2016/09/22 - 2016/09/22
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belleduneさん
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京町家友の会には京町屋netで「いけずのひとりごと」というコーナーがあります。京都弁で書いてあるので、面白いですよ。興味のある方は、kyomachiya.net で検索してください。Q&Aも知らないことがあり、そうなんだと発見することもありますよ。
まるたけえびすにおしおいけ、あねさんろっかくたこにしき...と歌いながら、歩いていても、えっとどこだっけと標識を探しています。
今年に入って、次々と町家風に改築した路面店がオープンしています。特に明倫学区内に目立ちます。力を入れているんですね。これに引き換え、河原町通はここはどこ?という程のビルが建ち並んでいます。もう少し早く規制できなかったのでしょうか...
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- 徒歩
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蛸薬師堂が祀ってある永福寺のある新京極通から蛸薬師通、三条通などを烏丸通方向へ歩いて行きます。
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旧富田歯科医院は現在、色んな交流の場として使われています。
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旧毎日新聞社京都支局、現在「1928ビル」で、ギャラリーや店舗が入っています。1928年に竣工したので、現在の名前の由来となっています。武田五一設計、大林組施工。地下1階、地上3階で、当初「京都大毎会館」として建設され、1998年まで毎日新聞社がありましたが、丸太町へ移転となり、その後、若林広幸が設計て、現在のアートコンプレックス1928に。
3階に見える星型の窓は、毎日新聞社の社章だったそうです。 -
3階のバルコニーも面白い形をしています。次回は3階のバルコニー部分を見てきます。
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特にエントランスが凝っています。
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両脇の柱部分や柱上の照明など当時流行っていたアールデコ。
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エントランスを入った扉上部の灯り
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タイル張りの床
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ギャラリーが小部屋に分かれていて、奥には少し広いスペースのギャラリーがありました。
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三条通から御幸町通へ入ったところから見たビルの側面。窓が異なる形をしていて、面白いですね。
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電信柱がその内なくなるともう少し景色が良いのですが。
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栃木レザーを使ったバッグコレクションで人気の「 SLOW 」の路面店がここに今年開店したばかり。町家を改装した粋な構えになっています。
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ここは何度も通っていますが、日本では珍しい設計もその筈、かのブルーノ・タウト指導の元に、建てられました。施工は、あめりか屋。明治42年に渡米生活から帰国した橋口信助が東京に家具、建具店を開店。その後、大正12年に山本磯十朗があめりか屋京都店を設立します。アメリカ屋が施工したものとしては、同志社大学新島会館、富岡鉄斎邸、武田五一邸等。
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ここも当初は林内科・辛島外科の医院住宅でした。今年は医院の看板がなかったので、個人宅になったのでしょうか。遠目に拝見します。いつか内部が見られると良いですね。
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その向いにあるのが、旧生祥小学校ですが、今後何が出来るのでしょうか...
旧生祥小学校は、昭和13年(1938)に京都市営繕課の設計、清水組の施工で、鉄筋コンクリート造3階建てとして建てられました。1993年に閉校となっています。 -
旧小学校の塀に張り紙がありました。
この地は、江戸初期に「麩屋町誓願寺下ル町」といい、書店「八文字屋」があったところでした。当時、本屋は典籍、草紙類の版元で、印刷(木版刷り)と製本(和綴じ)。販売おいう出版物発行のすべてを行っていました。江戸初期に日本の出版業がここ京都で始まり、次第に東京、大阪でも盛んになっていきます。明治までは京都が出版の一大都市でした。ヴェネツアのようですね。
江戸初期には、仏書、儒書、漢詩文書、和学書、和歌書、医書、俳諧書、教科書、遊芸書等が出版されていましたが、中期になると、一般庶民を対象にした劇書、噺本の出版も多くなっていきます。「八文字屋」二代目の代になって、「絵入り狂言本」や「役者評判記」などを発行して、劇書では第一の版元となります。今の週刊誌、ゴシップ記事の類いでしょうか。また、江島其磧の「けいせい色三味線」「傾城禁短期」などの「浮世草子」という大衆小説本がベストセラーとなり、文学史上「八文字屋本」と呼ばれる時代を築きました。その小説作法は、江戸後期の小説本や明治の小説にも大きな影響を与えたそうです。 -
「四角△◯ 株式会社 asa itis 」は、「 ありのまま 」。築百年の町家を改築して、創作石釜料理「只」、生活雑貨と器「◯△四角」、雑貨「カフェ まるさんかくしかく」、ヘアーサロン「as itis 」を併設した複合店舗となっています。面白そうなお店なので、次回は夜に来てみます。
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かなり横長の店舗ですが、4店舗入っているので、当然でしょうか。
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取壊された跡がくっきり残る壁も味があります。横のスペースは現在、駐車場ですが、今後何か建つのでしょうか。
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「宮脇賣扇庵」は、文政6年創業の老舗扇店。HPに扇作りの20行程がアップされています。扇は、平安初期に生まれ、「檜扇」と呼ばれ、木簡(細長い、薄い木を繋いだもの)でした。この後、竹や木の骨に、片面だけ紙を張った「蝙蝠扇」(かわほり)や「透扇」、「切透扇」へと多様化していきました。鎌倉時代に禅僧が中国へ渡り、扇の両面に紙を張ったものが「唐扇」となって、室町時代に再び日本へ入ってきました。江戸時代には「京の三職」(冠、絵帽子、扇)として栄えました。江戸後期に、インドやヨーロッパのルイ王朝へ伝わったということです。
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店先は休憩したり、タバコ盆が置いてあるので、ここで一服する方もお見受けしました。こういう老舗店は良いですね。
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有職御雛人形司・大木人形店。屋号は丸屋。江戸明和年間からお雛京人形店として皇室、旧家に雛人形を販売さていました。当主は代々大木平蔵を継いでいて、現在七代目です。パリ万博では、金賞を受賞しています。毎年3月に「雛人形展」が開催されます。
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今年改築し、開店した1,2階が商業施設のビルです。3階以上はオフィス・住居スペースでしょうか。
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1階左手に見えるのが、The North Face の路面店です。 頑張ってますね。
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長谷川松寿堂は、大正8年(1919)創業の老舗和紙工芸品の専門店です。新しいビルになって、この暖簾の奥に広い店内が広がっています。
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こういう古い町家も残して欲しいですね。
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その隣は、旧村西家住宅を修復して、公益財団法人京都市景観まちづくりセンター及び特定非営利法人京町家再生研究会に使われています。ワールドモニュメント財団を通して、フリーマン財団(米)とエドワード・スタジンスキー氏、アンスタジンスキー氏の協力の元に実現しました。
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ちょうど、ここで働いている女性が来られたので、質問すると、ここで待つように言われました。内部も見たかったのですが、居住スペースもあるのでしょうか。
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戸口の郵便受けが右から書いてあるのが良いですね。
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「八百三」の柚味噌店は、宝永5年(1708)の創業。創業から大正まで、八百三は精進料理を生業としていて、御所、知恩院などの社寺に仕出しをしていました。独自の製法で作った「柚味噌」を考案したのは、初代・八幡三四郎で、精進料理に欠かせないものです。一子相伝によって三百年間、変わらない味を保っています。
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角地に建つ「亀末廣」和菓子店は、文化元年(1804)の創業です。支店を設けず、他では一切販売していない老舗ですが、暖簾分けをしているので、多くの「亀廣」名を持つ和菓子店があります。例えば、亀廣永、亀廣宗、亀廣保、亀廣脇、亀屋廣房、末富、名古屋や大阪にも暖簾分けしたお店があります。
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京都には、「五亀二鶴」といい、5軒の亀屋と2軒の鶴屋の和菓子屋が有名でした。その後、暖簾分けでどんどん増えていきました。
この「亀末廣」の暖簾の文字は、「寿恵飛呂」(すえひろ)で、周囲を亀となっています。 -
旧京都商工銀行は、現在ウィングス京都・京都市男女共同参画センター。
明治41年(1908)に建てられた京都商工銀行は、藤森松太郎(清水組)設計、清水組施工で煉瓦造りの建物でした。大正時代に第一銀行と合併。昭和4年、京都市の所有となり、中京区役所庁舎になりました。1955年〜1960年には、「アメリカ文化センター」として、1960年から「中京青年の家」として使用されていました。平成6年(1994)に「女性の自立と社会参加を支援する」目的で開設されました。その後、2006年、「京都市女性総合センター」から「京都市男女共同参画センター」へ名称変更。 -
東洞院通に面した外観だけが残されています。内部も一部残されていました。
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これは、中京青年の家として使われていた頃の模型です。
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「SACRA」は、旧不動産貯蓄銀行京都支店でした。大正5年(1916)竣工。1階は煉瓦造り、2、3階は、木骨煉瓦造りとなっています。不動産貯蓄銀行の旧店舗は、全国に4棟残っています。その内、京都七条烏丸の七条支店が現存しています。昭和5年に関根要太郎の設計で建てられました。
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旧家辺時計店は現在、京都ダマシンカンパニーの店舗となっています。明治4年(1871)創業の時計・宝飾の家辺時計店として建てられました。木骨煉瓦造りの2階建てで、現存する最古の洋風商店建築です。当初は、時計台と塔屋が屋根上に聳えていたそうです。京町家の居住空間が背後にあり、中庭を挟んで、土間で店舗と繋がっている「京町家の表屋造り」です。
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かなり老朽化が進んでいるので、この外観を残して建替えするにも資金が相当掛かりそうです。
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隣は現在建設中。
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昨夜通った時に撮ったものですが、昼と夜では全く印象が違いますね。
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旧日本生命京都支店旧棟は、現在1階が店舗になっています。
大正3年(1914)に辰野片岡建築事務所の設計、山本鑑之進の施工で建てられた煉瓦造り、銅板葺きです。現在、隣接した社屋があります。 -
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京都府京都文化博物館は、何度も来ていますが、外観を写真に撮っていませんでした。旧日本銀行京都支店として明治39年(1906)に辰野金吾と長野宇平治の設計で建てられました。昭和40年(1965)まで日銀として使用されていました、1988年10月に、平安建都1280年記念事業として「京都府京都文化博物館」が創立されました。公益財団法人京都文化財団の運営です。
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この三条通に面した建物は、別館で、敷地面積884,4平方m、旧金庫棟(現在コーヒーショップ)は181平方m。
前回、展覧会を見た後、旧金庫室だったコーヒーショップでランチをした記憶があります。その時は、金庫室だとは知らず... -
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中京郵便局は、明治4年に西京郵便役所として開設されました。
その後、明治35年(1902)に逓信省の吉井茂則・三橋四郎の設計、安藤組の施工で京都郵便電話局の新局舎が、ルネッサンス様式の赤煉瓦造りで建てられました。 -
東洞院通に面した入口から入ると、これまでの経緯の資料や写真が壁に展示してあります。
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新局舎は床面積8900平方mで、地下1階、地上3階。外観は2階建てですが、内部は3階建てとなっています。床高により、窓の位置がたかいので、1階〜2階の床を下げるのには限界があるため、3階の食堂は屋根裏に設置し、窓ではなくて上部に採光部を造りました。
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明治35年頃は、駅馬車で郵便輸送が行われていたため、旧局舎は、馬車の高さに合わせた郵便受け渡し口が設置されていました。床高約190cmのため、中央階段は9段となっています。
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これが9段の中央階段です。
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平安京の三条大路北、東洞院大路東に位置するこの地は、平安京時代の以仁王の高倉宮、室町から明治初期にかけての五百年間は、禅宗、尼寺・雲華院があったところでした。昭和50年、中京郵便局新築時に発掘調査した際、平安京の東洞院大路の側溝と認められる溝が発見されました。溝は、3本、最も長いものは約50mも延びていました。この付近の条坊を復元すると、現在の町並みが平安京の条坊の面影を良く留めていることが分かるそうです。溝の幅は、約4尺(1,2m)で、「延喜式」に記載されている大路の側溝の幅と一致しているという。
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左右の階段は4段に切り下げて、自動ドアが設置されました。
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三条通から見ると3つの階段の違いが良く分かります。
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郵便局内に展示してある当時の資料
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