2015/06/07 - 2015/06/07
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kawakoさん
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ラウペンの歴史は古く、ローマ時代にはもう東西の交通路の拠点の一つとして歴史に登場しています。
930年にはブルグンド王ルドルフ二世により城の基礎となる部分が作られました。
11世紀には都市が形成され、12世紀になってツェーリンガー家の支配下に入りますが、同家の断絶により今度はキーブルク家の支配下に。
ところが1264年にはキーブルク家もまた断絶してしまい、キーブルク家と縁戚関係があったハプスブルク家の支配を受けることに。
14世紀には勢力を拡大してきたベルンがここを支配します。
ベルンももともとはツェーリンゲン大公により作られた町なのですが、ツェーリンゲン家の断絶後は帝国自由都市となり、その後周辺領土を購入し都市国家化していきました。
ラウペンの名をとくに知らしめているのが、1339年のラウペンの戦いです。
ベルンの領土拡大に反発した西スイスの貴族たち(ハプスブルク家とブルグンド(ブルゴーニュ)の勢力を背景にした)との戦いで、ベルンが勝利しました。
ラウペンへはベルンからSバーン(S2)で約30分、ラウペン駅から旧市街はすぐそこですよ。
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美しいラウペン旧市街を横目で見ながら通り過ぎて・・・
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まずは丘の上のお城にやってきました
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駐車場の片隅に石のブロックが散乱しています
ふ~ん、あの敷石舗装はこうやって作るんか~ -
さて行くぞ
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いくつかアーチをくぐっていくと城の中庭らしき場所に出ました
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あまり広くはないですね
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ベルン州のクマの紋章の上に双頭の鷲が・・・ハプスブルク家のでしょうか?
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高い城壁にぐるっと囲まれた広場の突き当りに小さな小部屋が
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「魔女の部屋」とのこと
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かつての銃眼です
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右手に見える建物には入口が上下に二つありますねぇ
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ちなみに下の部屋はこんな感じ
日が差さないのでデラ涼しいw -
上に上がります
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ここは騎士の間です
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えらい飾り気のない空間ですな
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ゼンゼ川がすぐそばを流れているのが見えます
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これがラウペンの紋章みたいですね
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城の見取り図
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ここからさらに下のテラスに出られます
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見晴らしはいいけど、特に何もない空間です
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ベルンの紋章だ~
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ここから下を見ると、まだ城が続いていますね
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こっち方向は新市街で
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こっちは旧市街です
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というわけでさらに下へ
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かわいらしい塔ですね
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上には行けなかったw残念
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檻の塔って書いてあったね
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城の側面を回って駐車場に戻ります
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おおっ!いきなりなんじゃこりゃ
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投石器ですか?
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ウチの夫が言うには、ここはコレが有名なんだと
なんか逸話があるのか? -
今度はふもとの旧市街へ
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この教会を中心に左右に町並みがある眺めが有名なんだよね
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残念ながら、車が多くて写真がイマイチw
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あちゃこっちゃに自家用と思われる椅子があるんです
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スイスでは家の前にいすを置いて日向ぼっこしたり、近所の人とおしゃべりしたりすることが多いんですよ~
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ラウペンの旧市街はとても小さいので、その気になれば教会まで数分で行ってしまいます
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横丁に入ってみるか
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うっそうと鉢植えが立つ奥にレストランがありました
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そのレストランの横にはこんな門が
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フライブルク門
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城壁の名残かな?
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村で一番古い建物らしいです
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奥に見えていた教会の前に出ました
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外観はあっさりしてますが・・・
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中もあっさり派やね
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これは立派なステンドグラスです
ルドルフ・フォン・エルラッハ、ラウペンの戦いの英雄です -
教会の前にある建物
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オサレ雑貨屋ですね
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この木組みの建物も歴史がありそう~
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庇の瓦の一部がガラスと入れ替えてあります
採光のためかな? -
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この日はとにかく暑い日で、真夏のようでした
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