2016/10/10 - 2016/10/10
280位(同エリア596件中)
アリヤンさん
生駒の山際住宅地の川べりでキャンプ泊して熟睡。
ゆうべテントの中から友人に電話して、今日の午前中に友人宅に立ち寄る約束をしておいた。
今朝は朝4時半ころに起きだした。
外はまだ暗く対岸にも全く人影はない。
川べりのデッド・エンドとは言え、どうも周りには住宅が立っている場所だけに近所の人に気づかれぬうちに引き上げたい。
お茶入れにいれておいた水でサッと顔を洗い、ササッとテントを片付けて自転車に荷造りを終えた。
5時ころになると対岸ではもう車が動き出している。
外はもう薄明りだ。
誰にも気づかれず無事脱出成功!
友人との約束は9時なので時間がかなり余る。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- バイク
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-
前日10月9日のサイクル・マップ。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/161009Map.jpg -
きのうの晩道の駅裏をウロウロして探し当てたキャンプ場所(白い矢印)。
けさ早くテントを片して川の対岸から眺めてビックリ!
こんな住宅街がすぐそばにあったとは!! -
拡大写真で確認。
微妙ですが、絶妙なロケーションだった。
川方面は並木と雑草、デッド・エンドは雑草と山水が流れる水路に阻まれ、住宅側は高い石垣で阻まれた、真っ暗な中でのキャンプ設営には住宅街とはいえ絶妙な場所でした。
近くの橋の上からのショットですが、これでは誰も気づかなかっただろう。
でも明るいうちからテントを張っていたら多分近所の住民に「不審者出没!」といって警察に通報されたカモ。。。 -
こんなところにも周辺の案内板が、、、
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/IMG_0432.JPG
これで新たに発見したのは、その昔に「吉備内親王」という貴族?が実在していたことだ。
「邪馬台国の岡山吉備説」をとなえていた友人が桜井の纏向遺跡周辺の国道上で「吉備」という標識をみて「アリヤン、こんなとこに吉備という地名がある!自分が卑弥呼かその後継者トヨが大和に連れてこられた、という説を裏付ける証拠のヒトツだと思う!」と言っていたのが思い出されたからです。
アレは岡山の吉備ではなくこの生駒の平群あたりに葬られた「吉備内親王」にちなんでの地名標識だったのでは?、と。
*以下ウィキペディアより
吉備内親王は長屋王に嫁ぎ、膳夫王・葛木王・鉤取王を産んだ。和銅8年(715年)2月25日に、息子達が皇孫待遇になる。同年、元号が霊亀となった後に三品に叙される。養老年間に、元正天皇のために東禅院を建立する。これがのちに薬師寺東院堂となる。神亀元年(724年)2月4日に二品に叙される。
しかし、神亀6年(729年)2月、長屋王の使用人であった漆部造君足と中臣宮処連東人の密告により、長屋王が国を傾けるため「左道」を行ったとして、彼は自刃に追い込まれた。吉備内親王も、3人の息子達と共に縊死した。彼女は長屋王と同じく、生駒山に埋葬された。 -
ま、ともあれ、すぐ近くの道の駅「大和路へぐり」に寄ってゆっくりトイレを済ませ、売店前広場にあったベンチに座っておにぎり+お茶でブレック・ファスト。
駐車場にはゆうべから車中泊をしていた人たちが結構居て、そのほとんどがシニアだった。
自分も含めて「シニアにもいろいろ、人生いろいろ」だと思う。
道の駅で売店経営しているシニアもこんな朝5時台から続々と商品・産品搬入にやってきていて結構にぎやかだった。 -
東の山の後ろからの朝焼け。
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さて、6時ころになったのでイザ出発です。
国道168号線を南下をはじめました。 -
きのう来た道を引き返すだけで、国道168から25号線を東へ進むと、法隆寺の参道に当たった。
道の駅で朝ごはんを食べながら「こんなに朝早いと時間をどこかでつぶさなイカンなあ。あっそうだ、近くに法隆寺があったなあ。小学校6年の修学旅行で見学して以来ゆっくりお参りもしてなかったあの世界遺産である法隆寺を拝みにいこう!」と考えていた。
あさも早すぎて人っ子一人も居ない参道をゆっくりと走らせる。 -
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均一の石版が整然と並べられた歩行者参道。
小生、石畳は大好きですがこんな一部のスキもない整然とした石畳はどうもあまりすきにはなれません。
中国蘇州の世界遺産の庭園の石畳⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/SANY7498.JPG
ブルガリアの世界遺産のリラの僧院内の石畳⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/SANY4378.JPG
法隆寺建立時の1400年以上前の石が使われていたら、なおさら素晴らしいのですが、、、 -
イチオシ
これは参道全体(歩道、車道も含め)の真ん中にある、まさに歩いてアプローチする人々のための玉砂利参道。
これはかなり風情があって素晴らしい。 -
真ん中の参道から最初に出会う「南大門」。
朝も早くからお参りの近所の人もいます。 -
南大門。
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南大門から望む中門。
本来ならば中門がみられるはずだが、残念ながら改修中でカバーされています。 -
檜皮葺(ひわだぶき)が美しい西園院と客殿の入り口。
土壁とのコントラストもまた良い雰囲気を出している。 -
護摩堂の伝統的屋根瓦とその曲線美が秋空に映える。
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法隆寺の伽藍配置図。
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これを見て、今参観している場所が「西院伽藍」であること。
五重の塔が西院にあることが分かる。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/IMG_0446L.JPG -
イチオシ
自然と中門の改修覆いの少ない西側にすすんでしまう。
写真を撮るには逆光なのでまずいが、いまさら東側に行くのもめんどくさい。
カメラを構えて初めて逆光に気づいたが遅かった。
朝早いので拝観券売り場もまだ開いていない。
世界最古の木造建造物である五重の塔は外からの拝観となる。 -
廻廊の向こう側、秋空に映える五重塔。
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西室 三経院。
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つち壁。
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その先にある六角形の西円堂。
当方より早くにお参りに来ていたご婦人が熱心に祈りをささげていた。
このお堂の回廊を一度回るたびに小さな祠に立ち止まって祈るのです。 -
西円堂より奥には進めないのでワタクシは引き返した。
入れ替わりに早朝参拝のご婦人方がポツポツと西円堂に上っていく。
どうも女性に人気のお堂のようだ。 -
再度廻廊ごしに五重の塔を臨む。
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改修中の中門横の「法隆寺」の記念碑。
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日の差す東側に回った。
途中にあった手水場の見事な水差し口。 -
蔵のような建造物。
案内図で見るとこれは「網封蔵」らしい。 -
「大宝蔵院」の案内板。
奥にはどうも「百済観音堂」があるようだ。
あの教科書でしか見たことのない「百済観音像」が安置されているお堂だ。
一度は見てみたいものだ。 -
東側からみた五重の塔。
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東大門から西大門方面を見渡す。
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いろんなお堂や院の屋根がつち壁沿いに見える。
その両側の魔よけの瓦がまたそれぞれに素晴らしい。 -
木々の間に見える五重の塔。
*もっと近くから撮れば中門の改修覆いが写り込んでしまうので、東側からは遠目にしか望めない。 -
イチオシ
五重の塔と秋の空。
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中門近くの龍水口。
龍のしっぽが木の中に入り込んでいるところが、まるで本物の動く龍の如しです。 -
改修中の中門前の写真。
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阿吽(あうん)とはこんな漢字を書くのだ、と小さな新発見。
阿形と吽形の迫力ある力士像がこの門の左右にあるようだ。
これは見たいものだ。
残念! -
内側から見た南大門。
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イチオシ
南大門横の洗心寮の屋根瓦。
右に獅子。 -
左に跳ねるウサギ。
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南大門に続くつち壁。
渋さと整然さ・画一さが、遠近に続く。
ニッポン人の性格がにじみ出ているようだ。 -
イチオシ
南大門前の案内板。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/IMG_0481.JPG -
案内板の下には「法隆寺境内図」。
これによると今回の拝観は西院伽藍の部分だった。
東院伽藍はまたの機会としよう。 -
今回の法隆寺拝観の足取り。
拡大版⇒http://www.geocities.jp/ariyan9911/IMG_0482L.JPG
*青点=往路
緑点=復路
自転車は南大門前参道わきに駐輪。
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