2016/09/17 - 2016/09/18
908位(同エリア1213件中)
三峯霧美さん
秋の長雨の季節なので、青空は期待していませんでしたが、二日目の方が天気が悪い予報。
木曽福島のくるまやで蕎麦を食べた後、急遽、二日目に予定していた御嶽山に向かうことにしました。
しかし、木曽福島から大滝村経由で御嶽山の田ノ原往復は想像以上に時間がかかり、八海山社務所は閉まっていて、結局翌日再訪することになりました。
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12:55 木曽福島 蕎麦屋 くるまや本店
某サイトで人気のお店、せっかくだから、評判の店で食べてみたいと、空腹抱えて到着。
駐車場は角を曲がったところにうなぎの寝床のような縦列駐車、停めたはいいけど、店はどっちだ?ときょろきょろしてると、通りの向かい側から「お店はあっちですよ」と教えていただく「私たちもこれから行くのよ」とご夫婦らしきカップル。ありがとうございました。くるまや本店 グルメ・レストラン
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リストに名前を書き、店の脇の木曽川の流れを眺めて待ちました。
メニューをみると「天ぬき付きざるそば」「鳥ぬき付きざるそば」なる、耳慣れない蕎麦がある。「ぬく」のが「つく」ってどーゆー・・・?? -
次々と先客が店に案内され、15分ほどで順番が回ってきました。
一階の座敷の半分は畳にテーブルとイスの席になってます。
年をとると正座ができなくなる人が多いなどと、他人事のように言うけれど、かく言う自分も膝が怪しいわけで、細心の注意を払って座敷に座ります。
注文は気になる「天ぬきつきざるそば」にしてみる。 -
これが「天ぬき」です。
天ぷらそばの「そばぬき」。
衣がたっぷりついた海老天を天つゆでさっと煮たものが「つく」
温かい煮た天ぷらは、これはこれで美味しいものです。天つゆ大好きなのでうれしい味付け。
人気店だけにお客の回転を速めるためには、天ぷらを先に揚げておいて、注文ごとに天つゆで煮て出せば、とりあえず温かい天ぷらが提供できる、だからエビは煮崩れを防ぐために、鎧のような衣をまとっているのか。
これはあくまで私の憶測であって、お店の方には確認しておりません。
ちなみに「鳥ぬき」は鳥南蛮蕎麦の具だけが別の器で提供されます。 -
ざるは2枚が一人前。もちろん追加で注文できます。
ちょっとモソっとした田舎蕎麦。これで1590円也。どーよ。
観光地値段です。
いや、なんか、普通だったな。普通に美味しいはとても偉大なのですが、次回、並んでも食べますか?って問われたら、答えに窮するでありましょう。
蕎麦湯を楽しみながら、この後行き先を考える。
明日の天気予報ががっつり雨なので、予定を変更して御嶽山に行くことにしました。 -
御岳湖を眺めつつ王滝村を経由してスキー場の中の道をどんどん登ります。
大滝村役場を過ぎたあたりから車がいない・・・先行車も、後続車もなく、時々対向車とすれ違うだけ。天気が悪いとはいえ三連休なのに。
道路の両脇は御嶽講の石碑?が林立していて、信仰の山だと実感します。
15:00 御嶽山 田ノ原
駐車場には数台の先客がいるのみ。
途中、天ぬき蕎麦が胸やけを起こして、気分が悪くなりましたが、田ノ原について車の外に出ると、冷えた新鮮な空気のおかげで、すっかり回復。 -
七合目と八合目の間にある田ノ原遥拝所まで整備された砂利道が続いています。
2年前の噴火災害以降、入山規制があり頂上に行くことはできません。
田ノ原遥拝所も9月と10月は土日祝日しか開いていません。 -
道の先に見える屋根が遥拝所。
あまりに人が居ないので、一瞬、行くのを躊躇いました。
御嶽山は厚い雲の中で、雲は切れる気配がありません。 -
普通のペースで歩いて行くと、途中で息が上がってきます。振り向くと結構な上り坂、空気も薄いからでしょう。
田ノ原遥拝所まで来ると登山道のゲートが開いていて、脇のテントに監視員の方がお二人。この日から入山規制が緩和され、8合目の金剛童子まで登れるようになったそうです。
そろそろ下山の時間ですが、田ノ原からここまで、すれ違ったのは一人だけでした。 -
15:20 田ノ原遥拝所 ここから頂上の奥宮を遥拝します
奥宮は702年に信濃国司高根道基が創建しました。
祭神 国常立尊 大己貴命 少彦名命
古くは山麓で百日の精進潔斎の修行をしてから登拝しましたが、1782年に覚明行者が黒沢口登山道を、1792年に普寛行者が王滝口登山道を開き講社を作り、軽精進潔斎による登山を奨励し、御嶽講が全国に広まったそうです。御嶽神社遥拝所 名所・史跡
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お線香をあげるのは、元は修験道だったからでしょう。
社務所の他にコンクリート造りの大きな休憩所がありました。
屋根は頑丈そうですが、山側に壁がないので、シェルターとしてはちょっと心もとない。
1979年に水蒸気爆発を起こすまで、死火山や休火山だと思われていて、当時驚きをもって報道されたのを思い出しました。 -
社務所で御朱印を頂きました。御嶽神社の御朱印はどこも500円です。
「六根清浄」の六根は五感と意識(第六感)をあわせたもので、心を清らかにするために不浄なものを見たり聞いたり感じたりせず、俗世との接触を断つことだそうです。
「六根浄」とも言い、登山の際の掛け声に使われて「どっこいしょ」になったという説があるそうです。 -
登山道を戻り・・下りは早いです・・・先ほど前を通過した田ノ原大黒天をお参り。
大きな五円玉が奉納されています。
明治生まれの祖父から大黒様が印刷された古いお札を見せてもらったことがあります。田の原大黒天 寺・神社・教会
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周辺は田の原天然公園という木道の遊歩道が整備されています。
公園の東屋に献花台があり、手を合わせて亡くなられた方のご冥福と行方不明の方が見つかることをお祈りしました。
近くにビニール袋に入った紙が落ちていました。小さなお子さんが書いた手紙のようで、風に飛ばされてしまったのでしょう。
献花台に乗っていた石を重しにして、置いておきました。手紙は山に眠る人に届いているでしょう。 -
15:40 登山道に戻って山を見ますが、やっぱり山頂は雲の中でした。
背後からガラガラとシャッターの閉まる音が聞こえてきました。お客さんが少ないので観光センターが早仕舞いでもするのかと思ったのですが、妙な胸騒ぎがして、御嶽神社の田ノ原社務所へ急ぎました。 -
予感は大当たり、到着時は開いていた社務所の窓と出入り口のシャッターが閉まっています!
うわ!やっちまった!!と思ったら、社務所の脇に荷物を持った女性がいました。「すみません、御朱印いただけませんか?」とお願いすると、うなずいてくださいました。よかった、声はかけてみるものです。 -
あと数分遅かったら、再訪しなければならなかった。
「暗くてすみません」と室内の電気をつけてくださって、大黒天と三笠山神社の御朱印を頂きました。
社務所の閉所時間を聞いたら、はっきりとはお答えにならず、3連休の初日で、今日から8合目まで行けるようになったのに、全然人が来なくてと、おっしゃる。
2年前の噴火災害以来、登山者も参拝者も少なくなったそうです。 -
駐車場の奥に三笠山神社の鳥居があります。三笠山の頂上は2256m、神社は石段を登った頂上にあります。田ノ原の標高が2180mなので、結構な登りの様相。
駐車場には、車が数台になってしまった。 -
鳥居まで行ってみました。ちゃんと手すりが付いた石段が続いていますが、先は見通せない。
祭神 豊斟停尊 とよくむぬのみこと
時間も遅く、他に人もいないので、御朱印を貰って参拝しないのはポリシーに反しますが、今回は鳥居の内側でお参りして、引き返すことにしました。 -
こちらが御朱印。
駐車場で下山準備をしていると、遥拝所に続く砂利道を軽自動車が走ってきました。
遥拝所にいた神職さんです。社務所は4時前には閉まるようです。
山道を下り始めると、先行して走っている車は、田ノ原社務所の御朱印を書いてくださった方。
さすが、走りなれていらしゃる、スムーズなダウンヒル。 -
16:15 八海山神社
御嶽山は一合目から頂上まで御嶽神社の神社や、施設が点在しています。
五合目は八海山神社があります。
大滝口の登山道を開いた時に越後の八海山から八海山大頭羅神王を、上野国から武尊王を黒石に勧請し、この周辺を八海山と呼びました。
道路が開通して、この地に移転したそうです。八海山神社 寺・神社・教会
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田ノ原に向かう時は電気がついていた社務所も閉まっていました。
この時間だと、御嶽神社の里宮もお参りできそうにないので、翌日再訪することにしました。
周囲には大きな宿泊施設やお土産屋さんもありますが、人の気配はありませんでした。
ここから田ノ原までの道は11月初めから5月中旬まで通行止めになります。 -
祭神 国狭槌尊 くにさつちのみこと
新潟の八海山尊神社と同じ祭神です。
普寛行者と共に大滝口の登山道を開いた木食泰賢行者は新潟の八海山神社神主の分家に生まれます。
5合目に八海山大頭羅神王を勧請すると、越後の八海山は御嶽山の兄弟山になり御嶽信仰の霊場となります。 -
本殿の横には眼病平癒のご神徳があるという、湧き水があります。
江戸時代に目を患った人の夢枕に八海山大神があらわれて、この水を汲んで目に着けるべしと告げます。旅支度を整え御嶽に登山して、水を持ち帰って毎日目に差したところ、日に日に快方に向かい、病が治ったという言い伝えがあります。
江戸時代とは場所が違うのですが・・そんな堅苦しいことは言いません。
16:20 時間も遅いので、木曽駒高原の宿に向かいます。 -
木曽駒高原の宿は勤務先関連の保養施設。美味しい夕食とお風呂で旅の疲れを癒しました。
未明から予報通りに雨が降りだしました。木曽駒高原 自然・景勝地
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翌日の天気予報は雨、沖縄近くに台風がやって来て、その余波で秋雨前線が刺激され、土砂降りになるという予報です。
8時に朝食をとり、まずは前日予定変更した木曽福島の七福神のお寺に行かなければ。 -
9:40 興禅寺 萬松山興禅寺
木曽福島は昭和2年に大火があり、500戸を超える家が焼失してしまいました。
興禅寺も堂宇が焼失してしまいます。
この勅使門も昭和29年に再建されたものです。
門をくぐると、左手に庭園の入り口がありますが、拝観料の掲示があります。
あちこち修造中で、順路の札が出てますが、よくわからない。まずはお寺の玄関を探して、七福神の受付をしてもらわないと・・。興禅寺 寺・神社・教会
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境内をグルグルして、やっと見つけたお寺の玄関、受付と御朱印を頂きました。30代と思しき若い住職さんに七福神の吉祥天は本堂の中なので、本堂に上がってお参りしてくださいと説明を受けました。
拝観料が必要なお庭も七福神の参拝料に含まれています。
本堂はとても大きく立派なもの。
若い住職さんだからか、Facebooにページをお持ちです。 -
ご本尊は釈迦如来 吉祥天は絵画でした。
1434年創建 木曽氏が鎌倉の建長寺の円覚大華をむかえて創建されました。
木曽氏と江戸時代の代官山村氏の菩提寺です。 -
1956年に復元された御影観音堂 修復中でした。焼失してしまった義仲公木造の体内仏を安置しています。
木曽義仲の子孫を名乗る木曽氏は戦国時代まで木曽の領主でした。
江戸時代は木曽氏の重臣だった山村家が木曽代官となります。 -
昇龍の庭 親子三体の龍を表現しているそうですがよくわかりませんでした。
つつじともみじが植えられて、つつじの季節と紅葉の季節はきっと綺麗でしょう。 -
宝物殿は平成11年につくられました。書や絵画、漆の大きな工芸品などがかざられていました。
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一番の見どころは日本一大きい枯山水の庭「看雲庭」 昭和37年につくられたもので庭園前の建物には縁側があり、雨にぬれずにお庭を眺めることができます。
ぼ~っと眺めていたいけど、時間が押していることに気が付いた。 -
本堂の奥の山は墓地になっていて、義仲公と木曽家代々のお墓と、木曽の代官だった山村家のお墓があります。
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義仲公のお墓には、遺髪が納められているそうです。
木曽氏は戦国時代に徳川家の関東移封に伴い下総(千葉県旭市)に移り、1600年頃には改易になり歴史から消えてしまいます。 -
御朱印を頂きました。
ご本尊の御朱印をお願いすると、「木曽殿廟所」と書いた御朱印でした。
お寺を出て観光用の大きな駐車場に車を移動しました。 -
駐車場から上の段という古い町並みのある場所に歩いて移動。
木曽川は昨夜からの雨で増水しています。
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旅行記グループ 2016年 御嶽山と木曽路
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