2016/08/23 - 2016/08/23
20位(同エリア338件中)
かっちんさん
北海道開拓の村は野幌森林公園内にあり、明治から昭和初期にかけて建築された北海道各地の建造物を広大な敷地に移築復元・再現した野外博物館です。
開拓の村を入り、旧札幌停車場から馬車鉄道に乗ってトコトコと走ると、農村群にある終点の駅逓所に到着します。
開拓使設置(1869年)以降、農業開拓が本格的に行われ、農村群には農家住宅、屯田兵屋、神社、養蚕・農業機械・酪農などの施設があります。
農家住宅は移住者の出身地の住居をもとにして造られており、どれも特徴のある建物です。
隣の山村群では、夕張地区の森林鉄道を走っていたディーゼル機関車を見ることができます。
この旅行記は、馬車鉄道、農村群、山村群の建物を紹介します。続編では市街地、漁村群の建物を紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
イチオシ
近代的な旧札幌停車場
明治41年(1908)に建てられた札幌停車場の正面外観を縮小再現したものです。
昭和27年(1952)に役目を終えるまで多くの道民に親しまれてきました。
米国の同じ頃の木造建築に用いられたスティックスタイルと呼ばれる形式が取り入れられ、下見板と棒(スティック)による模様付けが特徴となっています。
ここが開拓の村の入口です。 -
開拓の村案内図
54.2ヘクタールの敷地に、市街地群、農村群、山村群、漁村群に分かれて建物が移築復元・再現されています。
村のメインストリートには、馬車鉄道(冬は馬ソリ)が走っています。 -
イチオシ
青空に映える旧開拓使札幌本庁舎
明治6年(1873)に建てられた開拓使札幌本庁舎を再現したものです。 -
明治の佇まい「馬車鉄道」
旧浦河支庁庁舎前が乗り場になっています。
片道250円。30~40分おきに運行しています。 -
馬車鉄道
「どさんこ」が引っ張ります。
乗っている時間が5分ほど。 -
ふ~、疲れたぁ~
終点の旧ソーケシュオマベツ駅逓所で5分間休憩。 -
白馬の鉄道
さあ、帰るぞ。 -
イチオシ
トコトコ走る馬車鉄道
馬車鉄道を見送り、農村群の見学開始です。 -
旧若狭家 たたみ倉
道南の上ノ国町周辺で見かけた江戸時代末期の建物を復元しています。
倉は直方体の角材を積み重ねて外壁を作り、屋根をかける校倉造りです。
倉の中に、家具調度、漁具、農具などを収納しました。 -
旧ソーケシュオマベツ駅逓所
喜茂別村と徳舜別村の中間地点で、明治42年(1909)から昭和9年(1934)まで営業していた官設駅逓所です。
駅逓は、明治・大正・昭和にかけて、荷物の搬送や郵便・宿泊などの業務を行い、北海道の開拓に大きな役割を果たしました。 -
客室(駅逓所)
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北海道の駅逓所
道内に設置された官設の駅逓所は、のべ517ヶ所におよび、時代の変化とともに次第に機能が失われ、昭和22年(1947)に全廃されました。 -
奥行臼(おくゆきうす)駅逓
2011年7月にかっちんが道東の別海町を訪れた時に見かけた駅逓です。
明治43年に開設された奥行臼駅逓で、今でも建物が残されています。 -
駅逓所厩舎(えきていしょ きゅうしゃ)
駅逓では、人や荷物の運搬、農作業に馬が使われたので、付属する建物として厩舎(馬小屋)が設けられました。
この厩舎は大正4年(1915)に建てられたものを再現しました。 -
馬車鉄道の車庫
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旧田村家北誠館蚕種(さんしゅ)製造所
絹の原料となる蚕の卵をとる建物です。
明治38年浦臼村に建築した建物を復元しました。
蚕種の製造販売を行うかたわら、多くの養蚕技術者を養成しました。 -
種羊場
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旧農商務省滝川種羊場機械庫
この建物は農商務省の技師が北欧の建築様式をとり入れて設計した大正10年の農業機械庫を再現しました。
基礎には自然石を積み、小屋組は洋風構造のキングポスト・トラス組で、建物の正面と左右には下屋が設けられています。 -
ホイールトラクター
左から昭和30年代のイギリス製、昭和初期の米国製、昭和30年代のカナダ製です。 -
亜麻脱粒機
昭和30年代のベルギー製です。 -
グレンドリル(麦類用)
昭和初期の北米式です。 -
旧岩間家農家住宅
岩間家は旧仙台藩亘理領の士族移民団の一員として、明治4年(1871)に入植した畑作農家です。
この建物は、明治15年(1882)に郷里の大工によって建築され、間取りなどに郷里の建築様式が受け継がれています。
一方で、仙台地方ではあまり見られない石置きの屋根が採用されています。 -
小屋組(岩間家)
小屋組は、太いヤチダモ材を多く用い、井桁状に交互に5段に組合わせて構成しています。 -
板の間の流しと茶の間(岩間家)
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旧納内屯田兵屋
納内(おさむない)に屯田兵が入地したのは明治28・29年で、家族とともに暮らし、北辺の警備と農業開拓に従事しました。
当時、暮らしていた建物が復元されました。 -
旧山田家養蚕板倉
開拓使は、屯田兵の授産事業として養蚕を奨励し、琴似兵村ではその成果がみのって、屯田兵の中に独自の養蚕施設を持つ人も現れました。
この板倉は、屯田兵として入植した山田家が明治14年(1881)頃に建てたものが復元されました。 -
旧河西家米倉
厚別地区での米作りは、明治16年(1883)長野県からの移住者によって始められました。
この米倉は明治30年(1897)に最初の移住者の一人である河西由蔵が建てたものを再現しました。 -
井戸
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村の馬頭観音
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旧信濃神社
厚別地区は、長野県諏訪地方の出身者が多かったので信濃開墾地と呼ばれ、神社を建立するにあたって、郷里の諏訪大明神の御分霊をいただき、信濃神社と命名しました。
明治30年(1897)の神社がここに復元されました。 -
狛犬(信濃神社)
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旧樋口家農家住宅
樋口家は富山県から移住した水田農家で、明治26年(1893)に入植し5年目にこの家を建てました。
富山出身の棟梁に建築を依頼し、郷里の建築様式であるワクノウチ造りを取り入れましたが、材料は近くの原始林から切り出したといいます。
復元に際し、同じ建築様式の山口家の解体材もあわせて使用しました。 -
広間(樋口家)
広間の天井にみられるように、太い木材を交互に組合わせ、箱状の強固な骨組みを作る構造をワクノウチ造りといいます。 -
土間(樋口家)
米俵、臼、踏車などが置かれています。 -
てこの井戸(樋口家)
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旧小川家酪農畜舎(修復中)
この畜舎は、大正末期のアメリカで発達したバルーンフレーム構造の建物を復元しました。
軟石サイロはのちに厚別農家より譲り受けて移築したものです。 -
旧菊田家農家住宅
野幌原野の開拓を計画した新潟県長岡の北越殖民社の一員が、移住直後の明治26年(1893)頃に建築したものを復元しました。 -
竈、井戸、流し(菊田家)
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居間(菊田家)
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開拓小屋
開拓小屋は移住者が最初に建てた住居で、明治期のものを再現しました。
丸太を埋め立てて柱とし、桁・梁・垂木をわたし、笹・茅などで屋根や壁を葺き、出入り口・窓にはむしろを下げています。 -
開拓小屋の内部
内部は一部が土間で、他は笹・枯草を重ねた上にむしろを敷いて居間とし、炉を設けています。 -
イチオシ
これっ、僕のもの
エゾリスが大きなクルミを抱えています。
駐在のお巡りさんが、木の上を指差して教えてくれました。
このお巡りさん、村の中を案内している職員の方です。 -
移動するときは口にくわえるエゾリス
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旧札幌拓殖倉庫
札幌軟石を使用したこの倉庫は明治40年(1907)五十嵐倉庫合名会社により造られ、その後札幌拓殖倉庫株式会社に引き継がれました。
この建物は札幌駅北側に隣接し、線路に直角に位置していた6棟の内の一番西側の棟です。
開拓期の農産物の集散に大きな役割を果たし、地域の発展に貢献しました。 -
大八車(拓殖倉庫)
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森林鉄道の機関庫
山村群に移動すると、木造の機関庫を発見。
大正末期に置戸町に建てられた機関庫で、写真資料や聞き取り調査をもとに再現しました。 -
運材貨車(森林鉄道)
丸太を積んだ貨車がいます。 -
イチオシ
ディーゼル機関車(森林鉄道)
下夕張鉄道で使用されていた野村組工作所製のディーゼル機関車です。
下夕張鉄道は昭和20年から昭和30年代後半まで国有林伐採・搬出に活躍していました。 -
ディーゼル機関車(森林鉄道)
下夕張鉄道・夕張岳森林鉄道で昭和31年~41年廃止まで使用された酒井製作所製のディーゼル機関車です。 -
自動トロリー(森林鉄道)
詳細は不明です。
開拓の村では、北海道開拓の歴史について、建物を見ながら知ることができました。
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