2016/09/03 - 2016/09/03
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morino296さん
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横浜は開港と同時に近代化が進み、いろんなものが始まりました。
街を歩くと、「発祥の地」や「日本ではじめて」などを見つけることが出来ます。
普段の散歩で見掛けているものも多いですが、今回は意識的に「発祥の地」を巡ってみました。
国歌「君が代」は横浜生まれ?
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妙香寺 門前にある「国歌君が代由緒地」の石碑
JR根岸線 山手駅から徒歩10分余り(石川町駅からも歩けます)にある妙香寺。
リオオリンピックでも何度か聞いた国家『君が代』、日本らしい曲調とはいえ、勝負をする時に聞くには、ちょっと地味な気もしませんか。
その国歌「君が代」が横浜生まれと聞いてビックリ!本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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妙香寺の入り口
道路にも妙香寺入口とあるように、昔は広い寺領を持つ名刹。
石碑の少し先にある石段を上り山門から境内に入ります。本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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妙香寺 本堂
弘仁5年(814)創立、平安時代初期から続く歴史ある寺で、明治に外国人の居留地となるまでは山手公園のあたりも妙香寺の寺領だったそうです。本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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妙香寺 『日本吹奏楽発祥の地』の石碑
石碑にデザインされているのは、洋装で演奏する薩摩藩洋楽伝習生たち(薩摩バンド)。
『国歌君が代発祥の地』について調べてみると、まず『日本の吹奏楽発祥』があって、そこから『君が代』が誕生したことが分かりました。(少し長くなりますが)
明治2年(1869)、鹿児島湾に停泊していたイギリスの軍艦から聞こえる軍楽隊の音楽に薩摩藩主・島津久光が感銘を受け、薩摩藩に軍楽隊を作ることを決意し、イギリス軍に指導を要請したところ、横浜駐留のイギリス第十連隊第一大隊の軍楽長J.W.フェントンが指導することとなり、32名の薩摩藩士を「薩摩藩洋楽伝習生」として横浜に派遣し、イギリス軍の駐留地に近いここ妙香寺が寝泊りと練習の場所となったそうです。
1年後には、薩摩藩洋楽伝習生はフェントンの指揮のもと、妙香寺の隣にある山手公園の演奏会に出演し、その様子は、当時、横浜に居住する外国人向けの新聞『ザ・ファー・イースト』が「薩摩バンド」として紹介し、短期間で、楽譜の読み書きをマスターし、マーチを演奏できるほどになったことを褒めたそうです。本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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妙香寺 境内にある『国歌君が代発祥の地』の石碑
薩摩藩洋楽伝習生への指導がはじまる時、フェントンは日本国歌の作譜から指導を始めようとしたが、その時点で国歌がなかったため、伝習生の穎川(えいかわ)吉次郎が、当時薩摩藩の砲兵隊長であった大山巌(西郷隆盛の従兄弟、明治の元老)にそれを伝えたことから『君が代』が誕生したと伝わります。
折しもこのころ、イギリスのエジンバラ王子の来日があり、儀礼に演奏する日本国歌の必要性が高まり、大山巌を代表とする薩摩藩士たちは、日本にも国歌を作ろうと検討をはじめ、 古今和歌集に記載され、おめでたい歌として小唄、長唄から浄瑠璃でも幅広く親しまれていた『君が代』を歌詞として選んだそうです。
(これは大山巌の愛唱歌でもあったとか)
「君が代」の歌詞にフェントンが作曲して国歌が誕生したそうです。
(はまれぽ.COM参照)本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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妙香寺 日本吹奏楽発祥 147年記念演奏会のポスター
毎年、体育の日に、フェントン作曲の『君が代』の演奏会が行われています。
横浜にゆかりある初代『君が代』は、讃美歌風の美しいメロディだそうです。
ところで、現在の国歌になったのは何時?
当時、讃美歌風の曲がなじまないとのことから、明治13年に現在の曲に変わったようです。(ちなみに、正式に国家となったのは、平成11年(1999))本牧山妙香寺 寺・神社・教会
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山手公園にある「日本庭球発祥の地」碑
山手公園は、明治3年(1870)、山手居留地に住む外国人が日本政府から土地を借りて開園した日本最初の洋式公園。
また、明治11年(1878)、山手公園内に居留地の女性たちによって日本で初めてのテニスクラブである「レディーズ・ローンテニス・アンド・クロケー・クラブ」が結成され、5面のテニスコートを造ったのが、日本のテニス発祥とされています。
現在も、居留地時代のテニスクラブに由来するYITC(ヨコハマ・インターナショナル・テニス・コミュニティテニスクラブ)と横浜市でコートを所有しているそうです。山手公園 公園・植物園
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山手公園 テニスコート入り口
ヒマラヤスギと桜の並木があります。山手公園 公園・植物園
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山手公園 テニスコート入り口のヒマラヤスギ
「ヒマラヤスギ、初植栽の地」
横浜市の名木古木に指定されています。
ジャパン・ヘラルド社のイギリス人ヘンリ−・ブルックが、インドのカルカッタからヒマラヤスギの種子を輸入し、山手居留地一帯に植えたのが日本で始めてのヒマラヤスギだそうです。
インドがイギリスの植民地だった頃から、ヒマラヤスギは形の美しさから庭園の木として、人気があり、たくさんの苗木に育ち、皇居に献上されたり、新宿御苑をはじめとした公園樹として全国に広がっていったそうです。
しかし、昭和40年代に入るころから、大きくて邪魔だと言う理由から、伐採が進み、山手公園のヒマラヤスギも枝を切られたり、台風などの影響を受け倒れたりしたため、大木は数十本しか残ってないそうです。山手公園 公園・植物園
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山手公園にある横浜山手テニス発祥記念館
平成10年(1998)、テニス発祥120周年を記念して「横浜山手・テニス発祥記念館」が設立されました。横浜山手 テニス発祥記念館 美術館・博物館
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横浜山手テニス発祥記念館の館内
ロングスカートに日よけ帽でテニスをする西洋の貴婦人たちの様子が展示されています。
当時のテニスは、優雅にプレイされていたことでしょうね。横浜山手 テニス発祥記念館 美術館・博物館
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横浜山手テニス発祥記念館の館内
100年以上昔のラケットなど、当時を思い起こさせる貴重な品々が展示されています。横浜山手 テニス発祥記念館 美術館・博物館
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横浜山手テニス発祥記念館のステンドグラス
横浜山手 テニス発祥記念館 美術館・博物館
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山手公園 テニスのクラブハウス
クラブハウスは関東大震災後に外国人住宅として建てられた旧山手68番館の建物が使われています。 -
山手公園 日本最初の洋式公園の碑
テニスのクラブハウス前にあります。山手公園 公園・植物園
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山手公園 日本最初の洋式公園の解説
横浜居住の外国人の間には山手方面に専用の遊園地を望む声があり、慶応2年(1866)に外国公使団との間で結ばれた「横浜居留地改造及競馬場墓地等約書」(慶応約書)によって要求が認められましたが、この中の公園計画は具体化しないで終わりました。
明治2年(1869)に居留地代表から改めて要求が出されたのに対し、日本政府は妙香寺付近の約6千坪を、慶応約書で約束した土地の代替として貸与しました。
公園の造成は居留民が行い、明治3年5月に開園したのが山手公園です。山手公園 公園・植物園
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山手公園
国指定名勝の碑とテニスコート。山手公園 公園・植物園
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山手公園
明治3年、この広場で薩摩バンドが演奏をしたそうです。山手公園 公園・植物園
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カトリック山手教会聖堂
「開国後最初のカトリック教会」
1933年に建てられた鐘楼をもったゴチック式鉄筋コンクリート作りの美しい聖堂。
設計者は山手教会信徒・チェコ人のスワガー氏。
山手本通りに数ある教会の中でもひときわ存在感があります。カトリック山手教会聖堂 寺・神社・教会
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カトリック山手教会の解説
聖フラシスコ・ザビエルにより日本宣教が始まった1549年の後、厳しいキリシタン弾圧が続いていましたが、幕末の1859年開港時に日本再宣教のため、パリ外国宣教会のジラール神父らが来日しました。
1862年横浜居留地80番地(現横浜市中区山下町80)に「横浜天主堂」(イエズスの聖心教会)が献堂されました(国宝・長崎大浦天主堂が献堂される3年前の事です)。
近代日本最初の教会であり、現在のカトリック山手教会の初代聖堂です。
1906年、天主堂付近の市街化により移転を行い、山手町44番地(現教会番地)に双塔を持つゴチック風の威風堂々とした聖堂が献堂されました。
しかし、1923年の関東大震災によって崩壊、就任間もない主任司祭ルバルべ神父はその犠牲となりました。
その後、約10年の建設募金活動等を経て、1933年に鐘楼をもったゴチック式鉄筋コンクリート作りの美しい現在の聖堂が献堂されました。
設計者は山手教会信徒・チェコ人のスワガー氏です。
この司教座教会は教区の母なる教会であるだけでなく、1988年に横浜市の歴史的建造物に認定され市の文化的建物でもあります。カトリック山手教会聖堂 寺・神社・教会
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カトリック山手教会 中庭に立つマリア像
明治元年(1868)、フランスから贈られたもの。カトリック山手教会聖堂 寺・神社・教会
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山手80番館遺跡
山手西洋館エリスマン邸の左手裏にあります。
ここに展示されているタイルは、遺構から出土したものの複製だそうです。
遺跡の周囲には散策路から張り出すように展望デッキが設けられ、見学することができます。山手80番館遺跡 名所・史跡
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山手80番館遺跡
フランス人マクガワン夫妻の住居で、鉄筋補強のレンガ造りによる三階建ての建物でしたが、関東大震災で倒壊したそうですが、最近になって発掘されました。
玄関ホール、暖炉、サロンや使用人部屋などを備えた豪邸だったようです。山手80番館遺跡 名所・史跡
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横浜バプテスト神学校発祥の地
山手80番館遺跡から坂道を少し下ると、「横浜バプテスト神学校発祥の地」碑があります。
なんと、チャリティーバザーのポスターが貼ってあったので見過ごすところでした。横浜バプテスト神学校発祥の地 名所・史跡
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横浜バプテスト神学校発祥の地
1884年10月6日、ここ山手でA.A.ベンネットが横浜バプテスト神学校を設立。
関東学院キリスト教教育の源流はここに発する。
2009年10月 創立125周年記念 学校法人関東学院横浜バプテスト神学校発祥の地 名所・史跡
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ジェラールの瓦工場と水屋敷跡
(西洋瓦製造発祥の地)
元町公園のプール横にこの解説があります。
この地は、明治初年フランス人アルフレッド・ジェラールが居留地建設にともなう西洋瓦や煉瓦を製造した工場ならびに水屋敷跡です。
ジェラールの経歴については不明な部分が多いのですが、居留地77番〜79番の約 3,370坪(約11,200平米)を落札し、永代借地権を獲得して蒸気機関を原動力とした工場を経営しました。
「日本絵入商人録(明治19年刊)」によると製品には、 西洋瓦・普通及穿孔煉瓦・土管・タイルなどがみられます。
1873年(明治6年)の製作年号のある瓦が確認される最古のものです。
また、ジェラールはこの地から湧き出る清泉を代官坂に溝を掘って掘割に通し、「船 用最上引用清水販売所」の看板を掲げて、船舶に販売しました。 水屋敷の呼び名がここから生れました。
大正12年(1923)の関東大震災により崖が崩れ、工場は倒壊してしまいました。
跡地は震災の復興に際して市有地となり湧き水を利用してプールを建設しました。
横浜市教育委員会文化財課
財団法人 横浜国際観光協会
平成5年3月ジェラールの瓦工場と水屋敷跡 名所・史跡
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ジェラール水屋敷跡 地下貯水槽(上部貯水槽)の解説
元町公園のプール前にあります。
昭和63年、先に発見されていた下部貯水槽のわき水調査を行った時に発見されました。
ジェラールが船舶給水業を行うために建設したもので、この水は明治時代に船乗りたちの間で「インド洋に行っても腐らない」と評判を呼んだものです。
”ミナト・ヨコハマ”を世界的に有名にした「水」の貯水槽です。
この上部貯水槽には、周囲の山からの湧水が毎分約50リットル流れ込み、水位が1mほどになると下部貯水槽へ流れるような仕組みになっていたそうです。ジェラールの瓦工場と水屋敷跡 名所・史跡
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元町公園 せせらぎ広場
突き当りがプール管理棟、上部貯水槽となります。元町公園 公園・植物園
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元町公園にある「我国塗装発祥の地記念碑」
ペンキが横浜で始めて使われたことの記念碑です。
嘉永6年(1853)、ペリーの来航に際し、幕府側役人と会見を行なう「交易談判所」が神奈川宿に造られ、そこに洋風の塗装を施すことになり、幕府は江戸の渋塗職人である町田辰五郎に塗装を依頼しました。
当時はペンキの存在自体知られておらず、町田辰五郎は試行錯誤を重ねたが、完成には至らず、来航したアメリカ艦の外人職工から技術や資材の援助を受けて、日本人としてはじめてペンキ塗装を完成させたそうです。
この記念碑がある場所は、特に塗装の発祥地とは関係がないようですが、開港後は外国人居留地内の西洋建築でペンキ塗装の需要が増したこともあり、ここが選ばれたのでしょうか。元町公園 公園・植物園
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元町公園の端にある大正活映撮影所の跡(右)と旧児童プールの壁泉(左)
大正活映は、大正9年(1920)設立の無声映画の配給映画会社で、この石碑は撮影所のあった場所にあります。
大正活映は、アサノセメントの創始者浅野総一郎氏の息子良三氏が設立したことで、財界の資本が映画界に投入されていたそうです。
大正活映撮影所が活動していたのは約3年でしたが、ハリウッドで修行した監督の栗原トーマスや、人気作家の谷崎潤一郎が脚本を書いたりと、近代的な映画製作のはしりでした。
旧児童プールの壁泉は、昭和初期の開園当時に設置されていたものをここに移設。元町公園 公園・植物園
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ジェラール水屋敷地下貯水槽の解説
元町公園から元町商店街へ向かう道の右側にあります。
元町公園一帯がジェラール工場の敷地だったそうで、この下部貯水槽は敷地の入り口に位置しています。 -
ジェラール水屋敷地下貯水槽(下部貯水槽)
今も湧水が貯まっているようで、水槽には鯉が泳いでいます。
当時は、ここから堀川まではパイプを使い、堀川からは艀(はしけ)を使って沖合の船舶に水を運んでいたようです。 -
山手の湧水
ジェラール水屋敷地下貯水槽の横にあります。 -
暑さにぐったりしているニャンコ
自分の腕枕で寝ています。
元町公園から元町商店街へ向かう通りにて。 -
山手本通り 山手234番館前の電話ボックス
この電話ボックスは、特に、発祥の地とは関係ありませんが、昔のデザインを踏襲しているようです。
実際に電話を掛けている人は見掛けませんが、記念撮影する人は多く見掛けます。山手234番館 名所・史跡
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ブラフ99ガーデン
外人墓地の前(横浜気象台の横、アメリカ山の入り口)に最近整備された公園。 -
岩崎博物館(ゲーテ座記念館)
現在の建物は、昭和55年(1980)に岩崎学園によって復元されたもので、ファッションとアートの岩崎博物館と併設して日本最初の西洋式劇場を記念して造られたホールがあり、音楽会や講演会などで利用されています。
明治18年(1885)、居留地外国人のための日本初の本格的演劇場「パブリック・ホール」がこの地に開場し、アマチュア劇団の芝居や音楽会などが催されました。
設計は、フランス人ポール・ピエール・サルダで、建坪270坪、地上2階、地下1階の赤レンガ造りでした。
明治41年(1908)にゲーテ座と改名し、大正12年の関東大震災で倒壊するまで外国人の社交場でした。
この前身は、オランダ人ヘフトによって明治3年に現山下町68番地に開設された「ゲーテ座」と名付けられた劇場。
外国人が主な観客でしたが、その中に、数少ない日本人の観客として、滝廉太郎、坪内逍遥、芥川龍之介などがいたそうです。岩崎博物館(ゲーテ座記念) 美術館・博物館
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横浜市イギリス館 イングリッシュガーデン
そろそろ秋バラが咲き始める頃かと立ち寄ってみましたが、全然咲いていませんでした。
(夏は手入れをしないのでしょうか、ボサボサといった感じでした。)
最近、ローズガーデンを改修したのですが、私は改修前の方が好きでした。横浜市イギリス館(旧英国総領事公邸) 名所・史跡
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フランス山の谷戸坂に建つ「クリーニング発祥の地」碑
安政6年(1859)に青木屋忠七が「外国人衣類仕洗張」の営業許可書を得て、日本ではじめて外国人を相手に洗濯業をはじめました。
文久元(1861)、長崎で西洋洗濯を学んだ渡辺善兵衛が、横浜で本格的にクリーニング業を始めました。
従来の日本式の洗濯方法は、しゃがんだり足で踏んだりして洗っていたので、立って洗ったり、アイロンをかけたりするクリーニングは、当時の日本人に珍しがられたそうです。
その後、脇沢金次郎は谷戸坂で開業し、近隣のフランス駐屯軍やイギリス駐屯軍などを相手にクリーニング業を発展させました。
この碑は、脇沢金次郎の店舗の跡地であるフランス山の谷戸坂に建っています。港の見える丘公園 公園・植物園
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「横浜ボウリング発祥の碑」
開港当時外国人居留地であったフランス山公園に、横浜ボウリング発祥の石碑があります。
ここは日本初ではなく2番目のボウリング場です。
日本で最初のボウリング場は文久元年(1861)に長崎にでき、その3年後(1864)に横浜に建てられました。
当時のボウリング場は外国人達のサロンであり、日本人がプレーすることはなかったそうです。
日本人のためのボウリング場は、昭和27年(1952)、東京・青山の「東京ボウリングセンター」が初めてとされています。横浜ボウリング発祥の碑 名所・史跡
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山下公園の百日紅
この時期、咲いている花は少ないですが、百日紅が綺麗に咲いています。 -
横浜マリンタワー
これも日本初かと調べてみましたが、昭和36年に完成と以外に歴史は浅かったです。
横浜開港150周年を迎え、リニューアルオープン。
全長 106m、展望階の高さ 94m、横浜港のシンボルとして聳えます。横浜マリンタワー 名所・史跡
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横浜港 氷川丸突堤の白灯台
横浜港口部に明治29年5月に「赤・白灯台」が設置されたもので、横浜で現存する最古の灯台。
この灯台は関東大震災後修補され、赤灯台は当初位置に、白灯台は氷川丸桟橋突堤に移設されました。
明治元年に洲干弁天官舎跡に灯台掛の木工場が建設され、翌年に灯台局と改称し、全国各地の灯台建設の根拠地となりました。
明治元年に採用したブラントンにより本牧灯船が建造され、明治2年11月に本牧沖に係留・点灯されました。
プラントンは帰国するまでの間に28基の灯台を建設しました。
ちなみに、日本初の洋式灯台は観音埼灯台。
灯台局は明治4年に灯台寮と改称され、灯台設備の試験や灯台保守要員の養成を行いました。 -
横浜港 赤灯台
横浜港の沖合、建設当初の場所に設置されています。
第33回灯台記念日に「灯台局発祥の地」が建てられたそうですが、現在は何処にあるのか分からないそうです。 -
山下公園 「西洋理髪発祥の地」碑
「ザンギリ頭を叩いてみれば 文明開化の音がする」という時代に合わせたザンギリ頭のユニークな像には、”ZANGIRI”と刻まれています。
横浜開港後、多くの外国船が入港し、髪結い職人であった小倉虎吉たちは外国船に出入りして、船員の髭を剃っていました。
外国人に接するうちに、彼らは日本人が断髪する時期が近いことを感じ、外国船の西洋理髪師から西洋理容の技術を学んでいきました。
明治2年(1869)、小倉虎吉が懇意にしてくれた外国人居留地の中国人宅の敷地内に西洋床を開業したのが、日本での西洋理容業の始りとされます。
文明開化の流れを受けて小倉虎吉の仲間たちも次々と開業し、西洋理容は横浜から広まっていきました。西洋理髪発祥の地 名所・史跡
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山下公園 「西洋理髪発祥の地」碑の解説
安政の開港とともに、生活様式の洋風化が進むなか、政府の「断髪令」に先駆け、明治2年、横浜に我が国初の「西洋理髪店」が開業され、欧米風「ザンギリ頭」は文明開化の一翼を担うこととなった。
我が国最初の理髪店がどこに出来たのかは定かではありませんが、港の沖合に停泊する外国船に出入りするために、この辺りから小舟に乗って通ったことから、ここに設置されたのでしょうか。西洋理髪発祥の地 名所・史跡
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「横浜天主堂跡」の碑
みなとみらい線元町中華街駅2番出口の横にあります。
開国後最初のカトリック教会
文久2年(1862)、開国後、居留地の外国人への布教の為に、最初の教会として
居留地80番地(現在の中華街東門近く)にフランス人宣教師ジラール師によって建てられました。
やがて居留地が過密になり、山手地区の住宅が増えたので、教会も環境のよい山手へ移転し、カトリック山手教会(前述)となりました。横浜天主堂跡 名所・史跡
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横浜天主堂跡
キリスト像の左面に刻まれている碑文
わが国が開国して間もない文久二年(1862年)キリシタン迫害以来絶えて久しかった天主堂がこの地に創建され、キリストの聖心に献げられた。
これは近代日本最初の教会であり、現在の山手カトリック教会の前身をなすものである。
このたび天主堂創建百年にあたり、ここに聖心のキリスト像を建立して、永くこの遺跡を記念する次第である。
1962年 4月29日 横浜天主堂遺跡顕彰委員会横浜天主堂跡 名所・史跡
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「日本洋裁業発祥顕彰碑」
日本の洋裁業発祥は、文久3年(1863)に開業した英国人ピアソン夫人のサムエル・クリフト支店が最初です。
この店のあった横浜居留地97番は今の山下町97あたりです。日本洋裁業発祥顕彰碑 名所・史跡
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日本洋裁業発祥顕彰碑建立碑文
1863年(文久3年)英国人ミセス・ピアソンが横浜居留地97番にドレス・メーカーを開店したのが横浜の洋裁業の始まりである
その頃から在留西洋婦人は自家裁縫のため日本人足袋職人・和服仕立職人を人仕事として雇いこれにより婦人洋服仕立職人が育った
以来130有余年、先人達の偉業を称え、その精霊をモニュメントに表徴して永く後世に伝えるべく、洋裁業発祥の地たる横浜に、日本洋裁業発祥顕彰碑を建立する
1995年 平成7年11月24日日本洋裁業発祥顕彰碑 名所・史跡
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「ホテル発祥の地」とされる場所
現在の山下町70番地(住友海上・上野共同ビル)の場所が、ホテル発祥の地といわれます。横浜かをり 山下町本店 グルメ・レストラン
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「ホテル発祥の地」の解説
1860年(万延元年)、開港直後の2月、横浜のホテルの元祖がこの地(居留地70番)で生誕した。
この「ヨコハマ・ホテル」はオランダ人が造ったもので、内部に食堂やビリヤード室、酒場を設け、数年後にはフランス人シェフのレストランや洋酒、洋菓子の売店、ボーリング室も付設した。
宿泊客のハイネは、ここで美味な料理をとれると賞賛し、他にシーボルト・ワーグマン、クラークなどの著名文化人も多数、宿泊、滞在した。
これらの人を通じて、最新の外国文化の受け入れ口として、我が国の近代化に果たした役割は誠に大きい。ホテル発祥の地 名所・史跡
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「ホテル発祥の地」
現在も、フランスレストランかをりが営業しており、洋菓子などの販売も行われている。ホテル発祥の地 名所・史跡
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「電話交換創始の地」
当時の横浜電話交換所はビルになっていますが、ビル壁面には電話交換創始の碑が刻まれています。
電話機は明治9年(1876)、アレクサンダー・グラハム・ベルによって発明されましたが、日本ではその翌年に工部省と宮内省の間で試験通話がおこなわれました。
その後、電話の商用化が計画されて、明治23年(1890)に東京滝ノ口と横浜居留地に電話局を設置、 日本で初めての電話交換が始まりました。
当時の逓信省は、電話加入者の目標を東京と横浜400人としましたが、実際の申込者は東京約150人、 横浜約40人でのスタートとなりました。
ここ横浜電話交換初では男性4名の交換手がいて、まず相手の電話番号を告げて繋いでもらったそうです。
創業当時の電話料金は定額制で、横浜で年間35円、東京は50円でした。
年期奉公の店員さんの月々の給料4円ぐらいだったので、この電話料金の高さが加入者の低迷の一因とも言えました。
その後は電話料金の値下げや便利さが受け入れられて、普及範囲は全国へと広がっていきました。
(「ぶらり横浜観光」参照)電話交換創始の地 名所・史跡
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横浜港郵便局 「外国郵便創業の局」
神奈川県庁の前にある横浜港郵便局。
江戸時代までの日本には郵便制度が無く、飛脚が郵便の役目を果たしていました。
明治時代に入ると前島密によって日本国内の郵便制度が設立されましたが、外国からの郵便物はアメリカ・イギリス・フランスの3国が各領事館内に郵便局を持ち、自国の切手を使って郵便業務を行っていました。
外国から日本人宛の手紙は日本での外国郵便の取り決めがなかった為、そのまま返却されるという状態だったそうです。
その為、前島密はアメリカとの郵便制度の確立に交渉を重ね、日米郵便交換条約を結び明治8年(1875)、横浜郵便局(現在の横浜港郵便局)で外国郵便を扱うことになりました。
また、日本の切手を貼って日本から外国に手紙を送ることも出来るようになりました。
当時の横浜港郵便局は木造の西洋館造りで、外国郵便開業式は外国人も多数出席してとても華やかに行われたそうです。
それからは次々と各領事館での郵便局は廃止され、外国郵便は完全に日本での取り扱いに移行したそうです。外国郵便創業の局 名所・史跡
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横浜港郵便局の入口階段脇のエンゼル
外国郵便開始80周年を記念して設置されたブロンズのエンゼル像、
「郵便は世界を結ぶ」と記されています。外国郵便創業の局 名所・史跡
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横浜都市発展記念館に展示されている卵形下水管
横浜の下水道については、都市計画で数々の功績を残したR.H.ブラントンの活躍があります。
ブラントンの下水道計画は、まず横浜の旧外国人居留地から始まりました。
設計は明治2年(1869)、完工は明治4年、排水管は陶製で日本人の手により作られましたが、陶管に圧力がかかり、土管の多くが破損してしまったため、土管の製造には工夫が加えられ、より耐久性のあるものが完成し問題は解決しました。
そして10年が経過し、ブラントンの陶管下水道は容量不足となったため、三田善太郎の計画により、下水管は全面的に煉瓦造へと形を変えていきました。
開設の内容は、
平成13年(2001)、県庁前の日本大通りで発見された煉瓦造の卵形下水管です。
現在の山下町一帯は、かつて外国人居留地にあたり、煉瓦造の下水道網が広がっていました。
下水道管は明治10年代半ばに設置されたもので、大中小の3種類あるうちの「中下水」に相当し、煉瓦造のマンホールに接続していました。
一定の流速を確保するため管の断面は卵形をしており、枕木を並べた上にコンクリートを巻いて敷設されていました。横浜都市発展記念館 美術館・博物館
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横浜都市発展記念館に展示されている横浜市瓦斯局のガスタンク基礎
平成25年(2013)、市立本町小学校内の発掘調査で発見された煉瓦積み基礎の一部。
明治5年(1872)に創業した横浜瓦斯会社では、製造したガスを蓄えておくためのガスタンクが4基建設されましたが、この機基礎は明治39に完成した4号タンクのものと思われます。横浜都市発展記念館 美術館・博物館
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横浜都市発展記念館に展示されている国内最古のガス管
この鋳鉄管は、平成14年(2002)に市立本町小学校の校庭から出土したもの。
同校の敷地には日本で最初に瓦斯事業を興した横浜瓦斯株式会社の施設が建っていたところで、ここで製造されたガスは、地中に埋められた鋳鉄管を通って街なかのガス灯に送られました。
管の接合部分には、瓦斯会社の創業時に資材を購入したイギリスのレイドロー社のイニシャルがあり、この管が国内最古のものであることを裏付けるもの。横浜都市発展記念館 美術館・博物館
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「消防救急発祥の地」
横浜都市発展記念館の駐車場の隅にあります。
ここは、居留地消防隊の跡地として、日本初の消防車と救急車が配置された、日本の近代消防のゆかりの地となっています。消防救急発祥之地 名所・史跡
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「消防救急発祥の地」の貯水槽と説明
この貯水槽は、旧居留地時代から100年以上も保存され、1972年(昭和47年)まで利用されていました。
そして何と現在も、地下水の流入により常時貯水がされています。消防救急発祥之地 名所・史跡
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「消防救急発祥の地」 旧居留地消防隊地下貯水槽遺構の解説
この貯水槽は、明治4年(1871)から明治32年(1899)までここを本拠地とした居留地消防隊の防火貯水槽として建造されたもの。
100年以上も良好に保存され昭和47年まで使用されていました。
また、居留地消防隊が使用した後も、日本初の消防車(大正3年)、救急車(昭和8年)から配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地でもあります。消防救急発祥之地 名所・史跡
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日本大通りにある三井物産横浜ビル
1911年に竣工、日本で最初に建てられたコンクリート造建築で、設計は日本人の遠藤於遠、酒井祐之助の二人です。
関東大震災にも耐えて現存します。
この建物ができるまでは、洋風建築はルネサンス調が多かったため、三井物産横浜ビルはモダンな印象を与えたとのこと。KN日本大通ビル 名所・史跡
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「電信創業の地」碑
日本大通りの横浜地方検察庁の前に建っています。
明治2年(1869)、横浜裁判所内と東京築地運上所内・伝信機役所を結ぶ約32Kmの電信線架設工事が行われ、日本ではじめて電報のやりとりが行われました。
横浜裁判所に電信線を開通するとは面白いですね。
東京側は中央区明石町13にも同様(電波を表すデザイン)の碑が建っているそうです。 -
「神奈川運上所跡」の碑
神奈川県庁の敷地の隅に建っています。
開港に伴い、横浜には運上所が設けられました。
運上所とは、物の出入りを管理する機関であり、外交事務や関税を取り仕切るだけではなく、幕府の外務、その他港の行政・刑事、更には船の製造や修理の監督まで行う総合的な役所でした。(「運上」というのは現在で言う税金の事)
当時は運上所を境に西側が日本人居住地、東側が外国人居留地でした。
管轄としては、現在の紅葉坂の途中に置かれていた神奈川奉行の支配下にありました。
現在の横浜税関はクイーン塔の愛称を持つ建物ですが、ここで幕末の商人達は、諸外国を相手に行う色々な取引や物品の検査を受けたりしていた訳です。
横浜税関が誕生した11月28日は、日本全国にある運上所が一斉に「税関」という呼称になった日であり、それ以来、税関記念日と呼ばれています。神奈川運上所跡 名所・史跡
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「神奈川運上所跡」の説明文
開港にともない、関税と外交事務を扱う神奈川運上所が、今の神奈川県庁所在地に設けられ、神奈川奉行の支配に属していた。
慶応2年(1866) 類焼、翌年新築、横浜役所と称した。
明治元年(1868) 明治政府に移管され同5年(1872)横浜税関に改められた。神奈川運上所跡 名所・史跡
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横浜市開港記念会館
横浜3塔のジャックとして知られます。
横浜市開港記念館は、開港50周年を記念して、大正3年(1914)に着工、大正6年7月1日の開港記念日に開館しました。
建物は、大正12年の関東大震災によって一部消失したため、昭和2年と平成元年に復旧工事が行われ、創建時の姿に復元されました。横浜市開港記念会館 名所・史跡
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横浜町会所跡
開港記念館の玄関横にこの碑が建っています。
ここには、明治7年に竣工した石造2階建て屋上に高塔がある建物があり、明治22年まで横浜の町政を執った町会所でした。
明治23年、横浜貿易商組合会館と改称、その後、横浜会館と改めましたが、明治39年に類焼により焼失しました。横浜町会所跡 名所・史跡
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岡倉天心生誕の地
横浜開港記念館のある場所は、開港期から明治初年まで、岡倉天心の父勘右衛門が支配人をしていた生糸売込店石川屋があったところです。岡倉天心生誕の地 名所・史跡
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横浜商工会議所発祥の地
横浜開港記念館前に、もう一つ記念碑が建っています。
横浜商工会議所は、明治13年横浜商法会議所としてこの地に設立された。
創立100周年を迎えるに当たり、先人の偉業をしのびこの記念碑を建立。
昭和55年4月12日
以上、横浜発祥の地を巡りましたが、皆さんがご存じないところもあったでしょうか?
まだまだ、横浜には「発祥の地」や「我が国初めて」がありますので、続きを作成する予定です。
(つづく)横浜商工会議所発祥の地 名所・史跡
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この旅行記へのコメント (2)
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- Mariaさん 2016/10/05 09:32:49
- はじめまして!
- はじめまして!
Mariaと申します。
この度は私の旅行記をたくさん見て下さり、投票までして頂きありがとうございました。
まだ初心者ですが、これから少しづつ書き溜めて行こうと思っています。
morino296様の旅行記も大変興味深く読ませて頂きました。
今週末に初めて横浜を訪れる予定なので、◯◯発祥の地…も気に留めながら散策したいと思いました。
とても楽しみです。
これからも楽しい旅行記を拝見させて頂きます。
Maria
- morino296さん からの返信 2016/10/07 23:33:00
- RE: はじめまして!
- Mariaさま
こんばんは。
書き込みを頂き有難うございました。
また、返信が遅くなってしまい申し訳ありません。
横浜へお出掛けになるとのこと、嬉しいですね。
どの辺りへ行かれるのか楽しみです。
ちょっとお天気が気懸りですが、お楽しみください。
これからも宜しくお願いします。
morino296
ps.
横浜のご案内が必要でしたら仰ってください。
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