2016/12/04 - 2016/12/04
224位(同エリア1501件中)
tadさん
2016年11月18日にオープンした新しい歴史博物館をやっと訪問した。旧長府博物館の新しい建物という意識で入館したが、方針もまったく異なる。下関市としては強力な歴史博物館となって誕生した。展示内容はまだ今後も変わるのだろうが、取り合えず開館記念企画はすばらしかった。「時代を拓く海峡」と題した特別企画は100円で入館できる(70歳以上は無料)が、ここは撮影禁止だが、いい資料が並んでいた。有難いのは詳しい写真入りのパンフレットが配布されたので重要品については写真をとらなくても、情報が持ち帰れるのがありがたい。
続いて、別の入り口である常設展示館に入る。ここはシニアは無料。通常料金は200円。ここでは撮影禁止マークのついている5,6点を除いては撮影可能だという。これは有難い!ヨーロッパでは撮影許可されるほうが多いのだが、日本では大したコレクションでもないのに(ないから?)撮影禁止がほとんどだ。山口県でも、けちけちしたところが多いので残念に思っているし、ここも旧長府博物館時代は撮影禁止だった。何度見てもなにがあったか忘れてしまったものだ。撮影禁止するなら、写真入りの詳しいパンフレットが配布されるなら、大変有難い。今回は開館したばかりだからか、いいパンフレットが配布された。
ただ、今では手軽に自分で写真が撮れる時代だから、好きなものだけ各自が撮影すれば、なにも毎回展示品のカラーパンフレットを作成するのは無駄遣いだろう。いちいち印刷する時代は終わりだろうと思う。今回は開館記念で予算を使えたのだろう。
今回、気が付いたのは、旧長府博物館よりは、はるかに個人蔵の寄託展示が多かったこと。貴重な資料がたくさん見られた。借用料を払っているのかどうか知らないが、常設展の充実は今後も大事だと思う。無料で展示許可を許してくれる有志がたくさん出てほしいものだ。博物館が多くを買い取るのはできない相談だ。英国の博物館はすべて無料展示となっているが、過去の蓄積が素晴らしいのと、寄贈品が大量にあるからだ。その真似は簡単ではないが、できるだけ、有志の貢献を期待したいものだ。貢献者の名前は許されれば明記すべきであろう。そういった開かれた市立歴史博物館になってほしいものだ。
なお、よく日本の公立の博物館がやる海外等から借りてきた、大したこともない資料を高い料金で見せるような儲け仕事だけは下関市立歴史博物館ではやってほしくない!江戸東京博物館など、最近見た腹立たしい施設は単なる貸施設や複製品のオンパレードになっているところが多い。あのような金儲け主義の単なる箱物になってほしくないものだ。国宝功山寺と並んで、素晴らしい品格を保った歴史博物館になってほしい。今回の訪問で、その可能性を感じたので、期待レベルを高くしていいと思った次第。また、次の企画展になったら訪問したい。地方の博物館でこれだけのレベルの本物の資料をずらりと並べている歴史博物館はそう多くはないだろう。複製品の数が本当に少ないのは驚かざるをえない。
国宝功山寺の隣という恵まれた環境に建設されたこの博物館は、長府城下町と合わせて、歴史ファン向きの第一級の観光スポットになるだろうと思う。旧長府博物館閉鎖の間は、この地域の魅力がはっきり言って、相当、落ちていたのだが、これで一気に魅力度が増したと思う。歴史ファンには強力に推薦できる施設となった。
一枚目の写真は当館の所蔵品ではもっとも有名なものの一つであろう坂本龍馬筆の「新政府綱領八策」。ほぼ同じものが国立国会図書館にもある。複数、龍馬自ら用意したもののようだ。
- 旅行の満足度
- 5.0
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一枚目の写真の説明。
1867年11月とあるが、もっと前に用意された可能性があるようだ。「船中八策」はさらに早く6月に書かれたもの。
新政府の方針を8条に簡潔にまとめたもの。
(グーグル・マップでは、新しい下関市立歴史博物館の場所が間違っている。昔の長府博物館の場所表示がでてしまう。なお、口コミでも依然として閉鎖された長府博物館のほうしかでてこない。新しくスタートしたこの下関市立歴史博物館のほうを新規登録しようとしたら、受け付けてくれない。すでに閉鎖された長府博物館のほうに、事情を書いたら表示停止されてしまった。) -
ウィキペディアの説明では、
「第一義では幅広い人材の登用、第二義では有材の人材選用、名ばかりの官役職廃止、第三義では国際条約の議定、第四義では憲法の制定、第五義では両院議会政治の導入、第六義では海軍・陸軍の組織、第七義では御親兵の組織、第八義では金銀物価の交換レートの変更 が述べられている。」となっている。
なお、一坂太郎著「司馬遼太郎が描かなかった幕末 松陰・龍馬・晋作の実像(集英社新書)の議論を参照のこと。 -
国立国会図書館のほうの書もかつて見たことはあるし、ウィキペディアに、写真があるので比較できる。ほとんど同じだ。丸で名前をぼかしたところなども含めて同じ内容だ。
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次。これも龍馬の有名な書。龍馬が11月15日に死ぬ1867年の2月ごろの書。龍馬が下関の伊藤邸で妻のお竜と過ごしていた時代の逸話を伝える。
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龍馬の愛用した携帯用硯。
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龍馬が三吉慎蔵に宛てた次の手紙は有名だ。自分になにかあったら妻のお竜をよろしく頼むというもの。実際、龍馬の死後、三吉慎蔵は下関の伊藤家に住んでいたお竜を高知まで送り届けたそうだ。
なお、当館では坂本龍馬の真筆を8点所蔵している。
この日、撮影禁止だったものの一点は、西郷隆盛が三吉慎蔵にあてて書いた書だ。槍の名人、三吉慎蔵が坂本龍馬を寺田屋で救ってくれたことへのお礼の書だ。残念だが、写真はない。 -
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吉田松陰の手紙は次。
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高杉晋作の書は次。
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久坂玄瑞の書は次
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下関市の長府出身の明治時代の大家、狩野芳崖の長府時代の絵。
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新しい松陰の画像。
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賛は楫取素彦による。
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パリのアンバリッドから借りている大砲。下関戦争で戦利品としてフランス軍が長州軍から没収して持ち帰ったもの。
昔聞いた話の記憶では安倍晋三の父である安倍晋太郎が外務大臣のころ、フランスと交渉して借りたはずだ。 -
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長州軍の砲弾。
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連合国軍側の砲弾。どの国のものかは書いていない。
この1864年8月の下関戦争の後、幕府が長州征伐を1866年6月に行うが、そのころには長州には新式銃のみならず、一部英国製のアームストロング砲などがはいっていたようだ。
以下は私見だが、長州ファイブといわれるロンドン大学留学組の伊藤博文や井上薫らとイギリス領事官のアーネスト・サトウらのやりとりは、下関戦争の講和会議以前から始まっていたのだ。イギリスとの関係づくりは、龍馬や海援隊や薩摩の仲介だけではない部分もあるのだ。
伊藤博文とアーネスト・サトウの緊密な関係作りは日清戦争後もつづいており、両国の関係は日英同盟にまで成長していくことになる。
なお、日露戦争で使用した軍艦はほとんどが強力なアームストロング砲を載せた英国製だったのだ。ロシアの性能が劣る軍艦は敵ではなかった。意外と認識されていないことだが、日露戦争までの日本ではまだ鉄製の軍艦をつくる技術はなかったのだ。英国がヨーロッパから最新の軍艦をかき集めて日本に送り届けてくれたことは知っておきたい。勿論、ロシアが嫌いだった英国の代理戦争をさせられた面があるだろうが。。。伊藤博文は日露戦争突入を避けようと努力してロシアにも乗り込んだりしたのだが、防げなかった。当時の国際情勢の把握は困難だ。小説家あたりの適当な話に巻き込まれないよう注意したいものだ。 -
下関市立歴史博物館の全景
なお、右上の地図の示す位置が新しい下関市立歴史博物館の実際の場所。グーグル・マップも間違っている。旧長府博物館の場所のままになっているが訂正すべきだ。 -
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ここが玄関
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