2016/12/30 - 2017/01/03
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PHOPHOCHANGさん
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正直、旅行記作るのどうよ?とも思ったのですが、こういう旅もしたって記録は残しておこうと決めて、書き始めています。途中でイライラが増して、放り投げるかもしれません。そしたらごめんなさいm(_ _)m
毎年恒例となった年末年始の青春18きっぷの旅ですが、今回は消化不良です。確かに初めて訪れる土地では有りませんが、行ったからには精一杯楽しんで来たいって思うでしょ。
申し訳無いけど独り旅の良さを改めて感じる羽目になりました。
初日(30日)に郡山へ入り、翌日の大晦日は昼が仙台で牛タン、午後に平泉に到着したら中尊寺だけは見ておく。
元旦は9時から6時(店の営業時間目一杯)までレンタカーを借り、猊鼻渓、幽玄洞を見た後、三陸海岸まで足を延ばしてみる。2日は毛越寺など平泉の世界遺産を更に見て、お昼を食べた後に移動開始。宇都宮まで戻る。
最終日(3日)は午前中に東京へ入り、箱根駅伝の復路を見て解散。
こういう計画で乗るべき電車のスケジュールなども全て調べておきました。
但し、お互い超マイペースな者同士なので、この通りに動けるのかどうか??何しろ初日に現れないと言う前代未聞の行動でPHOを翻弄したツレ相手ですから。
ようやく平泉駅に到着しました、上野で乗り継ぎを始めてから18時間余りかかって。
まぁ、これは予定通りの行程です。
さて、中尊寺は公式HPがメッチャ充実してるので、是非そちらをご覧いただきたいと思います。http://www.chusonji.or.jp
境内は「中尊寺境内」として国の特別史跡に指定されており、平成23(2011)年6月26日、「平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―」の構成資産の一つとして世界遺産に登録されました
- 旅行の満足度
- 3.5
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- タクシー JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大晦日から元旦は平泉るんるんバスが運行休止なんて、何処にも書いてなかったじゃないか!
大晦日は初詣の準備が有るから、中尊寺は15時で拝観終了なんて、何処にも書いてなかったじゃないか!
もう既に14時になろうとしているところなので、タクシーで金色堂の傍まで上がってもらっちゃう事にしました。ゆっくり月見坂を上ってる余裕は有りません。
だもんで、現在地はいきなり讃衡蔵前☆ -
讃衡蔵は奥州藤原氏の残した文化財3000点余りを収蔵する宝物館で、平安期の諸仏、国宝中尊寺経、奥州藤原氏の遺体の副葬品などが納められています。
金色堂と併せて800円の拝観料がかかります。撮影は禁止です。
素晴らしい物がいっぱいで、時間をかけてゆっくり見たいところでしたが、先を急ぐのでアッサリ流さざるを得なかったのが残念 -
中尊寺と言えば、この風景。金色堂への参道です。
雪も無いし、杉並木なので季節感が感じられないね -
とは言え、やっぱり人を入れずに撮りたい
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更に近付いて・・覆堂の扉の内側に黄金色が見えます
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中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂です。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元(1124)年に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されています。
金色堂の名のとおり、堂は内外共に総金箔貼りで、扉、壁、軒から縁や床面に至るまで漆塗りの上に金箔を貼って仕上げられています。
3つの須弥壇の上には阿弥陀三尊像等の仏像を安置。須弥壇内には藤原四代のミイラ化した遺体が安置されており、中央壇に清衡、右壇(向かって左)に基衡、左壇(向かって右)に秀衡の遺体が納められ、右壇には泰衡の首級も納められています。遺体は土中に埋葬されているのではなく、木製金箔張りの棺に納められて、堂内に安置されていました。このように、金色堂は阿弥陀堂建築であると共に、藤原清衡(後にはその子孫も)の遺体を安置する墓堂、廟堂としての性格を有している
のです。
更に詳しくはこちらからhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B0%8A%E5%AF%BA%E9%87%91%E8%89%B2%E5%A0%82 -
経蔵。
間口3間、屋根は宝形、金属板葺き建物です。
現在の建物は平安時代の古材を使った鎌倉時代に造られたものとされ、創建時の経蔵は「供養願文」には「2階瓦葺」とあります。建武4(1337)年の火災で上層部を焼失したと伝えられてきましたが、創建時の古材を用いて再建されたもののようです。
国内最古の保安3(1122)年棟札が伝えられています。
本尊の騎師文殊菩薩と四眷属像(重文)、堂内具(国宝)、紺紙金字一切経(国宝)などの経典類は現在、讃衡蔵に安置・収蔵されています -
これはレプリカの騎師文殊菩薩。
にしても周囲がスカスカじゃね? -
言わなくても誰だか判るよね、芭蕉翁。
「五月雨の降り残してや光堂」 -
旧覆堂。
金色堂を風雪から護るため正応元(1288)年に鎌倉幕府によって建てられたと考えられていた五間四方の堂で、古くは「鞘堂」と呼称されていました。近年の調査では、金色堂建立50年程後に簡素な覆屋根がかけられ、増改築を経て室町時代中期(16世紀)に現在の形になったものと見なされています。
昭和38(1963)年、新覆堂の建築に伴い、この場に移築されました -
この中に金色堂が在ったのね。何か小さく感じない?
芭蕉翁が見たのはこの中だったって事 -
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釈迦堂。見事に閉まってまふ(^-^;
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白山神社。何故此処に?
中尊寺鎮守だそうですが、お寺の中に神社って??まぁ、日本じゃ有りがち・・ -
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白山神社は案内板によると「仁明天皇の御代嘉祥3(850)年、中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山をこの地に勧請し、自らは十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号されました。配佛としては、橋爪五郎秀衡の持佛で運慶作の正観音と源義経の持佛で毘沙門天が配案されてありましたが、嘉永2年正月8日(1849)年の火災で焼失してしまいました。現在ある能舞台は嘉永6(1853)年に伊達藩主伊達慶邦朝臣から再建奉納されたものです。(平成15年国の重要文化財指定)
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現行の能舞は天正19年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗両公が当社参拝の節観覧に供し依頼続行今日に至っています。明治9年秋には、明治天皇が御東巡の折りに当社に御臨幸あらせられ、古式及び能舞を天覧あらせられました。」とあります。神楽殿は茅葺の入母屋屋根で欄干で囲まれた本舞台や鏡の間を繋ぐ橋掛かり、鏡板に描かれた「老松」など見所の多い建物です
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本殿。
能楽堂を過ぎていくと白山神社の本殿があります。
白山神社は中尊寺の中に在りますが、歴史は中尊寺より古く、奥州藤原氏の初代、清衡公が平泉を開く遥か昔(850年)に中尊寺を開山した慈覚大師円仁によって、この地に祀られたとされ、その後藤原氏により、北方を鎮護する神として、中尊寺の本殿と共に崇められたと伝えられています -
茅の輪くぐり。
古来より伝わる禊払い神事に端を発していますが、いつの頃からか神社の神事として執り行われるようになりました。
参道(産道)を通り、茅の輪をくぐる事は、生まれたばかりの純粋無垢で穢れの無い赤ん坊のような心に生まれ変わろうと言う事を意図しています。
茅の輪は正面より一度くぐって参拝し、左右どちらかに抜けて戻るんだって、ってそれ普通じゃね? -
中尊寺の東北端からの眺め。
衣川と東北本線・新幹線など -
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自然薯蕎麦食べてみたかった、かんざん亭。
苔が美しく見えますね -
弁財天堂。
金色堂の丁度向い側にあたり、茅葺の寄棟造りの屋根で間口3間の建物です。弁財天を祀っている場所にふさわしく、廻りを池で囲まれた小島の上に建立され、基礎束が高くなり湿気から護ると同時に印象深い容姿になっています。宝永2年伊達家寄進の堂宇だそうです -
阿弥陀堂。
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鐘楼。
当初は2階造りの鐘楼でしたが、建武4(1339)年の火災で焼失してしまいました。
中の梵鐘は康永2(1343)年、金色堂別当頼栄の発願で鋳造された盤渉調で、鐘身の銘文に中尊寺の創建や建武7(1343)年の火災の事などを伝え、大変貴重です。撞座は長い歳月にわたる打鐘で窪み、今ではこの鐘を撞く事は無いそうです。鐘身高さ113.2cm口径86cm、中見てないです、スミマセン -
大日堂。
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中央に智拳印を結ぶ「金剛界大日如来像」が安置されています。
「千手観音像」や「不動明王像」は判りますが、肝心の左右の金色の仏様は?
「胎蔵界大日如来」って向かって右? -
峰薬師堂。
中尊寺境内にはもう1つ薬師堂が在るようなのですが、写真などを見比べた結果、此処は峰薬師堂だと判断しました。
もと経塚山(金色堂の南方)の下にあったが、天正年間(1573~1591)に荒廃、のち元禄2(1689)年に現在の地に再建されました。堂の面積は32.5坪、型式は桁行3間、梁行3間の瓦葺の単層宝形造りで、御本尊は丈六(約2.7m)の薬師尿来の座像でカツラ材の寄木造り、金色に漆を塗り金箔をおいたもので、藤原末期の作で現在重要文化財として讃衡蔵に安置されています。
現在の御堂は昭和57年の改築で、御本尊も薬師如来を中心に日光菩薩、月光菩薩の三尊とし、堂の改築を契機に昭和63年、前立本尊として仏師松尾秀麻師の謹刻になるものです。結構キラキラだと言うので、見てみたかったな
この薬師信仰は東北地方に平安の昔から中尊寺を中心に盛んに行われました。特に眼病の人々には盲僧信仰として広く信仰されたのがこの薬師如来であり、この御堂でした。 -
目(の病)が良くなりますようにの絵馬。
目の絵馬はこの峰薬師堂の札所でしか手に入りません -
狛蛙
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不動堂。
本堂近くの不動堂は昭和52年の建立です(道理でやたら新しい感が・・)。
御本尊の不動明王は1684年仙台藩主伊達綱村公により、天下泰平を祈願し新調されたものだそうです -
本堂山門。
35年程前、初めて中尊寺を訪れた時は長い月見坂を上って来ました。そしてようやくたどり着いたのがこの本堂。
この門の前で写真を撮ってもらいました。カーリーヘアにロングブーツ、ショッキングピンクのトレーナー、白のモコモコベストだった事は今でも鮮明に覚えています。
案内してくれた相手は東京モンは違うと思ったそうですが、そのカッコ、東京でも浮いてたかも・・ -
本堂は中尊寺の中心となる施設でその規模も最大です。奥州藤原氏が亡ぶと次第に勢いも無くなり、建武(1337)年には火災により多くの堂宇と共に本堂も焼失しました。
近世に入ると伊達藩の庇護の元、多くの建物が再建され、本堂前にある山門も元々一関藩主であった伊達兵部宗勝の居館であった一関城より万治2(1659)年に移築されました。山門は薬医門形式で左側に脇門があるなど城郭建築の一端を見る事が出来ます。
現在の本堂は明治42(1909)年に再建されたものですが、比叡山延暦寺より分火された「不滅の法燈」や様々な儀式などが執り行われています -
赤松。
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だいぶ日が翳って来ましたが、寒くないので助かります。
ツレは此処でも御朱印をいただき、中尊寺では4ヶ所目(いただける所全てでは無いです) -
本尊の釈迦如来像は丈六仏という一丈六尺大きな仏様です。
初代清衡公は中尊寺造営の折に「丈六尺皆金色の釈迦如来」を中尊寺のご本尊様に安置した事にならい、平成25年、現在の仏様が建立・安置されました -
賽銭除けのネットが張られている?
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この辺りから月見坂。杉並木が始まります。
月見坂の名物とも言えるこの老杉の並木道は、坂道に沿って約800mも続きます -
地蔵堂。
寄棟造りの建物で、向拝柱、羽目板・頭貫などに補修の跡があります。
御本尊は勿論地蔵菩薩 -
瑠璃光院。
中尊寺に17在る塔頭や小院の1つです -
月見坂の杉並木は樹齢300~400年の老杉です。
この杉は江戸時代に、平泉を収めていた伊達藩主により、植えられたそうです。
余談ですが、現在は日本一広い県と言われる岩手県も、江戸時代は平泉よりも盛岡寄りに位置する北上市の相去地区で分けられていて、相去よりも南側を伊達藩、北側を南部藩と言いました。?
伊達は現在の宮城県ですが、そのもっと前の奥州藤原氏の時代は、今と同じように
岩手県全部が藤原氏の領土でした -
月見坂の中腹からの眺め。
束稲山、北上川、衣川は古より変わらず -
弁慶堂。
月見坂を登った場合、3番目に見えるお堂で、文政9(1826)年に再建されたとされています。
お堂の中には、武蔵坊弁慶と、源の義経にまつわる像が安置されています。
この弁慶堂で、一番目を引くのは弁慶像と義経像です。弁慶像は弁慶堂の中(右側)に、ドンと言った感じで佇む186cmの大きさの木像です。それに対して義経像は、弁慶像の右側に座った形で安置されています。
見たかったんだけどなぁ・・ -
月見坂の中腹からの眺め
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中尊寺は標高130mの東西に細長い丘陵に位置している為、この月見坂が古くから本堂や金色堂を参拝する表参道として利用されて来ました
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老杉と山の空気が作り出す荘厳な雰囲気の中、足を進めると・・
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関山中尊寺の入口はこの月見坂。
PHOらは真逆に下って来て、終着点が此処でした -
2日の午前中に残りの平泉世界遺産観光をしたいと思っています。
レンタサイクル営業してないからどうするかな? -
武蔵坊弁慶の墓、ってホント?
一応建立の由来は、文治5(1189)年に義経の居城高館が焼き討ちされると、弁慶は最後まで主君を守り、ついに衣川で立ち往生します。
遺骸はこの地に葬られ、五輪塔が建てられていましたが、後世中尊寺の僧素鳥の詠んだ「色かえぬ松のあるじや武蔵坊」の石碑が建てられました -
一ノ関駅までのバスが1時間に1本くらい有るはずですが、乗って来てないのでバス停も判んないし、帰りもタクる事にしました。
弁慶の墓前に、この乗り場が在ります。
電話しちゃったけれど、流しのタクシーが適宜やって来て、却ってそっちの方が早かったりしますw -
平泉駅に戻って来ました
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一ノ関方面行ホーム
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2両編成の先頭部分
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16:19発の一ノ関行きは2両でした
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一ノ関駅に何故ポケモン?つかピカチュー??
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大晦日、元旦と宿泊は東横イン一ノ関駅前です。
東横インと言えば、お手頃価格で知られるホテルチェーンなんですが、今回は此処が一番高いの。理由はポイントが使えないから。
前々から思ってのだけど、一ノ関のホテルって値段設定意外と強気。年末年始も価格落としません。さすが世界遺産を控えてるから?
まぁインターチェンジ近くなら話は別ですが・・。
って事で、大晦日の夜はツレの希望でホルモン系の焼き肉店に行って暮れました。
明日は1日運転してもらうんで、ちょっとご機嫌取りw
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