2015/06/09 - 2015/06/10
27位(同エリア109件中)
クッキーさん
オランダ、ドイツ、ベルギーの3カ国が隣接するところに位置するマーストリヒトは オランダ最古の街のひとつで古くからヨーロッパの十字路として栄えました。
ローマ時代にもさかのぼる歴史を持つ 石畳の小路が残る旧市街の街歩きを堪能した一日でした。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
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デュリュビュイからリエージュを経てマーストリヒトへ。
11:13着。
ここでは半日しか過ごせないので旧市街へ早く移動すべきなのですが、こんな構内の様子に眼が釘付け。 -
天井は高いのですが、開口部はあまり多くありません。
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こちらで 翌日のアムステルダム行きのチケットを購入しておきます。チケット代金は25ユーロですが、窓口で買うと その都度 手数料が1ユーロかかるようです。
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駅構内。
中央に見えるのは コインロッカーっぽいですね。 -
駅構内。
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ドイツとベルギーの国境近くに位置するマーストリヒトは、EUに関するマーストリヒト条約(欧州連合の創設を定めた条約)が結ばれた地。
旅行計画を立てる前に知っていたのは このことだけでした。
地図を見ると、東はドイツ、西はベルギーに挟まれて半島のように突き出た形になったリンブルグ州の州都です。 -
オランダ、ドイツ、ベルギーの3カ国が隣接するという地理から、過去に20回以上も占領された悲しい過去があります。
オランダ領になったのは19世紀からです。
すぐ隣はドイツのアーヘン、100kmも行くとケルンもすぐそこ。
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マーストリヒト駅前。
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旧市街ではありませんが、きれいな街並みですね。
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交差点に立つ彫像。
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通りの真ん中に スタンドとオープンカフェが。
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建物の高さや色合いが統一されると こんなに素敵な街並みになるんですね。
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脇道の奥に見える教会。
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ベルギーを北東に突き抜けたマース川が、ちょうどオランダに入ったところに位置するマーストリヒト。「マーストリヒト」とは、「マース川の渡し」という意味があります。
マース川に架かる 聖セルファース橋は、オランダ最古の橋のひとつで、13世紀の石の橋だそうです。
橋の向こうに見えているのは旧市街。マーストリヒトはオランダ最古の街のひとつで古くからヨーロッパの十字路として栄えました。
街並みに見惚れながら歩いてきたので ここまで10分余りかかりました。 -
橋の上から 先程の教会が見えています。
せっかく橋の上を歩いていますが、 橋の全景はまた後で。 -
橋の向こうは城壁内の旧市街です。
何軒もの建物が白い壁面、茶色の屋根に統一されています。 -
聖セルファース橋を渡ると、早速 石畳の小道が残る旧市街がお出迎え。
石畳の小路は 得も言われぬほどに素敵なんですが、スーツケースには全く優しくありません。
両側に立ち並ぶ建物に心惹かれながら 必死でスーツケースを引っ張り、時には抱え上げ ホテルへ向かいました。
ホテル、マビ・マーストリヒトはこの通りの奥にあります。 -
その通りの手前が、街の中心部にあるマルクト広場。
ひときわ目立つ市庁舎です。
17世紀に完成しました。 -
マルクト広場から。
マーストリヒトは、古代ローマの集落で、中世の都市として最初に認められた歴史があります。
マーストリヒトの西に、8千~2万5千年前の旧石器時代の遺跡があり、少なくともローマ人がやってくる500年前には、ケルト人が、マース川の浅瀬のあるこの場所に住み着いていたと考えられまています。 -
マルクト広場から。
その後、ローマ人が橋を渡し、ケルンなどと結ぶ広い道が造られました。ケルンはローマ軍の前線基地・宿営地となり ローマ帝国のゲルマニア支配の拠点として重要な地位を占めた所です。
ナミュール、リエージュ、マーストリヒト、ケルンは 地図上でほぼ一直線に並んでいますね。 -
マルクト広場から。
3世紀頃からローマの勢力が衰えた後、ライン川の東からゲルマン人の襲撃、略奪が増えていきました。
このため、橋のあるマーストリヒトは戦略上重要で、塔や塹壕などとともに市壁で囲まれた要塞となりました。 -
マルクト広場から。
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市庁舎には、43個のカリヨンがあるそうです。
カリヨンの音を聴くチャンスはなかったような。 -
市庁舎正面の階段の上から。
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マルクト広場には、いくつかの美味しそうな屋台が出ていました。
こちらの屋台の左側に、お惣菜が売られている屋台があり、魚介の揚げ物を一皿買い求めました。脇に置かれた 背の高いテーブルでの立ち食いがこの日のランチとなりました。フォークやナプキンもいただけます。 -
マルクト広場の脇を抜け、さきほど歩いてきた石畳の小路を 身軽になって歩きます。
こちらの建物は 観光案内所。石造りの立派な建物だなあ と思っていたら、15世紀に建てられ、裁判所長官の家として使われていたという歴史的建造物だそうです。 -
建物に惹かれたのではなく 看板が目に留まりました。
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いつもなら もっと迷うのに あっという間に見つかりました。
教会、と思うでしょう? -
入口以外は 普通の教会のようですが・・・
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なんと本屋さんなんです!
書店『セレクシーズ・ドミニカーネン』といいます。 -
約800年前に建てられた教会を改装して造られたもので 2008年、英国ガーディアン誌で 「世界一美しい本屋」に選ばれたそうです。
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一時は自転車置き場になっていて忘れ去られていましたが、オランダ人建築家によって修復されました。文化財保護対象になっているそうです。
3階部分まであるようです。 -
ここが2階部分。
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上から見てみると、素敵!教会の中心部・祭壇はカフェになっています。
この位置からは よく分かりませんが、真ん中に置かれたテーブルの形が『十字架』になっているそうです。 -
教会の中で寛げるなんて素敵ですね。
もう少しだけ時間があれば、一休みしたいところです。 -
ここは3階部分だったかな。
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天井がすぐ間近に。
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書棚と天井の配置は この位の高さ。
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こんな雰囲気の中で本を選べるなんて素敵。
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修復されているせいか、ステンドグラスは入っていないようです。
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かなりの観光スポットになっているらしく、団体の方々も 大勢訪れていました。
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カフェはこんな感じ。
天井の照明も素敵。 -
教会の本屋さんから5分程歩いてフライトホフ広場に行き当たりました。
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広場にはたくさんのカフェが連なり、お客さんで賑わっています。
旧市街で一番古い場所だそうです。
中世の時代から巡礼者で賑わっていた広場。
というのは 382年から721年までここに司教区がおかれたからです。 -
ゲルマン人の攻撃を避けて、キリスト教の大司教、聖セルファースも、トングレン(現ベルギー東部の都市)から、要塞のあるマーストリヒトに移って来ました。
司馬遼太郎の「オランダ紀行」によると・・・
『司教というのは、カトリック国にうまれないかぎり、その世俗的なえらさがわかりにくいが、江戸封建制でいえば、十万石以上の譜代大名にやや似ている。
司教は“司教座”とよばれるカテドラルに座している点、城持大名といってよく、その精神的地位は、聖書の「使徒」に相当するとされてきた。』
中世の 課税権や裁判権が司教に属する、という意味がやっとわかったような気がする一文でした。 -
『その後、フランク王国に属したり、13世紀以降はベルギーのリエージュに座していた大司教の領地になったりして、すこし勢いは衰えた。
しかしながら、司教猊下の城下町だった重みは十分残っており、・・・』
圧倒的な存在感を与えるほどの数の塔です。
左側の赤い教会が「聖ヤンス教会」高さが70メートルで「聖セルファース教会」の洗礼堂として建設されたそうです。
いつ建てられたかは不明ですが、1218年頃にはすでに在ったそうです。
赤い塗料は、かつては牛の血で染めていたそう。
右側の教会が「聖セルファース教会」 -
384年頃、聖セルファースは ここで亡くなり、その墓所に、150年後、聖セルファース大聖堂の前身の礼拝堂が建てられたそうです。
その後、主要な部分は11世紀から15世紀にかけて建造されたといいます。
この位置から見ると、円筒状の城砦を思わせるような造りです。
司教座があった頃は、どんな建物だったのでしょうね。 -
上部をズーム。
三角屋根の最上部は 普通の十字架ではないようですね。
丸いとんがり帽子の上に付けられた飾りは 何かの紋章でしょうか? -
聖ヤンス教会の全景。
1632年よりプロテスタントの教会として使用されるようになりました。
オランダは、プロテスタント・カルビン派が優勢でしたっけ?
プロテスタントとカトリック、2つの教派が隣同士にそびえ立っています。 -
聖ヤンス教会の左手に回ってみました。
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広場の 聖ヤンス教会のある側に見えるのは 何か公共の建物みたい。
オランダ国旗に初お目見え。 -
聖ヤンス教会の塔に上がってみます。2.5ユーロ。
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塔の上から。
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塔の上から。
聖セルファース教会の上のようです。 -
塔の上から。
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ズーム。
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どの方向を見ても 緑豊かな大地。
真平らではありませんが やや丘陵地と云えるかどうか・・ -
聖ヤンス教会の赤い塔も目の前に。
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マーストリヒトの行政が景観を厳しく監理しているようで、中世のヨーロッパの町のイメージがそのまま保存されているのです。
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手前が フライトホフ広場。
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街の家々の屋根の統一感。
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塔の階段は こんな感じ。
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おそらく 聖ヤンス教会の内部。
プロテスタント教会らしく 華美なところはなく質素な造りです。 -
聖セルファース教会脇の小路は こんな不思議な空間。
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城塞都市の名残?
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小路を通り抜けた通りで見かけた 聖セルファース像。
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こちら側が入口です。
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入口をズーム。
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聖セルファース教会の中に入ってみました。
宝物殿の中も入れるそうですが、街歩きや城壁巡りに気が急いていたのでスルーしたような。 -
中にも 聖セルファース像が。
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黄色味を帯びたステンドグラス。
定番の パイプオルガンの写真がないのはどういう訳なんだろう? -
さっさと城壁巡りへと思っているのに、こんな家々を眺めながら 再度 マルクト広場に戻ってきてしまいました。
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マルクト広場の市庁舎の屋根を背後にしながら 石畳の小路を辿ります。
ウォルフ通り。
マーストリヒトに石畳や石の建造物が多いのは、マーストリヒトを含むリンブルグ地方が干拓地ではなく内陸で、岩石を採取できたからだそうです。
地産地消ということね。 -
街角。
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歩き始めて3時間、一休みはもちろんビールです。
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教会前の広場には、周辺のカフェからのテラス席が広がっています。
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教会の塔を目の前にして 寛ぎのビールで至福のひと時。
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教会というより城塞のようにも見える堅牢な造りの建物は 聖母が祭られる「聖母マリア教会」です。
2本の尖塔が並ぶ外観が特徴です。防衛のためなのか正面に入口がありません。
その左側の小さい三角屋根の、下の門が入口になっています。 -
入り口を入ると正面には、15世紀に造られたという金色の聖母子像があり、多くのロウソクの灯がともっていました。
城壁巡りは 後編にて。
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