2015/06/10 - 2015/06/12
375位(同エリア3076件中)
クッキーさん
マーストリヒトからアムステルダムに到着後、一日街を歩いて回りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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アムステルダムに9時30分頃到着。
色合いは東京駅に似ています。 -
これまで回ってきた都市とは違って 大きな駅なので 治安を考えると少し緊張します。
といいつつ スーツケースを抱えながらも しっかりカメラを構えていますが。 -
アムステルダム駅 左側。
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徒歩でホテルに到着。荷物を バーの奥にある倉庫のような所に収めてもらい・・
このホテルの一階はバーになっているのです。もう開店していたので、ビールを一杯いただいて 街歩きのためのエネルギーを補給します。実はこの時 まだ10時半という時間。日本でならば 朝からアルコールなんて ありえないのですが。 -
ホテルの裏側は こんな通りです。
観光客が多く歩いていますから カメラに収められるのは建物の上の方だけ。 -
ホテルの裏側は 新教会の裏側にあたります。
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通りの突き当りにあるカフェの所で 右に曲がると、
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ダム広場にある王宮が目にとびこんできました。
ホテルから徒歩3分です。
17世紀のオランダは、世界各地への海運貿易により経済発展した黄金の世紀。またスペインからの独立を経て、ネーデルラント連邦共和国として市民文化が大いに発展した世紀でもあります。市庁舎(現・王宮)は「アムステルダムの市庁舎としてオランダの繁栄を誇示するのに相応しい建造物を」というコンセプトの元、有名建築家、ヤコブ・ファン・カンペンにより1648年に建造されました。威風堂々とした景観と壮麗な内装は、経済の中心アムステルダムを世界帝国ローマの繁栄になぞらえ、ローマ様式を大いに参照しています。
では何故「市庁舎」が「王宮」となったのかというと、 -
1794年 フランス軍はオランダへ侵攻し、ネーデルラント連邦共和国は崩壊します。そして1795年、フランスの傀儡国家バタヴィア共和国として宣言され、1806年にナポレオン・ボナパルトの弟「ルイ・ナポレオン」を国王とするホラント王国へと移行します。
そして1808年以降、アムステルダムの市庁舎はルイ・ナポレオンの生活拠点として「王宮」となったのです。 -
しかし 1813年にフランス軍は撤退。ナポレオン・ボナパルトの失脚後、オランダに帰還したウィレム1世により、王宮は再びアムステルダムに返還されます。
当時、新しく君主国家としてスタートしたオランダでは、首都に宮殿があることの重要性から、市庁舎はオランダ王室所有となり、再び「王宮」となったのです。
(ABロードより抜粋) -
ダム広場側の新教会です。
15世紀に造られた 後期ゴシック様式のもの。
歴代の王の戴冠式がここで行われるそうです。
アムステルダムでは 教会の中に入ることはなかったような。 -
ダム広場。
アムステルダムは昔、アムステル川河口の漁村でした。
13世紀にここに城を築いたギスブレヒト2世が、アムステル川に沿って両側に堤防を築き、低湿地に運河を廻らせ、杭を打ち込み土台を作り、その上に家屋を建てて都市を建設したのです。
ダムというのは 水をせきとめるための堤防を指しているのですね。 -
ダム広場の王宮と新教会。
1275年頃 ダム上に市庁舎と新教会が建設されました。
これがアムステルダムという名の由来だそうです。
街が大きくなるにつれてバルト海貿易の要所として発展してくことになります。 -
オランダの国土の1/4は、海水面下に位置し 泥炭質の湿原が広がります。そのため、海水の浸入を防いだり、湿地の水を排水し農地を開拓するために堰堤を造ってきたです。
「世界は神が造り、オランダはオランダ人が造った」といわれる所以です。
小学生の頃に読んだ学習雑誌の中で、堤防に開いた小さな穴が広がるのを 少年が身を挺して防いだという読み物を読んだ記憶があります。 -
白い尖塔は 1956年に造られた戦没者慰霊塔。
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ダム広場から。
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ダム広場を出てカルファー通りを南に。
賑わうショッピング街です。 -
カルファー通り。
こんな風に 聖人の像が据えられているのもヨーロッパならではの光景。 -
通りの一角で見かけたモザイク画。
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人波が一瞬途切れた間の一枚。
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賑やかなカルファー通りのすぐ脇に アムステルダム歴史博物館の入口。
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先を急ぎますから 中庭のカフェを横目で見て、
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歴史博物館の建物を見るだけで終わりました。
アムステルダムの歴史を学べるところだそうです。 -
こちらも歴史博物館の入口のようです。
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歴史博物館を出て、
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カルファー通りの脇道に、
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ペギン会修道院?
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アムステルダムミュージアムの裏に位置するのですが、どこを通って入れたのか記憶がまるでありません。
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ペギン会修道院。
女子修道会に属する独身女性たちのための宿舎として、14世紀に設立されたものだそうです。 現在でも 住んでいるのは 一人暮らしの女性だけだとか。 -
ペギン会修道院の中庭。
ショッピングストリートの喧騒が嘘のように ひっそりとしています。 -
ペギン会修道院。
ほとんどの家は17世紀から18世紀にかけて立て直されたもの。 -
ペギン会修道院。
中庭に立つ教会。 -
ペギン会修道院。
ここを訪れる人なんていないだろうと思っていましたが、けっこうな数の観光客がいました。 -
にもかかわらず 騒ぎ立てる人は誰一人としておらず、この静謐な空間を見学しているのが印象的でした。
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ペギン会修道院。
中庭に立つ教会。 -
ペギン会修道院の入口。
ここから入ったかしら?もう2年近く前のことだから 記憶は全くないようです。 -
カルファー通りから ふと垣間見えた脇道。
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カルファー通り。
時計の下にベルが見えます。時を告げるのでしょうか。 -
カルファー通り。
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カルファー通りから脇道を。
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カルファー通り。
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軒先の彫刻が緻密。
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カルファー通り。
レンガ色に白の漆喰が目立っています。 -
カルファー通りのH&M。
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カルファー通りの先にムント塔が見えてきました。
地図が読めない私にしては 迷いもせず 想定通りに歩けています。
かつては市の城壁の一部で街の見張りとして機能していた塔。 -
17世紀にアムステルダムの町が大発展をとげたことで それまでシンゲル運河沿いに町を取り囲んでいた城壁が取り払われました。
この塔だけが残され、後に塔の上に時計台が取り付けられ現在の姿となりました。
ムントとは貨幣のことで、1672年にフランスがアムステルダムを侵略した際、この塔を貨幣鋳造所として利用していた事に由来する名前だそうです -
アムステル川とシンゲル運河の合流点に位置する、六差路のムント広場前から。
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トラムの色合いがスマート。
最後まで乗る機会がありませんでした。 -
ムント塔を運河側から。
1Fはショップになっています。 -
運河沿いに、温室がならんでいます。浮き桟橋のようなものに乗っかっているのかしら。
シンゲルの花市です。 -
シンゲルの花市。
色とりどりの花が並び 見ているだけでワクワクします。
切り花と 天井にはドライフラワー。 -
こちらは緑の鉢植えの植物や 種物が中心のよう。
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もちろんチューリップの球根も数多く並んでいます。
種類が多いですね。
17世紀のオランダで起きたチューリップ・バブル。このバブルと当時の政治情勢を背景に 多額の賞金が懸かった黒いチューリップを巡る陰謀を描いたデュマの「黒いチューリップ」を ふと思い出しました。 -
園芸用品もカラフルで ガーデニングが楽しくなりそう。
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店内のディスプレイも素敵です。
単なる観光客なのが とても残念。 -
どんなお庭にしようか悩ましくなりそう。
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こちらは 盆栽用の種子の専門みたい。
楓はともかく 松を実生で盆栽まで形作るのには 長い年月がかかりそう。 -
こちらは 切り花を扱っています。
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橋を渡って戻り、運河沿いにあるToastableというカフェへ。
中央下の 2人の女性が語らっているベンチの後ろが入口です。階段を数段下ります。
トリップアドバイザーで知ったお店。入るのに ちょっと不安でしたが、若いスタッフが とてもフレンドリーで 一安心。 -
注文したサンドウィッチ。
見た目はあまりよくありませんが、美味でした。
半分しか食べられなかったので 持ち帰りをお願いしたところ、快く包んでくれました。
残りは翌日のランチになりました。 -
可愛らしい内装です。
まだ12時前。 -
再び 街歩き再開です。
シンゲル運河に架かる橋の上から。
通りにそれぞれ名前が付いているのと同じように 運河にも名前が付いているのね。 -
運河に架かる橋に無造作に置かれた自転車。
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ライツェ通りを走るトラム。
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3階の上の屋根裏部屋の さらに上にある明り取りの窓。
どんなお部屋なのかな 想像を刺激する造りです。
紅い窓枠の下の白い胸像。 -
そのお向かいの建物のファサードは 多くの彫像で飾られています。
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ちょっと運河沿いを歩きます。
1686の表示は 建てられた年でしょうか。
黒い壁面に白い縁取りがおしゃれ。 -
茶色い壁面の白い飾りも素敵ですね。
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運河に沿って、背の高い古い立派な住居(カナルハウス)がひしめき合うように立ち並んでいます。
家の前面の壁が少し前に傾いて建てられているのは 間口が狭く階段も急なことから、大きな荷物や家具の出し入れを 道路に面した窓から搬入搬出するため。
屋根の下に取り付けられた金具にロープを張り 吊り上げ吊り下げを行うそうです。 -
ライツェ通りから脇道を入って、ライゼドワルス通り辺りだったかしら?
運河に面していない通りの建物でも 最上階の金具が 見事に一列縦隊。
聞いたことがある風景ですが、実物を目の前にして ワクワクします。 -
街歩き。
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ライゼドワルス通り辺り?
ここも 最上階の金具の一列縦隊。 -
運河沿いを歩いていたのか 遠くに眺めたのやら・・
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市立劇場のオレンジ色の壁が一際目立っています。。
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ライツェ広場。
17世紀には 大学町として有名なライデンに向かう 市の城門があった所だそうです。「ライデン行き広場」という意味だそう。 -
街角。
これは見ての通り ブルドッグという名前のお店。
名前に似合わず 出窓の手摺の模様が素敵です。 -
市立劇場を正面から。
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シンゲル運河沿い。
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振り返って見えたのはアメリカンホテル。
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こんな像を見て、ここがミュージアム広場かと思ったのですが、
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フォンデル公園でした。
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同じ色の自転車は レンタサイクルでしょう。
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瀟洒な住宅街。
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運河から離れたHobbemastreatを歩いています。
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ギザギザ屋根の建物。
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こうそろそろ国立ミュージアムでしょうか。
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ミュージアム広場。
I am sterdam のオブジェは人気者。人が絶えることがありませんから、遠景で我慢します。 -
ミュージアム広場の周辺には、その名の通り「ファン・ゴッホ美術館」、「国立ミュージアム」「市立近代美術館」等が建ち、徒歩数分圏内で、各美術館を巡ることができます。
広場の手前には水辺の風景。 -
国立ミュージアムで3時間余りの時を過ごしたので、「ファン・ゴッホ美術館」を訪れる時間はもうありません。
一旦ホテルに戻ります。 -
5時過ぎ ホテルにチェックイン。
ホテルコーナーハウスです。
最上階のシングルルームは屋根裏部屋風。
スーツケースを広げると ドアを開けるのにも工夫がいる位の狭さ。 -
こんな屋根裏部屋の窓から見えているのは、
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新教会ですよ。
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バスルームは、かつてないほど極小。
マグナプラザと新教会の間に位置する最高のロケーションにも拘わらず2泊84ユーロという格安の 一つ星ホテルですから こんなものでしょう。
この格安料金は 早割のおかげだったようです。 -
廊下の突き当りの窓から見える新教会。
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左側のお部屋でした。
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当然エレベーターはないので、こんな急な階段を3回上ります。
身軽であればどうということもないのですが、スーツケースを持って上げるとなると、心底 泣きそうでした。
この後、ルーアンでも同じ目に合うことになるのですが・・・ -
ホテルの案内。
迷った時のお守りですね。初め 3泊する予定でしたが、こんな屋根裏部屋にも関わらず 3泊目の金曜日には2倍近くの価格になっていたので、ライデンへの日帰り旅を止めて ライデンに宿泊することにしました。 -
夕食は マーストリヒトで見つけたのと同じデパートのフードコートで。
9ユーロほどのお手頃価格で 野菜もしっかり食べられ、満足の夕食タイム。 -
夕食後 夕刻の街を散策。7時という時間からすると 夕刻ですが、空の色合いは夕刻の趣ではありませんね。
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運河沿いに歩きます。
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教会の尖塔。
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ヘーレン運河かカイゼル運河辺りでしょうか。
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運河に架かる石橋。
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運河の対岸に見える教会。
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屋根の形からすると 西教会のようです。
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さほど歩いていないのに 帰り道で迷ってしまいました。
マグナ・プラザは改装中のよう。 -
まだ8時前ですが 今日の締めくくりのビール。
明日も朝早いので、運河の夜景は諦めます。
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