2016/12/28 - 2017/01/08
129位(同エリア347件中)
mikoyan358さん
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2016年12月28日~2017年1月8日に、「天空の鏡」と呼ばれるボリビアのウユニ塩湖、そしてその経由で立ち寄り存分に観光したニューヨークの旅行記です。
「天空の鏡」など本当にあるのか?と渡航前は懐疑的でしたが、地球の他の場所では味わえないような、自分の中での方向軸がわからなくなるような素晴らしい光景に出会うことができました。
また、ニューヨークはアメリカに何度も行っている割に初めてでしたが、著名観光地から映画のロケ地まで巡りたい場所を存分に楽しめ、好奇心を存分に満たす素晴らしい旅となりました。
豊富な写真で紹介しますので、お楽しみください!
1日目(16/12/28):成田→ニューヨーク
2日目(16/12/29):ニューヨーク→リマ
3日目(16/12/30):リマ→ラパス
4日目(16/12/31):ラパス→ウユニ
5日目(17/1/1):ウユニ
6日目(17/1/2):ウユニ→ラパス
7日目(17/1/3):ラパス→リマ→(機中泊)
8日目(17/1/4):→ニューヨーク
9日目(17/1/5):ニューヨーク
10日目(17/1/6):ニューヨーク
11日目(17/1/7):ニューヨーク→(機中泊)
12日目(17/1/8):→羽田
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩 飛行機
- 航空会社
- アマゾナス航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ウユニ最終日。
朝方から息苦しさで目が覚めました。
寝ている間は呼吸が小さくなるため仕方ない部分もあるのですが、なかなかこの高地に来てから熟睡してない気がします。
簡単な朝食を済ませ(という事しか覚えていないほど何も驚く事がなかったのでしょうw)、半分水のシャワーで体を洗ってこの日の行動に備えます。 -
最終日といっても、この日はウユニの観光はゼロ。
早朝にホテルをチェックアウトしたらそのまま空港へ向かい、まだ朝ご飯と言っても遅くない時間にラパスに着いている流れになります。
息を切らして荷物をロビーまで運ぶと、昨日までのマテオ君(やっぱりチリまで行ったようです)の同僚のガイドさんが来てくれていました。
※あとで聞いてみたら、昨日の朝初日の出を鑑賞する場所にもいて、マテオ君と一緒に邪魔な塩を削ってくれていた人でした。 -
ウユニの街なかにもあったダカールラリーのモニュメントが、ホテルの前に鎮座しています。
我々がウユニを訪れた1週間後に塩湖を通るコースでラリーがやって来...るはずでしたが、道中で大雨が降ったそうでレースどころではなくなっていた、というのをニュースで見ました。
その頃に塩湖観光していた人たちは大丈夫だったのでしょうか。 -
車に荷物を積み込み、しばし塩湖の名残りを惜しむ時間をとります。
距離は近いですが、特に高台というわけでもないので塩の大地はほとんど見ることができません。
いろいろな海外の名所・絶景に行きたいと思っている自分にとっては、今回鏡も塩の大地も存分に味わえたので、ここに来るのはこれが最後かもしれません。
思い残すことなく絶景を目の当たりに出来たことを感謝し、静かに塩湖に別れを告げました。 -
マテオ君と同じくらい英語が流暢なガイドさん(名前を忘れてしまった...)との会話を楽しみつつ宿から30分ほど走ると、行きにも目にした空港が姿を現しました。
-
ごく小さい、掘っ立て小屋に毛が生えた程度(笑)のターミナルですが、出発を待つ旅行者でごった返していました。
見たところ8割くらいが日本人。
下手すると六本木の繁華街よりんも日本人率は高いかもしれません(笑)。ウユニ空港 (UYU) 空港
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この日は飛行機の便にも遅れはないようでひと安心。
団体旅行の列に続いて荷物検査を受け、何もない小さな待合室で出発の時を待ちます。
朝は1時間おきくらいに便があり、我々が中に入った時にたくさんいた人々はひとつ前の便で飛び立っていきました。ウユニ空港 (UYU) 空港
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ちょうどその「一つ前の便」が離陸したところ。
あまりこうした小さな空港に来る機会も少ないので、複数の便の乗客が一緒の部屋で待ち、該当の便の客だけが呼ばれて屋外に出て歩いて飛行機に乗り込む、という経験は非常に新鮮でした。ウユニ空港 (UYU) 空港
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空港へ到着して1時間ほど経ったところで、乗る予定の飛行機が到着。
乗客と荷物を降ろしたら、ほとんど間をおかずに我々の搭乗が始まりました。ウユニ空港 (UYU) 空港
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今回こそ塩湖側となる向かって左側の席を!と思っていましたが、やっぱりそこはツアーに押さえられてしまっていたようで、無念の右側。
相当早くチケット取ったはずなんですけどね...
ほぼ満員の客を乗せて、飛行機はウユニを飛び立ちました。
さらば、ウユニ。ウユニ空港 (UYU) 空港
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真横の席の狭い空間からしか見渡せませんが、来る時とは違い晴天に恵まれたことで真っ白に輝く塩湖を見晴らすことができます。
ちょうどこの辺は朝日を見ていたあたりかな? -
コルチャニの村、そして今真ん中に写っている「ルナ・サラダ」など、地上の建物もよく見えます。
今日もあそこから出発して素晴らしい体験をしている方々がいるんでしょうね。 -
遠くに見えている「インカワシ」。
昨日あれだけ時間をかけて近づいた遠い場所ですが、ここから見るとあっという間にたどり着けそうに見えます。
鏡になっている付近も見ることができましたが、どっかり水がたまっているわけではないので上空からはまったくその存在を感じることはできませんでした。 -
しばらく見とれているうちに、塩湖の北岸が近づき、やがて茶色の大地に覆われるようになりました。
名実ともにウユニ塩湖の旅がここで終わりを告げた瞬間。 -
その後は疲れもあってうとうとし、気が付いたらだいぶラパスが近づいていました。
100人乗りくらいの小さな飛行機ですが、特に揺れが激しいということもなく中々快適です。 -
その後も何度かうつらうつらとしながら過ごしていると、予定通り9時半にエル・アルト空港に到着。
往路と同じように中途半端な駐機場所から地べたを歩いて進みます。
ボリビア滞在4日目になるのでさすがに空気にはある程度慣れていた、と感じていましたが、それでもウユニから標高が400メートル上がったこのエル・アルトではいちだんと身体が重く感じました。エルアルト国際空港 (LPB) 空港
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3日前にここに着いた時は国際便だったので書類記入などが面倒でしたが、今回はチェックもなくさっさと荷物を受け取ってゲートの外へ。
すると、見慣れたガイドのLuzさんの顔がありました。思わず我々と3人で抱擁。
やっぱり気の利くガイドさんがまた担当してくれるのは嬉しいですし、何より日本語なのが楽すぎです(笑)。 -
空気の薄さに頭の回りが悪い気がしますが、こうして具体的にわかる数値を見て4000メートルの大地に戻ってきたことを実感。
-
ここからは、ラパス郊外の大きな見所である「チチカカ湖」と「ティワナク遺跡」をめぐる1日ツアーがスタート。
まずはチチカカ湖へ向け、エル・アルトの市街を爆走します。
ただ、空港から一直線で行ける大通りが工事中という事で、普通の旅行ならあまり訪れることもないであろう裏道を駆使して先へと進みます。
ラパスの市街では見かけなかった野良犬の集団も、こちらでは普通の光景。 -
空港へのアプローチルートの下を通過。
何度も飛行機が頭のすぐ上を駆け抜けていきます。 -
街の中心からほんの10分も走っていないのですが、周囲から完全に街並みが消え、羊が自由に闊歩する景色になりました。
エル・アルトの発展スピードを考えると、もし10年後にまた来た時にはここには家がぎっしり並んでいるかもしれませんね。 -
先ほどの話の通り、大通りが工事中だったため裏道をずっと通って来ていたのですが、その途中の浅瀬で大型バスが渡り切れずに道をふさいでいたため、ドライバーさんの脳内カーナビが大活躍。
このような、もはや道とは呼べないような場所を迷いなく進んでいきます。
Luzさんに聞いても、このドライバーさんはラパスで1番道を知り尽くしているベテランなんだとか。
それにしてもどうやったらこんなルートが頭に入るんでしょうかね。実際通ったことあるのかな? -
そんなドライバーさんの超絶テクのおかげで、オフロードの時間も20分くらいで終わり、チチカカ湖へと向かう幹線道路に無事合流。
ここまで来ればあとは早いもんです。 -
13年前にペルーとボリビアに来たときにも、そしてチベットに行ったときにも思いましたが、標高の高い大地の青空の濃さは本当に半端ないですね。
本来なら果てしなく続く、どちらかというと「荒涼」という表現が似合うこの景色が、むしろリゾート気分を高めてくれさえもします。 -
基本的に周囲に人家は少なく車はかなりスピードを出していますが、交差点や料金所などで速度が落ちる場所が近づくと、こうして決まってアイマラ族の民族衣装に身を包んだ人々(ほぼすべてが女性)が現れて何かを売り込んできます。
一見すると「こんなの買う人おるんかいな」と思いますが、けっこう車を横付けして窓から手を出しやり取りをしている光景に頻繁に出くわしました。 -
そんな路傍の商店を通りすぎると、こうしてたまに牧畜している姿の他には人の姿は見当たらなくなります。
農耕が盛んな地域であれば農家が点在するところなのですが、やはり高地ということもありあまり見つけることができません。 -
目指していたのは、この看板にもその地名が見えるチチカカ湖畔の小さな街、ワタハタ。
ワタハタには旅客向けの港があり、ペルーのプーノからやってきた船の目的地にもなっています。
その他に特に何があるわけでもない場所ですが、個人的には13年前にそこを通ってラパスへと向かったところなので、再会が楽しみ。 -
お昼が近づいてきており、早起きの疲れと空腹(朝ごはんをほとんど食べていないので)もあってこの辺でうつらうつらしてしまいます。
-
道路の両脇に何もない草原のまっただ中ですが、たまにこうして作りかけの歩道橋が目につきます。
よっぽど車がビュンビュン飛ばしてて地元の人が渡れないんでしょうかね。
この景色に不釣り合いな歩道橋を見て、先住民優先政策を次々と実行するモラレス大統領の存在を改めて感じます。 -
丘や木々の向こうから、チラチラと湖面が見えるようになってきました。
出迎えてくれるのはもはや人間ではありません(笑)。 -
こんな田舎をタクシーが走っていたので気になってよく見てみたら、頭の提灯のところに「LITORAL」(海)と書いてありました。
よっぽどチリに海岸線を奪われたのが悔しいと見えるww -
空港を出発して1時間とちょっと。
いよいよチチカカがその雄大な湖面を眼前に見せてくれるようになりました。
遠くかすむような距離まで水が続いていて、もうこれは完全な「海」といってよいでしょう。 -
地図アプリで現在地を追いかけていたら、車はワタハタの街の手前にある家の敷地のような場所へと入っていきました。
家が2軒ほど並び、湖へ向けて下っています。 -
その先に見えるのはこの船。
今日の最初の観光は、この風情ある船に乗ってのチチカカ湖遊覧です。
明日のリマ行きの便までラパスではほぼ一日の余裕があったので、ラパス近隣の観光がしたいと代理店に希望を出したところ、チチカカ湖と湖畔の世界遺産ティワナク遺跡の観光を提案されました。
湖は私は前回来て遊覧しましたが妻は未経験でしたし(前回もペルーは一緒だったものの日程の都合で先に帰国)、ティワナクは私も前回行ってなかったのでちょうどよいプランということもあり、迷うことなく選択。 -
チチカカ湖を渡る船といえばおなじみなのが「トトラ」。
水辺や水中に生える芦の一種で、現地の人々はこれを乾燥させてさまざなものに利用します。
先ほどの写真にあった船は、このトトラを組んで作られたもの。 -
天日干しされているもの、カバーをかけられて保存されているものなど、膨大な量のトトラがこの辺に集まっています。
ガイドさんによると、この一家はトトラ船作りの名人らしくて、一帯で使われている船を作って売り出したり、はては日本のテレビ番組の企画で太平洋を渡る冒険に挑戦した船も作ったそうで、こちらではかなりの有名人のようです。 -
少し待っていると乗船の合図がかかったので、船へと近づきます。
誇らしげにはためくボリビア国旗、なかなかいい風をとらえています。 -
私は以前にもトトラの船に乗ったことがありましたが、今回も一歩足をおろしてみてその頑丈さに驚かされます。
当然ながら船底から甲板?まで全部トトラの積み重なりですが、足を置いてもへこむことなどはなく、やや柔らかい普通の地面のようにしか思えません。 -
船にはちゃんとキャビンスペースも用意されていました。
さすがにこの部分だけは木が使われています。
プライベートツアーなので乗客は我々2人とガイドのLuzさん、それに乗組員だけ。
贅沢な小旅行が間もなく始まります。 -
写真を撮りまくっていたら、船は静かに動き出しました。
1時間弱の遊覧なので少し沖へ出てぐるっと回ってくる程度ですが、観光としてはこれで充分です。
さっそく見えてきたのが、船着き場からほど近いところにあるワタハタの街、というか集落。
この光景ははっきりと覚えていました。特に左側の5階建ての建物にはこの界隈で初めてエレベーターが設置されたという話も聞いていて、見た瞬間に13年前の細かい記憶が次々と甦ってきます。 -
見た目は海ですが、やはり内陸の湖だけあって湖面はとても静か。
ごくわずかに波紋が続く以外には騒がしさは見えず、我々がその上を遊覧していることにも気づかないまま居眠りしているように見えます。 -
この湖面と雲の近さが、チチカカ湖の何よりの特徴ですね。
遠くの雲からは激しい雨と思われる帯が地上へ向け伸びていて、まるで地上の誰かをアブダクションしているようにも見えますねw -
水が見えているのでつい忘れがちですが、標高は富士山の頂上を軽く超える3,800メートルあまり。
熱帯に属する湖のため水分が蒸発する割合が他の湖よりも高く、結果として(死海ほどではないですが)かなり塩分が濃いんだそうです。 -
湖に近づく前には小さな雲しか見えていませんでしたが、いざクルージングが始まるとこのような、ちょっと近づくのをためらってしまうような巨大な雲がにょきにょき。
Luzさんによればこの辺の天候の移り変わりはとても早く、船に乗ってる間に降り出すかも、とのこと。
見るからにいい天気なんですが、本当にそんなに早いの?と疑問に思っていました。
この時は。 -
トトラの船、この大きさなのでさすがに手漕ぎではなくモーターで動いています。
つくりは本当にしっかりしていて、例えばこのサイドのへりを強く叩いたとしても船が揺れたり形が変わってしまうことなどはありません。
さすがにずっと水に使っているとその部分から傷んでいくそうですが、そのときは新しいトトラを組んで補強するんだとか。
まあ資源はほぼ無限にありますから、半永久的に使える船ということですね。 -
船は岸からはそれほど離れず、遊覧を続けます。
船上では、写真をまめに撮ってくれるLuzさんを中心にして大撮影大会が催されていました。
確かに、景色に慣れてくると多少暇に感じますね(笑)。 -
湖の中に細い棒がたくさん刺さっているのが見えますが、これはチチカカ湖名産であるマスの一種「トルーチャ」の養殖場。
ボリビア側にはたくさんの養殖場があって、日本の支援が入っているものもあるそうです。
こんな意外なところに日本との繋がりがあったとは。 -
やや暑さを感じるくらいの、湖上で風を切るには絶好の天候のもとで遊覧を楽しんでいましたが、残り10分を切ったあたりから急に雲が近づき、それに伴って肌でわかるくらいに気温が下がり、上着が必要なほどになってきました。
暑いからいらんだろう、と思って車に置いてきたことを後悔しながら、船内にこもって到着を待ちます。 -
その5分後。
これはやばいw
まあ、もう出港した場所はすぐ近くに見えているので、雨が降り始める前には車に戻れるはず... -
...と思ったら、最後のターンで港に鋭角的に入り込みすぎた結果、モーターが岸辺のトトラを巻き込んでしまい船が立ち往生してしまいました。
聞けば、普段はここの家長さんが操縦するところ、今日は別の団体とかぶったため家族が代理でやってたんだとか。
この頃になると風もかなり強くなってモーターの力でもなおトトラの群生地側へ流されるようになり、打開策が見つかりません。
雨雲はどんどん迫ってるし、困った。。 -
その場で悪戦苦闘すること15分ほど、長い竿で船を無理やり動かし、何度か失敗しながらもロープを岸辺で待っている人に投げ、最終的には私も手伝いに入って杭にくくりつけたロープを引いて、というかなり強引な手法で、なんとか地上へと戻ることができました。
ちなみにこの写真で今ロープをひいているのはこの家のお母さん。
(今回代理で入ったのは運転の人だけで、船頭的な立場のこの女性は普段からこの船に乗っていてLuzさんとも顔なじみです)
一見すると普通のアイマラ族の女性ですが、背中の袋に入っているのはなんと「赤ちゃん」!
聞けば、つい先月出産したんだそうな。
お母さんのパワフルさ、そして航行中も船室に置かれた籠の中で大人しくしていた赤ちゃんの強心臓ぶりの両方に度肝を抜かれました。 -
何とか陸へ戻りトイレだけ済ませて車に乗り込んだら、その直後から一気に土砂降りに変化しました。
ほとんど濡れずに済んでとにかく安堵。
このあとは、今いる湖の西岸からティワナク遺跡のある南岸までひたすら移動。
雨で景色も見にくくなりましたし、若干の力仕事もして疲れてしまったので、またうとうとと覚醒のライン上をさまよいます。 -
ティワナク遺跡までは湖畔の道をずっと行くのかと思っていましたが、湖畔には快適に走れる道が少ないためいったんラパスまで戻り、別の幹線道路に入る必要がありました。
なので、この辺の景色は全て往路で見てきたものばかり。
雨も湖畔を少し離れるときっぱりと雨雲の存在を忘れてしまい、見慣れた青空に戻ります。 -
1時間ほどかけてラパス市街に近いところまで戻ってきました。
食卓のおこぼれを虎視眈々と狙うわんこたち(笑)。 -
往路でも工事中だった場所を避けるため、こんな機会でもなければ今後一生通ることはないであろう住宅エリアを突っ切っていきます。
道は凸凹で車が一台通るだけで嵐のような砂ぼこりが舞い上がる場所ですが、ここにもれっきとした人々の生活があり、道端では子どもたちが楽しそうにサッカーに興じています。
おそらく彼らも同様に思うはずですが、同じ人間でありながら彼らの生活が全く想像すらできない、それほどに別世界な「日常」がそこにあります。 -
そんな住宅街の中にも、いや中にこそ置く意味がある、作り笑いを浮かべたモラレス大統領の看板。
おそらくこの辺では熱狂的に支持され、そしてラパスの中心街では嫌われているんでしょうね。 -
果てしなく連なる質素な建物と、そのすぐ背後にあるごみ捨て場。
これをイメージ通りと言ってしまうことが適切かどうかはわかりませんが、率直にそんな感情を抱きました。 -
ラパスの市街地をかすめて、車はようやくティワナクへ向かう幹線道路へと入りました。
この時すでに時間は14時半くらい。
移動に精一杯なため、ご飯を食べている時間がありません。
高地で鈍感になっているとはいえ、さすがに腹がぐうぐう鳴って大変なことになってきました。 -
ティワナクまでは30分ほどですが、遺跡のクローズ時間が早いらしくて着いたらすぐに観光、そしてご飯はそのあとに遺跡のすぐそばでとることになりました。
先は長い... -
という我々の気配を察したのか、Luzさんが途中で車を停め、売り子さんからパンを購入して我々に配給してくれました。
ラパスからティワナクに向かう途中にある小さな街「ラハ」はこうしたピタ的なパン「パン・デ・ラハ」の名産地らしく、確かに道端にいる売り子さんがみんなパンを持っていました。
特に味付けもせずそのままかぶりつきますが、実に素朴で小麦の風味がよく伝わり、空腹の極致にあったこともありあっという間に平らげてしまいました。 -
少し腹が落ち着いたので、遠くにアンデスの峰を眺めつつ少しうとうと。
-
使われているのかどうかわからない線路をまたぎます。
帰ってから調べてみたらいちおう(笑)走っていることは確認できましたが、便も少ない中でミニバスとの競争に勝てず、すたれる一方のようです。 -
時間は15時近く、ようやくティワナクの街のエリアへ入りました。
着いてから相当忙しそうな予感。 -
街のはずれを走っていると、いくつかの建物とそこに群がる人々、そしてその向こうに人が登る遺跡のような盛り上がりが見える場所までやってきました。
Luzさんが降りて慌ただしくチケットを買いに走っています。
こちらは、昔使われていたティワナクの駅舎。
ということは遺跡をかすめる、いや踏んづけるような感じで走ってたわけか... -
後ろにちらちらと遺跡の姿を確認しながら記念撮影。
そうこうしていたらLuzさんが走って戻ってきたので、連れられて近くの建物へと入ります。 -
遺跡の隣には大きな博物館が2つ並んでいます。
まずはそのうちの一つへ入り出土品の数々を見学...しますが、遺跡のタイムリミットが迫っているため超駆け足。
撮影禁止だったこともあり、土器の破片や青銅器などを前にいろいろとへぇ~と言った以外の記憶がありません(笑)。
そして隣は、実際の遺跡の一部が移設保存されています。
撮影禁止(いつもなら何かしらトライするところですがw時間もなさすぎた)なので入口にあった門のレプリカだけ紹介します。
のちほど遺跡の中で目にする「モノリート」と呼ばれる大型の像も中に展示されており、「ベネット」の固有名を持つ高さ7メートル以上の巨大なモノリートが存在感を放っていました。 -
駆け足というか完全ランニング状態で博物館を見た後は、いよいよ博物館の入口から少し先のほうに見える遺跡エリアへ。
そのまま歩いていってもたどり着けますが、今回は時間節約という事で博物館の前から車で裏口側まで移動し、効率よく見て回ることになりました。ティワナク:ティワナク文化の宗教的・政治的中心地 史跡・遺跡
-
裏口なので仕方ないですが、とても世界遺産とは思えないこの簡素なゲートから遺跡の敷地へ入ります。
もういくつか建物が見えていますね。 -
「ティワナク」という名の文化は、その由来などははっきりと判ってはいないものの、紀元前2世紀くらいからその存在が現れ、紀元後8世紀から10世紀ごろにかけて最盛期を迎えた文明です。
このティワナクとともに南米西海岸一帯にあった、地上絵でおなじみの「ナスカ文明」、TBSの特番などで頻繁に名前が登場していた「シカン文明」ほかさまざまな文明を総称して「プレ・インカ」と呼びます。
のちのインカの領土や文化に、これらの文明が大きな影響を与えたことは間違いありません。 -
遺跡の範囲は周囲数キロにひろがっていて、発掘されているのはその一部。
大半は埋まり、そして表に出ているものは持ち去られてしまい、こうして保存状態よく残っているのはほんのわずかです。
(持ち去りは、歴史的価値を狙ってというよりは、自分たちの家を作るための建材を確保するためのものだったようです)
この窪んでいるエリアは「半地下神殿」と呼ばれています。
降りてみましょう。 -
2メートルくらいの深さまで掘りこまれた神殿の中央には、大地の女神パチャママをかたどったというモノリートが立っています。
発掘された当時は(この後に紹介するものも含めて)倒壊していましたが、その後発掘・復旧を経てこの場に設置されました。
このパチャママは多くの崇拝の対象となっていて、インカの文化でもよく見られますし、現代でも先日ラパスで見たような建築の際の祈祷においてパチャママへの捧げものとしてリャマのミイラが燃やされたりします。 -
半地下神殿を形作る外壁はすべて石造り。
その壁からはこのようにいくつもの顔がにょきっと出ています。
四方あわせて全部で200個くらいはあるでしょうか。
よく見ると顔立ちはひとつひとつ違い、様々な小民族の姿を現しているように見えます。 -
この半地下神殿の隣には遺跡の中心部分となる「カラササヤ」と呼ばれる大きな神殿があるのですが、その中にあるモノリート・カラササヤの東の端にある門・半地下神殿のモノリート、この3つが一直線に並ぶようになっています。
門の中からの景色もなかなか良いようで、次から次へと人がやってきてなかなかシャッターチャンスが訪れない中、ほんの一瞬のタイミングで撮れたのがこの写真。
この「一直線に並ぶ」というあたりに、インカの文明に通じるものを感じます。 -
このカラササヤの入口は反対側にあるので、周囲を囲む壁に沿って外側を歩きながら近づきます。
ところどころに出っ張りが見えますが、これは「水道」。
当時としてはかなり精巧な水路が張り巡らされていたそうです。
ただ、こちらはオリジナルは殆どなく40年ほど前の修復によるものらしいですが。 -
何か所かこういう階段っぽいものがありますが、こちらは神殿本体へと上がるためのもの。
上がる場所なども王とそれ以外で決まっていたようですね。 -
神殿から流れ出た水道の行く先をたどりながら進みます。
-
正面の階段を上がって神殿の内部へ。
「神殿」といっても、先ほど横を通ってきた壁の中に盛り土されている状態なので、中にはいくつかの設置物以外に目立つ構造はありません。
向こう側に見えているのは、ピラミッドの一種である「アカパナ」。
だいぶ削れてピラミッドというよりボタ山的な形状になっています。
そしてその手前にいるのが、ティワナクで特に保存状態の良かったモノリートのうちの1つである「エル・フライレ」。
これも発見者の名前にちなんだ名称です。 -
神殿の奥側にどっしりと立つのが、先ほど門を通して一直線に並ぶ状態で見えていた、ティワナクで最も有名なモノリート「ポンセ」。
50年ほど前にポンセさんが見つけたからこの名前になりました。
鉄製品を使う文化がなかったというティワナク。
アステカやオルメカの文明を見た時にも思いましたが、1つの大きな石からこれだけの石像をそういった近代工具なしに彫り出す技術がそんな昔に整っていたことに、改めて驚異の念を抱きます。 -
モノリートには特徴がいくつかあります。
ひとつは、両手に大地への捧げものとなるいけにえと瓶(チチャなどを入れておくためのもの)を持っていること。
2つ目に、スカートにあたる部分に数多くの文様が描かれていること。
ナルトの渦のような模様は全部で364個あるそうで、これが暦に由来するものではないかと言われています。
そして最後、ポンセをはじめとしたモノリートに共通するものとして、腹の前に置いた右手の指が内側でははなく外側に反り返っていることがあげられます。
きっと明確な意図があるはずですが、なぜそうなっているか現代でもはっきりとは解明できていないとのことでした。 -
ポンセの脇から先ほどの半地下神殿の方を振り返ります。
あまり長居はしませんでしたが、確かにここから景色を枠に収めたくなる気持ちも、それが邪魔だなあと向こう側で思う気持ちのどちらもよく理解できます(笑)。 -
土台しか残っていませんが、妃が住んだという部屋。
四畳半程度? むしろ座敷牢的な大きさ? -
どちらかというと「まだまだ発掘途上」で「修復が無理やり」なティワナクですが、もう一つ「観光と保護のバランスに改善の余地あり」というのが気になります。
その最たるものがこの写真にあるもの。
これはポンセから神殿内を移動している時に下を向いたものですが、画面中央部に写っているちょっと赤みがかったものは「当時の陶器などの破片」です。
ここだけでなく、遺跡の至る所でこうしたものが見られ、ちょっと掘ればいくらでも発掘することが可能。
大らかなのかいい加減なのかはわかりませんが、ともかく観光客が踏みしめている場所にもまだまだ守る必要のあるものがたくさん残っていそうです。 -
まもなく遺跡閉園の時間となる中、最後に訪れたのはティワナク遺跡を紹介する画像や映像で必ず一度は紹介される、この「太陽の門」。
かつては神殿が壁で覆われており、この門を通って出入りがなされていたそうです。
にしては遺跡の中に中途半端に立っていますが、これも40年ほど前の復旧がかなり適当(笑)だったことに起因しているとか。 -
中央に鎮座するのは、プレ・インカからインカ文明にかけて大地の創造者として崇められた「ビラコチャ」さま。
またの名を「アプ・コンティキ・ウィラコチャ」といいますが、ここから名前がとられた「コンティキ号」は、ヘイエルダールの太平洋南部横断の冒険で使われたイカダの名前としてもおなじみです。
その周囲の文様はやはり365にちなんだ数になっています。 -
ちょうど閉館の時間となったので、遺跡の観光は終了。
かなり慌ただしいものではありましたが、インカにつながる人々の英知がたっぷりと詰まった、素朴ながら見どころ満載の遺跡でした。 -
遠くに雷雲が迫っているのを横目に見ながら、ようやく午後5時の昼ごはんのために移動します。
-
博物館の並びにあり、Luzさんがお勧めしていた地元の小さなレストランへ入ります。
本来は閉店している時間だそうなのですが、Luzさんが交渉してあけてくれました。
どれだけ交渉力あるんだかこのガイドさん(笑)。
まずは、アンデスといえば欠かせないキヌアをたっぷりと使ったクリーミーなスープ。
さっきパンでつないだとはいえ腹が減っていたことに変わりはないので、胃のひだの一つ一つまで染み渡る感覚があります。 -
ティーバッグではなく生の葉っぱをふんだんに使ったコカ茶。
ミントティーに似た爽やかさが特徴のこのお茶、数日前にお腹を壊した際に大量に飲みましたが、やはり出来合いのものとは風味が段違いです。 -
メインのトルーチャは、白いライスの上に乗ってやってきました。
味はまさに鱒そのもの。
川魚などにありがちな臭みはあまりなく、カリッと揚がっていることもあって口の中でホクホクと音を立てそうなクリスピーさがあります。
事前にあまりに腹が減っていたので「このくらい余裕で行ける」と思っていましたが、いざ食べ始めるとあっという間に満腹になり、ご飯を置いといて魚を食べきるのが精いっぱい。
高地で生活するとダイエットできそうですね(笑)。 -
食べている途中から凄い音がしていましたが、店を出るころには車まで走って行かないとずぶ濡れになりそうなほどの大雨。
慌てていたので結局お店の名前もよくわかりませんでしたが、博物館の奥の方に並んでいる数軒の店の1つです。 -
ここからは一気にラパスへ戻ります。
酷い雨の区間も一瞬で通り抜け、徐々に車の流れが増えていく中をまっすぐ東へ。 -
往路にパンを買ったラハの街を通過。
家々の壁にこのように「NO」や「SI」の文字と何らかのメッセージが書いてありますが、これは選挙ポスターのような政治的主張なんだそうです。
賛成・反対の単語を大きく掲示するポスターはヨーロッパなどでもよく見かけますが、壁に書いてあるのは久々に見ました。 -
エル・アルトのへりから少しずつラパス市街圏へと突入。
それに伴って車の数がこれまでとは比較にならないほど増え、わかりやすい帰宅渋滞が発生して歩みが止まりました。
その脇に見覚えのないテレフェリコの支柱が見えたのでLuzさんに聞いてみたところ、これは建設中の新しい路線とのこと。
今までの赤・緑・黄に続く「ブルーライン」になるそうです。
ただ、この路線、本来テレフェリコが解消すべき「ラパス中心街とエル・アルトの所要時間短縮」の目的から若干逸脱するように、エル・アルトの台地の上だけを結ぶ経路をたどっています。
たしかにエル・アルトの奥の方、かつこの路線付近に住む人々にとってはそのままレッドラインに接続てきるので便利だと思いますが、その数はたかが知れていますし現状でもミニバスが発達していて不便はあまりなさそう。
乗客数に明らかに見合わない高額の建設費が必要な案件をモラレス大統領が強力に推し進めているわけですが、ラパスのインテリ層からは大反発だそうです。
まあ、当然ですよね。
完成は来年以降だそうですが、大統領が代わったら真っ先に廃止されそうなので乗るなら早めが良さそうです(笑)。 -
夕方のラッシュで、高台と盆地のラパス中心部を結ぶ国道は大渋滞。
とはいえそこしか通る道はないし他も知らないしなあ、と思ってゆっくり帰る覚悟を固めていたら、例のラパス中の道を知り尽くしているドライバーさんはこともなげに裏道へと入っていきました。
いままで使わなかっただけで、そういう道は十分あるようです。 -
国道は谷をぐるりと迂回するルートですが、この裏道は旧市街の裏からまっすぐ中心街を目指すもの。
従い、写真で見てもわかるくらいに勾配の急な坂をくねくねとたどっていくことになります。
写真では伝わりにくいですが、実際には奈落の底に落ちていくような感覚でした。 -
迂回したら渋滞なしでも40分以上、この時間なら軽く1時間は超えてしまうルートを、真っ逆さまに下ることでわずか10分ほどで降りてきました。
逆は相当エンジン性能がないと難しそうですが。 -
こうして長い旅を終え、19時前ごろに無事に「ホテル・ロサリオ」に戻ってきました。
預けてあった荷物にも問題はなく、そしてウユニへの出発前にLuzさんが預けてくれていたお土産もしっかり部屋に届けられました。
明日のラパスからの出発時には来られるかどうかわからない(他のガイドさんになるかもしれない)というLuzさんによ~~く感謝の念を述べ、ハグしてお別れ。
本当に素晴らしく気が利くガイドさんで、旅に十二分に集中することができたのも彼女のおかげです。
普段はブラジルで添乗の活動をしており繁忙期にボリビアへやって来ているそうですが、今後行く予定でこれをご覧の方の中にも添乗が当たる可能性がありますね。
その際は、文句なしに良いガイドさんなので安心して旅してください。ホテル ロザリオ ラパス ホテル
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ラパス最後の夜はもともとはホテル内のレストランで食事でもするかな、と思っていましたが、昼食がほぼ夕食になってしまったこともありこの日は部屋から出ずに荷物の詰め替えなどに終始しました。
翌日はニューヨークまでのトランジットでリマに昼間12時間滞在するため、その間に必要なものや洗面用具、1日分の着替えだけを手持ち荷物に入れておきます。
おそらく最後となるコカ茶をラウンジでいただいて、長い一日が終わりました。
そういえば朝はウユニ塩湖のそばにいたはずなのですが、昔過ぎて忘れた(笑)。
(7日目に続く)ホテル ロザリオ ラパス ホテル
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