2017/01/12 - 2017/01/12
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LP1989さん
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午後に京都迎賓館内覧を控えた或る木曜日、
迎賓館の前に訪れる場所の候補に挙げたのが、平安神宮と京都御所。
「午前中に京都に着けば 平安神宮。午後着なら 京都御所」の
2パターンで予定を組んだ結果、順調に午前中に山科に着いたため、
2017年の京都訪問は、平安神宮からスタート。
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地下鉄「東山」から地上に出て、平安神宮に向かう。
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平安神宮に接近したことを実感する赤。大鳥居&慶流橋。
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慶流橋が架かるのは川ではなく、琵琶湖疏水。
今回の平安神宮に来たことがきっかけで 初めて 琵琶湖疏水なるものを知った。
赤い欄干の向こうが琵琶湖方向。 -
琵琶湖疏水のカモ
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平安神宮・岡崎公園のシンボル 大鳥居。 その先に応天門が見える。
大鳥居は、地元 名古屋 中村公園(豊国神社)で 見慣れているが 色使いが違う。
ここ平安神宮の大鳥居は、随所に金色を配している。 -
大鳥居を抜けて、暫く歩んだ先の左手。 なぜ、ここに京都市電?
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こういうことね。 案内所代わりの車内に コンシェルジュが居た。
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岡崎公園の中を抜けて、応天門に向かう。
この辺りからして、正月三が日は 別次元の視界なんだろうね。
地面なんか、見えないんじゃないかな。 -
平安神宮の石塔
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応天門の前に来た。 屋根の瓦が碧い。
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「弘法も筆の誤り」で有名な「應天門」の扁額。
空海が、「應」の字の「心」の部分の真ん中の点を書き忘れ、
筆を投げつけて、点を打って、修正したとされる。 -
現存する応天門(明治28年復元)は 高さ18.43m。
平安期の門とは サイズが異なり、扁額の位置は 最高点から幾らか下とはいえ、
「あの高さに筆を投げて届く。」 「点を書き忘れた所に きっちり命中させる。」
神業の域を超えてますな。 -
応天門を抜け、正月三が日の人手のニュースで見聞きするだけだった空間へ。
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応天門を抜けた直後の前方視界。
左の白虎楼、中央の大極殿、右の蒼龍楼。
平安京の朝堂院を 8分の5規模で再現。 -
右側(東)には 蒼龍の手水舎がある。
その奥には 神楽殿が建ち、更に奥には 蒼龍楼が建つ。 -
左側(西)には 白虎の手水舎がある。
奥には額殿、更に奥には白虎楼。 -
額殿と白虎楼の間には、古札納所があり、
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更に(西の)奥に進むと 昭和天皇の在位60年を記念した句碑がある。
「遠つおやの しろしめしたる 大和路の 歴史をしのび けふも旅ゆく」 -
西側から見る大極殿。屋根の端を飾る邸尾が金色。
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ということで、お参り。 (内拝殿内は撮影禁止)
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本来、紫宸殿から見た右側(=西)に存する「右近の橘」が平安神宮にもある。
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同様に 紫宸殿から見た左側(=東)に存するという「左近の桜」もこの通り。
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白虎楼にぶら下がる吊燈籠群は 地味ながらも平安神宮を象徴する貴重なパーツ。
1905年、日露戦争の戦勝記念として奉納された。(計145個)
火袋の窓には、蒼龍・朱雀・白虎・ 玄武の四神を あしらっている。
白虎楼の この位置に神苑の入口があるので・・・ -
案内図で 神苑の全体像を確認。
総面積 約33,000㎡(約10,000坪)を誇る広大な池泉回遊式庭園は、
南神苑、西神苑、中神苑、東神苑の4箇所で構成され、各々に池がある。
それらの池は、先へ進むにつれ、その規模が大きくなる。 -
苑内の植物の生育具合を考えると 実に微妙な季節だが、
貴重な機会であり、今度いつ来られるか? わからないので、
苑内をを巡ることにする。(600円/大人 也)
でも、やっぱり・・・券売所の お姉さん、暇そうにしていたな~。 -
国指定名勝の一つに数えられる証しの石碑。(昭和50年12月指定)
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最初のゾーンは、南神苑。
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神苑内に入った途端、仙台市から贈られた枝垂桜が姿を見せる。
この枝垂桜をはじめとする草花が南神苑の主役なのだが、今は 主が不在に等しい。 -
南神苑から、西神苑に移動する道中、姿を見せる路面電車。
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平安神宮の創建年と同じ明治28年に京都で始めて電車が走ったこと、
その後の京都電気鉄道(後に京都市電)の歴史を簡潔に伝える案内書き。 -
展示コンセプトには 頷けるが、維持管理状態は 褒められないな~。
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二つ目のゾーン、西神苑。 水面に草木が映し出しているのが白虎池。
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池の隅に歩み寄ると 池の鯉が大勢で口を開けて、こちらに寄ってくる。
彼らは、皆が皆 全身黒なので、一瞬、獰猛な生物に見えてしまう。 -
初夏の頃は、白虎池のほとりに数多くの花菖蒲が咲き、
その姿が水面にも 色鮮やかに映し出されるという。 -
白虎池を別角度から。
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西神苑から 中神苑に向かって、小川沿いに鬱蒼とした林間を抜ける。
大極殿の背後(北側)を左から右(西から東)に移動する具合になる。 -
東側に移ったところで 三つ目のゾーン、中神苑。
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蒼龍池。 奥の方に飛び石が見える。
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飛び石の正体、臥龍橋のアプローチ。
確かに このくねり具合は、龍が臥せるように見える。
「龍の背にのって池に映る空の雲間を舞うかのような気分を味わっていただく」
橋を渡る人に対し、こう感じてもらうために この橋を設けたという。 -
臥龍橋の案内書き、及び その脇の注意書き
「使用された石材(白川石)は、天正17年に
豊臣秀吉が造営した三条・五条 両大橋の橋脚である。」
天正17年 = 1589年 秀吉が小田原を征伐して天下統一した年の前年だな。 -
半分渡った中間点あたり。
この臥龍橋(飛び石)が雪を被った姿が 神苑の入場券の券面に使われている。 -
渡り切って、島に到達した所で、後ろを振り返る。
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渡った先の島に建つ五重の石塔。
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島から池の外周路に戻る所にも、僅かな飛び石。
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最後のゾーン、東神苑へ。
南 西 中の各神苑が 平安神宮創建と同時できたのに対し
ここ東神苑だけは、後年(明治末期~大正初期)に造られた。 -
東神苑のファーストビュー。
この池(= 栖鳳池)は広い。 南神苑 西神苑 中神苑とは スケールが違う。 -
他の神苑と違うのは、造られた時期、池の大きさだけではない。
今まで三つのゾーンは、本来なら神苑の主役になる草花が時期外れで寂しかったが、
ここ東神苑には、植物群に代わって、景観を演出する建物がある。
先ずは、尚美館(貴賓館) -
更には、池を東から西に横断する屋根付きの橋 「泰平閣」
橋単体の存在だけも、見応えがあるのだが、
東山連山の一つである華頂山を背景にすることで、泰平閣が より引き立つ。 -
泰平閣アプローチ。
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泰平閣から見る尚美館と 二つの島(鶴島&亀島)
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泰平閣の両脇は、全面が腰掛になっている。
草花が咲き誇る季節は、大勢の人が 歩みを止め、
時が経つのを忘れて、ここに座るのだろう。
ただ、今回の神苑巡りは、総て、白黒写真でも間に合ったな~。 -
渡り終えた泰平閣を振り返る。
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尚美館の玄関周り。
屋内には、華麗な襖絵、掛け軸が揃っているのだが、非公開。 -
神苑内を一回りして出口を抜けた先は、東側の蒼龍楼と神楽殿の間のゾーン。
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平安神宮を後にして、この後、徒歩で京都迎賓館に向かう。
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