2016/09/02 - 2016/09/02
172位(同エリア580件中)
ガッサンさん
知人に高岡市出身の者がいた。苗字が金吹(かなふき)といった。「珍しい苗字だね」と尋ねると「鋳物の生産が盛ん町で、それに因んだ苗字が多い」「先祖が鋳造業に関係していた」と説明してくれた。
そんなことをふと思い出し、「越中おわら風の盆」の翌日、富山県北西部の都市、高岡に流れた。高岡市は富山市に次ぐ富山県第2の都市で、県西部の中心都市である。
加賀藩主前田利長が築いた高岡城の城下町として発展し、高岡城の廃城後は商工業都市として発展した。伝統工芸の高岡銅器に代表される鋳物の生産が盛んで、前田家が築いた城下町だけにあって、歴史的に見所の多い街であった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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富山駅で「あいの風とやま鉄道線」に乗車し「高岡駅」で降車した。高岡駅から北陸新幹線「新高岡駅」方面に向う正面の道路を歩いた。「瑞龍寺」と「前田墓所」を結ぶ立派な石畳の参道と交錯する。加賀100万石の成せる参道だと感じた。
前田墓所の反対側の瑞龍寺側へ曲がった。写真がその参道である。八丁道 名所・史跡
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西本願寺高岡会館前に立つ「前田利長公之像」です。前田 利長は、加賀前田家2代藩主です。藩祖である前田利家の嫡男です。
秀吉死後から江戸幕府成立に至る難局を、苦渋の政治判断により乗り越え、加賀藩の礎を築いた、ことは有名です。八丁道 名所・史跡
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「高岡山 瑞龍寺」の石碑と瑞龍寺の「総門」が見えて来ました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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正面の建物は「総門」です。時間は午前9時、掃除道具を持った坊さんが歩いて来ました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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「総門」は重要文化財に指定されています。正面三間の薬医門形式で正保年間(1645年~1648年)の建立です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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正面の建物は国宝の「山門」です。正保二年(1645年)に建立され万治年間に場所を変えて建直す。延亭三年(1746年)火災で焼失、現在の建物は文政三年(1820年)に竣工した。当時としてはめずらしく和算により設計されている。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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正面の建物は国宝の「山門」です。左右に金剛力士像を安置し、楼上には釈迦如来、十六羅漢をまつっています。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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イチオシ
正面の建物は国宝の「仏殿」です。万治二年(1659年)に建立された。山上善右衛門嘉広の最も心血を注いだ力作の一つで、総欅造りである。屋根は鉛板をもって葺かれている。これは全国においても金沢城石川門にその例をみるだけである。上層軒組は、禅宗建築の純粋な形式であり、屋根裏の扇垂木やエビ虹梁など複雑にして妙をえた架構法である。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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国宝の「仏殿」の中です。御本尊として中国明代の釈迦・文殊・普賢の三尊をまつっています。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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国宝の「仏殿」の中です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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建物は国宝の「法堂」です。明暦年間(1655~1657年)の竣工になる。建坪186坪。
境内第一の大建築、総桧造りとなっている。構造は方丈建築に書院建築を加味したもので、六室より成っている。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面内陣の欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれている。瑞龍寺 寺・神社・教会
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建物は国宝の「法堂」の中です。
中央奥の内陣に二代藩主前田利長の御位牌が安置されていました。法名は「瑞龍院殿聖山英賢大居士」。中央二室の格天井には狩野安信の四季の百花草が描かれており、正面内陣の欄間には高岡という地名の由来となった鳳凰が刻まれています。瑞龍寺 寺・神社・教会
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お抹茶席があり、ちょっと一休みを取ることもできます。但し、有料です。前日の「越中おわら風の盆」の流れ客が見え始めましたが、午前9時と早かったので準備中でした。残念でした。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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建物は「大茶道」の室内です。大変大きな畳敷きの部屋でした。加賀100万石の威信を感じます。
大茶堂は平成9年重要文化財に指定されました。創建当初に造られたもので、その存在は全国で他に一例を数えるに過ぎない貴重なものだそうです。
昭和の初期に内部を仕切り接客用の書院が造られたが、調査が進むにつれ、当初は大きな土間と六十畳敷の大広間および控の間から成っており、その構造は外壁や軒下を土蔵と同じ大壁とし、内部を土天井とした他に例を見ない大変珍しい防火建築物で、大茶堂自体のほか他の建物から伽藍への類焼を防ぐ防火壁の役目をなす建物であることが明らかとなったそうです。瑞龍寺 寺・神社・教会
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「大茶道」から見た中庭です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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緑豊かな中庭です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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法堂正面の階段の所に、正面に「なでぼとけ 賓頭盧尊者」と書かれた立札がある像がありました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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地元の人から「おびんずる様」と親しまれている「なでぼとけ 賓頭盧尊者」だそうです。賓頭盧尊者(びんづるそんじゃ)は、釈迦様の弟子で神通力に優れ、難病の者を救ったり、困っている人を助けたりと伝えられています。このため、自分が病気している場所と同じ場所を撫でれば、病気が治ると信じられているそうです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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イチオシ
「高岡山 瑞龍寺」のシンボル的建造物の「仏殿」です。パンフレットの表紙を飾る存在です。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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「回廊」です。昭和57年に重要文化財に指定されました。
大伽藍をとり囲み、左右対象をなす回廊が残っている寺院は極めて少ない、禅宗寺院最古のもので、周囲約三百メートルに及びます。
板戸の黒と障子の白が交互に規則正しく配され、上部に小壁の白い線が通り、上下を腰板とこけら屋根の黒でひきしめている。単調ではあるが、統一された美しさは格調高い。瑞龍寺 寺・神社・教会
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大庫裏と大茶堂の間をつなぐ回廊の途中に「延命地蔵菩薩」が安置されていました。鐘楼の一階です。2階には梵鐘があり、大晦日に除夜の鐘が鳴らされるそうです。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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回廊から「山門」と「禅堂」を撮影しました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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「大庫裏」の変遷が書いてありました。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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「大庫裏」は重要文化財に指定されています。
調理配膳や寺務運営を行う堂である。天井が漆喰で曲線になり結露に配慮してあります。瑞龍寺 寺・神社・教会
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「大庫裏」の中です。
大庫裏の正面には韋駄天尊がまつられていました。瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺の中央部に位置する壮大な「仏殿」です。前田家の実力を誇るように見えて来ます。
瑞龍寺 寺・神社・教会
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瑞龍寺の受付で「土蔵造りの町並み 山町筋」に行きたいのですが、と尋ねると「歴史都市 高岡 まち歩きマップ まわるん」を出し、丁重に説明してくれた。瑞龍寺から歩いても約20分くらい、と言うので、まち歩きマップを頂き、山町筋まで歩いた。
山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡
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山町筋(やまちょうすじ)は、瑞龍寺から高岡駅まで「駅南大通り」を歩き、駅から反対側の「昭和通り」を約700mくらい歩くと「山町筋」と言われる街並みと交錯する。
山町筋は伝統的建造物が数多く残る町並みの名称です。山町とは、高岡城下の旧北陸道沿いに発展した商人町で、高岡御車山祭の「御車山」を保有する10か町を指します。
御車山とは、豊臣秀吉の使用した御所車が前田利長より町民に与えられ、各町が手を加えたものです。山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡
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富山県指定有形文化財の筏井家住宅(木舟町)です。
代々、綿糸などの卸商を営んでいた商家です。明治36年の建築であることが当家に伝わる普請文書から確認されます。2階の窓につく観音開きの土扉は、すべて開けられたときに隣同士の扉が一体化して納まるように設計されているのが面白いところ。屋根には採光のための天窓がついています。山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡
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明治に入り大火で町の大部分が被災した後、富山県の法令に基づき、土蔵造りの防火建築が建てられ、現在も数多く残る町です。2000年(平成12年)12月には、国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。
山町筋 (土蔵造りの町並み) 名所・史跡
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重要文化財の菅野家住宅(木舟町)です。
菅野家 名所・史跡
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重要文化財の菅野家住宅(木舟町)です。
菅野家は北海道との通商で巨万の富を築いた高岡有数の商家です。明治中期から銀行や高岡電灯、高岡紡績などを起業し、高岡の近代化に貢献する一方、政界にも進出し、高岡政財界の中心的な存在として活躍しました。明治35年に建築された高岡の代表的な土蔵造りの町家です。菅野家 名所・史跡
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イチオシ
菅野家は、現在も住居として使用されていますが、御当主のご理解のもと、店の間、本座敷、仏間などを一般に公開しています。
菅野家 名所・史跡
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山町筋から千本格子の家並みの「金屋町」に向い、昭和通りを歩きました。千保川に架かる橋です。
「高岡」の地名は『詩経』の一節「鳳凰鳴矣于彼高岡(鳳凰鳴けり彼の高き岡に)」に由来し、前田利長が築城と開町に際して名づけた瑞祥地名、と聞いた。この一節の「鳳凰鳴けり」から名付けたそうです。
従って、この橋の名は「鳳鳴橋」と言います。鳳鳴橋 名所・史跡
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鳳鳴橋(ほうめいばし)です。
鳳鳴橋は、市街地西側を流れる千保川に架り、同市川原本町と金屋本町を結ぶ橋です。鳳鳴橋 名所・史跡
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「千本格子の家並み 金屋町」の案内に従って歩いて行きました。
金屋町通り 名所・史跡
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金屋町(かなやまち)は、高岡市の中心市街地にもほど近く、かつては高岡銅器産業の中心として栄えました。世帯数は196世帯、人口は586人(2010年11月30日現在)の町です。
午前10時頃、訪れたので割と早かったので「越中おわら風の盆」からの流れ客は余り見えていませんでした。金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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金屋町は1609年(慶長16年)、加賀藩の藩主・前田利長が高岡城を築城、高岡の町を開いたとき町の繁栄を図るため、1611年(慶長16年)に、金森弥右衛門ほか7名の鋳物師を礪波郡西部金屋村(現・高岡市戸出西金屋)から現在の金屋町に移住させたため、高岡銅器産業の中心となりました。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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金屋町の通りには千本格子造り(地元では「さまのこ」と言う)の街並みが残り、石畳の道と相まって高岡市の観光地のひとつになっています。2012年(平成24年)12月28日に国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。種別「鋳物師町」としては初めての選定である。毎年6月に、地域の祭りとして前田利長の遺徳を偲び御印祭(ごいんさい)が行われています。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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「茶の湯釜制作 釜師 畠 春斎」の看板が立っていました。金屋町は「鋳物師町」の町です。
金屋町通り 名所・史跡
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千本格子造りの家並みを歩いていると江戸時代を歩いているような錯覚を覚えました。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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高岡市鋳物資料館
高岡鋳物は、近世初頭の高岡開町にはじまり、最初は鍋・釜・鉄瓶等の日用品や、鋤・くわ等の農耕具などの鉄鋳物を生産していました。その後、江戸中期頃には釣鐘や灯籠などの銅鋳物がつくられるようになりました。
江戸末期頃には、銅器鋳物技術の進展により、仏具や花びんなど日用的で装飾・鑑賞性の高い製品を産出し、国内はもとより海外にも輸出されるようになり、高岡を代表する地場産業として今日の発展の礎となってきました。
高岡鋳物発祥の地である金屋町には、400年にわたる鋳物産業の歴史を背景に、由緒ある古文書や初期の鋳造技術を知ることのできる鋳物製品、多種多様な造型・鋳造道具など、数多くの資料が現存しています。
高岡市鋳物資料館は、これらの貴重な資料を収集・展示し、高岡鋳物の歴史と伝統を紹介する町の小さな博物館です。高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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兜の鋳型が展示されていました。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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2013年(平成25年)3月20日に、石畳の街並みの中にある「高岡市鋳物資料館」を改修し、リニューアルオープンしたそうです。
石畳みの街並みの中にある民家を改修した、高岡の鋳物の史料を集めた資料館です。金屋緑地公園側からも入館ができます。
無料と有料ゾーンからなり、無料ゾーンには鋳物製造に必要な道具や鋳型などが展示され、たたら製鉄に不可欠なたたら踏みや、箱吹子(はこふいご)などは実際に体験できる。有料ゾーンには製造道具、これまでに製造された日用品の鋳物から美術品、歴史や製造に関わる資料などが展示されています。高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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鋳物製造に必要な道具や鋳型などが展示されています。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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多種多様な鋳造道具などが数多く展示されています。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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鋳物製造のたたら製鉄に不可欠なたたら踏みや、箱吹子(はこふいご)などは実際に体験できます。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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千本格子の家の前に、サッカーボールを持った少年と大黒様の鋳造品が飾ってありました。2階の軒先に看板が掛かっていることから、この家は鋳物を生業にしている店のようだ。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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「高岡市鋳物資料館」の並びに鋳造製品を扱う店がありました。店の女将さんは大変親切な方で高岡の食事処などを色々教えてくれました。
金屋町通り 名所・史跡
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午前10時を過ぎましたが、人通りはなくひっそりとしていました。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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鋳造品の仏具、お土産品などを扱っています。隣ののれんの店は喫茶店です。
博選堂 大寺幸八郎商店 専門店
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「アンティック たかぎ」の看板が掛かっていました。恐らく骨董品を扱っている店だと思います。
金屋町(千本格子の家並み) 名所・史跡
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路地の片隅に小さな祠が祀られていました。
金屋町通り 名所・史跡
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休憩するには持って来いの場所「高岡市鋳物資料館」で「たたら踏み」を読みました。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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鋳物資料館の館内です。
高岡市鋳物資料館 美術館・博物館
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金屋町バス停付近の家の玄関の窓には「稲垣ヤスリ製作所」の文字がありました。ヤスリは鋳造品を仕上げるのに欠かせない道具の一つです。
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昼食を頂くために高岡駅に戻ってきました。
高岡駅 駅
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鋳造品のお土産屋さんの女将さんが教えてくれた店へきました。「永見漁港直送」の看板があり、新鮮な魚が売りの店のようです。JR高岡駅の地下街にある店です。
高岡駅 駅
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時間は午前10時30分、昼食の時間です。この店へ入りました。
高岡駅 駅
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真新しいので、最近地下街が出来たような感じです。地下街に入っているテナントも少ないようでした。
高岡駅地下街で昼食後、富山駅に向いました。ホテルに預けておいたバックを受け取り、富山駅で北陸新幹線に乗車しました。高岡駅 駅
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