2016/10/06 - 2016/10/06
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itaruさん
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名古屋方面の出張があったので一日先乗りしてどこかを巡ろうかと思案し、向かったのが関ヶ原。
大河ドラマなどでよく題材になる場所だけど、具体的にどんな場所なのかは良く分からない。
古戦場だから、残っているものはあまりないはずだけど場所を確認してみよう。
ということで、名古屋から快速で大垣、そこから普通電車に乗り換えて関ヶ原へ。
古戦場跡を歩いてみました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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名古屋からはJRで900円、乗継を考えずに無駄に大垣で待ってしまいました関ヶ原駅に到着。駅前の駅前観光交流館に寄って地図を手に入れて午後1時ごろから歩き始めます。
踏切を渡ってまず目に入ってくるのが松平忠吉、井伊直政の陣跡。2人は東軍の先鋒が福島隊に決まっていたにもかかわらず、宇喜多隊に発砲して戦端を開いたのだとか。なんとも血の気の多い(戦国武将は普通そうか)人たち松平忠吉 井伊直政陣跡 名所・史跡
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松平、井伊の陣跡に隣接しているのが東首塚。関ヶ原の戦死者はここと西首塚に敵味方関係ない葬られたとか
東首塚 名所・史跡
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石田三成を捕らえたという吉田吉政の陣跡。東軍の陣地は平地ばかり
田中吉政陣跡 名所・史跡
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桃配山から動いた家康が最後に陣を置いた場所だそうです。ここから松尾山の小早川秀秋の陣に鉄砲を撃ったという、関ヶ原を描いた合戦ものでは欠かせないシーンがここで繰り広げられたと思うと、不思議な気になります
徳川家康最後陣跡 床几場 名所・史跡
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合戦後はここで武将たちが打ち取った首級の実検がなされたそうです
陣場野公園 公園・植物園
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合戦に関する武具などを展示している歴史民俗資料館。この日は世界の3大合戦展として、関ヶ原、ワーテルロー、ゲティスバーグの戦いが取り上げられていました
関ケ原町歴史民俗学習館 美術館・博物館
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静かな田園都市という感じの関ヶ原ですが、標識も多いの迷わずに動けます。民俗資料館から少し歩くと細川忠興の陣跡です。本人より明智光秀の娘でキリシタンだった妻ガラシャの方が有名でしょうか。まあ、ここも何が残っているというわけではないですけど
細川忠興陣跡 名所・史跡
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さて山の陣地に向かいましょう。国道21号線を渡って丘陵地帯を登ってくとこんな標識が……。今年はツキノワグマによる事故が結構起きているから、うれしくはないです
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途中は竹林もあってちょっと雰囲気あります
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ちょっとした山道を歩いていくと丸山狼煙場へ。ここは黒田長政、竹中重門の陣跡です
丸山狼煙場 (岡山狼煙場) 名所・史跡
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竹中は当時の関ヶ原の領主です
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狼煙場からは関ヶ原の街が一望できます
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ちょっとしたハイキングって感じで山道を歩きます。ここら辺はエコフィールド関ヶ原といって自然観察するための場所にもなってます
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ここは以前は豊かな生態系を持つ池だったそうです。それが外来種のアメリカザリガニが流入したことで死の池になってしまったんだとか
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国道の下をくぐってさらに進むと関ヶ原古戦場決戦地の碑が見えてきます
関ケ原古戦場 決戦地 名所・史跡
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小早川の裏切りで一気に東軍が有利になり、東軍はここから石田三成の陣地に向けて殺到したそうです
関ケ原古戦場 名所・史跡
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笹尾山、石田三成の陣跡から関ヶ原の街を見下ろします。400年前、石田三成はどんな思いでここからの景色を眺めたんだろう
石田三成陣跡 名所・史跡
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平日だったこともあって、あまり戦場跡も巡る人はいません。唯一、ここと民俗資料館でバスでやってきた団体さんにお会いしました
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しかし、各武将の陣跡の位置を確認すればするほど、布陣通りなら西軍が勝っていたというのが理解できます
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笹尾山を下りて次に向かうのが島津義弘の陣跡。いろいろ事情があって関ヶ原では積極的に動かなかったけれど負けが決まってから的中突破を図った島津軍
島津義弘陣跡<島津の退き口ゆかりの地> 名所・史跡
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しかし、この合戦における島津と毛利の動きって、いまいちわからんなあ。その後の歴史を考えると
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そして島津の陣跡から数分で関ヶ原の合戦開戦地の碑が。霧が晴れてきた朝8時ごろに宇喜多隊に対する発砲で戦は始まりました
関ケ原古戦場 開戦地 名所・史跡
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で、こちらは小西隊の陣跡。しかし、陣跡の位置関係だと宇喜多隊に発砲したというのはなんかしくりこない。ようは宇喜多隊がこの辺に進出してたってことかな
北天満山 小西行長陣跡 名所・史跡
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で、少し離れたところにあるのが宇喜多秀家の陣跡。この辺も森っていうか、山って感じ
南天満山 宇喜多秀家陣跡 名所・史跡
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次に向かうのは大谷吉継ゆかりの場所へ
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途中にダム湖があったりして、かなり山深い感じがする
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ダム湖を抜けると舗装した道へ。この通り沿いに隣の美濃垂井を治めていた平塚為広の陣跡。大谷吉継の盟友だったとか
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再び山に山に入っていくと大谷吉継の墓が。きれいに花が供えられています
大谷吉継の墓 湯淺五助の墓 名所・史跡
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大谷はハンセン病に侵された自分の首をさらしたくないと部下の湯浅五助にひそかに葬るように指示しました。湯浅はそれを藤堂二右衛門に発見されますが、自らの首と引き換えに秘密を守り、供養するよう託したそうです
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陣跡はここからすぐ。でも完全に山道です
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陣跡は記念写真用のものが……
大谷吉継陣跡 名所・史跡
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下を走るのはJR東海道線です。そして向かいの山は松尾山。小早川秀秋の陣があったところです
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ちょっと距離があるのですが、せっかくここまで来たのだから小早川秀秋の陣跡に行かなきゃあ。在来線を越え、さらに新幹線を越えて松尾山を目指します
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松尾山を登る前にあるのが小早川とともに裏切ったとされる脇坂安治の陣跡です
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小早川秀秋の陣跡は結構離れています。史跡めぐりの推奨ルートからも外れていて、麓の駐車場から片道2キロほどの登りの山道を歩かなければいけません。それなりに急ぎ足で30分ほどで辿り着きましたが、かなり足にきました。スマホの万歩計によるとすでに3万歩を超えています。少し膝も痛くなってきました。
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もともと小早川の陣跡は山城のあった場所だそうで、少しですが山城の名残らしきものもあります
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標高は290メートル。古戦場が一望できる場所です
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こんな山道を歩きます
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気が付けば4時過ぎといい時間。急いで残りを回らないと。ってことで来たのが福島正則の陣跡。秀吉の子飼いながら三成と対立して関ヶ原で大活躍。でも、晩年は無断で石垣を修理したからと改易されました。豊臣家はすでに滅んでましたが、その時は何を考えたのかな
福島正則陣跡 名所・史跡
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で、中学校の校内にあったのが藤堂高虎、京極高知の陣跡。学校の中に史跡というのは意外でした
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そしてここが西首塚
西首塚 名所・史跡
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で、最後に訪れたのは本多忠勝の陣跡。ほとんど民家の庭みたいなところにあってびっくり。時間がなく桃配山の徳川家康最初の陣跡はパスってことになりました。でも、なんだかんだでこの日は3万7000歩も歩いてた。
本多忠勝陣跡 名所・史跡
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