2016/11/08 - 2016/11/09
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LP1989さん
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沖縄デビューで ここは絶対に行くと決めていた首里城跡。
予想外に早い日没で、日を跨いでの見学となった。
要所要所が。第2次世界大戦で消失〔大破〕してしまったため、
遺構そのものではなく、復元〔修復〕を経た姿で現存する。
「遺構か?復元か?」の違いは 抜きにして、
本土とは別世界の 琉球王朝の軌跡を辿ってみた。
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首里城内で最初に接近したのは久慶門
一刻も早く、首里城に入りたかったので、
守礼門の方まで回らず、
ショートカットする形で県道49号線を南進した。 -
首里城公園敷地の進入口辺りにある 「甦る首里城の碑」
-
守礼門
やはり、ここから登城開始しないとね。 -
扁額に記された文字は、「守禮之邦」
「琉球は礼節を重んじる国である」の意。 -
先ずは、歓会門
字の通り、来訪者(主に冊封使を指す)を歓迎する門。
正門に相応しく、 沖縄仕様の石造アーチ門。 -
歓会門の右下のシーサー(左側にも居る)
-
瑞泉門へのアプローチ
今回、登城した中で
この瑞泉門に通じる上り階段が、
城内最大級のアップダウンだった。
丘陵地ならではの高低差を実感し、
奥の漏刻門とセットで捉える この場所は、
個人的に気に入ったポイント。 -
気に入った場所なので、夜の様子も。
-
(瑞泉門の)瑞泉 = 立派な めでたい泉。
その泉は、門に向かう上り段の右手にある・・・ -
龍樋(りゅうひ)
王族は、この湧水を飲料水として大切にした。
また、明からの冊封使が来ていたときは、
約4km西の宿泊地「天使館」まで、水を届けたという。 -
漏刻門
門の形状は、赤い櫓が乗っかっており、
瑞泉門に似ているが、門までのアプローチが違う。
櫓の中に水槽を設け、水が漏れる量で
時刻を計ったのが名前の由来。 -
漏刻門から広福門付近を覗く
広福門や北殿の赤が強烈。 -
広福門前のスペースから、那覇港方面の北方向を見下ろす。
世界遺産として登録された首里城跡は、
復元された数々の門、建物の集合体を指すのではなく、
丘陵地に広大な敷地を誇る城跡としての全体空間を指す。
この位置に居ると その城跡たる性質・スケールを実感できる。 -
日影台
漏刻門を通り抜けた先にある日時計。
水時計の補助的約役割を果たした。 -
供屋
一応、復元したが、かつての用途は不明のまま。 -
供屋内に吊るされた鐘 「万国津梁の鐘」
但し、これはレプリカで 実物は 県立博物館にある。
万国津梁(しんりょう)= 世界の架け橋。
鐘の表面には、琉球王国は南海の美しい国であり、
朝鮮、中国と日本の間にあって、船を万国の架け橋とし、
貿易によって栄える国であるという主旨の銘文を刻んで、
海洋王国としての誇らしい心意気を示している。 -
広福門は、間近で見ると地味な外観だが、
赤くて、幅が広いので、ゆいレールの車窓や龍潭付近から よく目立つ。
門を入った左側が券売所。WAONでも 支払いできるのがいいね~。 -
首里森御嶽(すいむいうたき)
国王が城外の寺社に出掛けるときに
この御嶽で祈りを捧げ、
神女たちが多くの儀礼を行なったとされる。 -
系図座・用物座
簡単に言ってしまえば、琉球王国の資料を管理する場所。
現在は、休憩所。
正殿内で大勢の修学旅行生と一緒になりたくないので、
ここで時間調整することに。 -
日没が近い時間なんだけど 暑いわ~。
たまらず、沖縄仕様のファンタで 喉を潤した。 -
首里城内のトイレの蛇口は シーサーになっている。
-
正殿前の御庭に通じる奉神門
三つある門うちの中央の門が、
国王や身分の高い人だけが通れる門。
現在は、中央の門が 有料ゾーンへの入場口。
ここから先は、入場券がないと入れない。 -
奉神門から、御庭正殿の中心を見据える。
中央の正殿に通じるストライプになっていないゾーンは、「浮道」
浮道を通るのは、国王 冊封使 等 限られた人だけ。 -
正殿前に構える正殿大龍柱
-
南殿から入場し、色々と内覧
(撮影禁止ゾーンの見学を経て)書院へ。
書院は、国王が日常の執務を行なう場所だが、
冊封使や薩摩の役人を接待することもあった。 -
この御書院は、国王の執務スペースそのもの。
外観が 中国的仕様の首里城にあって、
ここは、日本色たっぷりのゾーン。 -
書院の外の庭園
-
奥書院
国王が執務の合間に休息した部屋。
2014年に完成したばかりなので、ピカピカ -
(正殿内部へ)
南殿は南殿、正殿は正殿という具合で
その都度 出入りするのかと思いきや、
下足を手にしたまま、一気に周るわけね。 -
御差床(うさすか)
これは一目瞭然、国王の居る王座。
上部には、三つの扁額が並ぶ。 -
右側の扁額
残念ながら、読めない。当然、意味も解らない。 -
王座の真上にある中央の扁額
三枚とも中国から贈られたらしい。 -
左側の扁額
各扁額の 読み 意味 筆者を
解説するサイトもあるようだが、
ここで 無責任な流用・引用は避ける。 -
王座を正面から。
ここでも、対の龍の柱(=金龍柱)が 中央に構える。
これらの龍は 蝋燭(ろうそく)台なんだって。
あちこちに龍の姿があるのは、竜党の私にとっては結構なこと。 -
首里城正殿構造模型
10分の1サイズとされているが、
何か、小さい気がするな~。 -
正殿1階の御差床
(王座のある)2階の真下に位置する。
国王は背後の専用階段で 2階と1階を行き来する。 -
正殿1階の床面でガラス越しに見る貴重な遺構。
首里城正殿の石積み。
この遺構を保護するために
現存正殿は、70cm かさ上げして建てられている。 -
南殿から正殿まで、内覧している間に
日が落ちて、外は真っ暗になっていた。 -
北殿
王府の行政施設として、役人が詰めていた。
現在は、模型やパネルによる展示スペース。
沖縄サミットのときは、晩餐会に使われた。 -
南殿・番所(見学後ながら、外観を収める。)
南殿内で目を引いたのは、
国王の死後、描かれた肖像画 「御後絵(おごえ)」
(実物は、第2次大戦で消失したため、モノクロ写真)が
尚円王から尚育王までの10代に渡り、展示されていた。
また、黄金御殿内での企画展「異国人のみた琉球」では
ペリーが 1853年以降、5度にわたり、琉球に来航した事実、
そのとき、半ば強引に首里城を訪れた様子等を知ることとなった。 -
淑順門
通り抜けできないらしい。
翌朝、首里城を再訪したときに もう一度 来たかったのだが、
順路の都合上、淑順門方面へ逆行できず、初日の帰り道の暗闇ショットのみ。 -
右掖門(うえきもん)
国王の親族や女官の生活の場であった正殿裏側のエリア(御内原)へと通じる門。
順路の都合上、有料ゾーン(正殿・御庭)からの退場口に当たるため、
淑順門同様に 翌朝、逆行して近付くことができなかった。 残念。 -
ライトアップされた守礼門
人ひとり居ないのは奇跡的。 -
一夜明けて、
2日目の玉陵、首里城再訪の途、
龍潭越しに見る正殿付近。 -
首里城公園の南東にある森のような空間は、
「京の内」と呼ばれる信仰上の聖域空間。
このゾーンでは、聞得大君という神女組織が、
国王万歳、王家繁栄、航海安全、
五穀豊穣などを祈ったという。 -
京の内の東端あたりにも石造アーチ門がある。
-
首里城公園の一角、琉球王国の聖域空間とはいえ、ここは草むら。
ハブが出て来ても おかしくないのでは? -
うわっ! やっぱり 出るんかい。
注意書きのハブのイラストは、穏やかに見える。
もう少し、警告調にした方がいいんじゃないの? -
城郭の西端にある展望台、「西(いり)のアザナ」より、
那覇港方面を望む。慶良間諸島まで見えるらしいが、
海面を確認するのが精一杯だな。 -
ついでに 西のアザナから、
正殿の方も、振り返ってみた。
やはり、赤い外観は目立つ。 -
木曳門(こびきもん)
今回の旅で すっかり御馴染みの石造アーチの門だが
城内の他の門に比べ、飾り気がない。
それもそのはず、この門は、
首里城の建設、メンテナンスのための資材搬入口だった。 -
園比屋武御嶽石門の脇から、円鑑池の西へ抜ける道中、
旧日本軍、第32軍の司令部壕が掘られたことを伝える案内板。 -
平面図 及び 断面図から、
軍の重要機関が首里城の真下にあったことが判る。
これでは、首里城付近が砲撃のターゲットにされる。
首里城 及び 周囲の文化財群を見学する度に
「先の大戦で 焼失した 破壊された・・・」の文言を目にする所以。
遺構として現存する箇所は限りなく少ないが、
見事に復元された首里城跡の全体構成には大いに満足。
貴重な沖縄デビューとなった。
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