蟹江・津島・長島から熱田・笠寺・有松の尾張あちこちと浜松の旅(三日目・完)~古刹本興寺、豊田佐吉の生家から旧舞阪宿へ。浜名湖南部の見どころは旧新居宿だけではありません。そして、最後は念願の浜松餃子食べ比べです~
2016/12/25 - 2016/12/25
6位(同エリア99件中)
たびたびさん
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今日のコースは浜名湖の南側と浜松市。浜名湖の南側は旧新居宿が国の史跡となっていて、以前、その周辺を回ったことがあります。関所や木賃宿など東海道の名残りに名物のお菓子もあったり、それなりに悪くない。浜名湖の南はそれでもう十分かなと思っていましたが、今回は、もうちょっと範囲を広げてみました。すると、本興寺に、豊田佐吉生家に旧舞坂宿とまたまた魅力的なスポットがあるんですね。限られたエリアのはずなのにさすが東海道ということなんでしょうか。普通なら新幹線で通り過ぎるだけの場所ですが、意外な懐の深さを知ることとなりました。
そして、その後は浜松市内。出世街道を少し歩いて家康の関係をチェックしたら、そのまま浜松餃子の名店巡り。結局、この日は浅草軒 分店、福みつ、石松の三軒を回りましたが、いずれも不便な場所で、観光客にとっては想像以上にハードルが高いかなと思います。
で、餃子の評価の方ですが、福みつ、石松もさすがなんですが、むつ菊も含めて私の中ではやっぱりナンバーワンは喜慕里で変わらずかな。その時の体調とかもあったかもしれませんが、喜慕里の第一印象はいずれも越えれなかったというのが正直な感想です。
餃子ついでに宇都宮餃子と比べると、宇都宮餃子はみんみんと正嗣が人気・実力ともに双璧。ほかにもあることはあるんですが、ちょっと差があるかなという感じなので、隠れた名店探しという楽しみにはやや欠けるように思います。浜松餃子は、店が不便な場所にあるのが玉にきずですが、その分、そうした楽しみもあるでしょう。
ほか、福岡県・佐賀県の餃子もかなりのレベルなんですが、福岡県なら福岡市よりも北九州市でしょうね。ネッチョリ感のある餃子は、浜松や宇都宮にはないうまさがあります。そういう点では東京の餃子は蒲田も銀座も全然ダメ。残念なことだと思います。ちょっと、蛇足です。
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豊橋駅から鷲津駅に到着。
そこから本興寺に向かったのですが、途中の国道沿いで目を引いたのは、この浜名湖れんが館。赤みがかったグレーのれんがに白のストライプが何本か入った近代的な印象の建物。ただ、作られたのは明治37年。宮崎製糸鷲津工場の乾繭倉庫だったそうです。今でも現役でコンサートホールなどとして使われているよう。確かに、傷んだ様子は全く感じられません。 -
しばらく歩いて。たぶん、寺はあの緑の濃い辺りでしょう。
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国道から脇に入ると、すぐに本興寺の山門がありました。
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さて、本興寺は法華宗陣門流の東海別院として、この地域の法華宗布教の中心。江戸時代は10万石の格式と徳川将軍家の三つ葉葵の使用を許されたというほどの古刹です。
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それにしても、ここは浜名湖のほど近くの平野部。小山を背景にしているだけでも深山の趣きです。
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山門から本堂に続く参道脇にはいくつかの塔頭が並んで、それを過ぎて
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一番奥に建つ茅葺の本堂は、客殿も含めて途方もない大きさ。この威容はかなり予想外です。
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イチオシ
屋根の形は少しずんぐりのムクリのようにも思いますが、
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そうではなく、直線だとしてもここまで堂々とした大きさだと、それがちゃんと立派な意匠になっている。設計者はそれを意図したのかどうかわかりませんが、そうだとしたら、むしろ不思議な独創性さえ感じてしまいますね。
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正面から上がって、
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中の方にも入ってみます。
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内陣がはっきりと区切られていて、内部の空間もしっかりコントロールされています。外観は一見何も考えていないような姿なのに、このギャップにも参りました。
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本当は、ここは早朝にささっと見て終わるつもりだったのですが、
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興味がわいてきて有料の庭園の方も始まりの時間まで待ってみることにしました。
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玄関を入って、これは大書院。
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障壁画も惜しげなく見せているし、
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大きな屏風や
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イチオシ
谷文晁の唐子も面白いじゃないですか。
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そして、これが小堀遠州が手掛けた池泉鑑賞式の庭園。
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飛び石の配置が思いのほか力強いし、
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イチオシ
ちょっとした傾斜地を使っているだけなのに、深い幽玄の世界が表現されています。
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東海道の古刹といえば、清見寺や臨済寺くらいしか思い浮かびませんでしたが、こんなところにこんな寺があったとは。。今日はさっそくに大きな収穫があったようです。
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本興寺で調子が出たので、これも予定になかった豊田佐吉記念館にも足を延ばすことにしました。ただ、正直、けっこう遠いです。
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ここは豊田佐吉の生家なのですが、裏山なんかも含めて結構な規模ですね。
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敷地内にある佐吉の発明した機械類の展示室は
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イントロとしては
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やはり必要なものなんですが、
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裏山を展望所の方まで上る散策ルートなど、けっこう奥が深いです。
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それに加えて、地元のボランティアの人のような人たちが掃除をしているようで、
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あちこち手が入っていて
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きれいに整備されています。
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今でも地元に愛されているのではないかと感じました。
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鷲津駅で思わぬ時間を取られてしまいましたが、次は弁天島駅に移動しました。
弁天神社は、弁天島駅から舞阪の方に向かってすぐ。高い場所に赤い本殿が鎮座する、さほど大きくない神社なんですが、 -
境内には正岡子規の句碑。車窓から浜名湖を詠んだ「天の川浜名の橋の十文字」が彫られていました。
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少し歩くと弁天島海浜公園です。
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弁天島駅からまっすぐ海岸に出れば近いのですが、あいにく海岸線はホテルが立ち並んでいるので、
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そのホテルを抜けるか、回り道をしないとたどり着けないのでちょっとやっかいです。
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干潟の向かいには赤い鳥居の建つ弁天島や浜名バイパスの大橋も見えて、なかなかの眺め。魚釣りをする人の姿も見えました。鳥居だけがポツンと建っていて、宗教的な意味があるのかないのかはちょっと不明です。しかし、その奥のバイパスの大橋と合わせて、開けた景色のアクセントとなっています。
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弁天島海水浴場は、弁天島海浜公園からの続きの砂浜。浜を囲むように低いコンクリートの堤防があるし、陸側は巨大なホテルが目隠しになっている。ちょっとしたプライベートビーチのような雰囲気があるように思いました。広さもさほどないし、正面は弁天島やバイパスも走って、これなら外洋からの荒波を直接受けることはない。安心感もあるように思います。
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そして、この橋を渡ると旧舞坂宿。
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橋を渡って振り返るとさっきの弁天島海浜公園が見えています。ビーチとホテルがまるでセットになっているのがよくわかると思います。
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舞坂宿は、東海道53次の日本橋から数えて30番目。浜松宿の次の宿になります。弁天島駅から、橋を渡りきるとそこがもう舞坂宿。作りものの常夜灯があって、「舞坂宿」と書かれていました。見どころは、脇本陣。復元されたものですが、唐破風の玄関、上段の間とかけっこう見応えがあると思います。
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すぐ脇にあるのは、舞坂漁港。
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イチオシ
堤防に囲まれた港には小型の船舶が何隻も係留されていました。船舶の向こうには、弁天島の巨大なホテル群が見えるし、
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北雁木というのは江戸時代の遺構もここにあります。
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北雁木というのは、舞坂宿の渡船場のこと。ここから新居宿まで今切の渡しというルートがあって、その船に乗るためのものだったんですね。
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なだらかな傾斜には大きな石が敷きつめられていて、たぶん、ここに船を引き揚げたりしてもびくともしないといったことだったのではないかと思います。南雁木というのもあって、そっちは今は残っていませんが、庶民用。こっちは身分の高い人用のものだったということです。
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市街に入ってきましたが、これは牡蠣ですね。どこか食べられるところとかないかと思ったのですが、地元の人に聞いてもこれというところはないようでした。残念です。
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ということで、昼飯はやっぱり予定通り、浅草軒 分店にします。
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基本はラーメン店なんでしょうが、ここの餃子は事前の情報によれば浜松餃子の中でもかなりの高評価です。
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ラーメンと餃子の両方を注文して、さて。。結果としては、煮干しラーメンだと思いますが、東京のレベルからするとまあ普通。餃子の方も、キャベツの味ばかりがして、もうちょっと何とかならないかなあという感じ。ご飯と餃子の組み合わせだったら、もっと違う印象になったかもしれませんが、そうですね。これでは残念ながらネガティブなコメントになってしまいます。
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イチオシ
いずれにしても、落ち着いたところで。
この旧東海道松並木は、旧舞浜宿の東側。国道から斜に入って行く旧東海道沿いです。松並木なんかそう珍しくもないものと思っていたのですが、ここの松並木は何とも言えない濃い緑がとても美しい。 -
並木の間隔が詰まっているのもあると思いますが、樹勢もかなりいいような。一見の価値ありの松並木です。
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東側から、再び、西側に向けて旧東海道を戻ります。
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この見付というのは宿場町の端っこにあって、ここが宿場町の境であることを示すもの。これは舞阪宿の東端にあって、その石垣です。街の防御の意味もあったはずですが、なんとも小さな石垣。これはただのお飾りですね。まあ、平和だった時代を象徴しているのかもしれません。
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ところで、舞阪の市街には、名物シラスの店が何軒かあって、丸吉堀江商店は旧東海道沿い。市街の中ほどです。
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店内には、質が違うのでしょうか、何種類かのシラスがそれぞれ大量に置かれていました。お客さんも常連さんのような人たちがポツポツ来て活気がある。おばちゃんたちも忙しく動いていました。
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宿場町にはよくある石灯籠に、
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これは本陣跡。
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ただ、舞坂宿の一番の見どころは、この脇本陣です。
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イチオシ
復元されたものですが、唐破風の玄関もインパクトありますね。
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玄関からは部屋が一直線に並んでいて、はるか上段の間の路地庭園までが見通せます。一番奥はお殿様が泊まっているので、当時はこんな姿は見れなかったと思いますが、この長さも一見の価値あるものだと思います。
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奥に行くにしたがって格が高くなるのですが、
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途中にも坪庭があったりして、狭い空間をなんとか上手に活かす工夫があります。
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イチオシ
これが一番奥の上段の間。舞阪宿脇本陣は、旧東海道でも脇本陣の遺構があるのはここだけ。
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そして、復元された建物は今でも宿泊できるくらいきれいです。
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イチオシ
さて、舞坂宿から弁天島駅に戻って、
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今度は北側の浜名湖方面を目指します。
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地図だと近いように見えたのですが、
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この渚園運動公園までは、15分以上はかかったような。意外に遠いです。
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公園は、浜名湖を埋め立てたもので、キャンプ場や小さな水族館のような施設があったり。
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広い芝生と松並木で美しく整備されています。
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反面、もう少し浜名湖の景色が楽しめる場所かなと思ったのですが、
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そこはイマイチだったように思います。
ところで、浜名湖は、これまでは新幹線の車窓からちらりと眺めるくらい。それでも風光明媚な感じが十分ありますよね。今回、それでもと思って渚運動公園まで歩いて、浜名湖の景色を確認してみたのですが、結果としては、新幹線の車窓から見るのと大差はなかったような。ただ、渚運動公園に行くまでの間に小型の船がたくさん係留されている場所があって、そこだけはちょっとよかったかなという感じです。 -
続いての浜名湖体験学習施設ウォットは、渚園運動公園の一角。
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入ると浜名湖の魚を展示する水槽が並んでいて、
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小さな水族館のような施設かなと思ったら、
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奥の方に大水槽があって、この日はクリスマスバージョンで、たくさんの子供たちが見つめる中、サンタの格好をしたダイバーが魚に餌をやっていました。面白いイベントです。
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以上で弁天島駅周辺はおしまい。最後は浜松市に到着です。
このモザイカルチャー 出世大名家康くんは、浜松駅を出てすぐの広場。
モザイクカルチャーというのは、花と緑でいろんなものを造形するというもの。公園とかで、動物の造形があったりするのは見たことがありますが、浜松は日本で最初にそれを取りいれた都市なのだそうです。
像は家康なんですが、そう見れば見えなくはないという程度。しかし、大きなものなので駅を出るとすぐに気が付くと思います。 -
日没までにはまだ少し時間があるので、浜松出世街道というのを少し歩いてみます。
ちなみに、浜松城は徳川家康がここから天下を掴みとる出世を始めた城として縁起の良い城。その浜松城下の徳川家康ゆかりの観光ポイントを巡る道があって、それが浜松出世街道です。観光案内所にはその道順と観光スポットを紹介するパンフレットもあるし、歩いて見ると、ポイントポイントには標識もちゃんとあって、とっても親切。宣伝するだけでなく手もかけてあるので、これなら安心して回れます。 -
浜松駅から遠州鉄道八幡駅に移動して。
浜松八幡宮は、遠州鉄道八幡駅からすぐ。遠州鉄道の車窓からもこんもりした境内の森が見えるので、迷うことはありません。 -
家康が徳川家代々の祈願所と定めただけに本殿も華やかではありませんが、質実な美しさが感じられると思います。
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そして、浜松八幡宮の本殿の前にあるこの雲立のクスが実は一番の見どころ。
幹回り約13mの大きさに加え、幹の根元に大きな空洞があるのが特徴なんですが、徳川家康が三方原の合戦に敗れ武田軍に追われた際、この穴に潜んで難を逃れたといわれるもの。ちょっと極端な話で想像も入っているように思いますが、家康はそこから天下取りへと階段を駆け上がっていく。いずれにしても、家康が大事にしていた神社であるのは間違いないことだと思います。 -
これは椿姫観音。
亭主亡き後、引間城の女城主となったお田鶴の方。徳川家康の攻撃を受け、壮絶な最期を迎えます。 -
しかし、その女丈夫に感動した家康が供養したのがこの観音。これは写真ですが、祠の奥には美しいお顔が拝めます。
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で、その引間城があった場所に建つのは浜松東照宮。
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引間城は曳馬城。曳馬は敗戦につながるということで、これを浜松と名を変えたのは家康です。
それも出世の糸口として、家康、秀吉が並んで立っています。 -
家康が29歳~45歳までの17年間を過ごした浜松城。ちなみに、この17年間で起きた戦いは、姉川の合戦、三方ヶ原の合戦、長篠の戦いから、小牧・長久手の戦いまで。徳川の基礎を固める戦いをしのぎ切ったことから、出世城と言われています。
石垣の上に、天守閣がちょこんと乗っています。 -
で、この石垣が有名な野面積み。石の大きさはばらばらだし、石と石のすきまもけっこうあるし、適当に積んだように見えますが、これがすばらしく丈夫なのだそうです。
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一方で、天守閣の周辺は公園ですが、規模はあれっというくらい小規模です。
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家康公鎧掛松は、浜松城の天守閣を見上げる大通り沿い。ちょっとした囲いの中にありましたが、まあ、けっこう小さな松です。三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れ、浜松城に逃げ帰った家康公が、鎧を脱いでこの松に掛けたと言われる松。そこから、家康はまた一回り大きくなったとされるので、それにあやかりたいという意味の松かと思います。
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浜松市美術館は、浜松城の石垣の内。
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女性を描く~クールベ、ルノワールからマティスまで~の企画展をやっていました。一方で、常設展もないかと尋ねたら、それはないとのこと。地元ゆかりの作家とかの絵も見たかったのですが、残念。ちょっと地方の美術館としては感心しないなあと思います。
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浜松城公園は、浜松城の周辺を整備した公園。浜松城は久しぶりの訪問でしたが小山の上にいきなり天守閣が建つ感じで、こんなに小さな規模だったかなあとちょっと拍子抜けするような。少し離れた場所に、運動公園のような広場もありましたが、これは逆に城の感じが全然しない。うーん、どうなんでしょうかというコメントです。
浜松宿は、旧東海道の日本橋から数えて29番目の宿場街。しかし、それとともにというかそれ以上に浜松城の城下町。かつての宿場町の名残りを探しても、ちょっと無理があるような。そういう意味だと岡崎にも似ていますね。古い浜松の街を感じたいなら、徳川家康ゆかりの観光スポットを回る浜松出世街道を巡るのがお勧めです。 -
ここからは、浜松餃子の時間です。
この福みつは、浜松餃子では常にランキングの上位にくる横綱級のお店。ただ、最寄の駅からでもかなり遠い。観光客にとっては、アクセスはあまりいいとは言えません。 -
ただ、若い男性のスタッフが何人かいて、店内はさすが活気がありますね。
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さて、餃子の方はカリカリ感がウリなんでしょうが、そのカリカリはちょっと柔らかいところがあったりする変化があって、それが全体として面白いハーモニーになっています。
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イチオシ
これがキャベツのあっさり味をよく引き立てているように思いました。
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徳川秀忠誕生井戸は、遠州鉄道遠州病院駅の高架下。徳川秀忠の母は、家康の側室西郷局。その屋敷がこの辺りにあって、産湯に井戸水を使ったのだそう。夜でも灯りに煌々と照らされている一角なので、近くに来たらちょこっと見るでいいと思います。
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石松餃子は浜松駅の構内にもあるんですが、せっかくなので本店の方に行ってみました。
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もう暗くなった道をとぼとぼと言った感じ。結局は大通り沿いにあったのですが、ナビだとかなり寂しい道を行くことになります。
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イチオシ
さて、餃子の方ですが、なるほどー。かなり薄めの皮なのでカリカリ感は繊細です。一方で、しっとりした柔らかい部分もあって、その両極端が一つの餃子に備わっています。どうしたらこんな風にできるんでしょうねえ。それが味わいの深さを出していて、これは絶品です。福みつの特徴と似ているんですが、あえて言えばこちらの方がその特徴をはっきり出しているように思います。ただ、特性のタレと言うのはちょっとどうかな?これでは酸味が足りない。普通のシンプルな酢醤油の方が私は好きですね。
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遠州鉄道で浜松駅に帰ってきました。
ソラモという名前は知りませんでしたが、遠州鉄道からJR浜松駅に向かう際はここを通ることになります。遠州百貨店の北側にもなるので、浜松駅周辺では一番賑わう場所。日中は出店が出てイベント会場のような活気があるし、日が暮れてからでも若者がたむろしていたり。浜松駅周辺を代表する顔の一つかもしれません。
以上で、今日の予定はほぼ達成。最後も本当によく歩きました。これで東京に帰ります。お疲れ様でした。
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