の伊寧へ到着。
到着して間もなくチャプチャル・シボ(察布査尓錫伯)自治県を訪ねた。
今回の旅行、実は伊寧が目的というより、察布査尓錫伯自治県へ来ることが最大の目的であった。何故ならここでは満州語が日常会話で使われているらしく、是非行って確かめてみたかった。
(※以下説明が長いので、興味のある方のみご一読下さい。)
察布査尓錫伯自治県とは一般的に日本だけでなく、中国国内でも聞いたことが無い、馴染みの無い場所であると思われる。
清朝乾隆帝の時代に、満州族の一派である錫伯族が、対ロシアとの国境警備のため、1016人の錫伯族兵士とその家族、合計約4千人以上が強制移住をさせられ、ここ察布査尓に定住した。現在2万人近くに錫伯族がここ察布査尓に住んでいるが、彼らは皆、その時移住してきた子孫である。
それが何なんだ!?と言うと、本拠地中国東北地方(旧満州)では瀕死の状態で消滅しかけている満州語を、彼らは日常で使用しているとのこと。だいぶ前になるが、ここを取材したTV番組(多分NHK)を見たことがあった。その時はそこが察布査尓という名前であることは覚えていなかったが、その後、そのような場所が確かに存在し、察布査尓という場所であることが分かった。
そのTV番組で記憶に残っている主な内容は以下の通り。
①日常生活で満州語が使われている。
②その地域では、小学生まで学校の授業は満州語で行われ、中学から漢語(普通語)を始める。
③北京に眠る多くの満州語文献(1千万件以上あるらしい)の翻訳作業のため、ここから多くの人材が派遣されている。
④中国で唯一、満州語の新聞が発刊されている。
現在、瀋陽故宮や北京の故宮(紫禁城)の内朝にある看板には、漢字と共に満州文字が併記され、満州文字を見ることは出来る。しかし実際、満州語の会話を聞いたことはないし、今後、聞く機会も先ずないと思う。
満州語については、そもそも清の入関(1644年)後、中原を支配するにつれて漢民族との同化が進行し、廃れてはじめたそうだが、清朝滅亡後、更に漢化が進行が加速し、新中国建国後、特に文革時代を経て、旧支配民族として迫害の対象になりやすいなどの理由で、苗字の漢化が進んだり、民族固有の言語、文化を保持する概念が消え失せ、今では本土での話者が10人にも満たないらしい。
そのような状況の中、遥か西域の新彊の一地域で満州語を保持している場所があるのである。言わば生きた化石みたいな場所で、下手な例えで言うならば、野生の蒙古馬の絶滅が確認された後、欧州の動物園で数頭飼育されているのが確認され、その後、野生馬ではなくなっていたものの、繁殖に成功し、種として存続している、田沢湖で絶滅したクニマスの稚魚が、絶滅前に富士五湖の西湖で放流され、2010年にさかなクン達により発見され、種として存在していることが確認された、のと似たような感じではないか。
ここは一体どのような場所なのか、非常に興味を持っていたが、ネットでの情報も極めて少なく、この4トラでも、伊寧の旅行記はあるが、察布査尓まで行った方のページは無い。行きたいと思って10年以上は経っているような気がするが、現状どうなっているのか、是非自分で行って確かめたいと思い、今回行ってみることにした。
※厳密に言うと、ここで錫伯族の方が話されている言葉は「錫伯語」と区分されていますが、「錫伯語」は元満州語の一方言、支語であり、ここでは便宜上、「満州語」と同じ扱いで表記しています。
【今回の旅程(2017年)】
4/29(土)関空→上海浦東 9C8590 上海泊
4/30(日)上海虹橋→烏魯木斉 9C8845
烏魯木斉→伊寧 K9789 車中泊
★5/1(月)察布査尓錫伯自治県訪問 伊寧泊
5/2(火)伊寧市内観光 伊寧泊
5/3(水)カザフスタン国境、賽里木湖観光 伊寧泊
5/4(木)恵遠古城、61団訪問 伊寧泊
5/5(金)察布査尓錫伯自治県訪問
伊寧→烏魯木斉 K9790 車中泊
5/6(土)新彊博物館
烏魯木斉→上海虹橋 9C8866 上海泊
5/7(日)上海浦東→関空 9C8589
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
-
今回の旅行の移動経路。
-
伊寧駅からタクシーへ乗り、10分以上走り到着(15元)。
「上海城」だけの情報でホテルが見つかるか不安であったが、何とか見つかった。
宿泊先は「全季酒店」でC-tripで予約。朝食無しで226元。
予約前に事前に電話して、外国人でも間違いなく宿泊できるか確認し、OKとのことで予約した。
新彊では外国人が宿泊できるホテルは少ない。
ネットで予約が通っても、実際行ってみて拒否されるケースも多々あるらしい。
実際自分も、電話確認して3件目でOKをもらった
中国のホテルは朝からでもチェックイン出来るところが殆どで、シャワーを浴びてから観光に出かけようと思ったが、フロントへ行くとまだ部屋が空いていないという。フロントの女性は机でうつ伏せになって寝ていて、「あなたは来るのが早い、こんな早くじゃ部屋はすぐには空かない。」と言われた。
まだ7:30過ぎであるが、新彊時間では5:30、そう言われるとそうかもしれない。
ちなみにチェックアウトは北京時間の14:00で、それまで待っていられない。
時間がもったいないので、荷物を預けて出かけることにした。 -
同じビルに、上海で宿泊したのと同じチェーン系ホテル「莫泰酒店」がある。
そして何とそのお隣りに、あるではないか!! -
「馬三元牛肉拉麺」
-
早速朝食を食べに入る。
-
今回は昨日食べた普通の「清湯拉麺」ではなく、「拌麺」にしてみた。
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これまた美味しい!
「宜賓燃麺」みたいな感じで、とても美味しい!!
朝からこんなの食べれてプチ幸せな感じ。 -
食後、タクシーを拾って早速この旅の第一目的地である察布査尓錫伯自治県へ向かう。
公共手段の行き方もあるかも知れないが、所在が分からないし、伊寧からそんなに遠くはないのは確認していたので、行きはタクシーで行ってしまおうと考えた。
伊寧市内から察布査尓までは60元で、それが相場とのことで、乗車した。
途中、察布査尓まで22kmの看板が見えた。 -
伊犁河らしい。
4トラでも見かける「伊犁大橋」とは違う橋だ。
乗車してからここまで少し時間が掛かった。
来る前、Google Mapで確認したところ、伊犁大橋から察布査尓市街地まで10kmほどであったが、伊犁河の場所が市内から結構離れているので、伊寧市内からは22kmというのは正しいようだ。 -
助手席からでは伊犁河はよく見えなかった。
-
暫く走る。
-
途中検問あり。
外国人は入境不可であったらどうしようと、少しビビッた。
察布査尓へ行く目的を聞かれ「観光」と答えると、少し不思議そうな顔をされた。
外国人はパスポート番号を控えられ、写真も撮られた。
手続きに少し時間が掛かったが何とか無事に通過出来た。
運ちゃんが心配そうにエンジンを止めて待っていた。 -
遥かなる新彊の大地を進む。
前方に見えるのはカザフスタン。
察布査尓にもカザフスタンとの国境ゲートがあるが、おそらく外国人の通過は不可であろう。 -
8:43に錫伯古城に到着。
しかしながら開門は10:30とのことで、2時間近くある。
ここで待っていても何も無いので、市街地へ行ってもらうことにした。
ここから市街地までは7km程度あり、20元が相場とのこと。
後で分かったが、相場通りであった。
運ちゃんは「こんなのつい最近出来たもので、行く価値無いんじゃないか?」と言っていた。
後ほど戻って中へ入るが、この城壁、この道路沿いしかない。 -
市街地へ到着。
どこへ行きたいんだと聞かれ、特に当てもないので答えられない。
運ちゃんも困った様子であったので、適当な場所で降りた。 -
早速であるが、道路の標識にウイグル語ではなく、満州語併記されている。
ウイグル自治区であっても、ここは明らかに違う場所なんだ! -
こちらも満州語。
満州語といっても、モンゴル文字をやや改良したものなので、内蒙古自治区で見かける文字と大差無い(読めないので何とも言い難いが・・)。 -
暫くぶらぶら歩く。
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道路の看板にも満州語。
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西域超市(スーパー)。
正に西域にあるので、その名の通り。
こちらは満州語の他、ウイグル語も併記されている。 -
なんかアビー・ロードっぽい感じ。
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「殷登路杜林拝街」
この通りが察布査尓一番の繁華街っぽい。 -
小学校の門にも満州語。
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「緊急避難場所」看板にも満州語。
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通りの名前にも満州語。
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「農業局」の看板にも満州語。
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怪しい按摩にも満州語。
なんか下に「八旗技術、宮廷秘法、・・」なんて書いてあるけど、本当かよ!
何だそれ?どんなんだ?? -
「柴氏牛肉麺」の察県旗艦店!!
“旗艦店”という程のお店!? -
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適当に歩いていたら、面白そうな建物が目に付いたので行ってみる。
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「大西遷錫伯文化酒楼」
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どうもレストランらしい。
この時点で北京時間の10:30。
中へ入ってみる。
新彊時間では8:30でまだ開店していないが、受付におばちゃんがいて少し話をした。
お店は北京時間の13:00に開くとのこと。
この店は錫伯族と関係があるのか聞くと、関係は無いらしい。
地域柄、このような店の名前を付けただけという。
おばちゃんの民族を聞いたら漢民族であった。
なんか興ざめした。 -
お店などが集まる地帯はだいたい歩き尽つくしたので、タクシーを捕まえて、少し離れたところへ行ってみることにした。
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運ちゃんに20分ほど走ってくれと頼む。
運ちゃんは漢民族であった。 -
写真を撮り損ねたが、途中、人民法院があり、門の付近にウイグル人が集まっていた。運ちゃんが「いつも何かを訴えに来るのはウイグル人だ」と言っていた。
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なにやら近代的な施設。
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五輪のマークのパクリみたいだ。
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街外れ住宅地。
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先に進んでも何も無さそう。
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そういえば、来る時もこのように木の下の部分が白く塗られているのをよく見た。
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住宅地と平原の境界線を走る。
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結局こんな感じで、何も無く、つまらなかった。
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再び中心地へ。
ローカルスーパーや、小さい雑貨店などが開きだし、何人か暇そうにしている店の店員に聞き込みを行った。
民族を聞いたら、漢民族であった。
ウイグル人は見た目で分かるので、敢えて聞いていない。
この時、錫伯族が満州語を話している光景とは程遠い状況であった。 -
11:30頃、さっきの錫伯古城へ行ってみる。
何か違う光景が見られるかもしれない。
道を尋ねた漢民族のオヤジが、古城方面へ行くタクシーを捕まえてくれた。
先客がおり、相乗り5元であった。
相乗りでないと20元が相場といわれた。 -
運ちゃんに民族を聞いたら錫伯族であった。
自分は助手席に座っていたが、後部座席に座っていた中年2人も錫伯族であった。
写真を撮れる雰囲気は無い。
自分以外、普通話ではない、ドスのきいた言葉で会話をしていたので、今のは錫伯語かと聞くと、そうだという。ここで話されている満州語は「錫語」と呼ばれていることが分かった。 -
少し感動した。
多少変化はしていると思うが、これが満州語!かと感じた。
運ちゃんと後ろの乗客に「東北に住む満族(満州族)とも錫語で会話できるか?」と聞いたら、皆、笑いながら「行ったことが無いので分からない」と答えた。 -
入口の様子。こんな感じで入って行く。
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入場料45元、はっきり言って高い。
2008年以降、多くの博物館や愛国精神を植えつける施設の入場料が無料になっている中、この値段は高すぎる。 -
門を潜り、城壁の内側へ入る。
1年半位前に出来たらしい。 -
ちなみにこの城壁、道路沿いにしかない。
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何故か内モンゴル自治区の地図があった。行政区分が興味深いので写真に収めておく。
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北京紫禁城養心殿のレプリカ。
連ドラ「康煕王朝」や「孝庄秘史」等では皇帝が執務を取る場所などでよく出てくる。 -
錫伯族が瀋陽から察布査尓まで移動してきた経路。
よく見ると外蒙古(現:モンゴル共和国)国を通過しており、今では考えられない経路を渡っている。
まぁ、当時外蒙古は清朝の領域内であったので、自国内ではあるが。 -
約2年近くに及ぶ移動の苦難を示した石碑。
自分の3日なんて当時に比べたらあっという間なんだ。 -
道なき道を渡り行く。
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冬場の過酷な様子。
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行く道、敵に立ち向かい、
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道中、助け合い、
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そうして、やっと到着したらしい。
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錫伯族の人口分布。
一番多いのは、新彊察布査尓ではなく、本拠地遼寧省の13万2431人。
最も少ないのは江西省の81人(2010年統計)。 -
その中で新彊に居住する錫伯族人口は3万4399人。
うち察布査尓には2万576人。
錫伯族総人口は19万481人(2010年統計)。 -
主席様のお言葉。
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満州八旗の紋章。
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錫伯語についての説明。
錫伯語は満州語が基礎となっていて、黒龍省三家子屯地区や愛輝地区の口語列表対照表から、使っている口語は同じである、との記載がある。
学術的にはそうかもしれないが、その後の聞き込みで、これには疑問が出てきた。 -
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どうでもいい銅像の前で、漢民族らしき老人観光客集団が楽しそうに記念撮影をしていた。
そんなことよりも、今年は西遷252周年らしい。 -
見所はこれくらいで、退散することに。
この敷地内、全体的にまだ工事をしており、未完成である。 -
再度、移動ルートの地図。
今では考えられないワープをしている。 -
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門の前の店。
ここではどうでもいいお土産が売られ、食事が出来るようになっていた。
そもそもこの辺一帯、錫伯風情区として開発を進めて行く様子であったが、完成はまだまだ先といった感じだ。
(でも変化が早いので、1年後には出来上がっているかも。)
通りかかったタクシーに乗せてもらい、市内へ戻る。
先に乗客が乗っていたので、相乗り料金5元でいいかと聞いたところ、相場を知っているのか?と言われた。 -
国遊飯店近くの農貿市場前で下車し、農貿市場へ入る。
入るのにも身分証明書とボディチェックを受けるのであるが、パスポートに慣れていないのか、検査に時間が掛かる。 -
このようなナンの売店は、ウイグルどこへ行っても本当によく目にする。
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超ローカル色の強い農貿市場の中、一見おしゃれなお店があった。
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中へ入ってみる。
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日本ではありきたりの店かもしれないが、ここではかなり異色だ。
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食事ができるスペースがあったので、休憩としてお茶をする。
珈琲を頼んだが、中国でよくあるインスタントの砂糖ミルクいりのネスカフェ(7元)であった。ケーキ(8元)の味は微妙。 -
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実はこのような雑貨の下に、満州語らしき新聞紙が敷かれているのを1回見たが、古新聞を持ち帰ること等考えていなかったので、気にしなかった。しかしその後、新品の新聞が見つからず、困ることになる。
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農易市場を出て、また暫く探索する。
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察布査尓賓館。
察布査尓では外国人はここしか宿泊できないらしい。
しかも宿泊前に派出所で登記が必要とのこと。 -
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烏克街と言う通りにディープなウイグルレストランを発見。
ちょうどウイグル時間でお昼時なので、入ってみる。 -
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「亜力買買提特色木柴焼肉」と書いてある。
そういえば、2015年訪問のカシュガルでも「買買提」と名の付く店が多かった覚えがある。
ウイグル語の何かの意味の音訳なんだろうか? -
入ると「お好きな場所へ」と言われたので、
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テラスの席に座る。
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ラグメンを頼むとすぐに出てきた。
お昼時で、殆どの人が同じラグメンを注文していた。
卵焼きが乗っていて、美味しそう!
ジョッキはビールではなく、ノンアルコールの「Kawas(格瓦斯)」です。
これは哈尓濱で飲んだことがあるので、知っていた。
ラグメン15元、格瓦斯3元。
※ここでは格の字は中国のカラオケの「カ」の字を使っていた。 -
見た目通り、実に美味い!
本当に美味しい!!
マジ感動して涙が出た!!! -
一緒に頼んだ羊肉串も後から出てきた。
ラグメンついて少し説明すると、注文する前、ここの店の客が「西路麺、西路麺!」と言っているのが聞こえ、自分も同じように「西路麺!」と注文した。
後からメニューを見て分かったが、「西路麺」ではなく、「砕肉(拌)麺」で、ラグメンの肉が挽肉状のもの。これに対し、肉が通常のものは「過油肉拌麺」と言い、「砕肉麺」よりも3元ほど高い。
2015年8月、南彊へ言ったときは、このような区別は無く、ラグメンは全て「拉麺」または「拌麺」で1種類だった覚えが有る。 -
この旅で、ここのラグメンが一番美味しかった!
写真門の中央に立つのが、この店の老板。
どこから来たと聞かれ、「日本!」と答えると、これまで日本人に会ったことがないようで、非常にフレンドリーに接してくれた。 -
再び街の中心地へ。
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とにかくスーパーや個人商店で満州語新聞を捜す。
-
雑貨店など新聞がありそうな店を悉く訪ね、聞きまくるが、新聞は売っていない。
売っているとか以前に、新聞そのものを見たことが無い、と言う店員が多かった。
こんな西域辺境の場所であっても、ネット社会は普及しているし、今時、新聞なんて廃れて読まないのだろうと実感した。
実際、どこの商店にいっても、暇そうな店員はスマホ片手にチャットやらSNSをしているし、新聞自体必要なく、存在価値が無くなっているのであろう。 -
再び中心地にある「国遊飯店」へ辿り着く。
-
道路標識の看板にも満州語。
-
街の看板にも満州語。
だけど想像していたような日常生活、満州語で溢れている光景とは程遠い。
商店などで飛び交っていた言語はウイグル語か普通話であった。 -
これ以上、ここにいても新たな発見は無さそうなので、今日はこの辺で退却することにした。
16:00頃、「国遊飯店」の対角前にある乗り合いタクシー駐車場から、乗り合いタクシーで伊寧へ戻る(10元)。
後部真ん中の席だったので、道中、写真は撮らなかった。
これといって何の収穫もなく、まったくの期待、というか想像外れ!であった。
帰りの景色を眺めながら、「もうここへ来ることは無いな」と思っていた。 -
30分ほどで伊寧市内へ到着。
「隆金大酒店」前の駐車場で降ろされた。
逆にこの駐車場が、伊寧から察布査尓へ行く乗り合いタクシーの発着地であることが分かった。
※金は「金の字3つ」 -
すぐ近くに大通りらしい光景見えたので、歩いて行く。
写真は「隆金国際酒店」。
バス停でいうと、解放西路上の「工会大厦」前。
※金は「金の字3つ」 -
「工会大厦」から101路のバスでホテルのある「上海城」まで戻ろうとしたが、一つ手前の「州客運中心」で下車。
今回第2の目的である「新源県吐尓根」の杏子溝の杏子花を見に行くため、明日朝一のチケットを購入しようとした。
「新源県吐尓根」の杏子花は、2015年新彊の旅行記を書いている時、「ゆり」さんのページで発見し、是非行って見たい!と心に決めていた。 -
售票庁に入るのも厳重なセキュリティチェックがある。
客引きも多い。
新源県までの切符を買う前に客引きにつかまるが、重要な情報を得る。
なんと「新源県吐尓根」の杏子花はもう完全に散ってしまい、見ごろではないとのこと。何人かの客引きにも聞いたが、皆、もう見ごろは過ぎたと言う。
見ごろは4月中旬とのことであったが、少しは楽しめるであろうと、甘い考えを抱いていたが、完全にピークを過ぎていることまでは考えていなかった。
察布査尓の期待外れに加え、第2の目的まで無くなってしまった。
自分は一体何をしにこんな西の果てに来たのだろう!?と膝から崩れ落ちるような衝撃を受けた。
雲行きが怪しくなるのをひしひしと感じる。
なんか今回の旅行ヤバいぞ! -
「州客運中心」から一駅の「上海城」まで歩いて行き、ホテルを探す。
「上海城」のバス停からホテルまでは分かりにくかったが、路行く人に聞きながら、何とか辿り着いた。
ホテルに着いたのは19:00近くで、問題なくチェックインできた。
部屋の様子、1泊226元。
広くて快適! -
外はまだバリバリに明るい。
お昼のラグメンの量が多かったせいか、お腹もすいておらず、この日は夕食を食べずに一日の観光を終えた。
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新疆ウイグル自治区
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この旅行記へのコメント (3)
-
- 謝陽さん 2017/06/26 01:47:45
- 不思議な発見
- 今も満州語は残っている?という不思議な気持ちでamadeoさんの旅行記を拝読しました。
。
本場の消えてしまったものは、何かのきっかけで遥かに別のところに生き残る。歴史の不思議さ。聖書のいわゆる「When God Closes a Door, He Opens a Window.」とぴったりではないでしょうかーー私の感想です。
「売売提」ではなく、「買買提」というのは正解。ウイグル語「Mehmet」はアラブ圏でよく使われる名前「Mohammad」から伝われました。これは一番代表的な名前ですから、中国人はウイグル人のことを「買買提」で指す。ちなみに、「買買提」という表現は微妙にウイグル人へ差別的な感情も込めていますから、要注意。
満州語の新聞紙を買うことは絶対無理です。中国いろんな少数民族言葉の新聞も見つけることができません。満州語おろか、私のわざと現地調査によると、新疆にもウイグル語の新聞はだめ、チベット(西蔵)にもチベット語の新聞はだめ、内モンゴル(内蒙古)にもモンゴル語の新聞はだめーーという事実です。
私の日本語はまだ下手なので、怪しい感じかもしれませんが、ご理解してください。
- amadeoさん からの返信 2017/09/10 16:13:52
- RE: 不思議な発見
- 謝陽様
メッセージをいただきまして有難うございます。
この掲示板、殆ど見ないのでお返事を出すのが遅くなりました。
その後、満州語の新聞は発見できましたので、その時の旅行記をご覧下さい。
http://4travel.jp/travelogue/11259111
> 今も満州語は残っている?という不思議な気持ちでamadeoさんの旅行記を拝読しました。
> 。
>
> 本場の消えてしまったものは、何かのきっかけで遥かに別のところに生き残る。歴史の不思議さ。聖書のいわゆる「When God Closes a Door, He Opens a Window.」とぴったりではないでしょうかーー私の感想です。
>
>
>
> 「売売提」ではなく、「買買提」というのは正解。ウイグル語「Mehmet」はアラブ圏でよく使われる名前「Mohammad」から伝われました。これは一番代表的な名前ですから、中国人はウイグル人のことを「買買提」で指す。ちなみに、「買買提」という表現は微妙にウイグル人へ差別的な感情も込めていますから、要注意。
>
> 満州語の新聞紙を買うことは絶対無理です。中国いろんな少数民族言葉の新聞も見つけることができません。満州語おろか、私のわざと現地調査によると、新疆にもウイグル語の新聞はだめ、チベット(西蔵)にもチベット語の新聞はだめ、内モンゴル(内蒙古)にもモンゴル語の新聞はだめーーという事実です。
>
> 私の日本語はまだ下手なので、怪しい感じかもしれませんが、ご理解してください。
>
- amadeoさん からの返信 2017/09/10 16:14:15
- RE: 不思議な発見
- 謝陽様
メッセージをいただきまして有難うございます。
この掲示板、殆ど見ないのでお返事を出すのが遅くなりました。
その後、満州語の新聞は発見できましたので、その時の旅行記をご覧下さい。
http://4travel.jp/travelogue/11259111
> 今も満州語は残っている?という不思議な気持ちでamadeoさんの旅行記を拝読しました。
> 。
>
> 本場の消えてしまったものは、何かのきっかけで遥かに別のところに生き残る。歴史の不思議さ。聖書のいわゆる「When God Closes a Door, He Opens a Window.」とぴったりではないでしょうかーー私の感想です。
>
>
>
> 「売売提」ではなく、「買買提」というのは正解。ウイグル語「Mehmet」はアラブ圏でよく使われる名前「Mohammad」から伝われました。これは一番代表的な名前ですから、中国人はウイグル人のことを「買買提」で指す。ちなみに、「買買提」という表現は微妙にウイグル人へ差別的な感情も込めていますから、要注意。
>
> 満州語の新聞紙を買うことは絶対無理です。中国いろんな少数民族言葉の新聞も見つけることができません。満州語おろか、私のわざと現地調査によると、新疆にもウイグル語の新聞はだめ、チベット(西蔵)にもチベット語の新聞はだめ、内モンゴル(内蒙古)にもモンゴル語の新聞はだめーーという事実です。
>
> 私の日本語はまだ下手なので、怪しい感じかもしれませんが、ご理解してください。
>
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