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今日の午後にチューリッヒからフランクフルト経由で帰国する。その前の時間をどこで過ごすか?<br />思いついたのがラッパーズヴィール(2007年の合併で正式にはRapperswil-Jone ラッパーズヴィルとも言うがここではWikipediaに従う)。数年前に機内で隣のドイツ人の住いがラッパーズヴィールでとてもいいところだと熱っぽく話してくれたのを思い出した。<br />プフェフィコン経由だと本数も少ないが湖北のSバーンで行くと1時間に7・8本もある上に所要時間も45分と便利、バーデンを発ってチューリッヒ駅で荷物を預けてからからでも十分行ってこれる。ちなみにこの線はトーマスクック時間表には出てないので注意。<br />ラッパースヴィールはチューリッヒ湖の東端近くにあり、ランドマークと言えるお城があるが湖の西端にあるチューリッヒに隠れて目立たなく、日本のツアーでは話題にならない。<br />このときは事前勉強もなく出かけたが帰国後このぺージにアップするために調べた。<br />チューリッヒはローマ時代に税関があったほど歴史のあるところだが、ラッパースヴィールはもっと深い歴史があった。<br />少なくとも5000年前の銅器時代の住居の遺構が、BC1523年の木造の橋の跡が、2km離れたKempratenでは先住民族のヘルベティア人の墓地がそれぞれ発見されている。またAD1世紀にはローマ街道の交易センターがここにあり、前記の木道橋もAD165年にローマ人によって再建されているなど、古代街道のローマの道、巡礼の道などの著名な街道はここを通るか交差しておりスイスの交通の要衝であった。<br />このようになかなか興味ある地域なので次回はゆっくりと時間をとって歴史を楽しみたい。<br />なおここの名所にバラ園があり、この街の代名詞がチューリッヒ湖のバラの街(die Rosenstadt am Zurichsee)といわれる。次回訪問はバラのシーズンにしたいものだ。<br /><br />ラッパースヴィールの予備知識の不足を補うために駅前広場の案内所を訪ねるとヨーロッパ一の木造橋にぜひ行くようにと薦められる。<br />短い滞在なのでこの木造橋とラッパースヴィール城だけを見てチューリッヒに戻る。<br /><br />[木造橋]<br />チューリッヒ湖のもっとも狭くくびれたところに作られた人工島(Seedam)と橋で対岸のHurdenと結ぶ。その歴史は<br />・BC1650年に作られたことが検証されている。<br />・AD2世紀に幅6mの橋がローマ軍マルクス・アウレリウムによって建造される。同時にこの頃のフェリーの存在もわかる。<br />・オーストリアルドルフ?世が1358/60に1450m長さ4m幅の木造橋を架ける。1878年まで存在。<br />・1875/78年にスイス政府は石のダムと橋を建造。<br />・1878年に平行して鉄道橋が架けられる<br />・2001年のに木造橋が841mの長さでオリジナルな場所に再建される。<br />[ラッパースヴィール城]<br />・文献に出てくるのは1229年<br />・ラッパースヴィール一族がオーバーゼー(チューリッヒ湖の東半分)のアルテンドルフからゼーダムに引越す。アインジゼルン修道院の領地管理人として行動しここに城を築く<br />・1350年チューリッヒ戦争で破壊される。1352/54年にハプスブルク家アルブレヒト?世によって再建<br />・1442年にラッパースヴィール市民に与えられる<br />・1870年にポーランド出身の実業家が99年間のリースを契約。彼はここを修復して一部をポーランド博物館とする。<br />

2009年スイスの旅(24)チューリッヒ湖畔ラッパースヴィール

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2009/09/08 - 2009/09/08

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4nobu

4nobuさん

今日の午後にチューリッヒからフランクフルト経由で帰国する。その前の時間をどこで過ごすか?
思いついたのがラッパーズヴィール(2007年の合併で正式にはRapperswil-Jone ラッパーズヴィルとも言うがここではWikipediaに従う)。数年前に機内で隣のドイツ人の住いがラッパーズヴィールでとてもいいところだと熱っぽく話してくれたのを思い出した。
プフェフィコン経由だと本数も少ないが湖北のSバーンで行くと1時間に7・8本もある上に所要時間も45分と便利、バーデンを発ってチューリッヒ駅で荷物を預けてからからでも十分行ってこれる。ちなみにこの線はトーマスクック時間表には出てないので注意。
ラッパースヴィールはチューリッヒ湖の東端近くにあり、ランドマークと言えるお城があるが湖の西端にあるチューリッヒに隠れて目立たなく、日本のツアーでは話題にならない。
このときは事前勉強もなく出かけたが帰国後このぺージにアップするために調べた。
チューリッヒはローマ時代に税関があったほど歴史のあるところだが、ラッパースヴィールはもっと深い歴史があった。
少なくとも5000年前の銅器時代の住居の遺構が、BC1523年の木造の橋の跡が、2km離れたKempratenでは先住民族のヘルベティア人の墓地がそれぞれ発見されている。またAD1世紀にはローマ街道の交易センターがここにあり、前記の木道橋もAD165年にローマ人によって再建されているなど、古代街道のローマの道、巡礼の道などの著名な街道はここを通るか交差しておりスイスの交通の要衝であった。
このようになかなか興味ある地域なので次回はゆっくりと時間をとって歴史を楽しみたい。
なおここの名所にバラ園があり、この街の代名詞がチューリッヒ湖のバラの街(die Rosenstadt am Zurichsee)といわれる。次回訪問はバラのシーズンにしたいものだ。

ラッパースヴィールの予備知識の不足を補うために駅前広場の案内所を訪ねるとヨーロッパ一の木造橋にぜひ行くようにと薦められる。
短い滞在なのでこの木造橋とラッパースヴィール城だけを見てチューリッヒに戻る。

[木造橋]
チューリッヒ湖のもっとも狭くくびれたところに作られた人工島(Seedam)と橋で対岸のHurdenと結ぶ。その歴史は
・BC1650年に作られたことが検証されている。
・AD2世紀に幅6mの橋がローマ軍マルクス・アウレリウムによって建造される。同時にこの頃のフェリーの存在もわかる。
・オーストリアルドルフ?世が1358/60に1450m長さ4m幅の木造橋を架ける。1878年まで存在。
・1875/78年にスイス政府は石のダムと橋を建造。
・1878年に平行して鉄道橋が架けられる
・2001年のに木造橋が841mの長さでオリジナルな場所に再建される。
[ラッパースヴィール城]
・文献に出てくるのは1229年
・ラッパースヴィール一族がオーバーゼー(チューリッヒ湖の東半分)のアルテンドルフからゼーダムに引越す。アインジゼルン修道院の領地管理人として行動しここに城を築く
・1350年チューリッヒ戦争で破壊される。1352/54年にハプスブルク家アルブレヒト?世によって再建
・1442年にラッパースヴィール市民に与えられる
・1870年にポーランド出身の実業家が99年間のリースを契約。彼はここを修復して一部をポーランド博物館とする。

同行者
一人旅
交通手段
鉄道
旅行の手配内容
個別手配

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  • ラッパースヴィールの駅前の広場は湖畔でもある。そこからのラッパースヴィール城の遠望。城は湖に伸びた岩の半島の上にあり、通商路からの通行税を徴収する絶好の位置である。城の左下のところにバラ園のひとつがある。

    ラッパースヴィールの駅前の広場は湖畔でもある。そこからのラッパースヴィール城の遠望。城は湖に伸びた岩の半島の上にあり、通商路からの通行税を徴収する絶好の位置である。城の左下のところにバラ園のひとつがある。

  • ラッパースヴィール城をアップする。城の手前右の大きい建物がラートハウス(市庁舎)。ラッパースヴィール城は三角の敷地でその頂点に三つの塔が<br />あるがここでは一本は隠れて二本しか見えない

    イチオシ

    ラッパースヴィール城をアップする。城の手前右の大きい建物がラートハウス(市庁舎)。ラッパースヴィール城は三角の敷地でその頂点に三つの塔が
    あるがここでは一本は隠れて二本しか見えない

  • 右のラッパースヴィール城の台地の上にバラ園があり、その右の(写真では中央)がカプチン修道会修道院

    右のラッパースヴィール城の台地の上にバラ園があり、その右の(写真では中央)がカプチン修道会修道院

  • チューリッヒ湖の対岸にはグラールスの連峰がある。

    チューリッヒ湖の対岸にはグラールスの連峰がある。

  • 木造橋に行くために鉄道に沿ってゼーダム(人工の堤)の並木道を行く。

    木造橋に行くために鉄道に沿ってゼーダム(人工の堤)の並木道を行く。

  • 線路を横断してオーバーゼー側の湖畔を木造橋まで引き返すと橋が見えてくる。小さな建物はハイリッヒ・ヒュスリ礼拝堂。バックはグラールスの連峰

    線路を横断してオーバーゼー側の湖畔を木造橋まで引き返すと橋が見えてくる。小さな建物はハイリッヒ・ヒュスリ礼拝堂。バックはグラールスの連峰

  • 長く長く向こう岸まで続く

    長く長く向こう岸まで続く

  • 橋を渡り始める

    橋を渡り始める

  • 近代的デザインに改装された木製の橋、といっても橋桁は保全性からか鉄製。橋の途中には1485年の記録があるハイリッヒ・ヒュスリHeillig Huesli(聖なる小屋)。それはこの橋の道がコンスタンツからアインジーデルン経由でサンチャゴに通じる聖ヤコブの道のひとつだから。

    近代的デザインに改装された木製の橋、といっても橋桁は保全性からか鉄製。橋の途中には1485年の記録があるハイリッヒ・ヒュスリHeillig Huesli(聖なる小屋)。それはこの橋の道がコンスタンツからアインジーデルン経由でサンチャゴに通じる聖ヤコブの道のひとつだから。

  • ラッパースヴィールを振り返る。橋の下部構造、ハイリッヒ・ヒュスリ、向こうの丘上にラッパースヴィール城。城には3本の塔があるがここでは左の主塔(ドンジョン)と右に時計塔が見える。この二つの塔の間の建屋がパレス(居住棟)。

    ラッパースヴィールを振り返る。橋の下部構造、ハイリッヒ・ヒュスリ、向こうの丘上にラッパースヴィール城。城には3本の塔があるがここでは左の主塔(ドンジョン)と右に時計塔が見える。この二つの塔の間の建屋がパレス(居住棟)。

  • 駅前の正面に老人用アパート。歴史ある老人支援の福祉団体が運営する。

    駅前の正面に老人用アパート。歴史ある老人支援の福祉団体が運営する。

  • 裏通りにも素敵な町並みがある

    裏通りにも素敵な町並みがある

  • 旧市街の中心ハウプトプラッツから城の方を見る

    旧市街の中心ハウプトプラッツから城の方を見る

  • 城の方に近づく。城の五角形の時計塔

    城の方に近づく。城の五角形の時計塔

  • 旧市街の中心ハウプトプラッツには噴水がある

    旧市街の中心ハウプトプラッツには噴水がある

  • 広場から階段を上がって城に近づく。階段にはバラのテラスがある。

    広場から階段を上がって城に近づく。階段にはバラのテラスがある。

  • バラのテラスから旧市街を見下ろす。小塔のある建物がラートハウス。

    バラのテラスから旧市街を見下ろす。小塔のある建物がラートハウス。

  • 五角形の時計塔。三つの日時計と二つの時計がついている。その左にパラス(住居棟)が連なる。

    五角形の時計塔。三つの日時計と二つの時計がついている。その左にパラス(住居棟)が連なる。

  • 北西の第三の塔 粉の棟(プルバートゥルム)へと連なる防壁。右には聖ヨハン教会

    北西の第三の塔 粉の棟(プルバートゥルム)へと連なる防壁。右には聖ヨハン教会

  • 聖ヨハン教会の正面。1253年に教区教会として建立された。1882年の火災の後に新ゴチック様式で再建される。

    聖ヨハン教会の正面。1253年に教区教会として建立された。1882年の火災の後に新ゴチック様式で再建される。

  • 城の丘から市街の俯瞰。古い建物が連なる美しい町並みを眺めて今年のスイスの旅は終わる。

    城の丘から市街の俯瞰。古い建物が連なる美しい町並みを眺めて今年のスイスの旅は終わる。

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