2016/11/01 - 2016/11/01
272位(同エリア520件中)
susuさん
ANAマイルの期限が来年の5月に迫り、過去最多の90,000マイル程が貯まったので特典航空券を手配することにしました。
90,000マイル、近場ならファーストクラスに乗れる…!でもいざ調べてみると、そもそもFクラスの設定がある路線はかなり限られているようだ。近場のFクラスにするか、そこそこの距離のCクラス(憧れのフルフラットシート!)にするか…あらゆるルートを検討して散々迷った末に、特典航空券を利用するんでなければ今秋にでも行きたかったスリランカを絡めて一挙両得のルートを思い付きました。
しかしF設定のある路線も空席も殆ど見つからなかったので、一部だけをFにすることに。とはいえ目的地に行けてFに乗れさえすれば何でもいいという訳でもなく、狙いは往路で機内食が朝食じゃない時間帯の便。なぜ往路かというとアジア旅行復路の私はグロッキーで食欲ゼロの可能性があるからで、朝食じゃない時間帯なのは言うまでもなくフルコースを満喫してみたいからです。
10/28(金) 成田→シンガポール(Fクラス)
10/29(土) シンガポール→コロンボ(Cクラス)→キャンディ
10/30(日) キャンディ→ピンナワラ象の孤児園→キャンディ
10/31(月) キャンディ→ダンブッラ→シーギリヤ
11/01(火) シーギリヤ→コロンボ
11/02(水) コロンボ→シンガポール(Cクラス)
11/03(木) シンガポール→成田(Cクラス)
往復共に成田~シンガポールはANA、シンガポール~コロンボはシンガポール航空。マイル残高の都合で当初はコロンボ→シンガポールだけY、残りをCで手配していましたが、だいぶ経ってからなんと追加マイル無しで3フライトともCに変更できました。使用マイルは88,500、加えて諸税等で33,630円かかりました。
この時期のスリランカは雨季真っ只中らしいけど構うものか。だってFクラスの航空券が取れたんですよ!
私は航空券予約直後に速攻ルートを決めてそれをそのまま遂行することが多いんですが、今回は時間をかけて検討しては何度も旅程を組み直しました。GW時期の欧州と違って日が短いだろうから、日程を詰めすぎると移動しきれない…雨季で交通事情が悪くなることも考慮しないと。特にシーギリヤに着くのが遅くなったらまずい、野生の象が出るから日が暮れたら外出禁止なんですってよ!当初はヌワラエリヤにも行くつもりでしたが、どう組み直しても時間が足りなかったので諦めました。
スリランカとシンガポール、ファーストクラスとローカルバス。物凄い落差を体感する旅になりました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 バイク
- 航空会社
- ANA シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6時前に起きましたが、結局朝日は見に行きませんでした。支度して7時前に出掛けようと本館の前まで来たら、2階のテラスには朝食を摂る宿泊客の姿が。もう朝食食べられるのかなとレセプションに寄ると、オーナーが顔を出してくれ快く朝食を用意させてくれました。
朝食はフルーツ、トースト4枚(!)、目玉焼き、キリバット(ココナッツミルクで炊いたご飯)、そして紅茶と盛り沢山。これから山に登るのにこんなに食べて大丈夫か?まあ全部は食べられないけど。昨日の大盛りご飯でも思ったけど、どうやらスリランカの人は主食を大量に食べるようです。昔の日本人と同じ。キリバットはグニグニと歯応えが強く、飲み込むのに紅茶が必要な感じでした。 -
朝靄の中を歩いてシーギリヤロックへ。
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イチオシ
シーギリヤロック正面の道の入口には車止めがあって、トゥクトゥクや車は入れないようになっていました。朝靄越しに朝日が差し込む幻想的な一本道をひたすら進みます。靄のせいか湿気が強いせいか、ただ歩いてるだけなのに眼鏡が曇る。
前方に広がるのは、そこらじゅうを飛び回る無数のカゲロウのような羽虫と、それを捕まえる猿たちが乱舞している物凄い光景。この道の両脇はジャングルなので、広くて動きやすいこの道に猿が集まるようです。
羽虫は写真では殆ど見えませんが、視界の範囲だけで数百匹はいそうでした。小さめのトンボくらいの大きさで、蛾のように柔らかそうなボディ。猿にとってはご馳走なんでしょう。 -
お母さんのお腹にギュッとしがみついてる赤ちゃんが可愛い。
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羽虫の発生源は、昨日も発見していたこれらの蟻塚でした。穴からひっきりなしに羽虫が飛び立っていきます。蟻塚の表面は翅のない無数のシロアリ?が這い廻っていておぞましい光景。玄米のような粒が全部そう。
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道沿いには、この辺りで見られるらしい動物の写真と名前が書かれた看板がありました。カラフルな鳥や数種類の猿など。
その中に混じっていた標識のような看板。この道は夕暮れになると野生の象がうろつくらしい。 -
石の段差の向こう側に並んでいる蟻塚から、ひっきりなしに羽虫が飛び立っていました。物凄い光景!写真では全く伝わらないのが残念。画面真ん中あたりの上から下まで広がる葉っぱのようなものが全て羽虫だと思ってくれて間違いないです。
シーギリヤロック正面の道は車やトゥクトゥクは通れないものの、バイクは結構通ります。通りすがりのドライバーと、シンハラ語や日本語で挨拶を交わしながらご機嫌に歩きました。 -
チケットオフィスの手前で、かなり流暢な日本語を話すガイドに声を掛けられました。ガイドが現れないという早朝を狙って来たのに!
若いサーファー風のガイドは語尾に「ね」を付けるりゅうちぇる風の優しい喋り方で、自分の見た目がチャラいことを自覚していて、こういうファッションが好きなだけだと弁解(?)していました。日本人大学生のガイドをすることが多いので言葉遣いも似てくるんだそう。憎めないキャラだし日本語が本当に上手いんだけど、ガイドを付ける気はゼロなので断る。
入場料は4,350Rs(約3,263円)。流石の高額っぷり! -
ガイドは物腰は柔らかいものの断る隙を与えないマシンガンセールストークでしつこくついてきました。間隙を縫って「あなたはいいガイドだと思うけど、私は一人で行きたいから」ときっぱり言っても諦めない。こういうのって大抵理由までちゃんと説明すると諦めてくれるんだけどなあ。
話が終わらないので写真のチケットチェック手前で立ち往生。ガイドは終いには自分のライセンスカードを私に差し出して、別れる時まで預かって欲しいと言いだしました。ガイドの個人情報が裏表に細かく記載されているカードで、「僕も返して貰うのを忘れるかもしれないから、もし持ったまま日本に帰っちゃったらほらこの住所に郵送してね、これがないとガイドが出来なくなるから」と言う。相手に信頼してもらう為にはまず自分が相手を信頼する所からということなのか…。
歩き方にはシーギリヤロックの日本語ガイドは3名と書いてあるし、それから増えていたとしてもここまで流暢な日本語を話すガイドはレアなのかもしれない。ここをうまく断っても、この先別の英語ガイドに次々付き纏われるのかもしれない。最終的に英語ガイドに押し切られるくらいなら、日本語ガイドを確保した方がマシか?
ロックを見た後はどうするのと聞かれたので、一旦宿に戻ってからバスでダンブッラを経由してコロンボに行くと言うと、ダンブッラに寄らなくてもコロンボ行きのバスは近くから出てると教えてくれました。えっそうなんだ。「ロックを見た後バイクで宿に送ってコロンボ行きのバスに乗る所まで面倒見るよ」と言われ、心が揺らぐ。それ良いな…。
でも私もうスリランカルピーは1,000Rsくらいしか持ってないんだよ、USドルも10ドルしか持ってないしと言ったら、日本円でもOKだそう。日本円だと2,500円くらいだけど、小銭はスリランカでは両替できないから…と言われ、上手いなあと思いつつも財布を見て千円札が3枚あることを確認し、「分かった、じゃあもしあなたのガイドが良かったら3,000円払うよ」と答えて商談成立。
3,000円≒4,000Rs。後から歩き方を見返すとシーギリヤロックの日本語ガイドの相場は2,000Rsだそうなので、色々オプションを付けるにしても高めだったかなと思いますが、ロックの入場料が歩き方の情報よりも上がっているようにガイド料も上がっているかもしれないし、ロックの後に宿まで歩いて戻らなくて済むし、宿からバス停までのトゥクトゥク代が浮くし、ダンブッラでバスを乗り換えなくて済むし、ガイドを付けることでここから先他のガイドに纏わりつかれなくて済むし、自分一人では知り得なかったことを知れるので良しとしよう。と自分を納得させました。 -
ガイドは私のことを名前にちゃん付けで呼ぶんですが、私はガイドを付ける気がさらさら無かったので彼の最初の方の話を碌に聞いておらず、名前を覚えていませんでした。結構後になって「ごめん、名前何だっけ」と聞いたら、「ええ~…ガイドの名前忘れるって…」と拗ねながら教えてくれました。ラビというそうです。
ラビに何度か「本当に日本人?中国人に見える」と言われました。時間を置いて何度も言うくらいだからよっぽどそう見えるのかもしれないけど、日本人と中国人の見た目ってそんな明確な違いがあるか?理由を尋ねると、「だって色が白いから」と言われました。…!!!日本人って中国人よりそんなに色黒なイメージなの?!ショック。
でも考えてみると、スリランカに旅行に来るようなアクティブな(?)日本人は日焼けしたタイプが多いのかもしれない。滞在中にも焼けますしね。一方スリランカで見かける中国人観光客の若い女性は、やたら露出の多い格好をしているのに確かになぜか白い人が多い…そして皆揃って前髪無しの長い黒髪で見分けがつかない。おそらくスリランカに観光に来るような中国人は富裕層だろうし、美意識が高いのかも。
私は服装も髪型もタイプも全く違うけど。 -
長い一本道を歩いていくと、正面に高さ195mのシーギリヤロックが見えてきました。敷地はかなり広大です。
道を挟んで右手には溜め池や建物の基礎のような遺跡が広がっていますが、左側はただの原っぱ。左側の土中にも右側と同じような遺跡があるそうですが、未発掘なんだそう。 -
シーギリヤロックは古来から仏教僧達の修験場でしたが、アヌラーダプラ王の父親を殺して王座に就いたカーシャパが5世紀後半にやって来て修行僧を追い出し、王宮を建設しました。
ラビの説明によればカーシャパ王には500人もの妻がおり、このプールで彼女達を遊ばせたそうです。 -
道の脇には水路もあり、このような噴水もありました。上流から水を流すと(雨が降ると?)自動的にこの穴から噴き出すように出来ているそう。
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敷地内にも蟻塚はあり、羽虫はロックのてっぺんまで行ってもそこらじゅうを飛んでいました。ラビにいつもこうなのかと尋ねると、長いこと雨が降らなかった後に昨夜纏まった雨が降ったせいだと言っていました。そこそこ頻繁に雨が降っているならこうはならない、現地の人から見ても結構珍しい現象なんだそうです。へえ~そんな珍しい光景が拝めてラッキー…なのか?っていうか10~11月は雨期らしいのに降ってなかったんだね。そしてその前の日はキャンディで纏まった雨が降ったけど、こっちは降らなかったようだ。
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イチオシ
ほら見えるでしょう羽虫!白いの全部そうですよ。結構大きいので服に紛れ込んだり口に飛び込んできたりしないだけまだマシですが。
ちなみにシーギリヤで生まれ育った人なら全然虫とか平気なのかと思いきや、ラビの反応を見るにそんなこともなさそうでした。 -
ロックの周囲には石窟寺院があります。
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イチオシ
チケットチェックからロックの登り口までは徒歩10分くらい。その手前の道も、ロックに向かって緩やかな上り坂になっているようで所々に階段があります。
階段は近年整備されたものですが、周囲の古いレンガは5世紀当時のものだそう。この写真だと左端の辺りのとか。 -
おおっ…見つけたくなかった看板。シーギリヤロックにスズメバチが出るというのは有名な話です。歩き方にも「季節によっては蜂の巣があるので注意」とか書いてありますが、その季節がいつなのかはどこにも書いていないのだった。そこ重要だろ。
ラビが言うには、蜂は引っ越していて今は居ないらしい。セーフの時期に来られたようで良かった。ちなみにシーギリヤロックでは『中国人観光客が騒いで蜂を刺激して襲われる』というのが定番の光景なんだそう。いつが蜂の時期かは分かりませんが、騒がしくしている団体からはとりあえず距離をとるのが賢明と思われます。 -
写真でよく見る大岩の間の通路。
カーシャパ王はインドに追いやった弟がいずれ自分を倒しに来ると分かっていたので、砦となり得るシーギリヤロックに王宮を建設しました。敵が一気に攻め込めないように、このような狭い通路しかない構造にしたのです。
この狭い通路のお陰か、攻めてきた弟モッガラーナの軍勢を相手に初めは優勢でしたがその後劣勢となり、カーシャパ王は自害しました。狂気の王の夢の王都は11年で幕を閉じ、モッガラーナは王都を元のアヌラーダプラに戻しました。 -
岩の表面が明らかに人為的に剥ぎ取られています。ここにもシーギリヤレディが描かれていたらしい。シーギリヤレディは元々は500人も描かれていたそうですが、現在は18人しか残っていません。
昔それを初めて知った時は「どうしてそんな勿体ないことを」と憤慨しましたが、ラビが言うには王都がここから離れた後に、カーシャパ王に追い出されていた修行僧達が戻って来てびっくり、仏教の聖地なのにそこらじゅうに女性の裸が描かれてる!これじゃ修行にならんということで消されたそうです。そりゃ消されるわ…。 -
ここでは岩を支えるポーズで写真を撮るのが定番らしい。私も勧められましたが、「いやいい、ラビやって」と言ったら「ええ、僕ぅ?!」と戸惑いながら結構ノリノリでやってくれました。
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上から見るとこんな感じ。
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まだロックの表面に辿り着いていませんが、ひたすら階段を上ります。
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一頻り上った所からの景色。なんとここから、私が泊まっているシンハギリヴィラと近所のブッダテンプルが見えました。
気温はそれ程でもないけど階段を上るからそりゃあ暑い、汗が噴き出す。しかしずっと日陰なのでやはり早朝から登って正解だ。昨日ダンブッラで何人かの地元の人に「これからシーギリヤに行く」と話したら「そうなんだ」くらいの反応でしたが、「シーギリヤロックに登るのは今日じゃなくて明日の朝」と話すと「それはいいね!」と急に反応が良くなりました。
ギャッツビーの冷感ウェットティッシュをラビにもあげたら、最初は半信半疑な様子でしたが使ってみると涼しさに驚いて気に入り、お返しにMINTIAをくれました。仲良くなった日本人が色々送ってきてくれるそう。 -
行く手に現れたのは、シーギリヤレディが描かれている壁への道。
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シーギリヤレディを見に行く為だけに、断崖絶壁に螺旋階段が設置されています。一方通行で、上りと下りの2本。
現在残っている18人ののレディは非常に高い位置に描かれていたので修行僧の目に入らず、上の岩がオーバーハングしているお陰で雨による風化を避けられたんでしょうね。
シーギリヤレディは1875年に、双眼鏡でロックを眺めていたイギリス人が発見しました。この螺旋階段は1938年に造られたもので、それまでは竹製の梯子が設置されていたそうです。 -
シーギリヤレディはなんと今年から撮影不可になりました。知った時はショックだったなあ~…元々フラッシュを使わなければ撮影OKだったんですが、フラッシュを焚く輩が後を絶たないので遂に全面禁止になったらしい。ラビによると、これも中国人観光客の仕業だそう。ガイドをしていると色々あるのか、ラビは中国人を嫌っていました。あとインド人も嫌いだそうだけど、これは観光客関係なさそう。南アジアって一纏めでイギリス領にされた後に宗教ごとに別の国に分かれた感じなので、隣国同士の仲が悪いのかも。国民性はどこも人懐っこくて親切で結構似てると思うんですけどね。
シーギリヤレディがある所は金網に囲まれて部屋のようになっています。常駐しているスタッフとアイコンタクトで(カメラ駄目ね)(了解です)というやりとり(?)をしてカメラを仕舞い、シーギリヤレディを眺めました。早朝で空いていたのでじっくり。
シーギリヤレディが何者かというのは諸説あって、天国に住む妖精アプサラとも、上流階級の女性と侍女だとも言われているそうですが、ラビはカーシャパ王の奥さん達だと言っていました。ラビの迷いのない口ぶりからすると、スリランカではその認識一択なのかも。実際奥さんだとすると500人描かれていたというのも納得だし、レディに色々な人種がいるのも納得。肖像画だから。
でもカーシャパ王に奥さんが500人いたとか、レディが元々は500人描かれていたとか、そもそもシーギリヤロックに宮殿を作ったのが誰でどういう事情だったかとか、5世紀当時の史実が詳しく残っていることにびっくり。神話じゃなくて史実なんだろうか?高温多湿のスリランカで書物が残るイメージが湧かない。岩の上の宮殿はイギリス人が見つけるまで1400年間忘れ去られていたらしいし、仏教の修験場だったのも14世紀頃まで。狂気の王カーシャパの伝説はスリランカ人の間で言い伝えられていたそうだけど…う~ん日本でいうと邪馬台国とか竹取物語みたいな存在か?
忘れ去られていたはずの存在なのにやたら詳細なので、どうもシーギリヤロックの伝説は状況証拠から後付けで創られたものに思えてしまう。ロックそのものは放擲されたけど、史実自体はアヌラーダプラの歴史の一部として記録されていたということなのかな。レディ500人というのも、イギリス人が発見した当時はもっと痕跡が残っていたのかもしれない。つい最近、1967年のバンダル人(誰?調べても出てこない)の攻撃で剥がされた壁画もあるということだから。
…と色々考えて調べてみたら、スリランカには『ディーパワンサ』『マハーワンサ』『チューラワンサ』という、2000年以上にわたる歴史を記録した叙事詩や記述が残されているらしい。途切れた部分のない歴史書としては世界最長期間ですって、凄い!それらの内容を裏付ける碑文も各地で見つかっているそう。だからこんな詳細に分かるのかー!スリランカ史ってさては凄いぞ。
シーギリヤレディの部屋の外にもフレスコ画の下地が残っていました。風化して消えたけど、あの辺りにもきっとレディ達が描かれていたんでしょう。 -
下りの螺旋階段を下りると、ミラーウォールの通路に出ます。本当こんな所によくこんなものを作ったよなあ…それもたったの数年で。
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レンガに漆喰を塗り、その上に卵の白身と蜂蜜と石灰を混ぜたものを塗って磨き上げることで、鏡のように反射する壁が造られました。昔は向かいの壁にもシーギリヤレディが描かれていたらしい。
ミラーウォールの表面には例の父・兄・弟の興亡物語の叙事詩や、シーギリヤレディについての詩が彫られています。詩は7~11世紀に彫られたもので、685点もあるとのこと。これのお陰で当時の詳細が分かるんだな。昔のシンハラ文字で現在使われているものとは違い、ラビにも読めないそうです。文字はかなり薄く、浅く彫られていたのでよく解読出来たなあと感心しました。ミラーウォールの表面には昔の観光客が残したらしい落書きもあるので、ますます見え辛い。 -
ミラーウォールを抜けてさらに階段を上ると広場に出ました。
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ラビに言われて振り返ると、ライオンの足だ!ここかー!右に見切れている辺りから登って来ました。
元は前足だけでなくライオンの顔もあり、口の中に向かって階段が延びていたそうです。これがシーギリヤの語源、シンハ(ライオン)ギリヤ(喉)。 -
上の方の岩に蜂の巣が1つだけ残っていました。蜂は留守らしいけど。
広場には蜂から逃れるための小屋があります。 -
一休みしてさらに階段を上ります。
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暫く上ると、隣に同じくらいの高さの山が見えました。ダンブッラの石窟寺院から見るとシーギリヤロックの隣に並んでいた山だな。
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わあー、山頂に人が!何か遺跡のようなものもある。
ピドゥランガラ石窟寺院、こちらもカーシャパ王が造らせたものらしい。
シーギリヤに1泊以上する短期旅行者はあまりいないのかもしれませんが、数日のんびりしてあの山に登ったり動植物を観察したりするのも楽しそうだなと思いました。ジャングルに滞在する機会ってなかなか無いので。 -
大汗掻いて階段を上ります。説明しながら上るラビの方が息が上がっているので、きついけど気分が軽くなって一人で上るよりは楽だったと思います。
岩についている段差は昔のレンガの跡。5世紀当時はどういう状態だったんだろう。ラビは、この岩を毎日上り下りしていたからシーギリヤレディはボンキュッボンなんだと言っていました。ちなみにカーシャパ王は輿に乗って家来に運んでもらっていたらしい。全くいいご身分だよなあぁ~。 -
階段はこのように岩にがっちり設置されています。頑丈で軋んだりしないので安心。
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イチオシ
でも高所恐怖症の人は辛いでしょうね。
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登山口から40分くらいで頂上に到達。あ~疲れた~!
木陰で暫し休んでから本当の頂点へ。この石の上が一番高い所で、ラビ的にはここでこのポーズをとるのが定番らしい。太陽崇拝的な。私も乗らされ手を挙げさせられました。
ちなみに水溜りに沢山浮いているのは羽虫の羽。羽が取れるってことは羽蟻なのかなあ…。 -
頂上の宮殿の跡。この景色を見ていたら「カーシャパ王は幸せだったのかなあ」という、ここに来たら誰もが頭をよぎるだろう疑問が浮かんできました。
ラビにぽつりと漏らすと、「幸せだよ~奥さん500人もいてさあ」とあっさり。だよね~。好き放題贅沢して生きて岩すらも自力で上らず運んで貰って不幸ぶってんじゃねーや、周りに迷惑ばっかり掛けやがってと、苦労してシーギリヤロックを登った身としては思うのだった。
まあそういう変わった権力者がいるお陰で後の世の観光客が楽しめるんですけどね。 -
それにしても天気が良くてよかった。爽快です。
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チケットチェックから延びる一本道が見下ろせました。意外にシーギリヤロックの敷地は周囲のジャングルと見分けが付かないんですね。歩いている時はそこまで木ばっかりの印象は無かったけど、あの大きな貯水池が見えないくらい木が茂っていたとは。
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シンハギリヴィラ(右)とブッダテンプル。
今この瞬間、昨日シーギリヤロックを眺めた舗装道路からは岩の上の私の姿が見えたに違いない。ふと思いましたが、同行者と連絡を取り合って下から写真を撮って貰ったりしたら面白そうですね。 -
ロックの上は広く、水が溜まったプールもありました。昨日の雨のせいかな。ロックの上にいる時に土砂降りに見舞われたら下りる時超おっかないだろうな…。
このプールでも奥さん達を泳がせていたらしい。 -
カーシャパ王はその様子をこのベンチから眺めていたそう。四隅に残る穴は屋根の支柱。
さっきボロクソに書きましたが、カーシャパ王の気持ちが一切分からない訳でもないです。楽しそうに遊ぶ女性達を見ながら、ロックの周囲のジャングルを眺めながら物思いに耽ってたんじゃないかなあ。
カーシャパは平民の母から生まれたため、王族の母から生まれた弟モッガラーナに王位継承権を奪われるのを恐れて実父を脅迫・殺害したと言われています。シーギリヤレディは父の霊を鎮めるために描かせたとも。
ネガティブ思考で自らどんどん後戻りできないドツボに嵌っていったんだと思う。シーギリヤロックで送っていたのは悔恨の日々だったのかもしれない。 -
宮殿の部屋の基礎が残っていました。ここまで建材運ぶの大変だったろうなあ…。
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イチオシ
岩の上にも木陰があります。
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カメレオンがいました。初めて見た、可愛い!しかしラビに教えて貰わなければトカゲだとしか思わなかったかも。
羽虫が射程距離に入るのをじっと待っています。今日は入れ食い状態で良かったね。宿の部屋に一匹いたら蚊帳が要らなくなるだろうな。 -
ライオンの前足を上から見下ろしたところ。
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広場に下りてロックを見上げると、岩の表面に刻みのような跡があることに気が付きました。もしかして昔はこれを手掛かりに岩をよじ登ったのか…?!
ラビに聞くと私がそう考えたことはお見通しのようで、そうじゃなくてこれがライオンの顔を形作っていたレンガの跡だよと教えてくれました。なるほどね~! -
ロックを下りながらラビとお喋り。コロンボに行かないで今夜蛍を見に行こうよ~と誘ってくれましたが、明日の午前便で帰国だから無理だと言ったら、コロンボに着いたらLINE送ってよとIDを教えてくれました(口頭だから忘れちゃったけど)。しかしラビは日本人のLINE友達が140人もいるそうで、最初に私が名乗った時に「その名前の日本人女性に会うの4人目」と言われていたので、私が送ってもどの人だか分からないんじゃないと言ったら、「実は…」と身の上話を始めました。
ラビは実は私と同じ名前の日本人女性の1人と3年半も付き合っていて、女性が航空券代を出してくれてタイで会ったりしていたそうです。しかしある日、女性が長風呂している間に彼女が撮った写真を見せて貰っていたら、なんと彼女自身の結婚式の写真があったんだそうな。3年半も付き合っていたのに、実は女性はそれより前から既婚者だったのでした。うわあ~!!途中でオチが分かってしまうベタな悲劇!と思わず爆笑してしまいましたが。ラビは真剣そのものでガチで落ち込んでいました。笑って悪かったよ…。それで諦めたのが今年の話らしい。その女性の写真を見せて貰いましたが、メイクばっちりの美女でなんか納得。悪い〇〇(私の名前)だな~。旦那さんに隠れて海外で男に会うって凄いな、しかも相手の分までチケット代払って。
ラビは相当トラウマになっているようで、私のことも「本当に独身なの?」と何度も何度も疑ってきました。日本人女性が信用できなくなってるんだなあ、気の毒に…。 -
イチオシ
帰り道では沢山の観光客とすれ違いました。やっぱり朝一番の空いている時間帯に行って正解だった。
ラビはシーギリヤにゲストハウスを建てる予定で、宿の名前を何にするか悩んでいました。いくつか案があり、1つはジャングルが舞台のアニメの主人公の名前からとって「モグリ」が付くそう。ヨーロッパ人にその話をすると「可愛い名前ね!」言って貰えるそうですが、日本人に話すとピンとこないというか微妙な反応らしい。今調べてみたらそのアニメは『ジャングル・ブック』で主人公はモグリじゃなくてモーグリのようですが、日本ではあんまり認知されてないかもなあ。実写版が今年公開されてるからタイトルだけは知ってるけど。
私は最近ちょうど図書館で手塚治虫の「ブラック・ジャック」を借りて読み返していたところだったので、ついモグリは日本語でも同じ発音の言葉がある、No Licenseという意味だと(全く余計なことを)言ってしまいました。「そうなの?!」というラビの反応を見て慌てて「でもその名前だから泊まるのを止めるっていう日本人はいないよ」とフォローしましたが、ラビは考え込んでしまいました。あー本当余計な事を言ってしまった…。
名前は何になるか分かりませんが、ラビのゲストハウスはシーギリヤのどこかバス停の近くにオープンするそうです。いつだろう。 -
敷地と外との境目にある蓮の水路。昔はここにワニがいたそうです。今も濁った水中には得体の知れない藻のようなものが漂っていて、不気味。
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チケットオフィスの辺りまで戻ってくると、脇道の先にシーギリヤ博物館があることに気が付きました。シーギリヤロックのチケットで入場できます。日本の援助で出来たらしいし、シーギリヤレディのレプリカがあるそうなので行きたかったんだ。
ラビは「管理がちゃんとしてないし中に大したものは無い、シーギリヤレディのレプリカ?無いよ」と明らかにお薦めしなさげでしたが、単に時間を取られるのが嫌なんだろうなという様子が見て取れたので別行動して入ってきました。ラビは早く私をジュエリーショップやスパイスガーデンに連れていきたいんだよ。 -
建物に入ってすぐの所にシーギリヤレディの模写が飾られていました。ほら、レプリカもありそうじゃん。
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壁に貼られていたプレート。これを見られただけでもこの建物に入った甲斐があるというものだ。別のプレートには福田康夫元首相の名前が記されていました。その2009年の時点で既に「前首相」でしたが、博物館開館の際に立ち会われたようです。
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1階にはシーギリヤロックが再発見された後のモノクロ写真が展示されていました。
なんと、1938年にシーギリヤレディを模写していた日本人がいたらしい!テツロー・スギモト…杉本哲郎、世界中の宗教画を研究・模写していた日本画家だそう。戦前に日本人がセイロンに行っていたなんて考えたこともなかった。 -
順路に従って2階に上がると、壁にシーギリヤレディのレプリカが展示されていました!ほーらやっぱり!
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配置も岩の凹凸も、ついさっき見た本物の通り。下書きが残って手が3つあるものなど、全て再現されていました。実物より明るい所にあるので多少雰囲気は異なりますが、細かいことはいいんだよ。
とにかくレプリカでもいいから写真を撮りたかったのよ!ここぞとばかりに撮りまくり。 -
しかも同じタイミングで日本語ガイドと3人の観光客が見学していたので、上でラビがしていたのと同じ説明がもう1回聞けました。
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いやー満足。博物館の建物自体はラビの言う通り管理がいまいちなのか、早くも老朽化しつつあるようでした。熱帯で建物を保つのって難しいのかもなあ。エアコンは効いています。
別の部屋には周辺で出土した土器などが展示されていてそちらは写真撮影禁止でしたが、ライトアップにも気を遣っていて普通の綺麗な博物館のようでした。ラビは良い出土品は全部コロンボとかに運ばれてるからここには碌なものがないとか言ってたけど、そんな事ないわ。コロンボの博物館はさらに凄いのかもしれないけど。 -
極めつけに、出口の所に世界中の子供達が描いた「ライオンの入口想像図」が飾られていました。良いねえ~!しかし後から考えてみるとこの発想は日本的に思える。もしや運営にも日本が関わってるのかな。
肝心の口が開いてない(口の中に階段が延びていない)絵ばっかりなんだけど、心が温かくなりました。
いやーラビの反対(という程強引ではない誘導)を押し切って博物館に行って良かった。一人旅なのに人の意見に流されて行きたい所を諦めるとか有り得ない。絶対後悔しますからね。 -
バイクを用意して待ってくれていたラビと合流して、シンハギリヴィラへ。現在時刻は9時半、シャワーを浴びてまた出てくるのは何時になるか聞かれて11時と答えたら「ええー」と顰蹙を買ったのでじゃあ10時半でいいよと訂正するも、「どうしてそんなに時間がかかるの、やっぱり部屋で彼氏が待ってるんじゃないの」とかなり真剣に疑われる。ぶっは!(爆笑)彼氏と一緒に来てるのにシーギリヤロックに一人で登る奴があるか。シャワー浴びてさっぱりしたらエアコン効いた部屋でちょっとくらいはリラックスしたいんだよ。
今後ラビが女性を心から信頼出来るようになる日は来るんだろうか? -
帰り道では行きに乱舞していた猿は殆どおらず、代わりになんと小さいコモドドラゴンのようなトカゲがノソノソ歩いており、ラビがバイクを停めて写真を撮らせてくれました。何これー!!50cmはあると思う。スリランカのポテンシャル半端ないな。
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宿に戻ってシャワーを浴び、日記を書いて少し部屋で寛ぎ、折角さっぱりしたけど未洗濯の服をバックパックに仕舞うくらいなら着替えないに限るので汗でビッショビショの服をまた着て、昨日の夕食の清算をしてチェックアウト。
宿から少し離れた待ち合わせ場所に、ラビはなんとバイクではなく借りてきたワゴン車で迎えに来てくれました。助かるー!さっきバイクの後ろに乗せて貰った時に、バックバック背負って長距離乗ったら落っこちるかもなあと感じていたので。 -
ラビがジュエリーショップの前からバスに乗れると言うので、しぶしぶ連れていかれました。行くけど、私がうっかり買うと思うなよ。昨日ダンブッラのトゥクトゥクドライバーにスパイスガーデンやジュエリーショップへ勧誘された話をしたら「そういうのに着いて行ったらダメだよ」と言ってきたのに、自分が連れて行くんかい。
幹線道路沿いにある大きなジュエリーショップに入ると、エアコンがキンキンに効いた視聴覚室(?)で日本語のDVDを見せられました。ここ最近ボロブドゥール、カウナスと旅先で日本語のビデオを見る機会が何度かありましたが、ここシーギリヤのビデオはなんとナレーターがスリランカ人でした。カタコト気味ながら間違ったところのない日本語なので日本人の監修が入ってると思うけど、凄いな。
穴を掘って宝石を採掘するまでを紹介しているDVDでした。宝石が出る所に特に目印もないだろうに、ジャングルの中の原っぱの適当な所に穴を掘り、砂利の層に達したらそこから横穴を伸ばします。地下水が漏れ出る土壁を木の枠とバナナの葉で覆い、砂利を笊に乗せて引き揚げては、汲み上げた地下水で洗う。
作業は過酷ですが、掘る位置に関してはある程度どこを掘っても出てくるのかな~という印象でした。スリランカは宝の島だな。掘るにはやっぱり国とかの許可がいるのかな。辺鄙な所ならこっそり掘ってもなかなかバレなさそうだけど…。 -
映像を見た後は、日本語を話すスタッフがやって来て館内にある展示を案内してくれました。
映像で見たのと全く同じ、採掘場のレプリカ。横穴のトンネルもありましたが、立って歩ける高さだったので実物はもっと窮屈なんだろうなと思いました。 -
宝石を研磨する作業や、指輪の土台を加工している所も見られました。受注票のような物もあり、ここの見学者が注文した商品のようです。
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順路の最後は、かなり広く洗練された雰囲気のジュエリーショップ。
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安い石もあるので、物によっては数百~数千円台から買えるようです。私も全く興味がない訳ではないけど、実物を持っていても宝の持ち腐れなので写真で十分。
色々勧めてくれるスタッフには「スリランカの文化としての宝石採掘には興味があるけど、宝石は要らない」とはっきり言ったら、それ以上しつこくされませんでした。 -
イチオシ
めっちゃ綺麗なトイレを借り、ジュエリーショップの外へ。目の前のこの道からコロンボ行きのバスが走ってくるそう。ラビにバス停はどこ?と聞いたら、バス停じゃなくても合図すれば停まってくれるそうです。
この段階でラビにライセンスカードを返し(何度も別行動したのに私に預けっぱなしでした)、ガイド代の3,000円を払いました。初めに「”もし”あなたのガイドが良かったら」と言っていたお陰もあってか、ラビは「本当にいいの?」と殊勝な態度でした。うん、いいガイドだったし楽しかったよ。
ラビに加えてジュエリーショップのスタッフ2人も道に出てきて、目当てのバスを見つけ停めるのを手伝ってくれました。ジュエリーショップの日本語スタッフはラビと知り合いで(ほぼ毎日客を連れてきているので当然か)、ラビとは別の日本語学校に通っていたそう。ラビと2人で「スリランカの男性はどうか」と聞いてきたので、「カッコいい人が多いよね」と言ったら笑っていました。でも正直、『スリランカ人イケメン男性』よりも『スリランカ人美女・美少女』の方が沢山見た気がします。 -
「あれだ、コロンボ行きのバス!」と3人が停めてくれたバスに大急ぎで乗り込み、手を振る間もなく発車。トリンコマリー発コロンボ行き、島の端から端・東北から南西へ斜めに突っ切る長距離バス。後から隣に移動してきた人(これまたサーファー風スリランカ人)はトリンコマリーから乗っているそうで、スマホでビーチの写真を見せてくれました。
大音量でS(Sri lankan)-POPが流れる車内は満席。バスが混んでいたらダンブッラで乗り換えるようにとラビに勧められていましたが、ダンブッラに着く前に一番後ろの席になんとか座れました。コロンボまでの運賃は300Rs(約225円)。 -
車内最後部、通路の突き当たりの席は前が広くてなかなか快適でしたが、1時間程経つと隣の人が降りたので窓際へ。
なんだかんだで3回も通り、道中にあるものをなんとなく覚えてしまったコロンボ~キャンディ間とは違う、目新しい景色を楽しみました。3日前の最初のバス移動こそ地獄でしたが、それ以降はノーマルバスでも普通に快適。空腹状態で乗ってるのが良いのかも。
雨季のせいかいつもなのか、道中の川はどこもコーヒー牛乳のような色をしていました。栄養分豊かっぽくて作物がよく育ちそう。 -
トリンコマリー~コロンボは所要8時間もあるので、途中でトイレ休憩がありました。
停車中、向こうのレストランの看板にA safe place a safe foodと書いてあるのが気になりました。元々何も心配してないのに、敢えて安全を強調されると逆に不安が生まれるんだけど…。この店の売りがsafeなら他はどうなんだっていう。 -
途中、短距離を乗る学生さん達が何度か乗り降りしました。男の子も女の子も、小さい子も大きい子も皆とても清潔な白い制服を着ています。乾けば土埃、雨が降れば泥濘のスリランカでこれだけ白い制服をキープするのは大変だと思う。ちょっとその辺に座ったり転んだりしてもアウト。白い服はスリランカ仏教徒にとっての礼服ですが、振舞いを洗練させる狙いもあるのかもしれない。
スリランカの人達はとても暖かで、目が合うと大抵の人が微笑みかけてくれました。そうして微笑みを交わしただけの人がバスを降りる時に車窓の私に手を振ってくれたりして、とても爽やか。見えなくなるまで手を振り合いました。
これだから南アジアは大好き! -
バイク屋さんでトゥクトゥクを売っているらしい、116,000Rs(約87,000円)。
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コロンボの手前に、トタン屋根に覆われた広大なスラム街のような一帯がありました。
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シーギリヤから4時間半、16時頃にコロンボ・ペター地区の民営バスターミナルに到着。明日乗る空港行きのエアポートバスもこの辺りから出るはず。
建築中らしいあのタワーは何だろう。調べてみるとロータス・タワーというらしい。スリランカの国花であり文化の象徴である蓮をモチーフにした、高さ350mの超高層タワー。スリランカで最も高い建築物として2017年10月完成予定だそう。 -
声を掛けてくれたトゥクトゥクに乗ってペター地区のポートビューシティホテルへ、220Rs(約165円)。バスターミナルから距離的には近いんですが、道が一方通行だったりで遠回りになりました。
シャッター閉まってる!と思ったら入口は右の見切れている扉でした。 -
今旅一番のホテルらしいホテル。Hotels.comで予約してバストイレ朝食付きで5,100円(だけどHotels.comの10泊貯めたら1泊無料を利用して4,641円引きになり、税・サービス料510円を足して支払額は969円)。
コロンボのホテルは結構どこも高いです。高いことで有名らしい。ペター地区は日が暮れてからの女性の一人歩きが推奨されていないこともあって、本当はフォート地区あたりに泊まるべきだったのかもしれませんが、私がコロンボで唯一見たい観光スポットはペター地区にあって、他のエリアに泊まったらわざわざトゥクトゥクに乗ってまで見に行かないだろうと思ったのでペター地区に泊まることにしました。
部屋にはテレビがあり、見たかったけどルーターの電源の入れ方が分からなかったので諦めました。見ようとしたのがシャワーを浴びてよし寛ぐかという時だったので、フロントまで聞きに行くのが面倒だった。
新しい建物のようで、シャワーブースもトイレもとても清潔でした。
翌日のチェックアウト間際に、バスルームに小さい蟻の行列が出来ていることに気が付きましたが、まあそのくらい。 -
早速街歩きに出掛けました。道を渡りたいけど、交通量が物凄くて全然無理。とりあえず道なりに西へ。
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昼間に雨が降ったようで、かなり水溜りが出来ていました。
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何やらコロニアルな建物が。オールドタウンホール…旧町役場?(その訳でいいのか?)
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イチオシ
コロンボ市民の台所、全体が商業地区のペターは聞きしに勝る混沌っぷりでした。どこに行っても車通りが多く、人が多く、しかし観光客はおらず、ここまで地元の人で混雑したエリアは私は初体験だと思います。来る前はデリーのパハールガンジをイメージしていましたが、全く違いました。例えるならお祭りに近い混雑っぷりだけど、祭りなら車は入ってこないから。
地元の人々はとても感じが良く、目が合うとニコッとしてくれ、どこから来たの?と話しかけてくれます。これまで廻ってきた地方以上にローカルな雰囲気でした。まあ地方とはいえ超が付くレベルの観光地ばかりだから、観光地じゃないペター地区の方がローカルなのは当たり前なんだけど。
そんな混沌の中を道に迷って歩き回り、前方に目当ての建物が見えた時には思わず歓声を上げました。 -
イチオシ
ああああ~なんて綺麗なんだ…!!ジャミウルアルファーモスク、1909年に建造されたコロンボ最古のモスクです。
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入口からムスリムの方が続々中に入っていきます。仏教国のスリランカですが、イスラム教徒も結構いらっしゃるんですね。男性は服装では仏教徒と全く見分けがつきません。
ペター地区自体そもそも観光客が少ないエリアだし、モスクの中に観光客らしい姿は全く見えない。スマホに画像を入れてきたはずの歩き方のページが、なぜかこのモスクの部分を飛ばしてしまっていたようで情報が分からず、このモスクは観光客が入れるんだっけ?と戸惑う。いやー旅行記を見た覚えがあるから入れるはず…でも全然そんな雰囲気じゃないぞ…と入口の脇から中を覗き込んでマゴマゴしていたら、入ってすぐの所にある靴預り所のスタッフが笑顔で手招きしてくれました。ああ~ありがとうございます~!
入ってすぐの所に足や手、口を清める場所がありました。 -
内部も外観と同じデザイン。なんて可愛いんだ…。こんなデザインのモスクが他にあるか?モスクじゃなくても見たことないよ。
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お祈りの部屋。流石にここの写真はまずいか~…?カメラを恐る恐る構えて入口にいた警察官(スリランカは結構色々な所で警察官が警備?をしていました)の様子を伺うと、私を見てニコニコしていました。OKらしい。なんだか外国人観光客がモスクに来ることが、微笑ましいというか誇らしいと感じているような雰囲気。スリランカって凄い…観光客が全然いないモスクですらアウェイ感が無いとは。
ちなみに一帯には完全に男性しかいませんでした。女性用の入口は別にありそう。 -
あまりウロウロするのも申し訳ないので、1階を少し見ただけで出ました。靴預り所のスタッフは、私が日本人だと分かると「来年船のエージェントとして日本に行くんだ、夢が叶うよ!」と嬉しそうに語ってくれて、私まで嬉しくなりました。日本に行くのが夢だと言ってくれるなんて嬉しい。
スタッフの男性(左に写っている人ではない)が「見て見て!」とアピールしていたのは、靴預り所の頭上に嵌め込まれていたプレート。建築家らしき名前と着工の?年号が書かれています。 -
モスクの正面はこんな感じ。商業地区の狭い路地に建っているのです。
ペター地区をかなり歩き回りましたが、小さい商店ばかりでスーパーが全くありませんでした。後から考えると問屋街のような所だから当たり前なんだけど、お土産を買う所が見つけられず途方に暮れる。
業務用らしき大袋のお菓子を扱う店にいくつか入ってみましたが、マレーシア製やインド製のお菓子ばかり。う~ん…スリランカってあんまり市販のお菓子を製造していないんだろうか? -
結局スリランカでは、キリテ(ミルクティー)を売るお店を1軒も見つけられませんでした。屋台も移動販売も一切。滅茶苦茶楽しみにしてたのになあ~…ネパール、インド、パキスタンのチャイと比較してみたかった。スリランカでは色々な物を食べ損ねましたが、これが一番ショックです。キリテの為にいつかリベンジするべきか…でもどこに行けば見つけられるのか見当もつかないんだよなあ。キャンディでも見つけられなかったし、庶民の街ペターでも見つからないとなると、どこならあるのか?人に尋ねたりすれば良かったのかなあ…。
キリテ屋さんが無い代わりに、あちこちにフルーツジュース屋さんがありました。今時のスリランカ人は、暑い中熱いキリテなんか飲まないで氷入りのフルーツジュースを嗜むのが普通なのかもしれない。 -
馴染みのない名前の果物に惹かれてウッドアップルジュース(100Rs≒75円)を注文したら、コーヒーフロートのような予想外のドリンクが出てきて目が点になりました。これ、ピンナワラに行く前に入ったバスターミナルのジュース屋さんで隣に座ったご夫婦が飲んでたな。
味は梅?梅干し??予想外に酸っぱい。アイスが酸味を和らげてくれて丁度いい感じ。ウッドアップルジュースとアイスは常にセットなのかもしれません。 -
椅子しかない狭い店内ですが、地元の人でかなり混雑していました。
なぜか(食欲を減退させる)青い照明の店内で、スリランカスイーツを眺めながら美味しくジュースを頂きました。 -
別の道を歩いていたら、なんとジャミウルアルファーモスクの別の入口を発見。写真左手の道の先の角を曲がると、さっき私が入った入口のある面があります。
まずこのモスクがあって、後から周囲に色々な建物がくっ付けられて街が出来たのかな? -
これってもしかして、カード? スリランカ名物の水牛のヨーグルト。
お店のおじさんに確認すると、確かにカードだそう。あ~食べたかったんだこれ!滑らかで濃厚で、キトゥルパニというヤシの蜜を掛けるとさらに美味しいらしい。
値段を尋ねると、1ルピーだと言う。そんなまさか!! 1g=1Rsという意味に違いない。でもこれ1つで500gとか1kgとかあるよなあ…どう考えても食べきれない…。泣く泣く諦めました。
後から旅行の写真を見返していて初めて気が付きましたが、カードはフレッシュジュース屋さんやレストランのメニューにありました。 -
さらに混沌としていたので、遠くから眺めるだけにしておいたバザール。多分ここがペター地区のメインストリート、ボーディラジャ・マーワタの辺り。
-
MAPS.MEの地図にショッピングモールらしき建物が表示されていたので行ってみました。
うーん、なんか違うっぽい。1階に個人商店が入っていて、2階には何やら在庫?が詰め込まれてるのが外から見える…。 -
諦めてホテルに帰りましたが、ホテル(高い建物)の前の道の車通りが多すぎて全然渡れない!写真右手が信号のない(いやそもそもペター地区に信号など無い。スリランカで信号を見たのは空港に行く途中の高速道路の入口?だけだと思う)丁字路で、絶え間なく車が曲がってくる。
私が立ち往生している背後の鳥籠屋?の店員さんが「向こうの歩道までジャンプするんだ!」とか「あのホテルに泊まってるの?もう帰れないからここの歩道で寝るしかないな」とかからかってきましたが、最終的には「ついてきて!」と先導して道を渡らせてくれました。ありがとう!
明日はすぐ近くのバスターミナルまで歩くつもりでしたが、この道を渡れないんじゃあ無理だ。トゥクトゥクで行こう。 -
立ち往生している間に、上の写真右手の見切れている辺りにお菓子の問屋さんを発見。ホテルに帰る前に立ち寄り覗いてみたら、お店の人が声を掛けてくれました。なんと日本に住んでいたことがあるという店員さんが2人もいてびっくり!
スリランカ製のキャンディが欲しいと言うと、この棚のがそうだよと教えてくれました。あった~!スリランカ製のお菓子!!しかしラベルをよく見るとどこ製か書いてない。もう美味しそうなら何でもいいよと思って買いましたが、シンハラ語が書いてあるのでやっぱりスリランカ製のようです。よかった。
商店をやっている人が買って1個2Rs(約1.5円)で売るらしいトフィー(250Rs≒188円)と、お店の人が勧めてくれたミックスフルーツネクター(50Rs≒38円)を購入しました。トフィーは脆いキャラメルのようで、濃厚でとっても美味しい!お土産として好評でした。ミックスフルーツネクターは砂糖も入っているようですが、これまた濃厚で美味しかったです。
ホテルに戻り、レセプションのスタッフに近くにスーパーはあるか尋ねると、トゥクトゥクで10分くらいの所にあるそう。ああ~……諦めよう。スタッフが「欲しいものがあるなら買ってこようか?」と言ってくれましたが、自分で見て回りたいので断ってしまいました。
ネクターとキャンディ(地名の方)で買った豆などで夕食を済ませ、あとは部屋で過ごしました。服を洗濯したら、水が黒い!長距離バス移動の土埃か。もう手がガサガサというかカピカピ。旅行中はなぜか湿度の高い所でも手荒れするんだよなあ、日本では冬でも手荒れ知らずなのに。
部屋には天井に近い位置に窓があって、椅子に上りでもしないと外が見えないんですが、暗くならないうちに雷鳴が轟き始め、土砂降りの物凄い音が聞こえてきました。わあ~早めにホテルに帰って良かった…。外にいる人が心配になる程の雷雨は、21時過ぎに私が寝る頃になっても続いていました。明日の朝大丈夫かなあ?
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