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首里城とセットで訪れた遺跡を この旅行記にまとまめました。<br /><br />訪れた順に<br />1.円覚寺跡(放生橋のレリーフが国指定重要文化財)<br />2.円鑑池、弁財天堂<br />3.園比屋武御嶽石門(国指定重要文化財、世界遺産)<br />4.玉陵(国指定重要文化財、世界遺産)<br /><br />首里城跡 及び 各文化財を巡っていると、<br />御嶽(うたき)等、読みや意味が難解な単語に出会う。<br />琉球王朝の基本的要素を 予め、頭に入れていなかったので、<br />現地の案内書きや、リーフレットの解説を読むにあたり、<br />スマホで あれこれと調べることになる。<br />だから、すんなり見学とは いかなかったな~。

【王朝の軌跡】 首里城周りの文化財

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2016/11/08 - 2016/11/09

3889位(同エリア7256件中)

旅行記グループ 2016.11 初上陸!沖縄県

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LP1989

LP1989さん

首里城とセットで訪れた遺跡を この旅行記にまとまめました。

訪れた順に
1.円覚寺跡(放生橋のレリーフが国指定重要文化財)
2.円鑑池、弁財天堂
3.園比屋武御嶽石門(国指定重要文化財、世界遺産)
4.玉陵(国指定重要文化財、世界遺産)

首里城跡 及び 各文化財を巡っていると、
御嶽(うたき)等、読みや意味が難解な単語に出会う。
琉球王朝の基本的要素を 予め、頭に入れていなかったので、
現地の案内書きや、リーフレットの解説を読むにあたり、
スマホで あれこれと調べることになる。
だから、すんなり見学とは いかなかったな~。

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  • 龍潭通りから、県道49号線を南へ<br />前方に(首里城)広福門を見据えながら<br />歩みを進める中、左右に遺跡が登場。

    龍潭通りから、県道49号線を南へ
    前方に(首里城)広福門を見据えながら
    歩みを進める中、左右に遺跡が登場。

  • 左手(東側)に姿を表した円覚寺跡。総門へのアプローチ。<br />この寺が、首里城近くにあるのは、きちんとしたワケがある。<br />円覚寺は 王族(第二尚氏)の菩提寺。

    左手(東側)に姿を表した円覚寺跡。総門へのアプローチ。
    この寺が、首里城近くにあるのは、きちんとしたワケがある。
    円覚寺は 王族(第二尚氏)の菩提寺。

  • 左側の掖門は、今回の旅で 最初に見た沖縄仕様の石造&アーチ門。<br />最初に見たときは、寺の一部だとは思わなかった。<br />長年 生き抜いた遺構のように見えるのだが、<br />実は 総門と共に 昭和43年に復元されたもの。

    左側の掖門は、今回の旅で 最初に見た沖縄仕様の石造&アーチ門。
    最初に見たときは、寺の一部だとは思わなかった。
    長年 生き抜いた遺構のように見えるのだが、
    実は 総門と共に 昭和43年に復元されたもの。

  • 総門の先の放生池。<br />池に架かる放生橋のレリーフは国指定重要文化財。<br />右の階段の先に「三門」の復元が計画されている。<br /><br />七堂伽藍を誇る在りし日の円覚寺は 琉球随一の寺院とされ、<br />昭和8年に一部の伽藍が国宝指定されたが、<br />第2次世界大戦で 放生橋以外は総て焼失した。

    総門の先の放生池。
    池に架かる放生橋のレリーフは国指定重要文化財。
    右の階段の先に「三門」の復元が計画されている。

    七堂伽藍を誇る在りし日の円覚寺は 琉球随一の寺院とされ、
    昭和8年に一部の伽藍が国宝指定されたが、
    第2次世界大戦で 放生橋以外は総て焼失した。

  • 円覚寺跡より やや先の右側(西)には<br />円鏡池に架かる天女橋。<br />橋を渡った先の弁財天堂。<br />

    円覚寺跡より やや先の右側(西)には
    円鏡池に架かる天女橋。
    橋を渡った先の弁財天堂。

  • 天女橋 及び 弁財天堂については<br />簡潔な現地の解説書きを引用。<br />

    天女橋 及び 弁財天堂については
    簡潔な現地の解説書きを引用。

  • 円鑑池周りや龍潭に多く居た鳥<br />人を恐れず、近寄っても、全く逃げない。<br />むしろ、彼らの方から、積極的に近付いてくる。<br /><br />調べたら、「ノバリケン」というカモの仲間。<br />沖縄では、「観音アヒル」とも 呼ばれるらしい。

    円鑑池周りや龍潭に多く居た鳥
    人を恐れず、近寄っても、全く逃げない。
    むしろ、彼らの方から、積極的に近付いてくる。

    調べたら、「ノバリケン」というカモの仲間。
    沖縄では、「観音アヒル」とも 呼ばれるらしい。

  • 園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門<br /><br />首里城に入り、久慶門から守礼門へ向かう途中に登場した世界遺産。<br />「御嶽(うたき)」= 聖地・礼拝所の意味で<br />国王が出御の際、道中の安泰をこの石門前で祈願したという。

    園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)石門

    首里城に入り、久慶門から守礼門へ向かう途中に登場した世界遺産。
    「御嶽(うたき)」= 聖地・礼拝所の意味で
    国王が出御の際、道中の安泰をこの石門前で祈願したという。

  • 側には世界遺産の碑。

    側には世界遺産の碑。

  • 2日目の朝は、首里城から徒歩数分の玉陵へ

    2日目の朝は、首里城から徒歩数分の玉陵へ

  • 入口に立つ石柱は、世界遺産、国指定史跡、<br />国指定重要文化財の肩書きを示すと共に <br />歴史散歩道の道案内もしている。

    入口に立つ石柱は、世界遺産、国指定史跡、
    国指定重要文化財の肩書きを示すと共に
    歴史散歩道の道案内もしている。

  • その石柱の左側にある玉陵についての解説書き。<br /><br />何より 肝心なのは、<br />「玉陵は 1501年 (2代目)尚真王が <br /> 父 尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、<br /> 第二尚氏王統の陵墓となりました」の冒頭箇所。 <br />これを頭に入れないことには、始まらない。<br />

    その石柱の左側にある玉陵についての解説書き。

    何より 肝心なのは、
    「玉陵は 1501年 (2代目)尚真王が
     父 尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、
     第二尚氏王統の陵墓となりました」の冒頭箇所。
    これを頭に入れないことには、始まらない。

  • 玉陵の碑・記念柱は、数多くあったが、<br />(券売所、資料展示室のある)奉円館の前の<br />この世界遺産碑が最も見映えが良かった。

    玉陵の碑・記念柱は、数多くあったが、
    (券売所、資料展示室のある)奉円館の前の
    この世界遺産碑が最も見映えが良かった。

  • 世界遺産碑の向かいには<br />(昭和47年5月15日)国の史跡に指定された記念の石柱。

    世界遺産碑の向かいには
    (昭和47年5月15日)国の史跡に指定された記念の石柱。

  • その石柱の右側には、解説書き、配置図つきの碑。<br />この案内表示は、解りやすかった。

    その石柱の右側には、解説書き、配置図つきの碑。
    この案内表示は、解りやすかった。

  • 玉陵の前まで来た。<br />奥のオレンジ屋根の平屋の建物は、東の御番所<br />

    玉陵の前まで来た。
    奥のオレンジ屋根の平屋の建物は、東の御番所

  • 東の御番所は、「あがり(の)うばんじゅ」と読む。<br /><br />西側にも「西(いり)の御番所」があったとのことだが、<br />西については、発掘調査を行なっても、<br />遺構が発見できなかったため、復元されていない。

    東の御番所は、「あがり(の)うばんじゅ」と読む。

    西側にも「西(いり)の御番所」があったとのことだが、
    西については、発掘調査を行なっても、
    遺構が発見できなかったため、復元されていない。

  • 墓室までは 最初の門と その先の中門の二つの門がある。<br /><br />これらの門は、石造だが、アーチ状にはなっていないんだな。

    墓室までは 最初の門と その先の中門の二つの門がある。

    これらの門は、石造だが、アーチ状にはなっていないんだな。

  • 最初の門と中門の間の前庭。<br />敷かれているの珊瑚礁砂利が 全面 きれいに均されていた。<br />この日、最初の来訪者だったらしく、真っ新な砂地に足跡をつけた。<br /><br />

    最初の門と中門の間の前庭。
    敷かれているの珊瑚礁砂利が 全面 きれいに均されていた。
    この日、最初の来訪者だったらしく、真っ新な砂地に足跡をつけた。

  • 前庭の左(東)に西を向いて立つ玉陵碑<br /><br />碑文は読み取れないが、<br />玉陵に葬られるべき人々を定めている。<br />一部親族が リスト外となっているのは、<br />王室内の勢力の対立で、廃除されたらしい。

    前庭の左(東)に西を向いて立つ玉陵碑

    碑文は読み取れないが、
    玉陵に葬られるべき人々を定めている。
    一部親族が リスト外となっているのは、
    王室内の勢力の対立で、廃除されたらしい。

  • 墓室の手前まで来た。<br />扉のある墓室が三つ並び、<br />左から、東室、中室、西室と呼ばれる。<br />手前にロープが張られているので、<br />階段を上がって、接近することはできない。

    墓室の手前まで来た。
    扉のある墓室が三つ並び、
    左から、東室、中室、西室と呼ばれる。
    手前にロープが張られているので、
    階段を上がって、接近することはできない。

  • 中室には 洗骨前の遺骸が安置され、<br />やや豪華な外観の東室には 王、王妃が葬られた。<br />

    中室には 洗骨前の遺骸が安置され、
    やや豪華な外観の東室には 王、王妃が葬られた。

  • 西室は (王、王妃以外の)玉陵碑に記された家族が葬られた。

    西室は (王、王妃以外の)玉陵碑に記された家族が葬られた。

  • 左右の墓頂に居る獅子。<br /><br />これは、左側の雌獅子。(右側には雄が居る。)<br />

    左右の墓頂に居る獅子。

    これは、左側の雌獅子。(右側には雄が居る。)

  • 世界遺産とはいえ、お墓はお墓。<br />徒に長居する場所ではないので、そろそろ退散。<br /><br />玉陵内で会った来場者は、僅か1組。<br />平日の朝早い時間とはいえ、意外だった。<br />夏に丸亀城に出掛けたときを思い出す。<br /><br />この後、首里城を再訪。<br />首里城は、勿論、わんさかと人が押し寄せていた。<br /><br />

    世界遺産とはいえ、お墓はお墓。
    徒に長居する場所ではないので、そろそろ退散。

    玉陵内で会った来場者は、僅か1組。
    平日の朝早い時間とはいえ、意外だった。
    夏に丸亀城に出掛けたときを思い出す。

    この後、首里城を再訪。
    首里城は、勿論、わんさかと人が押し寄せていた。

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