2016/12/08 - 2016/12/11
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ペコリーノさん
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4回目のベルリンの旅をどうやって、旅行記にまとめていこうか・・・
テーマ別に旅行記を作ることにしました。
この旅行記は、まず、1989年11月9日、東西の壁が一番最初に崩壊した場所、ボレンホルマー通りに行ってみようと思います。
そして、シオン教会。ここは以前にも行ったことがあるのですが、この教会の歴史をあらためて知って、そして、その後、それに関する展示も増えたということなのでもう一度行ってみます。
どちらもちょっと地味ではありますが、4度目のベルリンにはちょうどいいところかなと思っています。
○12/3(土) 羽田~フランクフルト
フランクフルト~ハンブルク ハンブルク泊
○12/4(日) ハンブルク観光
○12/5(月) ブレーメン観光
○12/6(火) リューベック観光
○12/6(火) ハンブルク街歩き
○12/7(水) 午前中 ハンブルク観光
ICEでベルリンへ移動 ベルリン泊
★12/8(木) ベルリン観光
★12/9(金) ベルリン観光
★12/10(土) ベルリン観光
★12/11(日) ベルリン観光
★12/12(月) ベルリン観光
○12/13(火) ベルリン→フランクフルト
○12/14(水) フランクフルト~羽田
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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12月9日(金)
地下鉄コッホシュトラッセ駅から10駅北に向かいました。See Strasse駅からトラムに乗ります。
特に観光地でも無いので、こんなこともなかったら、絶対に行かないであろう場所です。
普通の街です。 -
待っている間、隣のお姉さんのタバコの煙がつらい。
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なんてことの無い街。
私の住んでいるところも観光する場所なんて特になく、近くにあるのは八百屋と肉屋と小さな蕎麦屋です。
そんなところなんでしょうね、ここも。 -
寒いし、早くこないかな~。
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なんか、寒そう・・・。
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ここで降りる人は、少なめでした。
Sバーンの駅に行く人がほとんどです。 -
1989年10月「旅行許可に関する出国規制緩和」の法案が作成され、結果的に11月「国民は旅行の申請をすれば即刻自由に東西を行き来できる」という法律ができました。
西ドイツのテレビ局はその国会の記者会見の様子を生中継していました。当時、東ドイツの人たちは情報を制限されていましたが、テレビはアンテナを建てれば西ドイツの番組が見られたのです。テレビ中継でそれを知った国民は東西ドイツの検問所に押しかけました。
ここ、ボレンホルマー検問所では2万人が集まったということです。 -
検問所があったベーザー橋。
ここを通る沢山の人々が写真に残っています。 -
壁の記念の塔が立ってますが、周りは工事中?
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1989年11月9日午後10時45分。
2万人ともいわれる国境検問所に押しかけた人々の圧力に抗しきれなくなった係員は、ついにゲートを開放します。
他の検問所も次々にゲートが開かれ、チェックポイント・チャーリーの解放は深夜0時過ぎだといわれています。 -
ベーザー橋に押しかける人々。
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ベルリンの壁崩壊の記念碑の塔がありますが、まわりは工事中で、他に何も見つけられず、ちょっと残念。
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そんな記念碑的な場所なのですが、現在はこの通り、普通の橋です。
私は(多分)西側から写真を撮っていますから、この橋を渡って東側に行けば、検問所跡のなんらかの痕跡が見られたのかもしれません。 -
雨だったし、寒いし、ここを通る人が私ぐらいしか居なくて、車も沢山通るし、ダメな私。
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橋の下に降りてみました。この橋は陸橋です。下は線路です。
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ここからベルナウアー通りに向かいます。
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こちらは旧西側のアパート。
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居住地が近いこともあって、西側からもたくさんの人たちが集まりました。
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間違えて反対方向の列者に乗ってしまいました!
間違えた記念写真。(笑) -
間違えなければ見なかったであろう、景色なので、記念に。
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グーグルマップで調べたはずなのですが・・・。列車の行先を間違えてしまいました。
今度こそ、ノルトバンホフ駅に向かいます。 -
気を取り直して、そこからノルトバンホフ駅に到着
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2年前の「壁の崩壊から25年」の記念日に行った時には、もう少しいろいろな展示物がありましたが、今はすっきりとしています。
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かつて壁があったところには鉄の柱が立っています。
手前は西側、奥が東側でした。東側には壁の向こうに緩衝帯があります。壁って一枚じゃないんです。 -
壁の記念展示。
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そこからさらにトラムに乗って向かうのは…
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シオン教会です。
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まわりは今や大人気の住宅街。
おしゃれなお店やカフェが沢山あります。
けれどそんなところにポツンと取り残された様な古い教会があるのです。 -
二回目の訪問です。
前回は道に迷ってたまたま来ただけでしたが、今回はちゃんと目的を持って来ました。 -
扉が開いています。
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この写真、あらためて見てびっくり!
なんだか、光が神がかってるというか…。
ライトがこんな風に写るって、撮ろうと思ってもなかなか撮れない写真です。フィルターを使っているわけでは無いのに… -
シオン教会内部。質素な教会です。
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この教会には、壁の崩壊に至るまでの市民運動の元となったと言われている歴史があります。教会の建設からその事件にかかわる説明を追って行きます。
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ここにある説明はドイツ語ですが、別に英語のパンフレットが置いてあります。
それを見ながら、ここに教会の解説をしようと思います。
ま、一応ドイツ語を勉強してるので、ドイツ語で理解しろよってことではありますが、ドイツ語のパンフレットは無かったので、後でじっくり辞書を引きながら、と言うことができませんのであしからず。 -
シオン教会の建設までの歴史(英文のパンフレットよりざっと和訳)
産業革命で都市労働者が増加し、このあたりにも住民が増えてきたことにより、キリスト教の教会建設の気運が高まり寄付による運動がはじまります。
1866年10月16日、ドイツの建築家August Orth(1828-1901)の設計により、基礎工事か始まりました。
建設のための寄付運動は続けられましたが、なかなか寄付は集まらず1868年、工事は外側の完成のみで中止を余儀なくされました。
1871年、府仏戦争の勝利の後のフランスからの賠償金により、1873年3月2日、ようやくこの教会が完成しました。 -
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1873年から東ドイツまでのシオン教会。
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1980年頃、ヨーロッパで西側諸国と社会主義諸国の間で経済的な格差が出来ました。社会主義国の経済はほぼ破たん状態にあったにも関わらず、社会主義国政府が古いままの施設で生産活動を指導していた為、さらなる環境汚染を引き起こしていた。
1986年4月6日のチェルノブイリ原発事故の後で、ソ連をはじめ、東ドイツなどの共産圏の国々はその放射能汚染情報を隠ぺいしたことにより、若者たちに政府に対する不信感が広がりました。それにより、ドイツ国内の原発反対運動を起こし、「UMWELT-BIBLIOTHEK」(環境保護図書館)が、結成された。この環境保護図書館が、地下出版で月に150部の雑誌を教会の印刷所で発行し、それを教会の情報誌という体裁をとって配布されました。 -
1987年11月24日、この印刷所が秘密警察の家宅捜索を受け、印刷所が差し押さえられ、7名が拘束されて拘留されました。これに抗議する運動が行われ、7名の釈放を要求するデモが行われました。
この情報が西側諸国にも流れて批判をあびると、影響力を恐れた秘密警察は7人を釈放しました。これにより、市民運動が社会主義国の政府を動かした事件となり、経済困窮の不満を持っている国民たちの市民運動のきっかけとなり、東側諸国のあちこちに飛び火していきます。
そこから、ライプツィヒの市民デモ、ドレスデンのデモなどになり、結果として壁の崩壊につながっていくのです。
写真のメッセージ
「私たちは、『UMWELT-BIBLIOTHEK』の拘留、差し押さえに抗議する」
と言う言葉を掲げてデモをしました。 -
実は、入口の右手にある階段を上って2階部分に行くと、この運動のメッセージを書いた布を作った場所に文字の跡が残っているのが見られるそうなのですが、今回2度訪問しましたが、2階に上る階段の扉には鍵が閉まっていて、見ることができませんでした。残念です。
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これもきっと何かの記念碑的なものなのでしょうが・・・読めません。
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12月12日(月)
もう一度シオン教会に来てみました。
今日は青空の下です。 -
古いものを大事にするドイツ人だから大丈夫でしょうけれど、この教会はこのままずっと残しておいてほしいです。
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丁度係りの人がカギを閉めて帰るところだったようで、今日も2階には上れず。
親切に英語のパンフレットを勧めてくれたので、「実はもう持っている」とも言えず、1部いただいてきました。 -
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周りは静かな住宅地。建物の1階はおしゃれな雑貨店やカフェ、レストランが並ぶところです。
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ふと見ると、東ベルリンの象徴、テレビ塔が。
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2017/02/17 23:13:09
- ボルンホルマー検問所
- ペコリーノさん、こんばんは。
ボルンホルマー検問所にいらっしたのですね。
はい、そちらは西側です。橋を渡って東側に行けば、ベルリンの壁跡や記念碑が残っていました。
なんて・・・。
でも本当に寒そう。あんなマイナーなところは早く逃げ出したい気持ちになりますね。
シオン教会にもいらっした。
中に入れたのですか?私の時は入り口が閉まっていて入れませんでした。
環境図書館のこととか、パネルでいろいろ説明があったのですね。
詳しい説明ありがとうございました。
私も次回ベルリンに行く機会がありましたら、ぜひ教会内部に入ってみようと思います。
その時はペコリーノさんが入れなかった2階にも上がれたらいいな。
テーマ別ベルリン旅行記、次はどこでしょうか?ワクワクします。
himmel
- ペコリーノさん からの返信 2017/02/18 10:34:30
- RE: ボルンホルマー検問所
- frau.himmelさん、こんにちは。
メッセージありがとうございます。
ボレンホルマー検問所は、himmelさんの旅行記を参考にして、行って来ました。
グーグルマップで簡単に行けることがわかったので、私にしては、迷わずに到達出来ました。
東側に行かなかったのは残念でした。まあ、気分だけでも味わえたので良かったかな、と思います。
シオン教会は中村さんと言う人の「ベルリン中央駅」と言うブログを参考にして、行って来ました。この方は、ベルリン在住でいろいろな本も書かれています。
> テーマ別ベルリン旅行記、次はどこでしょうか?ワクワクします。
ありがとうございます。大したことではないですが、とりとめの無い街歩きになってしまったので、時系列よりは分かりやすいかと思ったのですが、なかなかうまくまとめられず、苦戦中です。
いつの日か、frau.himmelさんがシオン教会へいらして、きちんとした旅行記を作っていただけるのを、ゆっくりお待ちしています。
なんて、プレッシャーかけてしまったかしら?
ペコリーノ
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