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世界遺産の平泉町を散策。毛越寺、中尊寺、義経堂をめぐる。

岩手県:世界遺産の平泉町を散策。毛越寺、中尊寺、義経堂をめぐる。

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2015/10/15 - 2015/10/15

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ムッシュ

ムッシュさん

世界遺産の平泉町を散策。毛越寺、中尊寺、義経堂をめぐる。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
  • 【毛越寺】の入口

    【毛越寺】の入口

  • 【毛越寺境内に建つ松尾芭蕉の句碑】<br />:鎌倉幕府・源氏つながり<br />「夏草や兵どもが夢の跡」<br /><br />1689年(元禄2年)5月13日、この地を訪れた松尾芭蕉は、100年にわたり栄華を極めた奥州藤原氏や、この地で自刃した源義経を思い、<br /> 「夏草や 兵共が 夢の跡」  と詠んだ

    【毛越寺境内に建つ松尾芭蕉の句碑】
    :鎌倉幕府・源氏つながり
    「夏草や兵どもが夢の跡」

    1689年(元禄2年)5月13日、この地を訪れた松尾芭蕉は、100年にわたり栄華を極めた奥州藤原氏や、この地で自刃した源義経を思い、
     「夏草や 兵共が 夢の跡」  と詠んだ

  • 「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉

    「夏草や兵どもが夢の跡」松尾芭蕉

  • 毛越寺伽藍復元図。平成23年世界遺産に登録された。

    毛越寺伽藍復元図。平成23年世界遺産に登録された。

  • 【毛越寺境内の大泉が池】<br />庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。大変に静かな雰囲気です

    【毛越寺境内の大泉が池】
    庭園の中心は、四季の美しさを映す大泉が池です。池は東西約180メートル、南北約90メートルあり、作庭当初の姿を伝えています。大変に静かな雰囲気です

  • 【毛越寺境内の池】

    【毛越寺境内の池】

  • 【毛越寺本堂】<br />毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。<br />伝説<br />円仁がこの地にやって来ると、一面霧に覆われて進めなくなった。足元に白い毛がてんてんと落ちていた。不思議に思い、その毛を辿って行くと先の方に白い鹿がうずくまっていた。近づくと鹿は忽然と姿をけし、代わりに白髪の老人が現れ「この地に堂宇を建立し霊場とせよ」と告げた。これが毛越寺の起こり。

    【毛越寺本堂】
    毛越寺一山の根本道場であるこの本堂は、平安様式の建物で、平成元年に建立。本尊は薬師如来で、平安時代の作です。本尊の脇士は日光・月光両菩薩、さらにその周りには本尊守護の四天王が安置されています。
    伝説
    円仁がこの地にやって来ると、一面霧に覆われて進めなくなった。足元に白い毛がてんてんと落ちていた。不思議に思い、その毛を辿って行くと先の方に白い鹿がうずくまっていた。近づくと鹿は忽然と姿をけし、代わりに白髪の老人が現れ「この地に堂宇を建立し霊場とせよ」と告げた。これが毛越寺の起こり。

  • 毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる【開山堂】です。<br />大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

    毛越寺を開いた慈覚大師円仁をまつる【開山堂】です。
    大師像のほか両界大日如来像、藤原三代(清衡、基衡、秀衡)の画像を安置しています。

  • 池の周囲を散策しています。

    池の周囲を散策しています。

  • 池の東北側(フォトの右端)にある遣水(やりみず)は、池に水を引き入れるためと造られた。<br />「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいもの。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。

    池の東北側(フォトの右端)にある遣水(やりみず)は、池に水を引き入れるためと造られた。
    「作庭記」に記述されている四神相応・吉相の順流であり、曲がりくねる水路の流れに、水切り、水越し、水分けなどの石組が配されています。毛越寺の遣水は平安時代の唯一の遺構で、全国的にも極めて珍しいもの。この遣水を舞台に毎年新緑の頃に「 曲水(ごくすい)の宴」が開催され、周囲の樹木とあいまって平安の雅な情景が作り出されます。

  • 「 曲水(ごくすい)の宴」説明板

    「 曲水(ごくすい)の宴」説明板

  • 池の北東に流れる遣水(やりみず)。

    池の北東に流れる遣水(やりみず)。

  • 【常行堂】<br />常行三昧という天台宗の修行道場<br />常行堂の本尊は。宝冠阿弥陀如来象。奥殿には、円仁が伝えた秘仏、摩多羅神が祀られている。

    【常行堂】
    常行三昧という天台宗の修行道場
    常行堂の本尊は。宝冠阿弥陀如来象。奥殿には、円仁が伝えた秘仏、摩多羅神が祀られている。

  • 【毛越寺境内の大泉が池】

    【毛越寺境内の大泉が池】

  • 【毛越寺境内の大泉が池】<br />これで池を周回しました。毛越寺を後にします。<br />中尊寺にむかいます。

    【毛越寺境内の大泉が池】
    これで池を周回しました。毛越寺を後にします。
    中尊寺にむかいます。

  • 地元の路線バスで、毛越寺から中尊寺にやって来ました。<br />杉の大木が並ぶ【中尊寺入口の月見坂】

    地元の路線バスで、毛越寺から中尊寺にやって来ました。
    杉の大木が並ぶ【中尊寺入口の月見坂】

  • 月見坂の途中の”蕎麦処”義家”で昼食。

    月見坂の途中の”蕎麦処”義家”で昼食。

  • わんこそば一重膳。

    わんこそば一重膳。

  • 中尊寺の本堂への山門

    中尊寺の本堂への山門

  • 【中尊寺の本堂】<br />円仁により開山され、当初弘大寿院と称したが、859年、清和天皇より中尊寺の号を賜った。その後、奥州藤原初代清衝が1105年から21年の歳月を費やして伽藍造営を行った。

    【中尊寺の本堂】
    円仁により開山され、当初弘大寿院と称したが、859年、清和天皇より中尊寺の号を賜った。その後、奥州藤原初代清衝が1105年から21年の歳月を費やして伽藍造営を行った。

  • 【中尊寺の本堂】

    【中尊寺の本堂】

  • 中尊寺の本堂

    中尊寺の本堂

  • 本堂近くの【不動堂】は昭和52年建立の祈祷堂です。<br />御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています

    本堂近くの【不動堂】は昭和52年建立の祈祷堂です。
    御本尊の不動明王は1684年、仙台藩主伊達綱村公により天下泰平を祈願し新調されました。不動明王様は、邪を破り、我々の過ちを正してくれる仏様で、少々厳しいお顔をされています

  • 【阿弥陀堂】

    【阿弥陀堂】

  • 【金色堂】<br />内部の写真撮影は禁止です。<br />この世のものとは思われない金色堂の美しさは、阿弥陀三尊像を中心とした内陣は、極楽浄土と平和を願う清衝の想いにみちている。

    【金色堂】
    内部の写真撮影は禁止です。
    この世のものとは思われない金色堂の美しさは、阿弥陀三尊像を中心とした内陣は、極楽浄土と平和を願う清衝の想いにみちている。

  • 芭蕉句碑<br />「5月雨の 降り残してや 金堂」

    芭蕉句碑
    「5月雨の 降り残してや 金堂」

  • 松尾芭蕉像

    松尾芭蕉像

  • 旧覆殿。以前、金色堂を覆っていた建物。

    旧覆殿。以前、金色堂を覆っていた建物。

  • 旧覆殿。以前、金色堂を覆っていた建物。

    旧覆殿。以前、金色堂を覆っていた建物。

  • 能楽殿

    能楽殿

  • 能楽殿

    能楽殿

  • 能楽殿

    能楽殿

  • 能楽殿に隣接する白山神社

    能楽殿に隣接する白山神社

  • 能楽殿に隣接する白山神社

    能楽殿に隣接する白山神社

  • 【義経堂入口】鎌倉幕府・源氏つながり

    【義経堂入口】鎌倉幕府・源氏つながり

  • 義経堂からの眺め。北上川

    義経堂からの眺め。北上川

  • 義経堂からの眺め。北上川です

    義経堂からの眺め。北上川です

  • 【義経堂】鎌倉幕府・源氏つながり<br />衣川館(ころもがわのたち)は、源平合戦の英雄・源義経が最期を迎えた場所。<br />高館(たかだち)、判官館(はんがんだて)とも呼ばれる。<br />もとは奥州藤原氏の居館があった場所。義経が、兄源頼朝と対立し、逃亡の末、藤原秀衡を頼り、その一画に居館を与えられた。<br /> 1187年(文治3年)10月29日、秀衡が亡くなると、跡を継いだ泰衡は、頼朝の圧力に屈し、1189年(文治5年)閏4月30日、衣川館を攻め、義経を自刃に追い込んだ。

    【義経堂】鎌倉幕府・源氏つながり
    衣川館(ころもがわのたち)は、源平合戦の英雄・源義経が最期を迎えた場所。
    高館(たかだち)、判官館(はんがんだて)とも呼ばれる。
    もとは奥州藤原氏の居館があった場所。義経が、兄源頼朝と対立し、逃亡の末、藤原秀衡を頼り、その一画に居館を与えられた。
     1187年(文治3年)10月29日、秀衡が亡くなると、跡を継いだ泰衡は、頼朝の圧力に屈し、1189年(文治5年)閏4月30日、衣川館を攻め、義経を自刃に追い込んだ。

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