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<br /><br />チューリッヒ駅で買ったユーレイルパスを使って、ヨーロッパ中を走り回り、パリへ到着した。<br />まだあと数日間パスが有効だ。<br /><br />とすると僕はもちろん、ポルトガルへ行くことを考える。<br /> 以前スペインには長く滞在していて、マドリッド、トレド、バルセロナ、それからアンダルシアのほとんどの町を見てまわっていた。<br /><br />しかし、ポルトガルへは足を踏み入れてない。<br />そのころはモロッコへ渡ることで頭が一杯だったし、モロッコからはアルジェリア、チュニジアと北アフリカを横断してしまった。<br /><br />スペインに長く滞在していてポツンとポルトガルが残っている場合、いまさら、わざわざ時間と金を使ってポルトガルまで行くのは大変だ。<br />しかし乗り放題の鉄道パス(ユーレイルパス)があるならば、話は違う。<br /><br />これは旅行の神様が「世界旅行者よ、ポルトガルへも行っておきなさい」と、進む道を指し示していることが明白なんだ。<br />そこで、僕は、スペイン、ポルトガルへの列車が出るパリのオーステルリッツ駅へと足を運ぶ。<br /><br />するともちろん神様が手配していてくれるので、翌日の「SUD EXPRESS」の予約がすんなりと取れる。<br /> 列車は1988年9月30日午前8時42分に、オーステルリッツ駅を出る。<br /><br />一等車の座席にゆったりと座り、駅で買った「The Times(英国のロンドンタイムズこのことね)」を読むと、珍しく日本の記事がある。<br />セゾングループの堤清二が、インターコンチネンタルホテルグループを買収したというのだ。<br /><br />ま、このときは1988年の秋、日本のバブル経済の絶頂期で、こういう景気のいい話があちこちにあった。<br />しかし、この取引で大損をして、セゾングループはダメになったけどね。<br /><br />この時代はどの企業も海外進出をやっていたが、ほとんどすべてが失敗し大損している。<br />その理由は、結局、海外進出はただの流行で、日本企業には海外戦略も何もなかったから。<br /><br />もともと日本に人材がいなかったってことだけどさ(笑)。<br /> 実は僕は、海外旅行中に旅行者だけではなくて、海外赴任中のサラリーマンや海外駐在の銀行員の娘、海外で勉強中の教育関係者など、バラエティに飛んだ人と出会ってきた。<br /><br />そこで、深い話を繰り返してきたから、わかってるんだよね。<br /> 日本人は世界に飛び出していくだけの根性もないし、能力もないんだ(涙)。<br /><br />それはそれとして、僕が持っているのは1等のユーレイルパスで、予約を取ったのは2等のクシェット(簡易寝台)だ。<br />とすると、できるだけ一等の座席に座っている時間を延ばして、ゆったりと本でも読んでいた方がいい。<br /><br />そう考えた僕は、一等車でのんびりと過ごした。<br />ぎりぎりの時間になって、クシェットへ行く。<br /><br />と、スペイン人のおじさんおばさんたちが「満員だ!」と。僕をコンパートメントに入れてくれない。<br /> 車掌に話をして、自分のベッドを確保する。<br /><br />悪い人たちじゃないんだよ。<br />ただ、寝る直前に突然見知らぬ東洋人が入ってきたので警戒したらしいんだ。<br /><br />車掌にユーレイルパス、クシェットの切符、パスポートを預ける。<br />これで、フランスからスペインへの出入国の手続きは自動的に終わる。<br /><br />そのままマドリッドを経由して、ポルトガルへと国境を越えるのが午前3時。<br />このときはイミグレーションオフィサーがやってきて、直接入国手続きをした。<br /><br />リスボンのサンタ・アポロニア鉄道駅到着が、1988年10月1日午前9時すぎ。<br />サンタアポローニア駅は、そんなに大きくなくて、この列車の乗客がそれぞれの目的地へ行くと、誰もいなくなった。<br /><br />僕はこの駅でいろいろとすることがある。<br />まず、当日(1988年10月1日)夜の、リスボン発マドリッド行き2等寝台を予約する。<br /><br />これが「ESTRELLA LUSITANIA」で、リスボンを午後9時25分に出て、マドリッドチャマルティン駅到着が翌日の朝8時半予定。<br />だから、夜の9時までは、リスボンで時間を使えるわけだ。<br /><br />駅の両替所で、20ドルの現金をポルトガルの通貨・エスクードに両替する。<br /> 今日は、昼間にリスボンの名所を軽く見て歩くだけなので、それほどのお金はかからないと考えた。<br /><br />20ドルの現金は、3072エスクードに替わる。<br />ドルの現金だったので、両替手数料は取られなかった。<br /><br />つまり、1エスクードはこの時期のレートで、0.9円程度。<br />こういうときは、1エスクードを1円と考えるのが面倒くさくないね。<br /><br />駅の荷物預かり所に、バックパックを預けて、身軽になる。<br /> 夜の9時までというと、預かり料金は95エスクード(95円)で、料金は荷物を受け取るときの後払いでいいそうだ。<br /><br />係員は、「10時間だから95エスクードになるが、5時間までは50エスクード(50円)だ」と説明してくれた。<br /> 物価も安いし、人も親切な雰囲気だね♪<br /><br />町へ出ようとしたときに、駅で日本の30歳代のOLさんを見つける。<br /> 旅先で日本女性を見つけたら、声をかけるのが基本(「世界旅行主義」より)。<br /><br />当然、軽く声をかけて、一緒にリスボンを見てまわることになる。<br /> 彼女も、同じ列車で到着して、これからリスボン観光をして、リスボンに泊まる予定だそうだ。<br /><br />2人で、街を見て歩く。<br />まず、ロッシオ広場(ROSSIO)、レスタウラド-レス広場(RESTAURADORES)へ。<br /><br />レスタウラドーレス広場の観光案内所で、町の地図をもらう。<br /> 郵便局で、絵葉書を出すための切手(75エスクード)を4枚購入。<br /><br />そのあと、サンタ・ジュスタエレベーター(ELEVADOR DE SANTA JUSTA)に乗る。<br />カイス・ド・ソドレ駅(CAIS DO SODRE)からベレン駅(BELEM)へ鉄道で移動する。<br /><br />ジェロニモス修道院(MOSTEIRO DOS JERONIMOS)で国際学生証(ISIC)を見せると、入場料がタダになった♪<br />そしてリスボン一の観光名所へ。<br /><br />これが「Monumento dos Descobrimentos」英語では「Monument of the Discoveries」日本語だと「発見記念塔」だ。<br /> 僕としたら、これだけ見れば、リスボンはもう十分かな。<br /><br />バス28番(95エスクード)でサンタアポロニア駅へ戻る。<br /> 観光案内所近くのレストラン「TAVERNA IMPERIAL」で、ステーキとワインの食事を取った(一人1200エスクード)。<br /><br />駆け足でリスボン名所を見て、夕方前に、2人で、ゆったりと、ワイン付きの食事をした。<br />でもホント、この日本女性とは話が合わなかった(涙)。<br /><br />僕はたいていの人とは、話を合わせられるんだけれどね。<br />ただ、この日本女性旅行者の旅自体は、興味深かった。<br /><br />彼女はかなり長くヨーロッパを旅していたが、ほとんど知り合いの家を訪ねて泊まり歩いていた。<br /> 仕事関係で、ヨーロッパ在住の知人が多いとか。<br /><br />リスボンでも知り合いがいるのだが、電話に答えてくれないのだそうだ。<br /> 僕は、あちこちにずいぶん迷惑をかけながら旅をしているんじゃないかな、と思った。<br /><br />彼女を見ていたので、僕はこのあとニューヨークへ行った時も、京大のクラスメートのアフガニスタン人のところへは寄らなかった。<br /> 他の旅行者にも、「旅に出て友人を訪ねていくと迷惑がられるもの」と説教するようになったよ。<br /><br />リスボンの駅で、30歳代の男女が偶然出会って、一緒に街を見て歩いて、夕方にはレストランで、ステーキとワインの食事を取った。<br />もし話が盛り上がっていれば、さらに進展することもあったかもしれない。<br /><br />僕は予約済みの切符(ユーレイルパスがあるので、千円程度の予約手数料だけ)は捨ててもよかった。<br /> 彼女と、ロマンチックなリスボンの一夜を過ごしてあげてもよかったのに…。<br /><br />ま、せっかく出会っても、話が合わないのではどうしようもない。<br />これ、リスボンの駅で偶然会ったから、話が合わなくても、一緒に行動したり、食事をしたりするのも納得できる。<br /><br />でも、ネットで「旅の同行者募集」なんかをして、わざわざ予定を合わせて旅に出て、話が合わなければ最悪だよ。<br /> 自分の海外旅行がボロボロになってしまうからね。<br /><br />だから、「海外旅行は一人旅に限る」わけだ。<br /> 恋人同士ならば、いいけれど、恋人同士でも、一週間一緒にいたら、必ずケンカはするものだしね。<br /><br />僕は一人旅だから、リスボンの一日を、日本女性と一緒に見て回れたのはよかった。<br /> 次は、マドリッドだ。<br /><br />午後9時15分発の、マドリッド行き夜行列車「エストレージャルシタニア号」に乗る。<br />すると同じコンパートメントに、日本人の男性旅行者がいた<br /><br />正直、1988年のヨーロッパは、日本人旅行者だらけだったんだ。<br />バブルの絶頂期だったし、就職先の心配もなかったので、若者は、どんどん海外へ旅に出ていた。<br /><br />ただ彼は30歳くらいで、マドリッドには長期滞在しているとか。<br /> 僕は、以前、マドリッドからすぐにバルセロナに移動したので、マドリッドのことをいろいろと聞いた。<br /><br />日本人2人で、6人用のコンパートメントを占領して、旅人同士、面白おかしい話をしたっけ。<br />でもいくら男の子と話をしても、それだけの話。<br /><br />女の子との「リスボンの一夜」の方がゼッタイに楽しかったろうし、話のネタにもなったんだろうけど…。<br />これはなにしろ、昭和時代の1988年のことだからね。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

朝の「サンタ・アポローニャ駅」で出会った日本女性と一緒に、リスボン市内を見て歩く@リスボン/ポルトガル

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1987/09/07 - 1990/05/05

1890位(同エリア2856件中)

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みどくつ

みどくつさん



チューリッヒ駅で買ったユーレイルパスを使って、ヨーロッパ中を走り回り、パリへ到着した。
まだあと数日間パスが有効だ。

とすると僕はもちろん、ポルトガルへ行くことを考える。
以前スペインには長く滞在していて、マドリッド、トレド、バルセロナ、それからアンダルシアのほとんどの町を見てまわっていた。

しかし、ポルトガルへは足を踏み入れてない。
そのころはモロッコへ渡ることで頭が一杯だったし、モロッコからはアルジェリア、チュニジアと北アフリカを横断してしまった。

スペインに長く滞在していてポツンとポルトガルが残っている場合、いまさら、わざわざ時間と金を使ってポルトガルまで行くのは大変だ。
しかし乗り放題の鉄道パス(ユーレイルパス)があるならば、話は違う。

これは旅行の神様が「世界旅行者よ、ポルトガルへも行っておきなさい」と、進む道を指し示していることが明白なんだ。
そこで、僕は、スペイン、ポルトガルへの列車が出るパリのオーステルリッツ駅へと足を運ぶ。

するともちろん神様が手配していてくれるので、翌日の「SUD EXPRESS」の予約がすんなりと取れる。
列車は1988年9月30日午前8時42分に、オーステルリッツ駅を出る。

一等車の座席にゆったりと座り、駅で買った「The Times(英国のロンドンタイムズこのことね)」を読むと、珍しく日本の記事がある。
セゾングループの堤清二が、インターコンチネンタルホテルグループを買収したというのだ。

ま、このときは1988年の秋、日本のバブル経済の絶頂期で、こういう景気のいい話があちこちにあった。
しかし、この取引で大損をして、セゾングループはダメになったけどね。

この時代はどの企業も海外進出をやっていたが、ほとんどすべてが失敗し大損している。
その理由は、結局、海外進出はただの流行で、日本企業には海外戦略も何もなかったから。

もともと日本に人材がいなかったってことだけどさ(笑)。
実は僕は、海外旅行中に旅行者だけではなくて、海外赴任中のサラリーマンや海外駐在の銀行員の娘、海外で勉強中の教育関係者など、バラエティに飛んだ人と出会ってきた。

そこで、深い話を繰り返してきたから、わかってるんだよね。
日本人は世界に飛び出していくだけの根性もないし、能力もないんだ(涙)。

それはそれとして、僕が持っているのは1等のユーレイルパスで、予約を取ったのは2等のクシェット(簡易寝台)だ。
とすると、できるだけ一等の座席に座っている時間を延ばして、ゆったりと本でも読んでいた方がいい。

そう考えた僕は、一等車でのんびりと過ごした。
ぎりぎりの時間になって、クシェットへ行く。

と、スペイン人のおじさんおばさんたちが「満員だ!」と。僕をコンパートメントに入れてくれない。
車掌に話をして、自分のベッドを確保する。

悪い人たちじゃないんだよ。
ただ、寝る直前に突然見知らぬ東洋人が入ってきたので警戒したらしいんだ。

車掌にユーレイルパス、クシェットの切符、パスポートを預ける。
これで、フランスからスペインへの出入国の手続きは自動的に終わる。

そのままマドリッドを経由して、ポルトガルへと国境を越えるのが午前3時。
このときはイミグレーションオフィサーがやってきて、直接入国手続きをした。

リスボンのサンタ・アポロニア鉄道駅到着が、1988年10月1日午前9時すぎ。
サンタアポローニア駅は、そんなに大きくなくて、この列車の乗客がそれぞれの目的地へ行くと、誰もいなくなった。

僕はこの駅でいろいろとすることがある。
まず、当日(1988年10月1日)夜の、リスボン発マドリッド行き2等寝台を予約する。

これが「ESTRELLA LUSITANIA」で、リスボンを午後9時25分に出て、マドリッドチャマルティン駅到着が翌日の朝8時半予定。
だから、夜の9時までは、リスボンで時間を使えるわけだ。

駅の両替所で、20ドルの現金をポルトガルの通貨・エスクードに両替する。
今日は、昼間にリスボンの名所を軽く見て歩くだけなので、それほどのお金はかからないと考えた。

20ドルの現金は、3072エスクードに替わる。
ドルの現金だったので、両替手数料は取られなかった。

つまり、1エスクードはこの時期のレートで、0.9円程度。
こういうときは、1エスクードを1円と考えるのが面倒くさくないね。

駅の荷物預かり所に、バックパックを預けて、身軽になる。
夜の9時までというと、預かり料金は95エスクード(95円)で、料金は荷物を受け取るときの後払いでいいそうだ。

係員は、「10時間だから95エスクードになるが、5時間までは50エスクード(50円)だ」と説明してくれた。
物価も安いし、人も親切な雰囲気だね♪

町へ出ようとしたときに、駅で日本の30歳代のOLさんを見つける。
旅先で日本女性を見つけたら、声をかけるのが基本(「世界旅行主義」より)。

当然、軽く声をかけて、一緒にリスボンを見てまわることになる。
彼女も、同じ列車で到着して、これからリスボン観光をして、リスボンに泊まる予定だそうだ。

2人で、街を見て歩く。
まず、ロッシオ広場(ROSSIO)、レスタウラド-レス広場(RESTAURADORES)へ。

レスタウラドーレス広場の観光案内所で、町の地図をもらう。
郵便局で、絵葉書を出すための切手(75エスクード)を4枚購入。

そのあと、サンタ・ジュスタエレベーター(ELEVADOR DE SANTA JUSTA)に乗る。
カイス・ド・ソドレ駅(CAIS DO SODRE)からベレン駅(BELEM)へ鉄道で移動する。

ジェロニモス修道院(MOSTEIRO DOS JERONIMOS)で国際学生証(ISIC)を見せると、入場料がタダになった♪
そしてリスボン一の観光名所へ。

これが「Monumento dos Descobrimentos」英語では「Monument of the Discoveries」日本語だと「発見記念塔」だ。
僕としたら、これだけ見れば、リスボンはもう十分かな。

バス28番(95エスクード)でサンタアポロニア駅へ戻る。
観光案内所近くのレストラン「TAVERNA IMPERIAL」で、ステーキとワインの食事を取った(一人1200エスクード)。

駆け足でリスボン名所を見て、夕方前に、2人で、ゆったりと、ワイン付きの食事をした。
でもホント、この日本女性とは話が合わなかった(涙)。

僕はたいていの人とは、話を合わせられるんだけれどね。
ただ、この日本女性旅行者の旅自体は、興味深かった。

彼女はかなり長くヨーロッパを旅していたが、ほとんど知り合いの家を訪ねて泊まり歩いていた。
仕事関係で、ヨーロッパ在住の知人が多いとか。

リスボンでも知り合いがいるのだが、電話に答えてくれないのだそうだ。
僕は、あちこちにずいぶん迷惑をかけながら旅をしているんじゃないかな、と思った。

彼女を見ていたので、僕はこのあとニューヨークへ行った時も、京大のクラスメートのアフガニスタン人のところへは寄らなかった。
他の旅行者にも、「旅に出て友人を訪ねていくと迷惑がられるもの」と説教するようになったよ。

リスボンの駅で、30歳代の男女が偶然出会って、一緒に街を見て歩いて、夕方にはレストランで、ステーキとワインの食事を取った。
もし話が盛り上がっていれば、さらに進展することもあったかもしれない。

僕は予約済みの切符(ユーレイルパスがあるので、千円程度の予約手数料だけ)は捨ててもよかった。
彼女と、ロマンチックなリスボンの一夜を過ごしてあげてもよかったのに…。

ま、せっかく出会っても、話が合わないのではどうしようもない。
これ、リスボンの駅で偶然会ったから、話が合わなくても、一緒に行動したり、食事をしたりするのも納得できる。

でも、ネットで「旅の同行者募集」なんかをして、わざわざ予定を合わせて旅に出て、話が合わなければ最悪だよ。
自分の海外旅行がボロボロになってしまうからね。

だから、「海外旅行は一人旅に限る」わけだ。
恋人同士ならば、いいけれど、恋人同士でも、一週間一緒にいたら、必ずケンカはするものだしね。

僕は一人旅だから、リスボンの一日を、日本女性と一緒に見て回れたのはよかった。
次は、マドリッドだ。

午後9時15分発の、マドリッド行き夜行列車「エストレージャルシタニア号」に乗る。
すると同じコンパートメントに、日本人の男性旅行者がいた

正直、1988年のヨーロッパは、日本人旅行者だらけだったんだ。
バブルの絶頂期だったし、就職先の心配もなかったので、若者は、どんどん海外へ旅に出ていた。

ただ彼は30歳くらいで、マドリッドには長期滞在しているとか。
僕は、以前、マドリッドからすぐにバルセロナに移動したので、マドリッドのことをいろいろと聞いた。

日本人2人で、6人用のコンパートメントを占領して、旅人同士、面白おかしい話をしたっけ。
でもいくら男の子と話をしても、それだけの話。

女の子との「リスボンの一夜」の方がゼッタイに楽しかったろうし、話のネタにもなったんだろうけど…。
これはなにしろ、昭和時代の1988年のことだからね。







旅行の満足度
4.5

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