2016/09/22 - 2016/09/22
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belleduneさん
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秋分の日前後に晴明祭があると知り、初めて晴明神社へやって来ました。子供の頃からお祭りは余り好きではなかったのですが、今回は京都にちょうど居るので、見に来ました。生憎の曇り空でしたが、それ程大きくない神社には近隣の人や外国人が多かったので、驚きました。この時期御神輿を担いで歩く光景を見ることが少ないからでしょうね。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
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市バスを乗継いで、辿り着いた清明神社。平安中期の天文学者・安倍晴明公を祀る神社です。寛弘4年(1007)の創建。晴明公の屋敷跡である現在地に社殿があります。当初は、東は堀川通、西は黒門通、北は元誓願寺通、南は中立売通と広大なものでしたが、豊臣秀吉による都の造営や度々の戦火で縮小していきました。古書、宝物も散逸して、社殿も荒れ放題でした。その後、式年祭の度に氏子が中心となって、改修が行われていきました。昭和25年(1950)に、現在の堀川沿いの境内が拡大されたそうです。
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晴明公が念力で湧き出させた井戸だそうです。
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ちょっと並んでお参りしていきます。本来、2列なんですが、左の男性がずっと鈴を鳴らして、15分以上お祈りしていました。その勢で、右側だけの1列だったため、かなり時間が掛かりました。こういう時、声を掛けない方が良いのでしょうね。何かを念じているのですから...
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安倍晴明公像は、衣の下で印を結び、夜空の星を見て、遠く天体を観測している様子を表しているそうです。
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境内の帰郷苑。社紋「晴明桔梗」のモチーフになっています。境内には約200株の桔梗が植えられているそうです。
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中程に見える門が四神門で、晴明公が住んでおられる当時、朝廷からの遣いが訪れると、門は1人で開き、門から出るとまたひとりでに閉まったと伝えられています。しれに因んで、現在も電動開閉になっているそうです。石柱の上に四神(東の青龍、南の朱雀、西の白虎、来た玄武)が掲げられています。
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弐の鳥居の霞屋町通にも人が溢れてきました。私は道脇の一段高くなった石段にずっと立っていたので、御神輿の様子を見ることができました。
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御神輿を掲げて、何か叫んでいました。これから出発するので、掛け声のようなものでしょうか。
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小さな御神輿ですが、どの位の重さなんでしょう。
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目の前を通り過ぎて、堀川通へと進んでいきました。
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藤田家住宅へは堀川通を上って行きます。交差点の向こうに春に和菓子作りを見ながら、お抹茶を頂いた「鶴屋吉信」が見えてきました。後の高いビルの前部に昔ながらの低層部を復元して改築しています。
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昔、堀川が氾濫した時、舟を繋いで舟を橋としてことから、この地がこう呼ばれたそうです。カエサルも同じ方法で、ライン川を渡ったと思うのですが、皆同じことを考えるのでしょう。
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やっと中立売に着きました。
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藤田家住宅も9月30日までの期間限定で公開されていますので、ここでも私が帰る頃に団体客がやって来ました。今日は良いタイミングで見て廻ることが出来ています。
明治期の東棟(今見えている棟)と昭和期の西棟からなる藤田家は、帯製造業を営んでいた西陣の町家住宅。通に面した2階に格子窓、虫籠窓が見えています。ここでも、ボランティアの方が説明されていました。人に因って、詳しさが異なるのは仕方ありませんね。 -
東棟の表玄関です。
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京町家の造りで、高い天井、右手にはお勝手、炊事場と続いているのでしょう。
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この奥へは行けませんが...
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中から、ぐるっと廻って行くと、西棟の応接間へ出ます。大工・高源次郎によって、昭和10年に建てられたものだそうです。
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天井は網代になっていて、アールデコのランプがあります。昭和初期の洗練された意匠となっています。
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外の高塀も、窓が高い位置に大きく取られているため、部屋全体がとても明るいですね。細工が込んでいて、上窓の桟が美しい。
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照明のデザインがよく見えるように暗くしてありましが、実に落ち着く室内です。ここにある全ての家具が特注で、座った時の目線が床に座った時とそれ程変わらないように、低い足となっているそうです。
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暖炉脇の戸袋も凝っています。
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見上げると8mを超す3層吹き抜けの板敷きの間があります。今見えている板張りの部分も節目や穴を生かした面白い景色となっています。ここでは、織物の品質検査のために明るい空間が必要だったそうです。
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採光を考えた設計となっています。
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畳は昔の儘となっている六畳座敷。目の細かい藺草で、滑らかなため、素足で歩くと足形が畳に残るそうです。
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床柱は、杉の絞り丸太(床のやや黒いもの)が、柱には杉丸太が使われています。長押を使わない、数寄屋風の意匠となっているそうです。板敷きに水屋を置いて、茶室としても使用されました。
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床の間横の細長い襖には仏壇があると説明されていました。天井は、赤目杉の正目張りという贅沢さです。
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隣の8畳座敷です。こちらの床柱は、檜の角柱を使って、床、地袋、付書院のある書院造りの意匠となっています。
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8畳間に敷いてあった目の詰まった見事な藤網代です。
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「杼」(ひ)の形を地袋や戸袋の引手に使われていました。
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8畳にある引手部分です。
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8畳の天井は松板。天袋には今、黒くなってしまいましたが、銀箔が張られていたので、黒ずんでしまいました。帯地が色んなところに使われています。
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向いの茶室は、表千家堀内宗完が名付けた「養心」です。内部を見ることができず、残念です。
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その隣はお蔵です。
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帯屋の旦那として粋な趣味人だったそうです。女性相手の商売だけに、浮き名を流したことでしょう。左の網代戸は引き戸になっていると思われます。
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お蔵の奥は、東棟です。
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夏仕様の涼しげな戸
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節を模様に見立てた夏仕様の座敷の縁側方向の引き戸
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8畳座敷の書院窓の夏仕様になっている竹籤の窓を外から見ていますが、手作業で職人が1本1本削ったものだそうで、綺麗な仕事になっています。機械だとこれほど細く綺麗には仕上がらないとのこと。
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その上の部分も透かしが入った手仕事です。
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六畳座敷からみた中庭と茶室の景色
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縁側の天井周り
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2階の階段を上がった踊り場
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2階へ上がって、吹き抜けの部分を見下ろしたところです。
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帯の糸には欠かせない秤
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天窓のある吹き抜け部分はこうして見ると明るいですね。
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2階は南北端に8畳座敷が2つあり、居室、仕事場として使われていました。
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