2016/10/18 - 2016/10/18
722位(同エリア4257件中)
tadさん
退職後、かなりの時間を歴史関係、外交関係の読書につかった。鎖国の江戸時代や維新後に関する歴史資料は日本人が書いたものよりは、外国人が観察した資料のほうに関心が向くことが多かった。江戸時代に関しては出島に出入りした関係者しか日本観察記録はない。海外から来た人の日本観察記録を読むと、浅い分析のものも多いが、しかし、ちゃんとしたものも沢山ある。井の中の蛙どうしの話を聞くよりも、井戸の外から観察した話のほうが客観性があるからだ。
その中ではシーボルトが圧倒的に日本観察の集中度が高いようだ。日本人と家族を持ち、医学の弟子をたくさん持ち、博物学、特に植物学等の日本資料を大量に収集し、江戸参府旅行を経験した。ヨーロッパに日本紹介を本格的になしえた最初の人物だ。帰国後、日本紹介の書物を大量に出版した。それらの多くは日本語にも翻訳されている。私もそれらのいくつか、特に江戸時代の日本紹介や分析の部分等を読んでいるが、大変に興味深いものが多い。彼の家族にかかわる記録なども興味深いものが多い。(cf. 長崎のシーボルト記念館の旅行記:http://4travel.jp/travelogue/10893467)
シーボルトの第1次の日本滞在は1823年から29年までで、第2次は1859年から1862年までだ。第1次滞在の出国時に日本地図などの禁止品目の持ちだし疑いで追放されたが、これらはシーボルトが悪人のように言い立てる人がいるが、幕府側の人達や医学の弟子たちがシーボルトに渡したものだ。彼が脅して強奪したり盗んだものではない。勿論、日本人側もそれに見合うやりとりがあったから協力したのだ。いずれにしろ、日本人の弟子の協力で大量に収集した資料は、現在、ドイツやオランダ、さらにイギリス、ロシアなどで保存されているようだ。第2次の滞在時には、なんと追放した幕府のほうが、彼を顧問に雇っている。これだけの人物だから、当然のことだろう。ただ、彼は第2次滞在で日本に失望して去っていく。1866年にミュンヘンで死去。
ここでは、撮影可能だった説明資料のみを使用する。シーボルトの死後150周年を記念して、いくつかこうした企画があるようだ。江戸東京博物館のシーボルト展は1400円もするので行かなかった。こちらの国立科学博物館のシーボルト展は65歳以上は無料だった!有り難い!そのことに感謝する気持ちもあり、この旅行記で紹介したい。
- 旅行の満足度
- 5.0
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国立科学博物館 美術館・博物館
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次の写真が表紙
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表紙
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次が下の半分
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これらの人物相関図は大変いいまとめだ。
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以下は、シーボルトが送った標本類の写真を追加。
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